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一宮友歩会・第105回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・領内川編 part1 名鉄玉野駅から山崎駅まで歩く

2024-12-07 23:50:12 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第105回ウォーク例会です。
今回は名鉄玉野駅から山崎駅まで歩きした。
黄色く色づいた沿道のイチヨウの木。
祖父江町は黄色に染まっている。そんな印象を受けました。

名鉄玉野駅(スタート) → 光願寺→ 善福寺 → 阿古井池公園 →八剣社 →
広口池 → 山崎神社→ 坂井文助石碑 → 永帳寺 →領内川 →善光寺 →
祖父江の森→名鉄森上駅 → 布智神社 → 日光川 →ぎんなんパーク →名鉄山崎駅





第105回例会の地図です。
105map.pdf



集合場所が光願寺となっていました。
こちらで出発式を行いスタートしました。




最初に寄ったのが善福寺です。



善福寺の境内です。
尾張は日本のメソポタミヤであり
          木曽長良の両川はチグリス エウフラテスにあたる
尾張福士会の尽力で建てられた「福士幸次郎先生原日本考発想の地」の記念碑です。



阿古井池公園に向かって歩いています。
濃尾平野の真っ只中。
冬は寒風が強いだろうなと想像しながら歩きました。
この地なら、伊吹おろしと言うのだろうと思ったのです。



一宮友歩会の仲間のグループラインです。
このラインに伊吹おろしが小中学校の校歌に捉えられているのではと思いながら歩いたと書き込んだのです。
二人の教員経験者から反応が有りました。
やはり、この地方。
冬に伊吹おろしが強く、校歌の中に唄われているのでした。




阿古井池公園へ来ました。



神社へ来ました。
この場所、八剣社で有り上祖父江城跡でもあります。



八剣社内の石碑の解説です。
明治39年(1906年)に興業で欧州へ渡ったと書かれています。
花子の首、ロダン作となっています。
ロダンは1480年生1917年没ですから生存中の作品なのでしょう。



黄葉したイチョウ。



広口池へ来ました。
洪水調節のゲートです。



広口池の洪水調整の役割を表した解説板です。
河川土木の専門家、Y氏の解説が有りました。



玉野放水路、祖父江放水路の解説資料です。
日興側と領内川の水を広口池に集め、祖父江放水路で木曽川に流しています。



解説板の直ぐ脇に本居宣長と横井千秋の石碑が在りました。
横井千秋は尾張藩の宣長門下生と有ります。




山崎神社へ来ました。



山崎神社の東側に有った坂井文助旧跡の碑です。



戦国時代にこの地に居住した土豪・坂井氏の屋敷跡です。
初代・文助は、信長、信雄、秀吉に仕えて道中奉行を務めた。二代目・利政は尾張藩主に仕えて船奉行となった。しかし三代目・利知も船奉行となったが、事故を起こして、お家断絶、追放された。
その後は三河国(愛知県東部)へ移り眼病の医者になった。
この石碑の寄進者の姓が医学博士酒井利○となっている。
何時の時期に坂井から酒井に変わったのだろう。




黄葉したイチョウ。



領内川の横を歩きます。
ススキが繁っています。





黄葉したギンナン畑。



ギンナン畑のギンナン。
凄い数です。



DeLiいなかと言う店。
Googleマップにはうどんの店となっているがダンゴやタコ焼きの店です。
店頭に並んでいたギンナン。
1パックが100円と、格安です。
2パック買いました。粒の大きさもマアマアで、格安でした。






善光寺へ来ました。



今回、初参加の人が6名居ました。
ミンナの前に並び自己紹介が有りました。



初参加の中の一人。
善光寺で貰って来たボケないための五ヶ条です。
気持ちの若い人。
感謝の出来る人。
よく書く人。
感動を忘れない人。
旅の好きな人。    
これからも心掛けていきたい事柄です。




祖父江の森の横を歩きます。
この施設、市民の健康保持とスポーツ振興のための施設です。
温水プール、テニスコート、多目的広場。敷地内には図書館も有ります。



森上駅の駅前へ来ました。
モニュメントが設置して有ります。



日光川の川沿いを歩きます。



左側。
黄葉したギンナン畑です。



カモの群れ。
人の気配で対岸に向かって行きました。



ぎんなんパークへ来ました。
葉が落ちだしたギンナンの木。
ギンナンがビッシリと実っています。



先頭がぎんなんパークに入りました。



ぎんなんパークの展望台です。
ここで解散式となりました。



最期に
歩いていて、この辺り。伊吹おろしが強いだろうなと想像しながら歩きました。
そして、この伊吹おろしを校歌に取入れているのではなかろうかと想像しました。
グループラインにそんな想像をしたとアップしたら、二人から実際、校歌に入れられていると書き込みを貰ったことが嬉しかったです。
坂井文助の旧跡を訪ねました。
調べると二代目三代目が尾張藩の舟奉行を努めたことが判りました。
11月7日に「やっとかめ文化祭」で熱田の水辺から探る! ~湊町・漁師町・宿場町~に参加しました。
その中で、堀川に差し掛かった時に講師から対岸に尾張藩の御船蔵が有って、船奉行が千賀氏だったと解説が有りました。三代目の坂井利知が事故を起こして、お家断絶、追放となったので、その後任に千賀氏が就任したのかもしれない。
先日に歩いて解説を受けた事柄が結びつくのが面白い。






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一宮友歩会・第104回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編 part16  中山道赤坂宿から垂井駅まで歩く

2024-10-05 23:00:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第104回ウォーク例会です。
今回は中山道の赤坂宿からJR垂井駅まで歩きました。


石灰石列車編
美濃赤坂駅に9時集合となっていました。
美濃赤坂駅に9時に着く列車は美濃赤坂駅に8時10分着と8時40分着が有ります。
余裕持って行こうと思い、美濃赤坂駅に8時10分到着の列車で向かいました。
そうしたところ、西濃鉄道線から出てきて石灰石列車の連結作業を見ることが出来ました。

製鉄原料は鉄鉱石とコークス。そして石灰石です。
コークスは輸入した石炭をコークスに加工しているのでしよう。
鉄鉱石と石炭は船が着岸した岸壁から持ち込みます。
石灰石は赤坂の金生山から運んでいます。
その石灰岩を送り出すシーンを見たのです。


(08:27)
踏切の警報機が鳴り始めました。
そして、来たのがDE10に牽引された石灰石列車でした。



石灰石列車の先にEF64が待機しています。
単機で来て待っています。



DE10ディーゼル機関車は先へ行って停止しました。
そして石灰石列車から離れて行きます。



EF64電気機関車。
大垣方面へ向かって行きます。



大垣方面へ行って石灰石列車の線路に入ってきました。



EF64電気機関車。
速度を落としてゆっくりと



(08:37)
機関車。
ゆっくりした速度で石灰岩列車に近付きました。
そして、作業員が連結作業をしています。




ホキ2000形石灰岩列車。
矢橋工業が所有する私有貨車です。




連結作業が終わり信号が変わるのを待ちます。




(09:22)
石灰石列車が出発していきました。

石灰石専用貨物 矢橋ホキ(名古屋臨海鉄道) JR美濃赤坂駅→JR笠寺駅→新日鐵住金名古屋製作所
この貨物列車、美濃赤坂駅でディーゼル機関車から電気機関車へ。
電気機関車で笠寺駅まで行き、そこから名古屋臨海鉄道のディーゼル機関車に変わります。
そして新日鉄の溶鉱炉へ向かって行きます。
石灰石列車のリレーです。



第104回例会ウオーキング編

JR美濃赤坂駅 → 赤坂湊跡 → 赤坂宿 → 昼飯大塚古墳 → 粉糠古墳 → 
遊塚古墳 → 円興寺 → 美濃国分寺跡 → 美濃国分寺 → 大垣市歴史民俗資料館

 → 願證寺 → 国分尼寺跡 → 喪山古墳 → 美濃路追分 → JR垂井駅


第104回例会の地図です。
104map.pdf (ssl-lolipop.jp)




8時40分美濃赤坂着の列車が入ってきました。



沢山の人が降りて行きました。
受付の開始です。
これだけ沢山の人が乗っていました。
電車の運転士が何が有るのかと、ビックリしていたと誰かが話していました。




歩きだして最初に寄ったのが赤坂湊跡です。
ここでY氏の解説が有りました。
この赤坂辺り。
先日の集中豪雨で水に浸かりました。
Y氏はその事にも触れました。



昼飯大塚古墳へ来ました。



昼飯大塚古墳に登ります。



昼飯大塚古墳でもY氏の解説です。



昼飯大塚古墳から降りてきて円興寺に向って行きます。
右て前方に見えたのが金生山です。
石灰石と大理石を採掘する山です。
大きく削られています。



遊塚古墳の手前まで来て彼女に出会いました。
遊塚古墳の場所を聞いたりしました。
彼女、一宮市の今伊勢出身だと言っていました。
私たちが通過した時に「一宮友歩会」の旗を見て親近感を持ったのだと思います。
写真はその時のものです。
良く喋る人でした。
唄つむぎ和音」と言う名前で色々の活動しています。
【淡墨桜】淡墨ざくらのうた - 唄つむぎ和音 (youtube.com)
★☆嬉しがりやゆきじさん、唄つむぎ和音さん★☆ | fureai-egaoのブログ (ameblo.jp)




溜池です。
あずま屋が有り、あの場所で休憩します。



石柱と文化財の標柱が立っています。
この場所が遊塚古墳です。
表土が流れてしまったのか、古墳らしくありません。




円興寺の入口に来ました。
寺はこの先です。



彼岸花が、今が盛りと咲いています。
今年の彼岸花。
開花が遅くなっています。
ここへ来るまでも何度も見かけました。




美濃国分寺跡に向かって歩きます。
この辺り、前方が広がっていました。
写真には写っていませんが赤とんぼが沢山飛び交っていました。



前方の垂井新線。
貨物列車が走って行きます。
引かれている貨車、全てが福山通運となっています。
福山通運号と呼んでも良いかも知れない。




青空の下を歩いています。



大垣市歴史民俗資料館に来ました。
ランチタイムです。
一旦、解散となりました。



ランチタイムが終わり美濃国分寺を訪ねます。



青空の下を歩いています。



喪山古墳に寄りました。
古墳に上がってみます。



垂井駅にゴールです。
お疲れ様でした。







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一宮友歩会・第103回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編 part16 名古屋市南区を歩く

2024-07-06 23:54:30 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第103回ウォーク例会です。
今回は名古屋市南区を中心に歩きました。
今は多くの住宅が有り、この地が海で笠寺台地が島だったとは想像できない場所でした。
何箇所もの神社と古墳跡。かつてこの地は住みやすい場所だったのでしょう。


名鉄呼続駅 → 熊野三社松巨島(出発式) → 白毫寺 → 湯浴地蔵 →
鉄地蔵 → 鳥栖古墳 → 医王寺 →
成道寺石仏 → 鳥栖八剣社古墳 →
村上社クスノキ → 八幡社 → 笠寺公園 →
名古屋市見晴台考古資料館
→ 笠寺観音 → 富部神社 → 呼続公園(解散式) → 名鉄桜駅



第103回ウォーク例会のコース図です。
103map.pdf (ssl-lolipop.jp)



集合場所の最寄り駅は名鉄呼続駅となっていました。
呼続駅から出発式が行われる熊野三社へ向かいます。
この道、旧東海道です。



坂道の旧東海道。
石柱が立ち路面には東海道と描かれていています。



熊野三社です。
ここで出発式が行われます。



熊野三社奉賛会の宇津野さんから松巨島の説明を聴きます。
松巨島とは、熱田方面から眺めると、この一帯が「松の大きな島」に見えたことから、この地名が伝えられています。



熊野三社を出発しました。
階段を下りて行きます。
階段を下りた場所は海岸だったかも知れません。



白毫寺へ来ました。



白毫寺の境内に年魚市(アユチ)潟勝景地の石碑が在ります。
この石碑、「あいち」の県名の語源となった年魚市潟勝景跡です。
沢山の樹木に覆われた場所です。
この先の見通しが良ければ、段下の海岸が望めるのではなかろうか。



湯浴地蔵へ来ました。



地蔵堂の前。
対のカエルが有りました。
右が雄で左が雌。
風雨に打たれ形が崩れてきています。



鳥栖古墳ですが鳥栖神明社の境内となっています。



鳥栖八剣社古墳です。
ここもお宮さんが有ります。
古墳の場所が神社となったと言う感じです。



村上社のクスノキへ来ました。
この辺りを見下ろしてきたであろう、大きな木です。



八幡社へ来ました。
境内の歌碑です。
古代、大地の周辺は海で「年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれ、万葉集の中に桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」「年魚市潟 汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」と詠まれています。

愛知の語源。年魚市潟、この地に鶴が来ていたようです。
今は釧路郊外でしか見られない鶴。
かつては飛来していたのだろうか。



桜田勝景跡の解説です。



この先、笠寺公園です。



名古屋市見晴台考古資料館に着きました。
資料館を見学、そして昼食の時間となりました。




住居跡観察舎の内部です。
竪穴住居跡を再現しています。



笠寺観音に着きました。



笠寺の本堂です。



笠寺の境内に宮本武蔵の碑が有りました。



市が開かれていましたが、お昼を過ぎた時間であり後かたずけをしていました。
ポンはぜの店。
かたずけをやっています。



笠寺観音を後にします。



富部神社(とべじんじゃ)です。
富部神社はは名古屋市南部の笠寺台地に鎮座いたしてております。
大きな木が有ります。




お疲れさまでした。
呼続公園で解散式を行いました。



名鉄桜駅です。



今回の資料です。




 次回第104回例会は「史跡巡りシリーズ・岐阜編part16」として、令和6年10月5日(土)、JR東海道本線美濃赤坂駅集合で行います。赤坂宿、円興寺、美濃国分寺跡等を巡り、ゴールは垂井駅です。



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一宮友歩会・第102回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・三重編 partR5 佐屋駅から木曽三川公園 そして多度大社へ歩く

2024-06-01 23:57:53 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第102回ウォーク例会です。
今回は名鉄佐屋駅へ集合。少し離れた星大明神社に隣接する公園で出発式。星大明神社では副総代の方から説明を受けました。お話は市江車の話しや重要文化財に指定されている木造獅子頭の話しでした。そして善定坊。古木江城跡に寄り、その後道の駅立田ふれあいの里で休憩。立田大橋を渡った後で木曽川右岸堤防から河川敷に降りました。河川土木の研究家Y氏からケレップ水制の説明を受けました。ケレップと言う言葉はオランダ語で水制。つまり水を制すると言う意味です。の木曽川の位置。開削して今の場所になったのだそうです。川の場所が変わって多くの人が農地を手放したのだそうでした。
長良川大橋を渡り治水神社へ、そして木曽三川公園で昼食となりました。食後は油島大橋を渡り内母神社へ。多度川河畔を歩き多度大社へ。その後は養老鉄道の多度駅に向いました。

名鉄佐屋駅 →  星大明神社 → 善定坊 → 古木江城跡 → 道の駅立田ふれあいの里 → 
立田大橋 → 長良川大橋 → 治水神社 → 木曽三川公園 → 油島大橋 → 内母神社
 → 多度大社 → 養老鉄道多度駅




今回のコース地図です。





集合場所は名鉄佐屋駅となっていました。



佐屋駅の南。
星大名神社に隣接する講演で出発式です。



星大明神社では副総代の方から説明を受けました。



ウオークを開始しました。
この辺り。
いわゆる0メートル地帯です。
少しでも水難から家屋を守ろうと石垣が設けられています。



田園地帯を歩きます。
色が変わった麦畑。
もう直ぐ収穫となります。



古木江城跡の解説板です。
城跡に神社が有り、現地に鎮座する富岡神社は城の鎮守として置かれたと考えられている。



道の駅 立田ふれあいの里に寄ります。



左は4月20日に下見で歩いた時のものです。
女性が農作業をしていました。
種レンコンの植付けかと聞いたら、そうだと言う応えが帰った来ました。

右はその時の場所。
水が張られレンコンの芽が出だしています。
1か月余ほど前です。
確実に季節が移って行きます。




立田大橋を渡ります。



木曽川の右岸に降りてきました。
河川土木の研究家Y氏からケレップ水制の説明を受けました。



長良川大橋を渡ります。



治水神社に寄りました。



宝暦治水工事犠歿者の石碑です。
平田靱負は桑名市の海蔵寺に墓が有ります。
後ろの方に描かれている竹中伝六は羽島市の羽島別院に墓が有ります。



治水神社に有った宝暦治水の解説。
紙芝居のようになっています。



木曽三川公園へ来ました。
ここで昼食の時間です。





左は瀬戸市から参加のSさん。
右はSさんが持参したお料理です。
これだけの量を運ぶのは大変だっただろうと思います。
美味しくいただきました。



油島大橋を渡ります。



田植が終わった水田。
隊列が長くなっています。



多度川の河川敷を歩きます。



多度大社まで来ました。
毎年揚げ馬神事が行われるが、壁を除去し上がりやすくなっていました。



養老鉄道の多度駅です。
ここがゴールです。



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一宮友歩会・第101回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編partR4一宮市東部を歩く

2024-04-06 23:26:42 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第101回ウォーク例会です。
今回は一宮市東部を歩きました。
ほぼ満開のサクラ。真清田神社から大江川沿いを歩きました。そして来たところが大乗公園でした。
モルック言う軽スポーツに興じる人たち。ここでAさんから一宮空襲で3人姉妹の従妹を亡くしたと言われました。
大平島公園ではD51を管理している会長から解説が有りました。この後、真清田神社御斎田や浅野公園など一宮市の東部を訪ねた後、梅ヶ枝公園にゴールしました。前回が第100回で今回は第101回。
記念となる会で有り、ゴールしてから梅ヶ枝公園で会員同士の交流会を持ちました。
会員同士。有意義な時を過ごしました。

名鉄一宮駅 → 真清田神社(出発式) → 大乗公園 → 大平島公園 → 大赤見城跡 →
真清田神社御斎田 → 浅野公園 → 馬見塚遺跡 → 森本中央公園 → 照手姫袖掛けの松
 → 梅ヶ枝公園 → 名鉄一宮駅




今回のコース地図です。
101map.pdf (ssl-lolipop.jp)




真清田神社の前が集合場所となっていました。



出発式です。
挨拶する会長。



一宮ケーブルテレビICCの取材です。
第101回の例会です。
取材に来てくれました。



大江川のサクラ。
満開状態です。



大乗公園へ来ました。
この公園には空爆殉難記念碑が有ります。
説明するAさん。
Aさんの従妹、3人が一宮空襲で亡くなったのだそうでした。




D51が静態保存されている大平島公園です。
SL友の会会長の高木さんの説明をしてくれました。



大赤見公園で解説するMさん。




浅野公園へ来ました。
浅野公園のマップです。




会旗を先頭に浅野公園を出発します。



路傍の田んぼ。
レンゲが真っ盛りでした。



こちらはダイコンの花です。



前方は名古屋高速です。
一宮市浅野辺りを歩いています。



住宅街の中に有った馬見塚遺跡です。




森本中央公園へ来ました。



梅ヶ枝公園に到着です。




今回は101回例会です。
前回。100回記念の回でした。
それで、この場所で会員同士の交流会の実施となりました。




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一宮友歩会・第100回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・知多編Part R1 東海市を歩く

2024-02-03 23:41:26 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第100回ウォーク例会です。
今回は東海市を歩きました。
東海市出身の細井平洲。細井平洲は知多郡平島村の豪農の家に生まれました。
そして上杉鷹山との出会い。上杉鷹山は知っていましたが細井平洲が上杉鷹山の師であることを知りました。東海市内を歩きましたが、市内各地の細井平洲の像を見かけました。
平洲の記念館が有り東海市が全面的に取り上げている。そんな印象がしました。

名鉄太田川駅(スタート)  →  弥勒寺 →  東海市役所 →  業平塚 → 平洲記念館 → 
平洲誕生地 → 西方寺 → 平洲小学校 → 平洲中学校 → 中央図書館 → 大池公園
 → 加家公園 → 観音寺 → 聚落園大仏 → 名鉄聚落園駅(ゴール)


今回のコース地図です。
100map.pdf (ssl-lolipop.jp)



名鉄太田川駅の駅前です。
ここで出発式です。



太田川に架かる橋を渡ります。




弥勒寺への坂。



弥勒寺へ来ました。
御宝塔です。
節分と有って沢山の人が訪れていました。



こちらは本堂です。
本堂でご祈祷が有り豆まきが有りました。



ヒイラギで門が作って有りました。
1本枝を戴いて来ました。



豆まきが有った跡です。



次のご祈祷に供えて枡にマメが入れられていました。
手を差し出しマメを戴きました。



サザンカが咲いていました。



東海市役所に来ました。



東海市役所です。
表側に細井平洲と上杉鷹山の石像が有りました。



業平塚に寄りました。



業平塚の解説です。



平洲記念館まで来ました。
職員の方が表まで出て迎えてくれました。
記念館の前にも平洲の像が有ります。




記念館に入り大きなホールへ行きました。
ここで館長から館にまつわるクイズを行うと言われ用紙を渡されました。

その後、クイズの用紙を持ち自由に館内を廻る。
それで展示室へ行きました。



細井平洲の年譜です。
享保13年6月に誕生したと有ります。でした。
享保が何時頃か判らなくても享保の改革。
吉宗の時代でしょう。
その後に宝暦とか明和。天明と続く時代背景。
天明に徳川宗近睦に講義と有ります。
吉宗の時代で享保の時。尾張藩主は徳川宗春でした。
そんな時代背景を想像するのが面白い。



上杉鷹山や細井平洲、それに高山彦九郎も紹介しています。
京都の三条大橋の東の所に高山彦九郎の像が有ります。
三条大橋で観たアノ像とここでの解説が結びつくのが面白い。



記念館を出て歩き始めました。
平洲の誕生地へ来ました。



大池公園の中、池の縁の道を歩きます。
白いスイセンが咲いていました。



平洲と大仏を訪ねる花の道
を歩いています。
先の橋は大窪公園と加家公園を結ぶメルヘンブリッジです。



如来山旧跡碑を過ぎた場所です。
見晴らしの良い所となっています。
皆さん、眺望を楽しんでいます。



展望の良い場所。
工場地帯が見えます。
今は工場地帯となっているが、ここはかつて海岸でした。
記念館の館長が話してくれましたが、この辺りを「あゆち潟」と言ったのだそうです。
あゆちと言うのは「愛知」の語源なのだそうです。
海岸線が遠くなり、この下まで海だっとは想像できません。



お寺のウメ。
ぽつぽつと咲き始めていました。



渡っている橋は聚落園公園加家公園連絡橋です。

平洲と大仏を訪ねる花の道が整備された時に架橋したのでしょう。
まだ新しい橋です。




橋の上からの眺め。
伊勢湾岸道路の名港トリトンが見えます。



大仏が見えました。
聚落園公園に来ました。




下から大仏を見上げます。
改めて、その大きさを感じました。



聚落園大仏の解説です。
大仏が建立されたのは昭和2年と書いてあります。



東海市内の平洲像です。
生年の時とか壮年のときとかいろいろの像が有りました。



最後に

歩いていてサザンカやウメ。そしてスイセンを目にしましたが春が訪れている。そんな感じを受けました。
歩いて見て、細井平洲 一色の街。東海市はそんな街である印象がしました。
上杉鷹山は知っていましたが細井平洲は知らなかったのです。今回の例会。勉強になりました。江戸から米沢藩へ向かっ平洲。その旅も大変ではなかったろうか。
大池公園から聚落園公園まで、平洲と大仏を訪ねる花の道を歩きました。メルヘンブリッジや聚落園公園加家公園連絡橋が有り、ウオーキングをする道として整備して有りました。公園が繋がって整備して有る。このように出来た東海市。こういう事業に予算を使える東海市は財政的に豊かなのではなかろうか。
良いウオークを体験できました。

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一宮友歩会・第99回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・木曾川編Part R1 萩原駅から起バス停まで歩く

2023-12-02 23:02:36 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第99回ウォーク例会です。河川探訪シリーズ・木曾川編Part R1です。

名鉄萩原駅(スタート) → 萩原町郷土資料館 → 市川房枝生家跡 → 吉藤城跡 →
多良街道 → 朝日公民館→ 朝日西小学校 → 小塚直持墓碑 → 西中野渡船場 →
富田山公園 → 聖徳寺跡 → 尾西歴史民俗資料館 → 起(バス停)



今回のコース地図です。
99map.pdf (ssl-lolipop.jp)

萩原駅

今回の集合場所は名鉄萩原駅でした。



出発式を終えて名鉄萩原駅から歩きだしました。


萩原町郷土資料館

名鉄萩原駅の北に有る郷土資料館です。
倉を改造したような建物です。
郷土資料館となっていますが、舟木一夫記念館と言う感じです。



館内です。
映画のポスターが貼って有ります。
日活、大映、松竹、そして東宝と東映。あの頃の映画会社です。
歌謡曲がヒットすると、その題名の映画が製作されていました。
この先、歩く旧尾西市を主舞台にした映画が有りました。
紡績工場の女工さんたちに照点を当てたものです。
見た映画、題名を思い出せなかったのですが、Hさんが「花咲く乙女たち」と言うタイトルだったと教えてくれました。舟木一夫が弁当を配達する役で出ていました。
共同給食をやっていたのだそうです。




郷土資料館すぐ近くに舟木一夫生家跡です。
集合住宅のフェンスに舟木一夫ゆかりの地 跡の解説が掲げて有りました。
この説明板を見ながら次に進みます。




美濃路沿いの橋本屋と言う店です。
みたらし団子やお好み焼きの店です。



大判焼きを買いました。
そして歩きながら食べました。



日光川に架かる萩原橋を渡ります。


市川房枝生家跡

市川房枝生家跡に来ました。
河川治水の専門家。
Yさんの解説です。



説明しているのは蘇東耕地整理事業区域図です。
一宮市の南西部の広い地域です。
水で紛争が来た事が有ったそうです。



多良街道

歩く途中に有った多良街道の解説板です。
交代寄合いの旗本高木家です。参勤交代をやっていたと有ります。
上石津の多良を出発した一行。
福束渡船で揖斐川を、大薮渡船で長良川を、そして中野渡船で木曾川を渡り、美濃路に出ていた。
丸で濃尾平野を西から東へ横断する形です。
それに三高木家が位置するのが養老山地の西側です。東側に出るのに山越えをしたのか迂回したのだろうか。
これだけの距離を歩く。
難儀した事でしょう。





朝日村道路元標の解説です。
朝日小学校に設置して有りました。
もともと、有った場所から移されたと書かれています。


朝日西小学校

朝日西小学校の校庭をお借りして昼食です。





西中野へ来て木曽川の堤防を登ります。


西中野渡船場

西中野渡船場に来ました。
右の建物は船頭さんが常駐している小屋です。



川の岸に降りてきました。



これから乗る渡し船です。



渡し船が羽島市側を目指します。




こちらが羽島市側です。
丸県の旗を揚げて対岸の渡し船を呼びます。




一宮市側へ戻って行きます。
前方の橋。
新濃尾大橋を工事しています。
あの橋が完成すると渡し船は廃止となります。




一宮市側へ戻ってきました。




尾西文化広場の展望台からの眺めです。



休憩した尾西文化広場。
ウオーキングの再開です。



富田山公園の横を歩きます。



木曽川の堤防に上がりました。
前方の鉄橋を新幹線が渡りました。



新幹線の鉄橋の下を潜り抜けてきました。
列車から見えるように大きな木曽川の看板が立っています。




紅葉した木々。
晩秋の雰囲気を表しています。


聖徳寺跡

聖徳寺跡へ来ました。
この寺跡。
織田信長と岐阜となる斎藤道三が顔を合わせた処だそうです。



尾西歴史民俗資料館

尾西歴史民俗資料館に到着しました。
ここで解散式が有りました。

この後。
起バス停から一宮駅へ向かいました。





今日の歩数で、歩き始めとゴールした時のものです。
1万9千歩余りを歩きました。

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一宮友歩会・第98回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編Part15 垂井町を歩く

2023-10-07 23:39:14 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第98回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・岐阜編part15です。
2020年の10月に第85例会として垂井宿を廻り、その後に大垣駅まで歩きました。そして2022年10月には第92例会で垂井町の北西部を歩きました。(2021年に歩く予定でしたがコロナ禍で中止となりました)
今回は垂井町の南東部から南部にかけてを周回しました。3回の垂井町歩きで垂井町の史跡や歴史を知ることが出来ました。

JR垂井駅(スタート)    ― ゆりの宮 ― 勝神社 ― 薬師寺 ― 千句の里 ― 
常夜燈 ― 表佐祖先同胞碑 ― ハリヨ池 ― 湯つぼ ― 大領神社 ― 南宮大社
安国寺恵瓊の陣跡 ― 吉川広家の陣跡 ― 真禅寺 ― 朝倉公園 ― 春王安王の墓
 ― 金蓮寺 ― JR垂井駅(ゴール)



今回のコース地図です。
98map.pdf (ssl-lolipop.jp)



垂井駅の南広場。
今日はここからスタートです。



列となって歩きます。



表佐小学校の前を通ります。
二宮金次郎の石像が見えました。



勝神社へ来ました。



所々にまだ彼岸花が綺麗に咲いていました。
勝神社の前でも彼岸花が咲いておりカラスアゲハが密を取っていました。



勝神社の本殿に向います。
勝氏が祀られていると言われ、本殿の北に前方後円墳が有ります。
M氏の話によると、この辺り。帰化人が多いのだそうです。
でも、何百年も昔の話。
今では普通の人です。

 




薬師寺です。




住職さんにお話をお願いしてた有りました。
この地方の位置づけについて20分程、お話をして頂きました。











「ハリヨ・ほたるを育てる会」の代表の方。
説明に来てくれました。



ハリヨの会の女性がタモでハリヨを捕まえてきて見せてくれました。




こちらは「湯つぼ」です
湧き水とハリヨを見ています。
表佐地域は伊吹山の扇状地の末端に位置し、河間(ガマ)と呼ばれる湧水が多く点在しています。
河間の中でも、湧水利用の豊富な所を「湯壺」と呼び大切に維持されてきました。



しばらく歩きます。
遠くに伊吹山。
そして通過する新幹線が見えます。



大領神社まで来ました。
ここでM氏から自作の詳しい資料を以ての説明です。
話は関ヶ原の合戦まで及びました



南宮山の周囲の陣。
吉川色家の陣が有り合戦に加担したくても動けなかった。
そんな情況が有ったのだそうです。



南宮大社へ来ました。



南宮稲荷神社への道。
千本鳥居の中を歩きます。



南宮稲荷神社に寄りました。




安国寺恵瓊の陣跡の解説板が立っています。
この解説板の東に溜池が有り、実際の陣跡は池の向こうがだそうです。



真禅寺へ向かいます。



吉川広家の陣跡の解説板です。



この先、かなりの上り坂です。
真禅院の三重の塔が見えます。



階段が有りました。
階段を上がると真禅院となりました。



真禅院の三重の塔へ来ました。



春王安王の墓がある墓地に来ました。
彼岸花が盛りとなっています。



この場所。
春王安王の墓と池田輝政の陣跡が有る場所です。



春王安王の墓が有ります。
永享の乱で敗れた足利持氏の遺子である春王丸と安王丸は結城合戦で幕府方の囚われの身となり京への護送中金蓮寺で処刑されました。




ここは池田輝政の陣跡でもあります。



金蓮寺です。
この寺院で春王安王は斬首されました。



斬首された春王安王。
春王安王児霊像の解説です。



垂井駅へ戻ってきました。


最後に
一宮友歩会の例会は、単にウオーキングをするので無くその場所の歴史を深めたり、事象を学んだりします。
今回は伊吹山の扇状地の末端の遊水地。生息するハリヨを知る機会を歩持てました。関ヶ原の合戦は関ケ原町だけに留まることなく垂井町も合戦の一部となっていました。動きたくても動けない軍勢。
膠着状態で、さぞかしジリジリしたであろう。
こんなことを知れるのが一宮友歩会の良い所です。

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一宮友歩会・第97回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part15 中川区・中村区を歩く

2023-07-01 23:14:20 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第97回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・名古屋編part15です。
昨年の7月に名古屋市中川区と中村区を歩きました。朝からウナギ上りの気温上昇と言う状況でしたので、午後に四間道や円頓寺を歩く予定となっていましたが、午後の計画は省略となりました。
今回は、その省略となったコースです。名古屋駅の東を辿りました。

名鉄山王駅 — 広見憩いの杜 — 松重閘門 — 塩竃神社 — 六反公園 — 八角堂 — 
白龍社 — 神明社 — 光明院 — 浅間神社 — 五条橋 — 円頓寺 — 桂芳院




今回のコース地図です。
97map.pdf (ssl-lolipop.jp)





名鉄の山王駅から歩いて来ました。
昨年の時と同じ広見憩いの杜で出発式が行われます。
でも、広見憩いの杜の入口が開かれるのが9時となっています。
開くまで、相撲部屋の稽古を見ています。




昨年と同じ八角部屋の稽古風景です。
昨年と同様では有りますが、寺町の見学席が設けてあります。





松重閘門に向って中川運河の横を歩いています。





松重閘門に来てYさんの解説です。




塩竃神社へ歩いて来ました。



盬竃神社の解説です。



名駅南3丁目の交差点。
納屋橋と松重閘門がコンクリートの先に埋め込まれていました。



八角堂に来ました。



大きな仏足石が有りました。



堀川の方へ歩いて来ました。
納屋橋の所から川沿いの道へ降りました。



川沿いの道を歩きます。



民家に有った住居表示です。
5丁目13がどの辺りか判る様になっています。



光明院へ来ました。



大きな石に刻まれた三十三観音像。尾張藩御用商人三人衆の一人で主席を占めた内海屋の寄進によるものといわれます。
元治と言うと幕末の頃です。



都会の中の墓地です。



浅間神社へ来ました。
茅の輪行事が開かれていました。
タマタマ、来たら夏越の行事を目に出来ました。



四間道の民家。
竹筒に入れた花を吊るして有りました。
旧家のような家屋に竹筒の花がマッチしていました。



円頓寺通りへ来ました。
人だかりを見かけました。



NAGOYA ZAと言うカブキカフェです。



YAZIKTAの取組でした。
若い人達が注目していました。



桂芳院へ来ました。
ここには愚直聞き地蔵が有りました。

そして、ここで解散式となりました。

お酒の神様

円頓寺本町のお酒の神様に寄りました。




お酒の神様の店内です。



1000ベロセットです。
これはお出になっていますが、から揚げなどを注文することが出来ました。


最後に
一宮友歩会の7月例会でした。
朝のウチは雨が降っていたのですが、出発する頃には雨が上がりました。
名古屋駅の東側と言う場所でしたが、古い寺院が有ったりするところでした。

次回は10月7日。9時から垂井駅をスタートします。

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一宮友歩会・第96回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・三重編Part4  長島町を歩く

2023-06-03 23:14:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第96回ウォーク例会です。
史跡巡りシリーズ・三重編Part4 で今回は桑名市長島町を歩くものでした。
初夏の時期、周囲を堤防に囲まれた長島町を歩きました。
特に、今回の目玉が船頭平閘門です。木曽川と長良川でリンクしている船頭平閘門。木曾川の水面が高く長良川の水面が低い。両河川を結び付けている訳だが、水面の高さを調整する機能を持っている。日本のパナマ運河と呼ばれている船頭平閘門。NPO法人木曽川文化協会の4人の人が解説してくて勉強になりました。

近鉄長島駅 — 豊受大神社 — 八劔神社 — 長島北部小学校 — 信行寺 — 楠神社 — 
輪中の郷 — 輪中ドーム — 船頭平河川公園 — 仁了寺 — 阿弥陀寺 — 源盛寺 — 
八幡社 — 長島駅



今回のコース地図です。
r596map.pdf (ssl-lolipop.jp)




集合場所の近鉄長島駅です。
出発式を終えて出発するところです。
大阪に向かうのでしよう。
特急火の鳥が走って行きました。


豊受大神社

豊受大神社へ来ました。
この豊受大神社。
伊勢神宮の外宮です。
伊勢湾台風の潮位を示すポールが見えます。
町内の至る所に水位標が立っていて、伊勢湾台風時の水位と現在の海面水位が示されています。




歩いていて目にしたのが畑のズッキーニです。



前方の高架。
東名阪です。



アジサイの色が濃くなってきました。



実っている枇杷。
このように収穫の時期を迎えた枇杷。
長島町を歩いていて何箇所も見ました。


長島北部小学校

長島北部小学校の水位標識です。
歩いていて同じような水位標識を何箇所も見かけました。


楠神社

楠神社へ来ました。



境内に有ったシベリア出兵の石碑です。
表には大正○○西伯利亜事變紀念と彫られています。
裏面には勲七等伊藤○○とか勲八等伊藤○○と彫られています。
この地区に伊藤姓が多いのだろうか。
また、ここに刻まれた人の名。
戦死した人なのでしょうか。



楠神社の中に入りました。
宮司が来ていまして、床几が並べて有りました。
そして、宮司が色々とお話下さいました。



楠神社の境内です。
楠の大木があります。


今回、私はアンカーを務め、末尾を歩いていました。
楠神社を後にするとき、宮司が鳥居の所まで来て私たちを見送って貰いました。
丁寧な応対でした。
このような対応。
会長に報告しておきました。


輪中の郷

輪中の郷に寄りました。



船頭平河川公園

船頭平公園へ来ました。
船頭平河川公園の案内図です。



船頭平公園へ来ました。



前方は船頭平閘門です。



「NPO法人木曽川文化協会」の4人の方の出迎えを受けました。
そして、説明を受けるよう4列に並び4班に分かれました。



船頭平閘門の解説です。



4班に分かれ、説明を聞きながら閘門の動きを眺めました。
説明の途中、水門扉が開き、水の出入りを見ました。
手前側が木曾川側で、奥の方が長良川側です。
木曽川の水面が高く長良川の水面が低い状態です。
水面の高さを調節して舟を航行させます。



閘門室の水位を上げています。
木曾川側から水を流し込みます。
水は全日は雨でして濁った水となっています。
濁水が流れて行きます。
違う色の水で、流れていくのが分かりました。



閘門室が木曾川と同じ水位になりました。



開いた閘門です。
閘門室の水位が木曾川と同じになりました。



木曾川側の閘門を閉じて長良川と同じ水位にします。
水位の低下で石垣が現れました。



閘門室の水位が長良川と同じになりました。
長良川側の閘門を開きました。




NPO法人木曽川文化協会の人が解説してくれました。



船頭平閘門の解説です。



明治の頃の閘門の扉。
イギリスから鉄板を輸入して校門の扉に仕上げました。






テントの中の展示室です。
旧閘門の扉が保存されています。




閘門の開閉は人力で行っていました。
ハンドルを回すとギヤが回り扉が開閉する仕組みになっています。



閘門の全景。
この閘門が作られたのは木曾川を流れて来た筏が桑名へ向かうために作られました。
閘門を通過する筏が映っています。



船頭平河川公園を出発します。


仁了寺

仁了寺に寄りました。
ここではM氏から、長島一向一揆についての説明を受けました。
この仁了寺もその時消失しています。



仁了寺では本殿に上がらさせて貰いました。
そして、秀吉の朝鮮出兵の軍船の梯子と思われる材木に着いて記した新聞記事を拝見しました。
寺を去る際には、お庫裡さんの見送りを受けました。





長良川左岸の堤防下を歩きます。



長島駅の近くまで歩いて来ました。
畑の麦。
色が変わり刈入れの時期を迎えています。



最後に
今回は船頭平閘門を見学することが出来ました。
説明によると流れて来た筏が桑名に向かうために設けられたのだそうです。
木曽谷は尾張藩の御領林でした。上流から流された檜を八百津で筏にして流し木場に向っていました。一方、飛騨は天領でして飛騨川を流していました。川辺で筏に組み流していたのでしょう。そして筏が桑名の市場へ向かう。そういう背景が有ったのでしょう。
今日は船頭平閘門を可動させて貰えて参考になりました。

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