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中山道 木曽11宿ウォーク⑩ 奈良井宿 ⇒ 是より南 木曽路石碑  雪中行軍? 12年12月8日

2012-12-08 22:05:18 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしました。
第10回目となり、今回でゴールを迎えました。今回は第10回のコースでしたが、参加者は32名でした。木曽路の最北の部分を歩きました。

奈良井宿駐車場(11:26) ― JR奈良井駅(11:33)~(11:41) ― 橋戸一里塚跡(12:00)  ― 
諏訪神社(12:24) ― 道の駅 ならかわ(12:37)~(13:20) ― 押込一里塚跡(13:47) 
 ― 深澤家住宅(14:07) ― 贄川番所(14:14) ― JR贄川駅(14:24)~(14:37) ― 
若神子一里塚跡(15:06) ― 是より南 木曽路石碑(15:47) ― 桑原口駐車場(15:50)



主催者から貰ったコース地図。



バスで中央自動車道を走り、伊那ICで降りて国道361号線で、スタート地点の奈良井宿に向かいました。バスが権兵衛トンネルを出ると真っ白の雪景色となりました。
伊那谷では道路の両側に少し雪がありましたが、権兵衛トンネルから出ると真っ白の雪で激しく降っていました。皆からは歓声なのか溜息なのか、「オー」とか「ワー」とか思わず声が挙がりました。
こんな状態の中を歩かなければならないという思いが先立ったのでしょう。



(11:26)
奈良井宿の駐車場で仕度を整え、これから出発です。



(11:31)
奈良井宿の北端です。
まず、JR奈良井駅を目指して歩き始めました。




JR奈良井駅。
雪が横から降ってきます。



駅舎の中にこんな面白い札が下がっていました。
ここに観光案内所が有りましたが、訪れる人は少なかったです。



(11:34)
松本行きの普通列車が入線して来ました。




(11:46)
11時46分。「特急しなの7号」がスピードを落として、通過して行きました。
普通列車松本行きの時刻が42分発ですから、特急は7分ほど遅れて通過しました。




私たちが歩いている横を特急がゆっくりしたスピードで抜けていきました。



(11:49)
続いて、特急のために遅れた普通列車が走っていきました。




道路脇を列になって歩きました。




足元には10センチほど雪が積もっていました。



(12:09)
これから木曽平沢の街中を歩きます。
ウオーキングリーダーがコースを説明しました。



木曽平沢の街中。
両側に漆器屋さんの軒が続きます。



街の中の店はほとんどが漆器の店でした。




(12:22)
諏訪神社に向かいます。




諏訪神社の境内に有った「御柱」。




諏訪神社の横の道に石垣が有りました。
この石垣は、かつての中山道の状態のまま、残っていて文化財に指定されていました。



(12:37)
「道の駅 ならかわ」に着きました。
風が強く雪が舞っていました。




(12:41)
「道の駅 ならかわ」の一角に喫茶店が有り、フィンランドから来た人がやっているとテレビで紹介していましたので、お邪魔してみました。




CAFE U・LIFE カフェ ユーライフと言う店です。




ウッラさんと言うフィンランドから来た方です。
店に入り、撮影の求めに気軽に応じて貰えました。




フィンランドのドーナツです。
1こ買い求めましたが、沖縄のサーダーアンダギーに似た味でした。



バスへ戻りました。
今回も「まると」のお弁当です。
ボリュームが有ります。
晴れていたら外で食べれたのですが、天気が悪く車内でのお昼となりました。




(13:21)
出発時間が近づきました。
集合し、人員確認をして出発です。




(13:33)
列になって歩きますが、風が強く雪が飛ばされてきます。
顔に当たると痛かったです。




押込の一里塚跡。
一面の雪で、草地の中なのか、畑の中なのか判りません。




(14:07)
深澤家住宅の前に来ました。
木曽の町屋の姿を残していると言うことから国の重要文化財に指定されています。
説明板には行商を営んでいて関西へも商売をしていたと有りました。
この主屋の裏には蔵が有りました。



贄川関所へ来ました。
説明しているリーダーです。




復元された贄川関所。




眼鏡橋に向かう道の手すりにはこんなアートが付いていました。




(14:16)
眼鏡橋はメロディー橋になっていて木曽節を奏でるようになっていました。



鉄パイプが下がり、叩くと音が出て木曽節が鳴ります。



JR贄川駅に来ました。



贄川駅を出発します。



(15:34)
古い旧家ですが、明治天皇がこちらでお休みになりました。




中央線で廃線となったトンネル。




(15:46)
是より南 木曽路の石碑。
国道のすぐ脇に有りました。



(15:50)
駐車場でバスが待機していました。




ゴールです。
カミさんと一緒にゴールテープを切りました。



これはゴール時の画像です。
スタート時の撮影を忘念していました。
それにしても20,000歩は歩いたと思います。


感想
まるで雪中行軍のようなウオーキングでしたが32名の参加者全員が歩き通しました。その内の22名は今回で完歩となりました。参加者は50代からから70代にかけての年齢層ですが、皆さん、元気な人ばかりでした。悪天候の中を歩き通し、凄いと感心します。

ウオーキングの面白さ。
リーダーから木曽地方の人口が減少していると説明がありました。
平成の町村合併で最南の山口村は岐阜県の中津川市へ、最北の楢川村は塩尻市に合併しました。中間の町村は合併して木曽町となりましたが、一緒に合併できなかった村もあります。
就業の場所が限られ若者が都会へ流出しているので、減少しているのでしょう。人口の減少と高齢化の問題を抱えていると思います。

今回、トンネルで簡単に通り抜けた権兵衛峠。
かつて、木曽谷は田が少なく伊那谷から馬に荷を乗せて米を運び、帰りに木曽の産物を持ち帰った。木曽駒ケ岳の鞍部の街道が交易のルートになっていたそうです。
単に歩くことだけがウォーキングではありません。色々と説明して貰えて勉強になりました。

回を重ねて、ついにラストを迎えました。このバスツアーは月に2回開催されています。
毎回顔を合わせるわけではありませんが、これまで一緒にウオーキングをして来て、顔なじみの人が多くなりました。お互いの名を知りませんし、知ろうとも思いません。でも「名古屋の人」とか「犬山の人」「豊田の人」と認識し、多くの人と知り合うことが出来ました。
回数を重ねて段々、人の垣根が低くなり、多くの人とおしゃべりできたのも面白かったです。


夫婦で完歩
夫婦で木曽路を歩き通すことができました。私は山に登ったりしていて大丈夫だったのですが、カミさんの方は大変だったと思います。特に、第一回の落合川からの登り坂と第九回の鳥居峠越えは頑張ったと思います。
3月31日に中津川宿をスタートして、月1回のペースで回を重ね、ようやくゴールを迎えました。
1回目はまだ桜が開花する前の時期で雨でした。2回目は馬籠の遅い桜の時期でした。
炎天の時のウオーキングや雨天のウオーキング。色々の事が走馬灯のように脳裏に浮かびます。
一緒に歩き通せたことが嬉しいです。
木曽地方の文化や歴史などを色々と知る事が出来てよかったです。

第1回は雨の中のスタートとなりました。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/d/20120402

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中山道 木曽11宿ウォーク⑨ JR薮原駅 ⇒ JR奈良井駅 12年11月21日

2012-11-21 23:51:05 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしています。
今回は第9回で、参加者は27名でした。

回を重ね、今回が第9回でした。
これまで並行していた木曽川とは別れ、鳥居峠を超えると奈良井川に変わりました。この鳥居峠は御嶽山に戦勝祈願してか、戦勝の礼としてか、峠に鳥居が設けらて、鳥居峠と呼ばれるようになりました。
中央分水嶺で、雨水の流れが太平洋側と日本海側に分かれて流れます。
東側は奈良井川で犀川、千曲川、そして信濃川となって日本海に注ぎます。

今回、JR薮原駅からJR奈良井駅までを歩きました。距離にして7.7キロでしたが、10回の内最大の難所である鳥居峠を越えました。薮原駅の辺りが925メートルで鳥居峠が1,197メートルです。さらに明治天皇駐蹕(チュウヒツ)所跡は1,200メートルとなりますので、300メートル近い山へ登った事となります。 

道の駅 木曽川源流の里きそむら(11:08~11:44) ― JR薮原駅(11:47~11:53) ― 
SL・一里塚跡(11:57) ― 薮原宿本陣跡(12:11) ― 尾州御鷹匠役所跡(12:17) ― 
消防署横(12:26~12:33) ― 測候所跡(12:58~13:06) 一 御嶽遥拝所(13:16) ― 
鳥居峠(13:33) ― 中の茶屋(13:49) ― 鎮神社(14:15) ― 
JR奈良井駅(15:00~
15:11) ― 杉並木・二百地蔵(15:17) ― 駐車場(15:21)


出典。中山道鳥居峠越えコースガイド。
木祖村観光協会発行。




薮原駅に向かう中央高速のバス車内から見えた仙丈ヶ岳。




バスの車窓から左に木曽駒ケ岳などの中央アルプス群。
右側には仙丈ヶ岳が望めました。




道の駅 木曽川源流の里きそむらに到着しました。
ここで弁当を受け取り、昼食を取りました。
バスの車内で食べる人。
道の駅の庇下で食べる人と色々でした。




お握り弁当です。
本来ですとここで弁当を受け取り鳥居峠の円山公園で食べる予定でしたので「お握り弁当」になっていましたが、丸山公園で食べる事が出来ないため、この道の駅で食べてからの出発となりました。
お握りは、ご飯が茶碗1杯分よりも多い量でした。エビフライ。蛎フライ。空揚げ。ウインナソーセージ。薩摩芋のてんぷら。サケが入っていました。途中の公園で食べれるようにハンディになっていたのです。
おかず無しで、お握りだけでも十分でした。




道の駅から下って、薮原駅の前でウオーキング開始のストレッチ体操をしました。






開始して、最初のポイントが一里塚です。
一里塚跡の脇にはD51が保存されていました。




一里塚跡の石碑と説明板です。





高札場跡です。
標柱が立っているだけでした。





薮原宿特産のお六ぐしのお店です。




薮原宿にも屋号の表札を掲げた家が何軒か有りました。
水車と言う屋号は水車で米を搗いていたのでしょうか。





薮原宿の本陣跡に来ました。
薮原宿は大火にあっていて、昔の建物が残っていないようです。




飛騨街道分岐点で説明するウオーキングリーダー。
ここから道が別れ野麦峠に向かう事が出来ます。




尾州御鷹匠役所跡です。
この場所に御鷹匠役所が有りました。




唐松林を歩きます。
落葉した唐松の葉が絨毯のようにフカフカしていました。




石畳みの上に落葉が積もり、歩き難くなっていました。




大分、高度を上げて来ました。
もうすぐ測候所跡です。




東屋で展望台になっていました。




展望台からは薮原の町が一望できました。
これまで眺めながら歩いて来て、細くなった木曽川が見えます。



この上が御嶽遥拝所です。
最後の登りを登ります。




御嶽遥拝所から望めた御嶽山。
冠雪した御嶽山が確認できました。




栃の木巨木群。
道は水平になり、歩き易かったです。




明治天皇駐蹕(チュウヒツ)所跡です。
展望が良く、ここからも御嶽山が見えました。 




ここが鳥居峠です。
右側の建物が「峠の茶屋」で、ここからは下り道になります。




奈良井宿。JR奈良井駅への指示標識。
初冬の柔らかい日差しが影を写しています。



街道を下ります。
初冬となり、葉がすっかり落ちていました。




杉並木。
もうすぐ鎮神社です。




鎮神社近くまで下りてきました。
ここから奈良井宿に入ります。



鎮神社に到着しました。
ここで、一旦解散し15時10分に奈良井駅に集まる事となりました。
ここからは自由に宿場町の雰囲気を味わいながら奈良井駅に向かいます。



奈良井側に保存されていたC12です。

2両の蒸気機関車
峠を挟んで2両のSLが保存されていました。
薮原側にD51。奈良井側にはC12です。
共に中央西線で活躍した蒸気機関車で、電化工事が進みこの場所に静態保存されています。




C12の説明板。




奈良井宿の入口に映画の撮影中の看板が出ていました。




奈良井宿に入ると、平日とあって、行きかう人が少なく江戸時代にタイムスリップしたような風景を目にする事が出来ました。




前方に人だかりが見えます。




映画撮影の現場でした。

映画の撮影。
奈良井宿の入口に映画の撮影中の看板が立ててありました。
奈良井宿には江戸時代にタイムスリップしたような昔の雰囲気があり、映画の撮影場所に適しているからでしよう。
宿場の中心地あたりで、昭和か大正の時代背景の映画でしょうか。
旅館の前で、リヤカーに人が乗って寝ているシーンを撮影をしていました。

撮影現場を離れ、通行人の整理をしていたフィルムコミッショナーの人に尋ねましたら「はじまりのみち」と言う作品で来年の6月に公開予定だと話してくれました。

自宅で「はじまりのみち」を検索してみましたら木下恵介を主人公に捉えた作品でした。
http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/news/2012/11/07104818.html

 




リヤカーに人が乗っていて、撮影していました。
乗っていた人を撮影できませんでしたし、撮影現場をサット通り抜けたのでして、誰がリヤカーに乗っていたか判りません。
推測ですが、田中裕子さんが乗っていたのだと思います。




撮影現場から少し離れると、皆の拍手が聞こえてきました。
今日の撮影分が一区切りしたのか、このシーンが一区切り付いたのでしょう。
荷物の載った、あのリヤカーも撮影で使われたのでしょう。




水飲み場が有り、ここで旅人は喉を潤しました。
水神様が祀られています。
谷からの水を引き、単に谷からの水とせずに、水神様と、感謝と畏敬の念を持って望んでいるのではないでしょうか。




暖簾を仕舞い込んだ「杉の森」。
杉玉が下がっていません。




宿場の中程に杉玉が下がっていない酒屋を見かけました。
店先に近寄ってみるとこの10月23日で休業すると書いてありました。
閉じた店先に暖簾が下がり、創業寛政五年となっていました。
100年以上続いた酒屋さんですが、このまま廃業となってしまうのか、継続して再開するのか分かりません。
宿場の風景に合った酒屋さんです。
再び杉玉を軒先に下げて欲しいものです。

 
越後屋の店先。
ここで五平餅を買いたかったのですが、午後の商いを行っていない時間でした。
越後屋の五平餅が美味しいと書かれていましたが、買えなくて残念です。




予定時間より早く、奈良井駅に着きました。
ここで全員が揃うのを待ちました。




全員が奈良井駅に集まった後。
この後、八幡神社に向かいました。




八幡神社への道は杉並木となっています。
杉の大木の並木。
この大木たちは古の旅人を見下ろしてきたことでしょう。
物言わぬ大木ですが、彼らが言葉を発したらどんな声が聞けるでしょうか。



宿場の反対側の駐車場に向かいます。
丁度、普通列車が通過しました。




バスの駐車場でストレッチ体操をして、本日の終わりです。
27人が歩きましたが、途中で1人がリタイア。
残りの皆さん。峠を越える難路でしたが、良く歩きました。



本日の歩行数です。
良く歩きました。


感想
カミさんを事前に市内の低山に登らせました。
今回、ハーハー言いながらも峠道を登ることが出来て、なんとか鳥居峠を越えることが出来ました。結果的には、事前に低山へ登った事が無駄ではなかったようです。

中津川をスタートし、これまで夫婦で9回と、回を重ねることが出来てよかったです。次回は第10回で、いよいよゴールを迎えます。

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中山道 木曽11宿ウォーク⑧ 義仲館 ⇒ JR薮原駅 12年10月20日 

2012-10-21 21:48:28 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、木曽路を南から北へ10回のコースに分けてウオーキングを続けています。今回は第8回で、参加者は26名で男性が8名、女性が18名でした。
回を重ねて8回目となりました。並行する木曽川はすっかり細くなりました。それに、名古屋を出て北へ向かい、スタート地点に着くまでに3時間余りと時間が掛かるようになりました。

今回は旧日義村の義仲館からJR薮原駅まで歩きました。距離にして7.5キロでしたが、距離が短く途中遠回りをしましたが、それでも8キロ程でした。
次回に鳥居峠を越えることになりますので、JR薮原駅で一区切りを付けるため今回は短い距離となりました。これといった見所が無いコースでした。

義仲館(11:28) ― 旗挙八幡宮(11:44)~(11:50) ― 南宮神社(11:58)  ― 
巴淵(12:07~12:17) ―  神谷入口(12:27) ―  獅子岩橋(13:15) ― JR薮原駅(13:33)  


今回、歩いたコース。
出典。学研、木曽路をゆく。児玉幸多監修。



いきなりの弁当の画像で恐縮です。
今回のウオーキングコースへ向かうのに、コースの途中でバスを停める事のできる場所が無いとの事でして、途中に木曽路レストハウスで弁当を受け取ってスタート地点に向かい、バスの車内で食べました。


これからスタートです。
ウオーキングの開始前に義仲館の横でストレッチ体操をします。


木曽川に沿って歩きます。
私たちを特急しなのが抜いていきます。



旗挙八幡宮に着きました。
木曽義仲がこの地で平家打倒で旗挙げを行った所で、この場所を旗挙八幡宮として祀っています。



木々が少し紅葉を始めました。
山肌が現れているところは、木曽義仲にちなんで、8月14日に火文字で「木」の字が宵闇に浮かびます。



南宮神社に着きました。



巴ヶ淵。
この巴橋の下を巴ヶ淵といい、昔ここに住んでいた龍が巴御前に化身したと言う伝説が有ります。




紅葉が始まった巴ヶ淵の辺り。
東屋が有り、自由に記入できるノートが置いてありました。



東屋に自由に書けるようにノートが置いてありました。
日本橋をスタートしてここまで来た人。
鳥居峠を越えて来てやれやれと言った感じの人。
色々の人が思いを綴っていました。
現代の旅人の「心」を見たような気がしました。




ノート1


ノート2



ノート3



巴ヶ淵にいた時、マイクロバスが来ました。




国道361号線の交差点へ来た時。凄い数のバイクを見ました。
先頭に白バイが先導し最後尾にも白バイが付いていました。
私たちが道を横断したので、時間が無くなり半分以上が曲がる事が出来ませんでした。



山吹トンネルが出来て廃道となってしまった国道19号線。
ガードレールが有って、路面はアスファルトですが、廃道になって歳月が経つのでしょう。
木が横へ、せり出して来ていました。



形の良い松。
右側は木曽川です。
下がアスファルトでなかったら、参勤交代のシーンを撮影できそうな場所です。



国道の壁に大きな鳥居峠のレリーフが埋め込んで有りました。
もうすぐ鳥居峠となります。



紅葉を始めた木々に向かってカメラを向けます。




もうすぐ薮原駅と言う場所で、すれ違った二人のおばあちゃん。
鳥居峠を越えてきたと話しました。
ズボンの上から膝にサポーターを付け、頑張って歩いていると言った感じがしました。




薮原の駅に来ました。
帝産のバスが待っていました。



ひっそりとした薮原駅。




最後にストレッチ体操をして、ウオーキングを終えます。




今日の歩行数。
歩行時間が少ないため少数の歩行数です。


感想
今回は距離が短かったのですが、鉄道のビューポイントは多かったです。
残念ながらそのポイントでは列車に合えませんでしたが、ここで列車が走ってきたら、良い写真が取れるだろう思う場所が多々有りました。




鉄道ビューポイント1
旗挙八幡宮の先の場所と巴ヶ淵で列車がトンネルに入る場所です。



鉄道ビューポイント2




鉄道ビューポイント3



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中山道 木曽11宿ウォーク⑦ 興禅寺 ⇒ 義仲館 12年9月29日

2012-09-30 22:54:22 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしています。今回は第7回で、参加者は35名でした。男性が14名、女性が21名でした。

回を重ねて7回目となりました。第1回と2回は中津川宿から妻籠宿までで、峠を越えましたが、第3回からは国道19号線とJR中央線、そして木曽川が平行していて、3点セットでした。鉄道と道路は姿を変えないのですが、木曽川はすっかり細くなりました。
それに、北へ北へと向かいますが、名古屋を出てスタート地点に着くまでに3時間を要するような距離になりました。

今回は木曽福島の興禅寺から福島関所跡を通過し、旧日義村の義仲館まで歩きました。
福島関は四大関所に挙げられる関所で、西に木曽川、東側には山が聳える地形を利用した場所に設けられています。
木曽福島から宮ノ越宿にかけての道は木曽義仲の生い立ちの里で数々の名所がありました。


興禅寺駐車場(11:00) ― 福島関所跡(11:43) ― 手習天神社(12:27) ― 
中原兼遠屋敷跡(12:40) ― 道の駅 日義木曽駒高原(13:13~13:50) ― 石仏群(14:05)
 ― JR原野駅(14:09) ― 一里塚跡(14:34)  ― 明治天皇・御膳水碑(14:45) ― 
特音寺(14:59) ― 義仲館(15:05)




今回、歩いたコース地図です。



バスが興禅寺の駐車場に着きました。
トイレを済ませてウオーキングに備えます。




バスのフロントガラスに貼られていた表示。
今回が第7回です。



ウオーキングリーダーがこれから歩くコースを説明します。



興禅寺の境内に進みます。



興禅寺の境内と義仲の墓所に山頭火の歌碑が設置されていました。
ハッキリした筆跡で誰でもが読めます。
旭将軍とは義仲のことで、源義仲です。
木曽に住んでいたことから木曽義仲と呼ばれるようになりました。



蛻(ゼイ)庵稲荷について説明するリーダー。
この略伝の中に秀綱と言う名が有ります。
この夏に登った焼岳で中尾峠に至る道に秀綱神社が有りました。秀綱が飛騨から信州へ逃げていくときに村人に討たれ、その後に祟りが有り、秀綱の霊を弔うため祀られたものでした。
その秀綱の名をここで目にしたのは意外でした。



ストレッチ体操をする適当な場所が無く、遅れての体操となりましたが、ウオーキングに備えてストレッチ体操をします。



高瀬家は藤村の姉が嫁いだところです。
高瀬家に向かう場所に石柱があり、高瀬奇応丸と刻まれていました。
この丸薬は家康に献上されたようです。



福島関所跡の西門と東の入口です。



垣根越しに関所の中を伺いました。
旅人がこの場所を通りぬけたわけですが、一人ひとりお調べを受けたことでしょう。



片隅に新井町友好親善記念と有り、樹が隠れているのでしょうか。
静岡県の新井町と木曽福島が関所跡を持つことから友好の盟約を締結したのでしょう。
この松の木が記念樹なのか、締結してから相当、歳月が経過している感じがします。


木曽川沿いを歩いていて町民運動会でしょう。
中学校のグランドで開かれていました。
通過して行く時、丁度、ここから「木曽節」聞こえてきたのです。
お囃子は太鼓だけでしたが、本物の「木曽節」でした。



道の脇には木に巻き付いたアケビを目にしました。
実が割れて、中が見えます。



栗の木の元にイガが転がり、栗が残っていました。



上田小学校です。
今では珍しくなった木造平屋建ての校舎です。
学校田でしょうか。稲が実り黄色くなっています。
もうすぐ子供たちが刈り取りをする姿が想像できます。



中原兼遠屋敷の説明盤。
義仲は幼い時期にこの地で成長しました。



正沢川に掛かる鉄の橋を渡ります。
橋は鉄の網状になっていて、下が透けて見え怖がる女性が居ました。



川で釣りをする男性が居て、何が連れますかと声を掛けたら山女が連れると応えてくれました。
帽子には鑑札が付けて有ります。



左のマンホール蓋は木曽福島町。右は旧日義村です。
マンホール蓋はタイヤで踏まれたりしますが、街の顔でも有ります。
木曽福島は関所がシンボルであり、関所を取り入れていました。
日義村の蓋は気づかなかったのですが、笹りんどうで、義仲の紋章だと後から気が着きました。


道の駅 日義木曽駒高原が見えて着ました。
ここでお昼となります。



少し遅い時間のお昼となりました。
今回もレストハウス木曽のお弁当です。
酢飯に鮭のフレークが乗り、チラシ寿司になっていました。
卵焼きが美味しかったです。



道の駅に中山道東西中間地の石柱が立てられていました。
この場所は江戸と京との中間点となります。
笹りんどうの幟旗が風に流れています。
ここからは木曽駒ケ岳が望めました。


道の駅には木曽駒味わい横丁と言うスタンドが有り、五平餅やそばを打っていました。
ブルーべリーとバニラのミックスを食べてみましたが、ブルーベーリーの味がしておいしかったです。


石像群がありました。
この辺りでは見かけないような顔の表情です。



刈取りが済み、稲架から稲束を取り脱穀の農作業をしていました。
秋が深まっていく。季節の移ろいを感じるシーンです。



花も秋の顔です。
道路脇にオミナエシが咲き、草むらにはゲンノショウコが見えました。



水準点です。
山に登って三角点を目にする事が有りました。これまで街道をに歩いてきて、水準点は気に留めていませんでした。
リーダーから水準点は距離を表すポイントであり、明治の時期に陸軍が設置したのだと聞きました。
根元の金属部分ははっきり読めませんが、国土地理院とあるようです。



宮ノ越宿に入って来ました。
宿場町らしい雰囲気がします。



この宿場でも屋号を目にしました。
若狭屋などと言うと若狭地方から来た人なのかと思ってしまいます。


いよいよ、ゴールが近くなってきました。
前方に特音寺が見えます。



特音寺の鐘楼山門です。
文化財に指定されていました。


すぐ近くに義仲館が有りました。
武家屋敷風な構えになっていました。



お疲れ様でした。
ゴールしてストレッチ体操をします。



11時にスタートしましたが、撮影するのを忘れていて、少し遅れての撮影となりました。

最後に
第5回に須原宿から寝覚の床まで歩きました。
その日の正午に「木曽節」のチャイムがスピーカー流れました。全国瞬時警報システムでジェイアラートと言うものです。
そして、今回は「椰子(やし)の実」で島崎藤村が作詞した曲が流れてきました。木曽に縁のある藤村の曲です。よくぞ、この曲を選曲したなと思いました。

第6回に寝覚の床から山村代官屋敷までを歩きましたが、その時マンホール蓋の図柄は檜林をバックにした「森林鉄道」の図柄でした。今回は「福島関所」と「笹竜胆」です。マンホール蓋は足で踏まれたりタイヤが通過したりします。でも、その街を代表するシンボル的な題材が表現されます。マンホール蓋に関心を持つようになりましたが、ウオーキングだからこその発見です。

新しく発見したり、知らないことを知る。それが面白いです。



第1回は3月31日で雨の中を歩きました。柳が芽吹き、さんしゅゆが咲き始めて春の訪れを感じさせました。
今回は実って垂れ下がったアケビやイガから落ちた栗を見つけ秋の深まりを感じました。
今回のコースでは、時間が無くて福島関所跡や義仲館を見学できませんでしたので、何時か再度訪れたいと思いました。。


 

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中山道 木曽11宿ウォーク⑥ 寝覚の床 ⇒ 山村代官屋敷 12年8月23日

2012-08-25 22:23:05 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしています。
今回は第6回で、参加者は28名でした。
今回は寝覚の床駐車場から坂道を登り、中山道に出てそこから前回の続きを歩きます。
「木曽の桟(カケハシ) 大田の渡し 碓井峠が無くばよい」と歌われた中山道の難所の一つ。今回はその木曽の桟の場所を歩きました。
木曽の桟の知識が乏しく、木曽川に架橋している橋くらいに思っていましたが、実際にその場所に来て桟がどのような物か知ることが出来ました。
桟は山肌に藤つるやツタを使って、材木を吊るした空中歩道のような通路です。時には、旅人の松明で消失してしまったことがありました。
昔の旅で、険しい道を通ることは、並大抵の事ではなかったと推測できます。
中山道には、この難所を避けるため与川の道があります。言うならばバイパスのようなものですが、こちらは険しい山を越えなければなりませんでした。


寝覚の床駐車場(11:08) ― 上松材木役所跡(11:30) ― JR上松駅(11:50~11:53) ― 
鬼淵鉄橋(12:17) 一 木曽の桟文学碑(12:56~13:01) ― 道の駅木曽福島(13:25~14:05)
― 御岳遥拝所(14:25) ― JR木曽福島駅(15:20~15:27)  ― 行人橋(15:49~15:53) 
― 教育会館 ― 山村代官屋敷(16:09)


今回、歩いたコース地図その1.



その2.


寝覚の床の駐車場で、ウオーキングの開始に先立ち、ストレッチ体操。
ウオーキングリーダーは陽の当たる所ですが、皆は日陰でした。



ここから、前回の続きが始まります。
角の「たせや」と言う宿。
民宿を営んでいましたが、廃業したそうです。



上松小学校の脇にある尾張藩 上松材木役所の石柱と説明板。
リーダーが説明します。



上松小学校の一角に諏訪神社が有り、寄りました。
小学生たちがプールから上がって来ました。
オバさんたちが「何年生」と聞くと「2年生」と返事が有りました。
10名余りの人数。これで1学年なのでしょう。
私たちの所では、まだ夏休み中なのですが、こちらでは、もう2学期が始まっています。
その事が不思議に感じられました。



上松小学校の校庭には藤村や茂吉の文学碑が有りました。



本町の一里塚跡。
一里塚は残っていませんとの事です。



上松宿の街中を歩きます。
防衛上から真っ直ぐな道でなく、折れた形になっています。
旧街道らしい雰囲気が有ります。



鬼淵鉄橋の説明板。



橋について説明するリーダーと鬼淵鉄橋。
日本最古の鉄橋で、橋自体は赤いのですが、赤い錆が目だちます。
森林鉄道の橋として使われてきた物であり、塗装の修復をして欲しいです。



かけはしトンネルが工事中でした。
国道19号線が桟を通過するの場所です。リーダーの説明では大きな岩が落ちてきて道路を塞いでしまい、暫く通行が出来なかったそうです。橋を架け、トンネルをブチ抜き、バイパスを完成させます。
まだ、1年ほどかかるようですが、新しい道路が完成すると、19号線の難所が1つ解消されます。



コスモスと言うよりも、秋桜。
道行く人の目を楽しませてくれています。
まだまだ、暑い日差しの中で、頑張って咲いていました。



マンホールの蓋とコミュニティバスのバス停。
上松町のイメージが「ひのき」に結びつきます。



桟の手前の場所に設けてあった文学碑と説明板。


リーダーの説明が有りました。


桟の横のアーチ橋。
あの場所へ降りて行きます。


石壁にはめ込まれた桟の説明。



中央線の横の細い道を歩きます。
道の脇には手作りの「中山道」の標識が、



道の駅 木曽福島に着きました。
ここからは御嶽山が望めます。
木曽路で御嶽が見えるのは、この場所だけでしょう。




遅い時間になりましたが、お弁当です。



道の駅。木曽福島の店内では野菜や果物が売られていました。
1袋に4個のリンゴが入って300円。
家に帰ってから食してみましたが、歯触りの感触が良く、甘くて美味しかったです。
結果的には安い買い物だったと思いました。



道の脇に咲いていたツリガネニンジン。



先程、寄った道の駅が見える道を歩きます。
ここからの眺望が良く、御嶽山が正面に見えました。



中央線の廃線トンネルの手前で休憩。
若い添乗員が追い付くのを待ちます。



暗いトンネルの内部。
下部分が石積みで、上部がレンガ積みになっています。



木曽福島の町が見えてきました。



ダムの写真を撮影してみましたが、電柱が邪魔だと思いました。



木曽福島の駅に到着です。
ここでトイレ休憩を取りました。



駅の横にはD51が保存されていましたが、風雨に晒され炭水車の塗装が痛んでいます。
上屋のある場所では有りますが、保存管理に手を掛けて欲しい物です。



福島の街中で。
井戸水を汲み上げ水舟に流れていました。
皆がここでお水をいただきましたが、中からオカミさんが出てきて、皆にフルーツトマトを食べなさいと、出してくれました。
甘くて、美味しかったです。ここで、ペットボトルに水を頂きました。
自宅に帰ってコーヒーを淹れましたが、美味でした。



古い街道の雰囲気がある店。
ここの脇には川から引いた水が豊富に流れていました。



崖の家屋が望める行人橋へ来ました。



橋からの眺め。
木曽川が、とても細くなりました。



木曽教育会館の横に藤村の原稿をブロンズにした碑が有りました。
会館へ寄り、説明を聞きましたが、この建物は昭和12年に建てられた物だそうです。
その資金は教員が給料から少しづつの金を出し合って建てたそうで、長野県は教育県だと思います。



夜明け前の原稿をブロンズにした石碑。



本日のゴール。
山村代官屋敷に着きました。



学校が終わり、親の迎えを待つ子供たちと代官屋敷の説明盤。



本日のウオーキングの歩数。
沢山歩きました。



ゴールした後に「せせらぎの四季」に寄りました。
この日帰り温泉は、まだ、出来てから新しく色々のタレントが訪れていました。
風呂上りのビール。
ウオーキングで回を重ね、名は判らなくても皆、顔見知りになりました。
風呂から出て、テーブルを囲み話が弾みました。


木曽は木の街
上松材木役所跡の跡地は上松小学校の校庭になっていましたが、かつては、ここへ木曽一帯から木材が集められました。
上松の街を歩いていて森林鉄道の機関車が絵柄になったマンホール蓋が目に留まりました。
上松町コミニティバスの名はひのき号でした。
森林鉄道のイメージがマンホール蓋に取り入れられ、町内を走るバスはひのき号。
町全体が「木」に関わっている。そんなイメージがしました。

木曽は文学の里
歩いていて、色々の場所で文学碑を見かけました。
上松小学校の校庭では藤村、茂吉の碑。桟の横では子規や芭蕉が詠んだ句が歌碑になっていました。教育会館横では、藤村の夜明け前の原稿がブロンズに鋳造し、石碑となっていました。
各所に文学碑が点在し木曽谷全体が文学の里といった感じがしました。

最後に
「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかぬる;」古今和歌集 藤原敏行朝臣・・・・
リーダーから渡された資料の冒頭に有った言葉で、含蓄のある言葉でした。
今日、8月23日は二十四節季の「処暑」の日でした。
今回の行程は14.4キロとなっていましたが、途中、お寺に寄ったりして実質的には15キロ余りになったのではと、リーダーが話していました。
炎天下のウオーキングでしたが、皆さん完歩となりました。

 

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中仙道 木曽11宿ウォーク⑤ JR須原駅 ⇒ 寝覚の床 12年7月21日

2012-07-24 20:33:15 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしています。
今回は第5回で、参加者は34名でした。
名古屋を出発する時から小雨が降っていました。ウオーキング中は降った止んだりの空模様で、傘を差してのウオーキングとなりました。
前回、ウオーキングを終えた須原駅からスタートしてから木曽川の橋を渡り、中山道とは別で対岸を歩きました。
この道は中部北陸自然歩道になっている道でした。木曽川を渡りドライブイン木曽に来て、お昼となりました。その後、再び中仙道に戻り、上松の街中に入りました。
最後は寝覚の床まで下りてからストレッチ体操で体をほぐし、本日のウオーキングが終わりました。


JR須原駅(10:46) ― 桃山発電所裏側(12:02) ― ドライブイン木曽(12:13~12:45)  ― 
JR倉本駅(13:12) ― 萩原の一里塚跡(14:01) ―  小野の滝(14:11~14:13) ― 
桂の大木(14:40) ― 寝覚の床(14:53~15:06) ― レストハウス木曽(15:10)




今回、歩いたコース。
出典。学研、木曽路をゆく。児玉幸多監修。


須原駅の横に有った幸田露伴の碑。
水が流れているのは水舟です。須原宿にはこのような水舟が何箇所も有りました。



須原駅の駅舎の中。
委託された人が居て、切符の販売をしていました。
列車ダイヤは2時間に1本ほどでした。
それでも、お年寄りや高校生には貴重な足となっているでしょう。



ストレッチ体操をやってウオーキングに備えます。



前方は木曽川。
これから対岸へ渡ります。



ウオーキング。
この時は雨が止んでいました。



この道は林道ですが、中部北陸自然歩道になっていました。



桃山発電所の裏側に着ました。
発電所の外観は西洋の中世の城をイメージしています。



対岸を特急しなのが走ります。
遠くから見ていると、模型列車のような感じがします。
丁度、お昼の時刻になりました。
近頃、各地で非常災害放送設備の整備が進みました。ここで聞こえてきたのは「木曽節」のチャイムでした。
さすが、木曽節の本場へ来たと言う印象がしました。


ドライブイン木曽に到着です。
ここでお昼となりました。


おにぎり弁当です。
1個分を茶碗にでも測ってから握ったのだと思います。
おかずでは、シャケが美味しかったです。



私たちは、ドライブイン木曽の庇の下で食べましたが、多くの人達はバスの中で食べていました。



屋号
第3回の三留野宿でも見かけましたが、玄関に屋号の表札が掲げてある家が何軒かありました。
米屋とか麹屋と言うものを見かけました。「あらや」と言う屋号があり、玄関先にいたご主人に聞いたら、本家と分家の関係で新屋で「あらや」と言うのだと教えて貰いました。




路傍に咲いていたハンゲショウ。



風越山の湧き水。和水。
飲んでみましたが、美味しかったです。



釣り橋が有りまして、渡るのでなく、雰囲気を楽しむため橋の真ん中に行ってみました。
橋が揺れ、気持ち的には良い感じがしませんでした。
 

 
小野の滝に来ました。
滝は中央線のすぐ横に有りました。
中央線が複線電化のときに増設した工事跡がわかります。



雨で水量があり、迫力が有りました。



石畳の道を歩きます。



桂の大木です。
上松の町は21日と22日がお祭りだと地元の人が話してくれました。



蕎麦の越前屋。
老舗のそば屋です。



臨川寺に到着です。
ここから寝覚の床へ降りていきます。



上から寝覚の床を見下ろします。
中央線の電線が邪魔です。



寝覚の床です。



ストレッチ体操をやつて、今日のウオーキングが終わりです。




今日の歩数です。
沢山歩きました。

 
最後に
雨が降ったり止んだりの生憎の空模様でした。
それでも、全員が13.2キロを歩き通す事が出来ました。
お昼のチャイムで、木曽節だったのが面白いと思いました。

 

 

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中仙道 木曽11宿ウォーク④ 柿其水路橋 ⇒ 須原駅 12年6月16日

2012-06-18 14:07:39 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしています。
今回は第4回で、参加者は29名でした。
名古屋を出発する時から雨が降っていました。ウオーキング中、止み間がありましたが傘を差してのウオーキングとなりました。
前回、ウオーキングを終えた柿其水路橋をスタートして柿其橋を渡り、続きを歩き始めました。木曽川とJR中央線。国道19号線。そして中仙道。
何度か中央線の踏切を渡りました。それら、4本が並ぶコースを北へ向かいます。
初夏の陽気となり、木々が雨に濡れ緑が色濃くなっていました。道端には多くの花々が咲いていました。


柿其水路橋(10:32) ― 十二兼駅(10:52) ― 読書ダム(11:18) ― 妙覚寺(12:00~13:09)
  ― 道の駅大桑(13:36)  ― 大桑村役場(13:56)~(14:08) ― 天長院(14:20) ― 
岩出観音堂(14:50)  ― 定勝寺  ― 須原駅(15:30)


雨が降ったり止んだりの生憎の天気でしたが、29名は13.1キロの踏破を無事に終える事が出来ました。
次回は須原駅がスタートとなります。

主催者から渡された今回のコース地図。



柿其水路橋のからのスタートです。
準備運動でストレッチ体操をします。



柿其橋を渡り、左に折れて前回の続きの開始です。

 
中央西線の下のトンネルを抜けます。
明治の頃に作られた水路のトンネル。重厚さの有る石が使ってありました。


読書3点セット
読書と書いてよみかきと読むダムと発電所。
柿其水路橋へ向かうバスから読書発電所が見えました。
そしてスタート地点となった場所は柿其水路橋。
ウオーキングで読書ダムの横を通過しました。
読書ダムの水を導水管トンネルで流し、地表に出た水を流すのが柿其水路橋です。
柿其水路橋と読書発電所は国指定近代化遺産となっています。

左上は読書ダム。その右が柿其水路橋。
下はバスから撮影した読書発電所です。発電所に太い導水管から水を落下させ発電しています。
右はその位置の地図です。



道の脇には色々の花が咲いていました。
ジキタリスのような花。
多分この花も帰化植物でしよう。



野尻宿に入って来ました。



野尻宿の本陣。
本陣の建物は残っていなく、明治天皇が休んだと言う石碑だけが残っていました。
そこでもウオーキングリーダーが説明をしてくれます。



妙覚寺まで歩きました。
こちらにはトイレが有りませんので、バスに乗車して道の駅大桑に向かいました。



雨のため、車内でのお弁当です。
今回も木曽路元起のお弁当です。




朴葉巻
道の駅大桑で朴葉巻を買いました。
つぶ餡やこし餡を米の粉をこねた生地でくるみ、朴葉で包み蒸し揚げた木曽地方独特の菓子です。木曽では端午の節句が月遅れ祝わわれ、柏餅の代わりとなる物のようです。
味は柏餅に似ているのですが、甘すぎず、美味しくいただきました。
店の人によると、朴葉巻が店先に並ぶのは今頃の時期、1ヶ月間だけだそうです。時期を過ぎると葉がエグくなると言ってました。
6月の時期になると、木曽地方各地で朴葉まつりが開かれ、朴葉巻や朴葉寿司が顔を見せます。


下は買ってきた朴葉巻です。
枝に2個付いているものを買ってきました。
ザックに入れて来て、潰れて餡が出てしまいました。




妙覚寺に戻り、ウオーキングの再開です。
止んでいた雨が降り出しました。


先ほど休憩をした道の駅大桑の横。
国道19号線の歩道を歩きます。


19号線沿い。
前から上りの特急しなのが来ました。



シャッターチャンスが難しい。
上手く摂りたかったのですが、トラックが邪魔をしました。

 


大桑村役場
長い距離を歩きますが、途中に適当なトイレが無く、主催会社から村役場にトイレを借りる申し入れがしてありました。
役場の中に大桑村の人口が表示してあり4,175人1,5830世帯となっていました。人口が減少しているのだろうと思いました。

木曽街道を歩いていて、所々に村の消防団の車庫を見かけました。常設消防を維持できる村の規模でなく、消防団での対応となっていました。
いざ、火事だと言う時は消防団の出動となるのですが、救急患者が出たときは大変だろうと想像しました。
村に高校が無く、南木曾町や木曽町へ通うことになります。列車の本数も少なく大変だろうと思いました。
素通りしていたら、気が付きませんでしたが、村役場へトイレを借りに寄ったことにより、大桑村の一部を知る事が出来ました


坂を登り、大桑村役場に向かいトイレを借ります。



リーダーが天長院の看板の説明をします。



天長院に到着です。
ここには赤ん坊を抱いたお地蔵様があり、構図的に十字の形をしていて、マリア地蔵だと説明がありました。

 


 

 


 

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中仙道 木曽11宿ウォーク③ 妻籠宿 ⇒ 柿其水路橋 12年5月29日

2012-05-30 14:18:38 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングを続けています。
今回は第3回で、参加者は28名でした。
妻籠宿の駐車場をスタートして妻籠宿の入口辺りから歩き始めました。高札場や水車小屋があり昔の街道の雰囲気を作り出していました。
前回のウオーキングは桜の時期でしたが、今回は初夏の陽気で緑が色濃くなっていました。
道端の花々が咲き競っていました。

妻籠宿駐車場(10:13) ― 上久保の一里塚(10:45) ― かぶと観音(10:54)~(11:00) ―  
SL公園(11:08) 一 南木曽駅(11:14) ― 天白公園(11:23)~(12:15) ― 
天白公園(11:23)~(12:15) ― 与川コースの分岐(12:43) ― 柿其水路橋(13:40)


出典。
学研「木曽路をゆく」贄川~馬籠宿 児玉幸多監修



妻籠宿駐車場の奥でストレッチ体操をします。
5月26日にもウオーキングが実施されましたが、その日、駐車場でストレッチ体操をしていて駐車場の方から文句を言われたそうです。それで、こんな狭い場所でのストレッチとなりました。


スタートしました。
宿場町らして雰囲気です。




ウオーキングリーダーが妻籠城の説明をしています。
この場所から10分ほど登ると城跡に着けます。




上久保の一里塚の説明をします。




一里塚の跡。
説明板が有り、両側には小高い土盛りが有り一里塚の跡の形を留めています。




街道の両側の各所にオダマキが咲いていました。
園芸種なのでしょうか。色々のオダマキ。こんなに色があると初めて知りました。




石畳の街道を歩きます。




見晴らしの良い場所で南木曽町が見えます。
遠くにはこれから渡る三留野橋や桃介橋が望めます。




SL公園
南木曽駅の南にSL公園が有ってD51が静態保存してありました。
説明板には昭和15年に日立製作所で製造され、福井機関区や富山機関区など北陸線で活躍していました。各地を転属したこの機関車の記録が書かれていました。
最後は中央西線で活躍し木曽福島機関区で使命を全うしたのです。走行距離は200万キロを超えていました。長い距離を走行し、地球を何周もした名機です。
でも、残念なことに雨曝しの状態で、錆びが目立ち塗装が剥げていました。SL公園と言う立派な石碑が設けられ、開園当時は華々しくスターとを切ったことでしょう。
丁度、通り掛かったときは雑草を刈る人がいて、少しは手を入れている。
そんな気がしましたが、雨曝しにせず、上屋が欲しいと思いました。それが時代を駆けてきた産業遺産への思いやりです。


機関車の脇で雑草を刈っていました。



機関車の塗装が剥がれ錆が目立ちます。




南木曽駅の前を歩きました。




三留野橋から見た桃介橋。
お昼を食べた後、あの橋を渡ります。




今回も元起の弁当です。
煮物の味が濃かったです。




お昼を済ませ、出発します。
これからあの桃介橋に向かいます。



先頭が渡り始めました。

桃介橋
今回の一番のメインは桃介橋です。
福沢桃介が木曽川の電源開発に力を注ぎました。その時、読書(ヨミカキ)発電所の資材を運搬するために設けました。時間が流れ、朽ちて痛んでいた橋を南木曽町が平成5年に復元したもので国指定重要文化財になっています。
国内で最大級の木製吊橋。木曽川の景色にマッチした姿で、橋の脇には5月の風を腹一杯に吸って泳ぐ鯉のぼりが見えました。この地方は月遅れで節句を祝うようです。民家のポールにも泳ぐこいのぼりを見かけました。月遅れの鯉のぼりに風情を感じます。

福沢桃介は電気を生み出すことで、一河川、一会社を唱えたそうです。木曽川の電源開発に努め、地元に電気を売り込んだのですが、地元では買って貰えず、関西に売ることによったようです。
そう言われてみれば、木曽川の発電所は大井、丸山。今渡発電所。すべてが関西電力です。何故、地元で生産し、地元で消費するようにならなかったか。
そんなことを考えるのは変でしようか。





アップで。




橋から上流を望みます。




橋の下を眺めると、下には木曽川の流れが、




橋を渡ります。




鯉のぼりが風を捉えて泳いでいました。





気持ち良さそうに風に身を任せて。





桃介橋の説明板。




三留野宿の中を歩きます。
一月遅れの鯉のぼりが5月の風を捉えて泳ぎます。
尖った山は南木曽岳です。



屋号
三留野宿で各家々の玄関に屋号を書いた表札が張り出されていました。
このような屋号の表札は奈良井宿でも、目にしたことがありました。
「あめや」「米屋」といろいろの表札がありました。かつてはその商いを営んでいたのでしょうか。名前で呼ぶより、屋号で呼ぶ。
そのようなことを考えると、ロマンが広がります。




左から木曽川。
国道19号線。
中山道。
そして右の石垣の上は中央西線です。



歩道を歩いていて、下りの「特急しなの」が追い抜いていきました。
ゆっくりしたウオーキングと特急列車。
江戸時代と現代みたいなものを感じました。



アップで。
写真は瞬間、瞬間を収めます。
歩いていて、その瞬間を収める事が出来ました。



もう少しでゴールです。
この頃から雲行きが怪しくなりました。
時々、ゴロゴロと言う音が聞こえ始めました。



柿其水路橋


ゴール近くの手前で雨が降り出しました。
あと、もう少しでゴールと言う場所です。
歩いていてゴロゴロと音がして、気分の良いものではありません。
最後は柿其橋を渡り、その先に有った柿其水路橋を眺めて終わりとなりました。
この柿其水路橋は下流の読書発電所に水を送る橋で、こちらも文化財に指定されていました。
 


柿其水路橋を上から見ると水が流れているのが判ります。




10時過ぎにスタートしましたが、スタートしてから暫く経って、撮影したため歩数が進んでいます。
1万5千歩余り。今日はこれだけ歩きました。
終わりの時にレインウェアーを着ることになってしまいましたが、無事に終える事が出来ました。


桃介橋のパンフレット。






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中仙道 木曽11宿ウォーク② 馬籠宿 ⇒ 妻籠宿 12年4月25日

2012-04-27 22:03:25 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしています。
今回は第2回で、参加者は38名でした。
馬籠宿の陣場をスタートし馬籠峠越えて、妻籠宿に入った所で解散となり、宿場町の中を自由に歩き、15時までに駐車場へ着くように言われました。

これからも、回を重ねていきますが、今回のコースが一番街道らしい雰囲気のところかも知れません。

馬籠宿陣場(10:13) ― 上陣場(10:22) ― 十返舎一九狂歌碑(10:51) ― 馬籠峠(11:08) ―
 一石栃立場茶屋(11:28~11:38) ― 男滝・女滝(12:11~12:16) ― 
滝見茶屋(12:17~12:55) ― 庚申塚(13:17) ― 妻籠宿南口(13:50) ― 妻籠宿駐車場(14:40)

ウオーキングの面白さ
十返舎一九狂歌碑や正岡子規の句碑がありました。それらを目にすることが出来ましたが、文学に触れる一コマでした。
歴史の木曽路。「倉科祖霊社」と言うお社がありました。伝説では、通りかかった松本の侍が襲われてその霊を弔っていたり、「白木改番所跡」があってヒノキが不正に持ち出されることを防いでいた。
いろいろのことを知る事とが面白いです。



主催者から渡された今回、歩いたコース。


馬籠宿の石柱。
ここからがスタートです。



石柱のすぐ脇に有った高札場。



ウオーキングに備え、ストレッチ体操をします。




ウオーキングの列をサクラが見守っています。




ウオーキングリーダーが歴史を説明します。




サクラが満開になっていました。




旅人を見守る道祖神。




馬籠峠に差し掛かりました。
ここから長野県となります。



馬籠峠の標識。
801メートルはかつての高さで、切通しで切り開かれた峠。
現在は、これだけの標高は無いそうです。




一石栃立場茶屋に到着です。




休憩所の内部。
この男性が「木曽節」を歌ってくれました。




高校生たちが遠足で訪れていました。




所々に有った熊の警鐘。
今の時代には、このようなものが在るが、当時の旅人は心細い気持ちで旅をしたことでしょう。




左が男滝。右が女滝。
女滝は落差が大きいが、水量は少なかったです。




今回のお弁当です。



木陰でお弁当を食べます。




倉科祖霊社縁起を説明するウオーキングリーダー。





倉科祖霊社の説明板。




杉林の中。
石畳を踏みしめて歩きます。




庚申塚です。
ウオーキングリーダが説明します。




旅籠の横を歩きます。



一陣の風が吹きサクラの花びらが吹雪のように舞いました。



この時、皆からワーという声が出ました。




土産物屋の店頭に有った木曽路の笠。




土産物屋で女将さん。



テレビの番組で紹介された「ねこ」です。
女将さんが「ねこ」について説明してくれました。




宿場町でスケッチに励むグループ。
彼女たちの絵を覗き込むような事は慎みました。




雰囲気の良い宿場町。




妻籠宿で一番サマになる場所。
「いこまや」の看板が有り、良く撮影される場所です。



ハナモモの花。
枝によって色が異なります。
このハナモモの花は福沢桃介がドイツから持ち帰ったそうです。





今回のウオーキングの歩数。
14,000歩余り歩きました。


気分は江戸時代の旅人。
これまでに琵琶湖と浜名湖のウオーキングを重ねて一周しました。
今回の木曽路を辿るウオーキングは、それまでとは違った雰囲気があります。
古い構えの宿屋が並ぶ宿場町を歩くと、さながらテーマパークの中にいるとような気分にさせる。
何処からそんな気にさせるのだろう。
街道の脇には神社や句碑が在ったりして、歴史を感じさせるからかも知れません。
水戸黄門もここで撮影できたのではと、頭に浮かびました。
土産物屋の女将さんとはテレビで紹介された「ねこ」の話題で盛り上がりました。

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中山道 木曽11宿ウォーク① 中津川宿 ⇒ 落合宿 ⇒ 馬籠宿 12年3月31日

2012-04-02 19:05:05 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングします。
今回は第1回です。参加者は40名で、そのうち男性は8名。大部分は女性です。単独で参加の女性。2人での参加。3人のグループ。元気な女性ばかりです。
これまでに琵琶湖と浜名湖の一周をしました。今回からは山々に囲まれた木曽路の道を歩きます。琵琶湖や浜名湖とは違った雰囲気があります。

女夫岩神社(10:00) ― 中津川宿 ― 茶屋坂の高札跡(10:32) ― 与坂の立場跡(11:16) ― 
落合事務所前(11:40)~(12:30) ― 下桁橋(12:46) ― 医王寺(12:56)~(13:00) ―
落合の石畳  ― 新茶屋(13:39) ― 馬籠宿(14:16) ―  馬籠宿陣場(14:42)


これから回を重ねて木曽路を歩くのですが、そのスタートの日のコンディションとしては、雨が降り最悪の状態でした。
女夫岩神社をスタートして、公園に蒸気機関車D51が展示してありその横を歩きました。中央線を走ったSLの静態保存です。
中津川宿に入ると、道がクランク状に折れています。敵からの防御で道を折ったのだと説明がありました。宿場町らしい雰囲気です。街道沿いには栗きんとんの「川上屋」や「すや」が有りました。古い造り酒屋の「はざま酒造」は、立派なうだつが上がり、軒から杉玉が下がっていました。

ずっと降り続く雨。お昼を食べる場所も無い状態で、中津川市落合事務所にバスを停めて車内での弁当となりました。休日のところを開所して貰えて、トイレをお借りしました。お世話になりました。

落合川の下桁橋から登り坂が始まりました。十曲峠の石畳に差し掛かると両側は杉林で薄暗く、旧街道らしい雰囲気です。この場所でテレビドラマの撮影があったと看板が立っていました。

馬籠宿に到着すると、これまで隊列で歩いていたのですが、自由に歩くことになり、馬籠宿の上の場所へ40分後に集合すると言うことで解散となりました。
石畳の上り坂。両側に店や旅籠などが並び、往時の頃の風景を作り出しています。島崎藤村の記念館もありました。そんな中をゆっくりと歩きました。



今回、ウオーキングしたコース。
出展Gakken「木曽路をゆく」



雨が降っている中をウオーキングがスタートしました。
レインスーツがカラフルです。



公園に設置されていたD51。
まるで檻の中に蒸気機関車が入れられているみたいです。



遊歩道公園の説明板。



川上屋の店頭とすやの看板。



恵那山の銘柄の弧樽。
右は蔵元、はざま酒造。



中津川の川岸。
新芽を吹き出した柳が見えます。



茶屋坂の高札場跡の階段を登ります。




子野の地蔵堂。
立派な枝垂桜が開花を待っています。



ポイントごとに石柱が設けられていました。
左は本陣跡です。



落合事務所前にバスを停めて車内で昼食です。



配られた弁当。
車内の湿度が高くカメラのレンズが曇りました。




整備された中山道。
アスファルト舗装の表面に石が埋め込んであります。



落合宿の本陣。
ここで明治天皇が休みました。



落合の石畳を歩きます。



雨で石畳が濡れています。



この石畳の道で浅見光彦のドラマが撮影されました。



登り坂。
もうすぐ馬籠宿です。



馬籠宿の道標です。
江戸と京への里数が刻まれています。



馬籠宿の坂道を登ります。



馬籠宿の陣場へゆっくりと向かいました。



藤村記念館。




次回はここからスタートとなります。



午後になり、雨が上がりました。



さんしゅゆ。



これだけ歩きました。
歩数にして17,000歩余りでした。

最後に
雨の中でのウォーキング。最悪のコンディションでしたが、木曽路ウォークがスタートしました。この中山道を皇女和宮や明治天皇。水戸の天狗党が通ったと思うと、歴史の深さを感じます。
今回歩いた中山道は道標や説明板が整備されていました。路面は石を埋め込んだアスファルト道となっていました。
今回のウォークは、雨の中を早足で歩きました。また、別の時に高札場の高札を眺めたり、資料館に入ってみたいと思います。

 

コメント (2)
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