Kオジサンの新・山歩きの記

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美濃路ウオーク 2024 稲葉宿から清洲城へ

2024-11-09 23:02:00 | ウオーキング

稲沢市の稲葉宿から清須市の清洲城までを歩く美濃路ウオークに参加しました。
主催者は美濃路街道連携協議会、清須市。稲沢市と稲沢市観光協会が協力なっていました。
出発点の稲葉宿では、美濃路稲葉宿元気マルシェが開催され、ゴールの清洲城では清須市食育まつりが開かれていました。



美濃路ウオーク 2024のチラシです。



主催者から渡されたコース地図です。
稲葉宿から清洲城へ歩きました。



稲葉宿本陣跡で美濃路稲葉宿元気マルシェの会場です。
これからイベントが始まります。



稲葉宿本陣跡の碑。
愛知県知事 桑原幹根書となっています。



稲沢市の稲葉宿
第8回美濃路稲葉宿元気マルシェのチラシです。




美濃路ウオーク 2024の受付です。
10時から受付となっていました。
この場所に着いたのが9時33分頃で、少し待たされました。



(10:04)
街道らしい道です。
この道を歩き始めました。



美濃路の指示標識が設置して有ります。



前を歩くお二人。
お二人は、途中でコースから外れました。



民家のガレージに吊るされた干し柿。
こんなことからも秋を感じます。



国府宮神社一の鳥居です。



後ろから、フォローで付いて来てくれた男性です。
清須市の職員だと思います。



長束地区入ってきました。
街道の松並木にしようとしているのだろうか。
松の木が植えて有ります。






長束・梅公園へ来ました。




長束・梅公園に長束正家邸址石碑が有りました。
その解説です。
豊臣秀吉の五奉行の一人。長束正家の屋敷跡です。
水口城五万石を与えられと有ります。
東海道を歩いた時に水口宿を通りました。
そこに水口城が有るのを知っていました。
あの時の水口宿と、ここ長束正家の屋敷跡が結びつくことが面白いです。





三菱電機ビルソリューションズ。
エレベーターの試験棟が見えます。



ここにも、美濃路の指示標識が設置して有ります。



前方。
東海道線の踏切です。



四ツ家追分の石碑です。
岐阜から来る鮎鮨街道の合流点です。




清須市に入りました。
旧街道らしい道となりました。




街道を歩くKオジサン。
清須市の職員に撮影して貰いました。



(12:00)
清洲ふるさとのやかた前に来ました。
ここがゴールなのですが、美濃路ウオークのゴールではないと言われました。




清洲城の方へ来ました。
カラフルな傘が並んでいました。




清州城を見上げました。



清須市食育まつりの会場です。
チラシには清州城広場がゴールとなっていました。
ここでゴールですが、ゴールのチェックは無かったです。



清須市食育まつりのセレモニーが開かれていました。


清須市食育まつりのチラシです。



帰路、清洲駅へ向かっていた時に見かけたのが歩いている人たち。
夫婦と子供の家族連れです。
同行していたのは清須市の職員でしょう。


2箇所のイベント
稲沢市と清須市のイベントが有りました。
2箇所のイベントの場所を歩く形に成りました。
二つの会場を歩いた人は少ない様に感じました。
PR方法を考えて行く余地が有るのではなかろうか。

最期に
Bコース。8キロを2時間ほどで歩くことが出来ました。
長束正家邸址が有ったと言う長束・梅公園。
豊臣秀吉の五奉行の一人と言う人物。
西軍に参戦して非業の死。
このような著名な人物をもっと押し出してPRしては、如何なものか。
稲沢市と清須市がタイアップした美濃路ウオーク。
美濃路ウオークのチラシをどこで手にしたのか覚えていない。
PR不足なのか、参加者が少ない様に感じました。

 

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ウオーキング 中山道 往来(ウオーク)   石畳を歩けば、江戸時代の旅人気分

2022-11-05 23:01:59 | ウオーキング

瑞浪市と御嵩町が共催する中山道をウォークすると言うイベントです。中山道 往来(ウオーク) に参加してきました。この中山道 往来(ウオーク)。
16年11月5日に、参加したことが有ります。
ウオーキング 中山道 往来(ウオーク)   石畳を歩けば、江戸時代の旅人気分 - Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)

ここ近年、コロナ禍の時で開催できなかったのではなかろうか。
今回はカミさんと一緒に参加しました。



中山道 往来(ウオーク)のチラシです。



細久手宿から御嵩宿までのウオークコース図です。
中山道御嵩宿・細久手宿ウオーキング実行委員会作成のパンフから引用しました。


細久手宿へ

瑞浪駅の北側でシャトルバスが待っています。
前回、参加した時は駅前に係員がいて、どちらに向えば良いか案内していました。
私は駅の北側にシャトルバスが待っていると思い、降りてから地下道を通り駅の北に向かいました。
係員に初めて参加する人は下車してから、どちらへ行けば良いのか判らないと思うヨと、伝えました。



細久手宿が近付いてきました。
既にウォークは始まっていて、何人か歩いています。


細久手宿にて

(09:19)
テントを張った受付です。
ここが細久手宿スタートの受付です。
ここで、参加費を払いました。



(09:25)
大黒屋の前を歩きます。



この大黒屋。
江戸時代から続いている老舗の宿です。



右へ向かって、県道を進みます。



(09:44)
平岩地区へ来ました。
平岩地区の小沢商店が見えます。
この店は映画。「キツツキと雨」に登場した店です。
このキツツキと雨には役所広司や小栗瞬が出演していました。




アスファルトの県道65線から横道へ入ります。
この横道。旧中山道なのですが、前のグループはアスファルトの道を前に進んで行きました。
コースは左に入って行く道だと伝えたら、仲間の人が呼び戻していました。
この先。
旧街道らしい雰囲気の道です。



先の方にテントが見えます。



テントの場所の北側と南側に塚が有ります。
鴨ノ巣の一里塚です。
対の一里塚は珍しいです。




(10:07)
鴨ノ巣のお休み処です。
ここでジュースをいただきました。



ここは山内嘉助屋敷跡を過ぎた辺りです。
前方に田園風景が広がります。
坂を下ってきました。
逆に歩くとなるとキツイだろうなと思いながら坂道を下ってきました。


津橋公民館休憩所

(10:38)
津橋公民館の前です。
ここは休憩所となっています。




街道を歩く気分が味わえる所です。
電柱とアスファルトが無かったら、水戸黄門の撮影場所に使えそうな景色です。




子どもさんも歩いていました。



甲冑姿の男性。
そして、可児才蔵の幟旗を持った女性です。
言葉を交わし、ウォーカーから写真を撮らせて、という要望に応えていました。




私も可児才蔵さんのを撮らせて貰いました。
可児才蔵は関ヶ原の合戦で福島軍の先鋒として活躍した人物です。



民家の木から垂れ下がる花。
何と言う花だろう。


うとう坂お休み処

(11:09)
うとう坂のお休み処です。
現代の茶店と言った所でしょうか。
3人でボンゴを演奏していました。
ぜんざいや五平餅を売っていましたので五平餅を買いました。


いろは茶屋休憩所

(11:20)
いろは茶屋が有る場所に来ました。
こちらもお休み処となっています。
この場所は、木賃宿が有った所なのでしょう。
中山道の御嶽宿の浮世絵の舞台となった場所で描かれています。



こちらでも五平餅を焼いていました。
1本買いました。生姜の味が隠し味となっていて美味しかったです。





これから、謡坂を下って行きます。
今の時期に整備されたものだと思いますが、苔の着いた丸い石は江戸時代の頃のモノと聞いたことが有ります。




(11:56)
耳神社へ寄りました。



カミさんが耳神社にお参りします。



全国的に珍しい耳神社。
神社の全景です。



牛の鼻け坂を下って行きます。



(12:11)
田園地帯へ出てきました。
この辺たり。
前にも後ろにも、人が居ませんでした。







和泉式部廟所です。
彼女は旅の途中で病に倒れたと有ります。



(12:44)
御嵩の街の中に入って行きます。



(13:07)
御嵩駅の南側。
御嶽さんさん広場です。



9時20分頃にスタートして13時過ぎにゴールしました。
3時間半ほどの時間で約12キロを踏破しました。


最後に
秋の中山道。楽しみながら歩くことが出来ました。
ゴールでのカウントが16.5キロでスタートは1.7キロ。と言う事は14.8キロ歩いたこととなります。細久手宿から御嶽宿までは11.8キロとなっています。この違いは横道に入ったりした結果でしょう。
前回と今回、瑞浪駅から細久手宿までのシャトルバスに乗りました。
御嵩から瑞浪へ向かうバスが有りました。御嵩から瑞浪へ歩き、逆に細久手宿からバスで戻ってくるのも良いでしよう。
お世話下さった関係者に感謝します。

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ウオーキング  桜を愛でに、新境川から境川へ サクラウオーク

2020-04-04 23:27:39 | ウオーキング

各務原市の北東部から南西部へ境川が流れています。水源地は関市の迫間不動(ハザマフドウ)で、河川環境楽園の西側で木曽川に流れ込んでいます。
境川は途中、那加山崎町から南西へ流れて行き、岐阜市そして岐南町に向かって長良川に注ぎます。那加山崎町から南へ流れて行くのが境川放水路で、新境川です。
境川と言うように尾張と美濃の国境でしたが、度重なる洪水のたびに川の位置が変わりました。
そんな新境川と境川を下流から上流に向かって歩いてみました。


(08:54)
ウオーキングのスタート場所。
新那加駅です。



新那加駅から南へ歩いて来ました。
前方に横たわる緑の帯。
木曽川の林と堤防です。
アソコを目指します。




(09:32)
稲羽地区の集落の間を歩いて来ました。
前方に木曽川堤防が見えます。



堤防の下。
3本の桜が見えます。




(09:37)
堤防上に上がりました。
堤防を歩くのはアブナイので、下に降ります。



歩いてきた道。
この先、「きけん」の札が下がって鎖が張って有ります。




前方に見える橋が弥平島へ向かう弥平島橋です。
欄干の無い沈下橋となっています。
弥平島地区は木曽川の河川敷の中に有る10戸程の集落で、そこへ行くにはこの橋を渡って行きます。
ここからスタートして上流へ向かいます。




(09:56)
新境川の堤防です。
右側は各務原市総合運動公園となっています


各務原市総合運動公園。
陸上競技場で高校生たちがトレーニングしています。



中屋大橋へ来ました。
前方に見える小高い山が三井山です。




堤防から少し下ってみました。
新境川がカーブしています。
その堤防。
ずーとサクラが続きます。




(10:09)
サクラを愛でる若い娘たち。
スマホにサクラを収めていました。



(10:22)
上戸排水機場の東のポケットパークです。
お昼には少し早い時間でしたが、ここで昼食にしました。



(10:55)
再び、堤防に上がりウオーキングを再開します。




濃飛八景龍宮山の石碑と解説板。
この堤防に何回も来たことが有りますが、こんな説明板が有ったのは知りませんでした。




三井山の登山口です。
アソコから右へ行くと山頂へ行けます。




山の裾を通過できるように歩道が付けて有ります。




(11:04)
続くサクラ。
撮影しようと大きなカメラを持った若い人が居ました。




各務原市水道事務所の西側です。
サクラが続き、歩くのに良いコースとなっています。




前方に車が止まっていますが、その先は那加バイパスで、その先へは行けません。
右に行って、北へ折れるとアンダーパスが有ります。



(11:17)
アンダーパスを通過して来て、サクラの続きの再開です。




各務原市民公園へ来ました。




公園の西側のシダレザクラ。




(11:26)
各務原市民公園です。




さらに北へ進みますが、車に注意しなくても良い下の歩道へ降りました。





(11:35)
高山線の鉄橋を上りの特急「ひだ」が通過します。



花見橋から上流を望みました。




新境川と百十郎桜の石碑。
境川が度々、氾濫したので昭和初期に境川放水路を完成させたと有ります。
市川百十郎によって植樹され百十郎サクラと呼ばれるようになったと書かれています。
この石碑。左岸に設置してありましたが、いつもだと屋台に隠れて見えませんでした。
今年は屋台が並ばないので、こんな発見が有りました。



(11:38)
花見橋を渡り、右岸に来ました。
この辺り。
例年なら屋台がずらーと並んでいます。




堤防から下へ降りました。




菜の花の黄が目立ちます。
誰かが種を蒔いたのか、野生種的になっています。



(11:49)
那加新橋の所から北の方角を望みました。




堤防から下へ降りてみました。




北へ向かって歩いています。




(12:03)
ここは山崎頭首工で、境川放水路と境川の分岐点です。
倒された水門が見えます。
農繁期を迎えると、水門を立てて水を貯え、境川方向に流します。

ここから上流は境川となるのだが、新境川の表示となっているのは誤りではなかろうか。



山崎橋を渡り、左岸を歩きます。





(12:15)
先に大島橋が見えます。
この辺りのサクラ。
植樹されて歳月が経っていないのでしょう。
サクラが幼木です。




サクラがが堤防に沿って植えて有りますが、弧を描いています。




(12:29)
天王橋から上流を眺めました。
二人の女性がサクラを愛でていました。




可動式の水門が見えます。
この先。
県道の坂井二号橋の下流部まで来ました。
左側の並木は花が咲いていないのが気に掛かります。




(13:36)
各務地区に入ってきました。
先に見える橋は北島橋。




各務野桜苑に入ってきました。
西側から入ってきましたので、裏口から入ってきた形に成りました。



サクラを撮影する女性。
撮影したくなる程、立派に咲いています。



墨染匂と言うサクラ。
アップで撮りました。




こちらが正面の入口です。
右に見えるのが文化財に指定されている村国座。
明治初期に建てられた農村舞台で子供歌舞伎が秋祭りに上演されます。

この各務野桜苑。完成してから歳月が浅いのでまだ、幼木の状態です。
サクラの木。
「紅乙女」 「桃の里」 「松前八重紅染井」 「八重紅枝垂」 「冬桜」 「仙台屋」 「駿府桜」 「大島桜」 「三島富士見桜」 「兼六園熊谷」 「雲竜大島」等々。1本1本にネームプレートが表示してありました。何種類有ったのだろう。





(13:53)
村国神社の南側です。




更に上流に向かって歩いて来ました。




川幅が狭まってきました。




(14:16)
川の水が伏流水となり、表面に現れていません。
境川に沿って歩くのをここまでとしました。

この後、芋ケ瀬池に寄り、自宅へ向かって歩きました。




名鉄新那加駅をスタートして弥平島橋から各務地区まで歩きました。我家へ戻ってきた時の歩数です。4万歩に近い歩数で距離は30キロを超えました。
良く歩きました。













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木曽川リバーサイドウオーク   名鉄笠松駅から名鉄新鵜沼駅までウオーキング

2020-03-26 23:09:26 | ウオーキング

コロナウイルス禍。ウチにジットして居たくない。さりとて、3密は避けなければならない。
今から20年位前に笠松から新鵜沼まで木曽川河畔を歩いたことが有ります。
そのコースを再度、歩いてみようと思いました。


(09:31)
笠松みなと公園です。
ここからスタートします。



名鉄本線の木曽川橋梁。
特急列車が通過して行きます。




名鉄本線の木曽川橋梁を潜り抜けて進みます。



41.0
堤防をランニングする女子高生。
彼女、さっきの公園で休憩していた人です。



前方は東海道線の木曽川橋梁です。
その先に見えるのは河川環境楽園の観覧車です。
地元の人でしょうか、ウオーキングの人が歩いています。




(10:03)
サイクリングロードとウオーキングコース。
この先でSの字カーブが有ります。
行って戻って来る形に成りますので、下へ降ります。




ヒョウモンチヨウの仲間だと思います。
シータテハだろうか。
タンポポに留まりました。




砂利の道を歩きます。




ウオーキングコースと砂利道が一緒になります。




ウオーキングコースでウオーキングの人が歩いて来ます。




ウオーキングコースから外れて川へ行ってみました。
見えるのは下流方面です。






こちらは上流方面です。
あの橋は東海北陸自動車道で、その先は一宮市の138タワーです。




駐車場から見える濃郷白山です。



地面に河川環境楽園の表示が有ります。
この表示、最近工事が行われたばかりです。


(10:35)
堤防の下。
観覧車が見えるところへ来ました。




堤防に上がりました。



(10:51)
木曽三川公園の笠田広場まで来ました。
学校が休みで、子供たちが沢山来ています。




笠田ひろばから、さらに東へ進みます。
複雑な道でどちらに向かえば良いか、分かり難いです。




タッチアンドゴーをしているC130。
離陸してきて旋回し、東へ飛んで行くのを繰り返していました。
この機。
昼は一旦、お休みになったのですが、午後に再開していました。



サイクリングロードとウオーキングコース。
自転車で走る男性。



(11:21)
勤労青少年グランドに来ました。




サイクリングロードとウオーキングコース。
向こうから男性が歩いて来ました。



歩いて来て、通行止に当たりました。
この先、岸に川の流れが当たり、道が崩落していました。
それで、左に迂回して行くようになっていました。



迂回路ですが、両側が雑木に囲まれています。




前方に各務原大橋が見えます。




(11:42)
各務原大橋交流広場へ来ました。
ここにはトイレやあずま屋が備わっています。
ここで昼食にしました。




(12:13)
交流広場を出発します。
この左側。
山の神の碑が有り、四隅に竹が立てられてお祀りしています。




堤防の下です。
先へ進みますが、道が不明瞭です。
車がビュンビュン走ります。



暫く歩いて堤防上を歩きます。
河口からの50キロポスト。
このポスト。
表示が割れていますが、他のポストには建木と表示していました。




堤防をランニングする男性。
先に見えるのは愛岐大橋。
その先は伊木山です。




51.8キロポスト。
寛ぐご夫婦。

野鳥観察をしているのでしょう。
男性は双眼鏡を持っていました。




愛岐大橋へ来ました。

ガスのパイプ。
都市ガスで愛知県から来ています。
地震対策で大きな鎖が結んであります。
鎖を超えて先へ進みました。




(13:06)
アスファルト道になりました。
この先、サクラが見えます。



サクラをアップで。
ヒガンザクラではなかろうか。



アスファルト道から草の道に代わります。




草の道。
道の横には52.8のキロポスト。



ハナニラが咲いています。




小山湊跡の説明板。
この湊が賑わったと書いてあります。



(13:21)
これから進む先。
道に鎖が張って有ります。



草の道。
タイヤの跡が残っています。



草の道から河原の砂利道となりました。





砂利の道を進んでくると、草が繁り道が消えました。
このままでは進めないので川の方に出ました。




足元に咲いていた花。
ヒメリュウキンカ。



(13:46)
川へ出ました。
石の上を歩きます。





河原を歩いていて、林の中に道が有りましたので、林間の道を歩きました。



林間の道を進んできたら、ご夫婦がアウトドアを楽しんでおられました。
私は、この奥の方から現れたのです。
急に出てきて奥様をびっくりさせてしまいました。
スミマセン。





材料を写させて貰いました。
野草を天ぷらにしていたようでした。



砂利の道に出ました。




(14:18)
道はついていますが、鎖が張って有って有り、先へ行けないようになっています。
避けて先へ進みます。



草の道。
先に犬山城が見えます。



木曾川。




(14:33)
草の道から砂利の道に代わります。



ライン大橋から先へ進みます。
この道。
遊歩道として整備されていますが、まだ新しいです。





ソメイヨシノが並んでいます。
男性が追い抜いていきました。




土手の縁に並ぶ水鳥。
カモの仲間なのでしょう。



振返ると犬山頭首工が見えます。



木曽川を隔てて見える犬山城です。




遊歩道を歩いて来ました。
常夜灯の近くに57.6のキロポストが有りました。



川沿いを歩きます。
先に見えるのがツインブリッジ。
その向こうが犬山橋です。




(15:11)
名鉄新鵜沼駅まで来ました。




左がスタート時に笠松駅で写したもので、右が新鵜沼駅へ来て写しました。
24キロ余りを歩きました。
歩き始めに目にしたのが41.0で終わり近くのは57.6のキロポストでした。河口からキロポストを直線的に結ぶので、この数字となるのでしょう。



























































 

 

 

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きんてつハイキング  レトロな名古屋文化を楽しもう! 大須界隈を歩く

2018-04-18 23:22:21 | ウオーキング

新聞のお知らせ欄で近鉄ハイク「レトロな名古屋文化を楽しもう! 大須界隈を歩く」と言う記事が載っていました。大須観音の骨董市やあいち銭湯資料館を巡ると言うものです。
それに参加しました。近鉄烏森駅で10時20分から受付となっていました。前夜来の雨でしたが、朝になって天候が回復しました。ゆっくりと烏森駅に向えば好い。誰もが同じようなことを考えたみたいでした。でも、受付で渡されたカードの番号は537番でした。と言うことは私より先にスタートした人が536人いると言う事です。
雨の上がった名古屋の町を歩きました。

近鉄烏森駅(スタート)   ― 佐屋街道  ― 長良橋 ― 松重閘門  ― 日置神社  ― 大須観音
 ― 春日神社   ― 記念橋   ― あいち銭湯資料館   ―   JR鶴舞駅(ゴール)  



主催者から渡されたコース地図です。


近鉄烏森駅

(10:58)
烏森駅は普通列車しか停まらない駅です。
電車が駅に着くと、降りてきた乗客が次々と受付をして歩き始めました。




歩き出した佐屋街道。
車が沢山行き来しています。




(11:12)
環状線で信号待ちです。
先を歩いていた人も信号で待たされ、青に替わると一斉に歩き出します。



佐屋街道

ヤジさんキタさんをイメージしているのでしょうか。
歩道に埋められたプレート。


長良橋

(11:17)
長良橋まで歩いてきました。




金山方面です。




(11:21)
この通りからも金山方面が見えます。




新幹線が通過しています。


松重閘門

(11:40)
松重閘門が見えてきました。




松重閘門は、今では稼動していません。
かつて水路となっていたところは埋め立てられています。
橋が架かっており、その北側が松重閘門公園となっていました。
この場所で弁当を広げる人たちも居ました。




橋の上から松重閘門を見上げました。



松重閘門公園に説明板が設置して有りました。




松重閘門の塔の間を市道江川線があり、その上が名古屋高速の環状線になっています。
私と同じように松重閘門を撮影する男性が居ました。





ライトアップした写真の松重閘門。




裏側には解説文が載っています。



(11:49)
松重閘門から歩いて行きます。




回り込んで松重閘門を眺めます。
広い水面。
かつて、松重閘門が稼動していた頃。
中川運河に向かう船が順番待ちをし、ひしめいて居たのかも知れません。



日置神社

(12:02)
日置神社に寄りました。


大須観音

大須観音の山門です。




門の両側。
骨董市で店を広げています。






大須観音へ来ました。
中国人なのでしょう。
記念写真に納まっています。




(12:54)
本堂です。





お参りしました。





大須観音の境内。
西側から眺めました。





骨董市です。




区割りされ色々の店が開いています。




これから大須の街を歩きます。




テレビカメラを中心とした人たち。
でも、報道の人たちではないようでした。


春日神社

(13:13)
春日神社へ来ました。
大須にこんな大きな神社が有る事を知りませんでした。




上前津の古書店。
今回のウオーキングで古書店にも寄ってみたいと思いました。




(13:24)
大須通りを歩き、鶴舞へ向かいます。



あいち銭湯資料館

(13:35)
あいち銭湯資料館に来ました。
ここは愛知県公衆浴場組合や名古屋浴場組合の事務所で、その2階が資料館となっています。




2階へ上がるのに履物を替えて上がります。
かつて銭湯で使われていた下足箱です。





のれんをくぐって中へ入ります。




男性なら誰でもが座ってみたいと思う番台。
番台が復元してあります。





資料館の内部です。





体重計やドライヤーが見えます。





こちらはケロリンの風呂桶。それに脱衣籠も有ります。




橋本七度煎のホーロー看板。
この字、何と読むのかなと興味が沸きました。
疝気(センキ)と読むようです。
かつては銭湯の脱衣場にこんなホーロー看板が有りました。
昭和の世界です。






鶴舞の古書店街に来ました。
この通り。かつてはアーケードで覆われていました。
それが撤去されています。そのお蔭で明るくなっています。
向こうが山星書店。手前が大学堂書店です。
老舗の古書店は残っていますが、消えていった古書店が何軒か有ります。
鶴舞の様子が変わって来ています。

JR鶴舞駅

(13:59)
鶴舞駅にゴールします。




感想
このようなイベント。普通は土曜日か日曜日です。大須の骨董市の開催が18日と28日なので、平日である18日の開催となったのでしよう。平日で参加者は1,000人に満たなかったのではと思います。
今回の企画で、行ってみたいと思ったのは上前津や鶴舞の古本屋を訪ねれそうだからです。久しぶりの鶴舞。様子が変わってしまい、かつて有った古本屋が無くなって居ました。こんなのも時代の流れでしょうか。
鶴舞の裏通り。あいち銭湯資料館が有りました。廃業して行く銭湯が多い時代です。展示物を見て、懐かしさを感じました。
 

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ウオーキング 中山道 往来(ウオーク)   石畳を歩けば、江戸時代の旅人気分

2016-11-05 23:38:14 | ウオーキング

中山道の細久手宿から御嵩宿までを歩きました。キッカケは名鉄駅に置いてあったパンフレットです。瑞浪市と御嵩町が共催する中山道をウォークすると言うイベントです。瑞浪市の細久手宿はJRの駅から離れており、シャトルバスで駅と宿場町を結んでくれますので、助かります。
この機会に中山道を歩いてみようと思いました。


名鉄の駅に置いてあったパンフです。
名鉄が協力だから駅に置いてあったのでしょう。瑞浪まで、JRで出かけました。担当者がJRに協力を求めなかったのだろうか。細久手宿に近いのが瑞浪駅です。JRもタイアップで協力しても良さそうと思います。


瑞浪駅へ

JR那加駅です。
下呂行きの普通列車が入線してきました。




美濃太田駅です。
名古屋行きの特急が出て行き、その後に多治見行きの普通列車が入線してきました。




多治見駅です。
中津川行きの快速が入ってきました。
快速と言っても、多治見までで、ここからは各駅に停車します。




中央線の線路です。
新線と旧線で線路が着いたり離れたりします。
もうすぐ、土岐市駅です。




瑞浪駅に着きました。




瑞浪駅の南側です。
スタッフが居て、シャトルバスの乗り場が北側に有る事を案内していました。




駅前のパン屋。
サンエトワールと言う店です。
左側のフランスデニッシュを買いました。美味しい味でした。




女性の4人組。
この人達も中山道往来に参加する人達です。


細久手宿へ

バスが停まっていますが、スクールバスです。
ここで、シャトルバスの到着を待ちました。




しばらくして、現れたシャトルバス。
御嵩町のマイクロバスです。
役場の人が添乗していました。




細久手宿が近付いてきました。
既にウォークは始まっています。


細久手宿にて

細久手宿スタートの受付です。
ここで、チェックを受けました。




急いで出発する必要は無いので、ゆっくりとしたスタートにしました。
歩く前に、五平餅を買います。




列に並んで買い求めましたが、前の人が4個とか8個と大量に買い込み、少し待たされました。




買ったのは1個です。
この場で食べれるようにトレーに乗せてくれました。




細久手宿の説明板が設置して有ります。



細久手宿から御嵩宿までのコース図です。
中山道御嵩宿・細久手宿ウオーキング実行委員会作成のパンフから引用しました。


これからウオーキングを開始します。

細久手宿の大黒屋。
旅籠ですが、今も営んでいる宿屋です。




大黒屋の中にお邪魔しました。
現在も旧中山道をウオーキングしている人が泊まるようです。
中を見せて貰いましたが、京都の寺田屋と同じような印象がしました。
ここに泊まれば、江戸時代の旅人気分に浸れる事でしょう。




(10:07)
幼児も歩いています。
気分が高まって走り出しました。
家族、一緒に歩けるのが嬉しかったのでしょう。



民家の庭先のモミジ。
紅葉が始まっています。




民家の入口にカカシが立っています。
無料で豚汁がいただけます。





この人達もこれから歩く人達です。
先ほど買った五平餅を食べています。
それに、豚汁を戴いています。




豚汁のお接待。
私も戴きました。
美味しかったです。




おウチの中を拝見しました。
壁の芸術。伊勢型紙です。




細久手宿を出ました。
手作りのカカシが見送ってくれます。




前を歩く人達。
曲がった道が、旧街道らしい道です。





街道の所々に中山道往来の幟旗が立っています。




平岩地区へ来ました。
左に行くと松野湖。直進が旧中山道です。



平岩地区へ来ました。




平岩地区の小沢商店です。
この店は映画。「キツツキと雨」に登場した店です。
このキツツキと雨には役所広司や小栗瞬が出演していました。




街道沿いの民家。
軒に柿が吊るされています。
こんな所にも秋を感じます。




干し柿が有った民家の先。
アスファルト道から山道に変りました。
この辺りから登り坂となりました。




坂道を登って行きます。
アスファルトの道から地道で、旧街道らしい道に変りました。



今日のKオジサンの後ろ姿。




ボツボツと反対方向から歩いて来る人達と出会うようになりました。




スポーツ少年団の子供たちです。




ご夫婦が木の枝に触って居ました。
近寄って、見せて貰ったらムカゴを取っていたのです。




鴨ノ巣の一里塚です。
左右の塚が残っている一里塚は珍しいと思います。




(10:56)
鴨ノ巣一里塚の説明板です。





反対方向から歩く人が来ます。
路には一杯に朴葉が落ちています。




反対方向から来る人達。
坂を登ってきます。
このあたりの道は道に草が生えています。
伸びた芝生のような感触です。




中山道の遠景。
街道を歩く人達です。




津橋公民館です。
おもてなしの場所になっています。




お接待で、お茶をいただきました。





反対方向から人が歩いてきます。
街道を歩く気分が味わえる所です。



誰かが戯れた跡です。




竹やぶが美しい場所です。




反対方向から歩いて来た人達。
親子の組でした。
ファミリーでウォークです。



お休み処。
現代の茶店と言った所でしょうか。
たて笛を演奏していました。




(12:06)
こちらもお休み処です。



この場所は、木賃宿が有った場所なのでしょう。
表示が出ています。




これから、謡坂を下って行きます。
江戸時代の頃のモノと言うより、今の時期になって整備されたものだと思います。
それでも、石畳が江戸時代の旅人気分を高めてくれます。




この先、坂道を下ってあの場所まで下りていきます。




牛の鼻欠け坂。
この坂を牛が登り下りしたと思うと、ロマンが広がります。




歩いて来て、この辺たり。
前にも後ろにも、人が居ません。
このような状態になると心細くなります。



昔の道の雰囲気の有るところを歩きます。
それでも、前後には人が居ませんでした。




道端にコスモスが咲いています。




和泉式部廟所。
パンフに、彼女は旅の途中で病に倒れたと有ります。




柿が色付いています。




昔の街道的な道から、旧国道沿いの道に変りました。




さらに進むと、御嵩町の町に入ってきました。
直線の道路で無いので、旧街道的ナ雰囲気か有ります。




御嶽宿に来ました。





こちらは商家竹屋と言う家屋です。
今で言う総合商社的な所です。




御嶽宿の町並みです。




中山道みたけ館です。




これから館内に入ります。
1階が図書館。2階が資料館となっています。




館内の2階が資料館で、「きちん宿」の部分を再現しています。
列車の時間の事が有り、見学はこれまでに留めました。




中山道の通りに出ると人だかりが有りました。
ここは御嵩宿わいわい館です。
乗って残そう名鉄広見線の幟旗が見えます。
広見線の廃止の声が出て来ているのでしょう。



(13:51)
名鉄御嵩駅に来ました。




御嵩駅の南側。
ゴールで、ゴールテープを切るようテープを張ってくれています。




ゴールして貰える完歩証が並んでいます。
いかにも、手づくりと言う感じがします。




御嵩駅の内部です。
乗車券の自動販売機が有りました。
普段は、駅員が居ないのでしょう。




これから乗るワンマンの電車。
1時間に2本の列車が有りました。




沿道の各所にカカシが立てて有りました。
手作りのカカシです。
このイベントを少しでも、盛り上げようとしている取り組みが感じられました。


感想
中山道往来。瑞浪市と御嵩町の共催でした。名鉄の駅でパンフを手に入れて、カミさんに一緒に行かないかと言いましたら、膝が痛いから辞めとくと言われました。
このイベント。誰かが言っていました。今回で5回目のようです。細久手宿から御嵩宿まで歩きました。距離にして、11.8キロとなっています。石畳の坂を通って、江戸時代の旅人はこのような旅の気分を味わったのだろうかと、旅人気分に浸りました。それでも、牛の鼻欠け坂を過ぎた辺りでは、前後に誰も居ない状態になりました。その時はイベントでありながら視界に人が居なくて心細くなりました。それを思うと、当時の旅人はさぞかし、心細い思いをしたことだと思います。
大黒屋の内部を見せてもらったり、お接待を受けたりしました。
昔の街道を歩き、往時を想像してのウオーキング。
面白かったです。




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ウオーキング  羽島用水を歩く

2016-05-02 23:40:19 | ウオーキング

各務原市の南部を東から西へ流れる用水路が有ります。羽島用水です。犬山市と各務原市の間にライン大橋が有ります。そこには犬山頭首工と言う堰が有り、木曽川を堰き止めて取水しています。
そこから取水した水を利水しており、羽島用水となって各務原市、岐南町、笠松町、羽島市へと流れて行きます。かつては無蓋の用水路でしたが覆蓋した用水路に変わり、用水路上が遊歩道として整備されました。
http://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/sinnoubi/pages/13saikin_no_kouzi/03hasima/00.html農業用水ですから夏季に工事をする事は出来ません。年次で工事された事が良く判ります。
遊歩道化された羽島用水を、両内野から名鉄笠松駅まで歩きました。季節を感じながら歩く事が出来て、面白かったです。

各務原市 ふれあいバス

羽島用水の流れている両内野へ向かうのに、各務原市のふれあいバスで向かいます。
ふれあいバスの起点は各務原市役所駅からです。
9時30分発の稲羽線のバスに乗車します。




バスの最後部の席に陣取りました。
お隣は孫を連れたおジイチャンです。
孫のお守りでしょう。バスの時刻表を眺めていました。
この時、孫娘はは起きていましたが、暫くしておジイチャンに抱かれて寝てしまいました。






稲羽線のルートには航空宇宙科学博物館が沿線にあります。
車窓から屋外展示のYS11が見えます。




前渡西町でお年寄りと子供が乗ってきて満席になりました。




両内野公民館で下車しました。
このバス停から乗る人がいました。
何れもお年寄りです。



ふれあいバスを見送ります。

滅多に乗る機会の無いふれあいバスです。
各務原市役所前のバス停を出た時は、男性と孫を連れたおジイチャン。それに私でした。
途中で何人かのお年寄りを乗せました。
各務原市役所駅のバス停で稲羽線を待っていた時です。那加線か蘇原線だったか。バスからバスへ乗り換える人を見かけました。市民の足となっていました。
ふれあいバス。30分余りの100円の旅でした。
タマに乗ったふれあいバスでしたが、お年寄りの足になっている場面を目にする事ができました。


この後、羽島用水を歩くスタート地点である両内野に向かいました。


羽島用水

羽島用水土地改良区で戴いた地図です。
各務原市の南部に稲羽地区があります。稲羽地区の北側は広大な各務原台地が広がっています。台地ですから、当然水利は望めません。
羽島用水の流域で恩恵を受けてる地域が表示して有ります。このように1枚の地図にも面白さが有ります。





羽島用水の地図です。
平成23年11月17日に歩いた時に撮影したものです。




犬山頭首工の取水口です。羽島用水はここで取水されて、流れていきます。右はライン大橋で、ここで木曽川を堰き止めて、水を取水しています。岐阜県側は羽島用水です。愛知県側は木津用水と宮田用水が取り入れています。これらを総称して濃尾用水と呼ぶようです。




10:18
かつては、犬山頭首工で取水された水が暗渠で流れてきて、ここから地表へ出てきていました。羽島用水のパイプライン化によって地中を流れるようになり、地表には池が作られています。渓流のような場所から水が流れ出ています。恐らく、ポンプで汲み上げて流しているのでしょう。
この地点から、ウオーキングをスタートします。




10:24
歩き始めです。
渓流のような所から水が流れ出て、池となっているところの横を歩き、スタートです。



10:25
池に鯉が泳いでいます。
エサが貰えると思ったのか、寄って来ました。




10:25
前の方を犬の散歩の男性が歩いています。
池に橋が架かっています。
この辺り、小公園のような良い雰囲気の場所です。




10:26
橋の上から下流部を眺めました。
綺麗な水が流れていきます。



10:27
Kオジサンの後ろ姿。その1です。



10:29
ナンジャモンジャの花が満開となっています。




10:34
この辺り。田園街道と名付けられています。その名の通り、右手には田が広がっています。
木に隠れている山が不動山です。
用水は、あの山の下を通過して行きます。







10:36                            10:42
犬の散歩をさせる人達。
左側の男性は先ほど、前を歩いていた人です。ターンして戻ってきました。白い袋を持っています。
右側の男性はすれ違った人です。手ブラです。犬が糞をした時の後始末はどうするのだろうと思ってしまいます。犬との散歩で、責任を持って、連れて歩いて欲しいものです。




10:37                            10:37
道沿いに何本も、アジサイが植えて有ります。
もう、次の出番は私よ、と言っているように見えます。



10:38                            10:38
用水沿いに何本か、井戸が有りました。
何れも弁が壊れていました。




10:44
羽島用水の地図が供えて有ります。
左は今の状態のもので、見難くなっています。
右は23年11月17日に歩いた時に撮影してものです。




10:45
関江南線の道路を渡りました。
前渡東町。長平地内を歩きます。




10:49
カモだと思いますが、北国へ帰るカモではないのでしょうか。




10:50
前方の山が不動山です。
地図では、羽島用水が山の下をトンネルで流れています。




10:52                            10:52
迂回して歩きます。
地図では山の下を流れていることになっていますが、このコンクリートの下を水が流れていました。
右は竹林ですが、収穫していないため、タケノコが伸びています。



11:03
迂回して稲羽東小学校の横を歩きます。




11:06
稲羽東小学校の校庭を暗渠で通った用水が地表に現れた場所です。
用水を蓋したので、流れる水が見えなくなりました。




11:17
前方から散歩中の女性が歩いて来ました。




11:26
Kオジサンの後ろ姿。その2です。



11:28
一面、ピンク色となったレンゲ畑です。
大きなジュウタンを広げたように見えます。







11:34
あずま屋が有ります。




11:34
あずま屋の横に地図が設置して有りますが、痛んでいて見難くなっています。



11:42
山脇町地内を歩きます。




11:46
スミレが咲いています。
3輪のスミレ。ダンゴ3兄弟ならぬスミレ3姉妹と言ったところでしょうか。




12:01
石柱が有り、三井池龍神参道と刻まれています。




12:03
三井池が見えてきました。
ここで、お昼にします。




12:41
若い人たちが自転車で現れました。
右の場面。トイレに行った時、彼らに遭遇しました。
若い男性と、顔を合わせた時ニコッと笑いました。言葉でなく、表情で表したのです。中国人たちでした。






12:56
三井池です。
ナンジャモンジャが満開です。
三井池に、このようなナンジャモンジャの大木が有るとは知りませんでした。
普段、三井池の木を目にしていても、何の木か判りませんでした。こうして春にナンジャモンジャの花が開き、ナンジャモンジャの大きな木が有る事を知りました。




12:57
三井山への登山口です。
誰かが登りに行っているのでしょう。
自転車が停まっています。




12:58
これから龍神橋を渡ります。






13:01
羽島用水の施設です。土中に入った施設で、探す気になって、見ていないと見過ごしてしまいます。
つつじ苑の下を羽島用水が通過しています。




13:06
つつじ苑の下を通過した羽島用水が、ここから地表に現れていましたが、用水路の改修工事で地下に入りました。





13:07
かつては、ここから水が流れ出ていました。
今は流れていなく、水路に草が繫っています。




13:12
如来塚が有った跡地に如来塚の由来が書かれています。
前回、歩いた時に見かけた説明看板が新しくなっています。
既設のものが老朽化したと有ります。



これから歩く、この先。
ふれあい街道②となっています。23年11月17日に歩いた時に撮影しました。




13:16
成清町まで歩いてきました。
住宅街を用水路が貫いています。
ここからも、かつては水が流れ出ていましたが、今は流れていません。




13:23
この辺りも成清町ですが、ここら辺は田畑地帯です。
今までは遊歩道的な道でしたが、シンプルな道に変わってきました。




13:33
Kオジサンの後ろ姿。その3です。
ここも、まだ成清町です。




13:37
この辺り、神置町です。
北側に佐川急便岐阜営業所の建物が見えます。
北側に道路が有り、南側にも道路が有り、サンドイッチ状態です。
その中央に羽島用水が流れていました。
今は地中化されて用水が流れていたとは、想像できない姿になっています。
これまでは、木が植えられたりしていて遊歩道的でしたが、素っ気無いと言うか、魅力に欠ける区間になりました。
先に見えるのが東海北陸自動車道です。
もう間も無く、岐南町に入ります。








14:19
中心の石柱に井表橋と書かれています。
開渠の時は橋が掛けられていまして、橋が有った名残が伺えます。
このような橋の形跡が何箇所も有りました。
「まちをきれいに」のプレートが下げられていて、岐南町に入った事が判ります。




14:21                             14:21
水路へゴミ・汚物等・・・・。のプレートが残っています。
もう、必要がなくなっています。
右は女子中学生が自転車で走り去りました。部活の帰りでしょう。



14:23
水素ステーションが目に留まりました。
大型トラックの車体に移動式水素ステーションと書かれています。
テレビのニュースで、水素ステーションが出来たと報じていました。この場所だったのかと思いました。
この施設が完成したのは、まだ、つい最近の事だと想像します。
確か、曜日を決めて水素をサービスしていたと思いました。
水素で走行する車を普及させるための国の施策なのでしょう。




14:28
用水から水が分流して流れていきます。
長い距離を歩いて来て、用水から直接流れ出ている場面を目にしたのは初めてでした。




14:33
羽島用水で、分流させる施設です。
その施設に、ゴミのポィ捨て禁止の絵が貼られています。
「川をきれいに」。木曽川の水が流れていますと、なっています。
描かれているキャラクターはねぎっちょで、岐南町のゆるキャラです。
徳田ネギをモチーフにしたキャラです。







14:45
葉栗中学校跡へきました。
学校の跡地で公園化されています。
ここにはトイレが有りました。
長距離を歩いて来て、トイレが有り、助かりました。




14:56
前方は国道22号線で、名岐バイパスです。
アンダーパスで下をくぐり、通過します。



14:58
岐南町平成です。
右側に岐南町のエコ・ステーションが有ります。




15:00
ここも岐南町平成地区です。
前方に東海道線が見えます。
右手に小高い、塚のような場所が有り、塚の下に休憩用のあずま屋も有ります。




15:03
岐南町の文化財で門と宮川家が有りました。







15:08
あずま屋。
羽島用水の地図が有りますが、日光で痛み読み難くなっています。




15:10
東海道線の下を通過します。
古い石造りの橋脚ですが、明治の頃のモノでしょうか。




15:11
東海道線を過ぎると笠松町になりました。
左側に笠松競馬場の厩舎が並んでいます。





15:17
競馬場が近いことも有り、馬専用の道が平行しています。



15:30
笠松駅の近くまで着ました。
遊歩道的な道になっておらず、単に道路と言う感じがするだけです。




15:33
電車が停車していますが、笠松駅です。
羽島用水は名鉄の線路の下を通過して西に向かっていきます。




15:36
お疲れ様でした。
笠松駅に到着です。




感想
どれ程の距離を歩いたのか判りませんが、両内野から笠松駅までを歩く事が出来ました。
ピンクの絨毯を広げたようなレンゲ畑。三井池公園ではナンジャモンジャの大きな木を眼にする事ができました。普段、目にする木でも、花の時期でないと、この木がナンジャモンジャの木だとは気が付きませんでした。
このように気づかせてくれたのは、独特の花が咲いていたからです。スミレ三姉妹にも会えました。ネクストバッターのアジサイも目に出来ました。
春を満喫しながら歩けました。
また、水素ステーションが有りましたが、時代の先端を目にする事が出来たのも面白いことです。

前回歩いたのは2011年11月17日でした。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/a05bc17dbe4cce14feaf08884bd6f83b
その時のブログに書きましたが、歩いた後、各務原市農政課に出向き早急なトイレの整備は無理にせよ、トイレまでが何メートルなのか表示するよう対策を頼みましたが、何も変わっていませんでした。
羽島用水の遊歩道化は農業の観点から実施されたものであり、市民がウオーキングで活用する観点に立っていません。
岐南町や笠松町の部分は歩道的な道ですが、各務原市の三井池から東の部分は快適な遊歩道となっています。このような自然に恵まれた市民の財産が有りながら生かされていないことが残念です。

設備が老朽化しています。その反面、樹木が成長して良い状態になってきています。
この遊歩道を「羽島用水グリーンロード」とか「羽島用水緑道」と、市民からネーミングを募れば良かったのです。遊歩道化が完成した時期にテープカットをしたりして、PRがされませんでした。その辺りも農政的な感覚でした。
これからは、このようにウオーキングに最適なコースが有る事を市民に紹介していくと供にキロポストや案内板の設置を進めていく事が必要だと思います。


 








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青春18切符で京都 山科へ  桜の琵琶湖疏水をウオーキング  Part 2

2016-03-31 23:44:52 | ウオーキング

2014年04月08日に、青春18切符を使って大津まで行き、琵琶湖湖岸から山科までを琵琶湖疏水沿いに歩きました。この時、最初の目的地は蹴上まで歩く予定でした。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/ba5d8f8395a58c9e0ecbc5b825ab13f8
あの時、カミさんが足が痛くなったので、途中で歩くのを断念して、山科で打切りとしました。歩いていない部分が残りました。今の時期なら桜が綺麗だろうと思い、出かけました。
18切符を使って桜の琵琶湖疏水沿いを歩く。Part 2です。

山科駅へ

岐阜駅のプラットホームです。7時45分発の米原行きの列車が入ってきました。
岐阜駅の次の駅である西岐阜駅で、下車する人が居て、二人は座る事が出来ました。ラッキーでした。

この列車、大垣駅には7時59分着ですが、着いて14分もの待ち時間が有りました。
次の8時9分着の列車を待っていて、8時13分発でした。
この列車は前の7時47分、大垣着の列車と、この列車の分。
そして後から来る8時9分着分。つまり3本分の乗客が1本の列車にまとめられます。
大垣駅で、増結して4両から6両となりましたが、18切符の時期は西に向かう人で混雑します。


米原駅。2番ホームに着きました。
3番ホームには姫路行きの快速が待っています。
米原ダッシュで、みんな走ります。
6両の列車から12両の列車となりますので、余裕が有りますが、座るために急いでしまいます。

山科駅に着きました。

山科駅の2番ホームに着きました。
ここから下の階へ降ります。



山科駅前はロータリーになっています。
中央のサークルの木は枝垂桜だと思います。
まだ、花は咲いていません。


毘沙門堂へ

山科駅から東に歩き、そして来たに向かいます。
前方はびわこ線と湖西線で、下を通り抜けます。





前方に見える橋は安朱橋です。
琵琶湖疏水に架かっている橋で、後でこの橋へ戻ってきます。




桜とアブラナの競演。
美しさを競っています。
橋の上からカメラマンが撮影しています。




私も同じ方向を撮りました。




この道の突き当りが毘沙門堂です。
両側に住宅が並んでいますが、高級住宅街と言う感じがします。




毘沙門堂に向かって歩きます。
途中の民家で黄色い花の咲く木が有りました。
ミモザの花だと思いましたが、確信は有りませんでした。
自宅に戻って調べたらやはりミモザでした。
このようなミモザを見たのは初めてです。



毘沙門堂の手前まで来ました。
道路の両側に数本、サクラが植っており、花が咲き始めています。





これから毘沙門堂の境内に入ります。




境内の石段。
石段を登って行きます。


毘沙門堂に着きました。

石段を登って行きます。
赤い大きな提灯が下がっています。
ここに、女性4人組が居ました。
カメラのシャッターを押してあげました。



女性4人組です。
感じとしては、物見遊山的な人達では無いように思いました。




本殿です。
ここから、階段を上り、入らせて貰いました。
先に女性二人が住職の説明を受けていまして、一緒に聞きました。
本殿の天井は護摩木を炊くので黒くなっていました。
更に、奥に進みましたが、この先は有料でした。





拝観料を払わずに入ってしまいました。
受付へ戻り、お金を払います。




戴いたパンフレットです。




説明しているご住職です。




霊殿です。
この霊殿の室内に襖絵で、九老之間襖絵が有り、逆遠近法だと説明してくれました。
四角い机が見る角度で変化しました。
龍の天井画の部屋も有りました。




寝殿Ⅰす。
観桜会が開かれるとき、三味線の奏者がズラーと並びます。




お庭です。
この庭には晩翠園と言う名が付いています。




本殿の裏側とお庭です。




入った本殿から外へ出ました。
外から本殿を見上げました。
朱が綺麗です。




咲き始めたソメイヨシノ。



こちらは寝殿の前のシダレザクラです。
まだ、咲き始めたばかりです。



別の角度から、寝殿の前のシダレザクラ。




こちらは寝殿Ⅱです。
入口になっています。



外に出て、廻ってきました。
石垣と塀。綺麗な姿を保っています。
石垣がしっかりしており、城か、砦のようなイメージがします。



勅使門です。




勅使門からシダレザクラを見上げました。




石段を降りていきます。




歩いて来た方向を振り返ると。
勅使門を振り返りました。
白い筒が並んでいます。夜にライトアップされます。




毘沙門堂の前の道を戻ってきました。
途中、気がついたのは瑞光院と言うお寺です。
赤穂浪士の遺髪が埋葬してあると有ります。
ゆっくり歩いたので、このようなお寺が有ることに気が着きました。


琵琶湖疏水

第二トンネルの上流に設置してあった扁額でたどる琵琶湖疏水の地図です。
下流部にあったのですが、トップに持ってきました。

琵琶湖疏水を歩きます。

前方に見えるのが安朱橋です。
さき程、毘沙門堂へ行く前にこの橋の上から写真を撮りました。




これからスタートします。
スタートする前に橋の上で二人で収まりました。
セルフタイマーで映しました。
もう少しでタクシーが入ってしまうところでした。
右の二人。サングラスをしています。中国人です。自撮棒でやっていました。




橋の上から。
これが下流の景色です。
ここから、歩きます。





歩き始めて、直ぐに。
ウェディング姿の中国人を見かけました。
記念写真を撮るのでしょう。
前回も同じように見かけました。





疎水の中を覗き込む男性。
疎水に何か居るのでしょうか。





谷川が疎水とクロスしています。
右が谷川の上流。左が下流です。




浮き輪が完備しています。
万が一の時のためでしょう。




下流に向かって歩きます。



下流に向かって歩きます。
サクラの枝。
まだ、満開にはなっていません。




歩いて来た方向を振り返ると。
ポツポツと咲き始めたサクラが見えます。
カーブが良い形をしています。




歩いて来た方向を振り返ると。
3人のオバアチャン。
こうして3人で出かける事が健康の秘訣かも知れません。



下流に向かって歩きます。
種類が違うのか、右側が日当たりが良いのか。
左側のサクラはポツポツ。右側は満開状態です。



歩いて来た方向を振り返ると。
太い幹のサクラです。
振り返った景色ですが、良い景色でした。




前を歩くカップル。
このカップルは先ほど、毘沙門堂で見かけた人達です。





下流に向かって歩きます。
この頭上のサクラは、他のサクラに比べると、開いているほうでした。



下流に向かって歩きます。
疎水の中。
鯉恋が泳いでいるのが見えました。




このサクラ。
変ったサクラです。
花が俯いています。
ソメイヨシノで無い事は確かです。




歩いて来た方向を振り返ると。
誰も居ない風景でした。



歩いて来た方向を振り返ると。
単独で歩く人。
二人で歩く人が居ました。




下にびわ湖線、湖西線が見えます。
線路が複々線である事が良く判ります。



歩いて来た方向を振り返ると。
二人が歩いていきます。




カーブする線路。
鉄道を撮影するのに最適地です。
待っていても、中々列車は来ませんでした。


前方からウオーキングのグループが歩いてきました。





下流に向かって歩きます。
歩いて来たグループとすれ違います。



歩いて来た方向を振り返ると。
誰も居ない風景でした。



前方に見えるのは第2トンネルです。
ここで、歩ける道は疎水から離れていきます。




下流に向かって歩きます。
前を歩くカミさん。



右は新山科浄水場取水池となっています。




疎水はここから第3トンネルに入ります。
疎水に沿って歩ける道は無くなりました。


国道1号線。

疎水沿いに歩ける道が無くなり、国道1号線に出てきました。




国道1号線の坂を歩きます。




道にスミレが咲いていました。
アスファルトの割れ目です。
恐らく外来種でしょう。




前方に見えるのは蹴上浄水場となっています。
琵琶湖疏水から水を取水して京都市民の水道水を作っているのでしょう。


再び、琵琶湖疏水。

第3トンネルから出てくるところです。
サクラの枝が邪魔して見えません。
右側は導水していくみたいです。
蹴上浄水場はここから取水しているのかも知れません。


インクライン。

インクライン。
台車に船が載っています。
この状態だと船に雨水が溜まってしまうのではと心配してしまいます。



台車に乗った船と説明板です。




インクライン。
花見の人気スボットとです。




インクライン。沢山の人が居ます。




歩いて来て、ここで小休止。
ランチタイムにしました。

水路閣へ。

太い鉄管が2本。
蹴挙げの発電所への導水路でしょう。




流れて来た水がここで、行き先が分かれます。




水路閣の方へ流れる水路です。




水路を歩きます。



歩いて来た方向を振り返ると。
サラサラと言う感じで流れています。

水路閣に来ました。

沢山の人が居ます。




立派なレンガ造りです。




このカップル。
シャッターを押すのを頼んできましたので、撮影してあげました。




水路閣の裏側に来ました。





水路閣の水路の高さが判ります。
棒を横たわせて居ますが、あそこが水路です。





南禅寺へ来ました。

何千時の方丈に来ました。




南禅寺の表に向かって歩きます。




裏側から眺めた三門です。


哲学の道へ。

哲学の道に向かって歩きます。
右は斜面の水路を水が流れていました。
この水も疎水の水です。




哲学の道を歩きます。

この橋の足元から水が流れ出していました。
疎水の水がトンネルから出たところです。
ここで、新島襄・八重の墓へ行ける看板が立っていました。
ダンゴを売っていて、聞いたら20分ほど歩くのだと言っていました。




哲学の道でスケッチ画を売っています。
この日とは何時も、ここで絵を売っています。




哲学の道を歩きます。


京都駅へ

哲学の道から離れ、バス停へ来ました。
東天王町のバス停です。
京都駅へ向かいます。
バス停で、来るバスが何処にいるか表示しています。たまに乗るバスですが、進んでいると思いました。




京都駅行きのバスが来ました。




京都駅へ着きました。
バスの乗車場
沢山の人が列に並んでいます。



16時31分初の長浜行きが入線してきました。

感想
カミさんと琵琶湖疏水を歩きました。
2014年04月08日に歩きましたが、途中で断念しました。今回、歩き残した分を歩き、気が済みました。再度、歩くのならサクラの時期が良いと思っていまして、サクラの時期を選んで歩きました。疎水沿いのサクラは、まだ5分と言ったところでした。それでも、平日で混雑していないコースを歩けたのは良かったです。

疎水沿いを歩きましたが、何人かのウォーカーとすれ違いました。歩くコースとして、人々に知られているのだと思います。
今回歩いたコースは「扁額でたどる琵琶湖疏水」の地図が設けて有りますように、ウオーキングをするのに最適なコースで、お勧めです。

歩いて見て、最後には水路閣まで連れて行く事が出来ました。水路閣はテレビドラマで登場する有名なところです。煉瓦の橋脚部分だけを見せるのでなく、上部の水路部分も見せれました。

















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歴史街道を歩く会 4月例会  熊川宿 明通寺 若狭一宮 そして丹後街道

2015-04-25 23:56:05 | ウオーキング

「歴史街道を歩く会」の4月例会に参加しました。4月例会は年度が替わり、福井県方面に出掛けると言うモノです。小浜市の鯖街道や丹後街道を歩きました。
バスで現地に向かい、線であったり点であったりしますが、美味しい所だけ食べると言った形です。最初に歩いたのは鯖街道の熊川宿です。そして明通寺。神宮寺から若狭彦神社、若狭姫神社へ。その後は小浜市役所の前から鯖街道の起点いづみ町を通り、三丁町を経由して小浜公園まで歩きました。

熊川宿 =====  明通寺  =====  神宮寺 ・・・・・  若狭彦神社 ・・・・・  若狭姫神社

  =====  小浜市役所 ・・・・・  いづみ町 ・・・・・  鯖街道資料館 ・・・・・   濱参道 

・・・・・  八幡神社前 ・・・・・  街並み保存資料館 ・・・・・  常高寺前 ・・・・・  蓬嶋楼  ・・・・・

庚申堂 ・・・・・  三丁町 ・・・・・  小浜公園

後半に歩いたコースは小浜西組と言う伝建群です。時間の制約が有り、常高寺へは寄ることが出来ませんでした。また、街並みと食の館は開館していませんでしたし、少し離れた場所の山川登美子記念館も訪ねることができませんでした。


何時もの日の丸の小型バス。
拾ってくれる場所にやって来ました。


熊川宿

熊川宿の掲示板の地図です。
右の下ノ町(シモンチョ)から中ノ町(ナカンチョ)、そして上ノ町(カミンチョ)へ歩きました。




西口公園駐車場へバスが停まりました。
ここから道の駅「若狭熊川宿」に向かって歩きます。




2年ほど前に熊川宿へ来た事が有ります。
その時は、今ほど綺麗に舗装がしてありませんでした。




店に入りました。
店主との会話。
その土地の人と触れ合えるのも、ウオーキングの楽しみです。




有名人が訪れています。
その時のサインでしょう。
店内に色紙が掲げて有ります。



松木神社です。
ブロンズ像は松木庄左衛門が重税の軽減を嘆願したときのものです。
横の説明板には、この行為に寄り磔の刑となったと書かれています。




宿場の中をゆっくりと歩きます。




いにしえのの様子を残す店。
何を販売しているのでしょうか、店内を覗き込んでいます。




熊川宿の説明板。
若狭街道は別名、鯖街道と呼ばれ若狭と京を結ぶ街道です。




道の脇に水路があり、綺麗な水が音を立てて流れています。




地元の人との触合い。
舗装がされた時は、もっと赤く、ケバケバしい色をしていたと話してくれました。
時間が経ち、落ち着いた色になってきました。




熊川番所の説明板。





役人が通行人を吟味したのでしょう。
番所と言っても、関所的な役割をしたのでしようか。




道の駅「若狭熊川宿」に着きました。
ここでバスが待機しています。
こう言うように、バスがゴールで待っているというのは助かります。


明通寺 

次に向かったのが明通寺です。




急な石段を登り、本堂に向かいます。




これから本堂に上がります。



三重の塔から見下ろした本道。
桧皮葺の工事が済み、綺麗な屋根となりました。
本堂内で住職から説明が有りましたが、屋根の葺き替えに2億円あまりの費用を要したとのことです。国費の補助が有ったが1割は自己負担をしなければならなかったと話していました。


 神宮寺

次に向かったのが神宮寺です。




ここ神宮寺でランチタイムを取り、寺の拝観は、自由拝観となりました。
自由拝観でしたが、時間の制約が有り、寺域には入りませんでした。




ここから若狭彦神社に向かいます。


若狭彦神社へ

若狭彦神社の前まで歩いてきました。




若狭彦神社に来ました。
無人で、管理が行き届いておらず、ご用の有る方は若狭姫神社へと書かれていました。



若狭姫神社へ

若狭姫神社へ向かいます。
道の横にトイレが設置して有ります。
綺麗なトイレでしたが、ウォーカー用に設けられたモノでしょうか。綺麗なトイレでした。
この近くで、若狭東高校の横を通過しました。
若狭東高校は福井県の中ではラグビーの強豪校です。歩いていて話題になりました。




若狭姫神社に到着しました。




本殿の横に千年杉が聳えています。


鯖街道起点へ

バスから小浜市役所の横で降り、歩き始めました。
この先が「いづみ町」で、鯖街道の起点です。
横の店では焼サバが店先で売られています。




路面に鯖街道の起点と表示して有ります。




こちらは別の魚屋。
アマダイが店先に並んでいます。100グラム350円の値が付いていますが、1匹にすると幾ら位の値段になるのでしょう。アマダイはグジと呼ばれる高級魚ですので高くても、しかたないでしょうか。



店先の横にサイン色紙が貼り出されています。
ここ小浜がNHKの朝の連ドラ、「ちりとてちん」の舞台となりました。
真ん中が貫地谷しほり。その上は和久井映見です。




整備された濱参道です。

小浜西組を歩く

小浜の街の西が西組です。




歩いていて、ガラスケースに入った箸が目に留まりました。
箸作りは小浜の重要な地場産業です。
誰かが言っていましたが、箸の製造で小浜が8割ほどを占めていると話していました。




これから丹後街道に沿って歩いていきます。
そのコースを確認しています。





八幡神社の参道です。
角に街道の指標が設けて有ります。




街並み保存資料館に寄りました。




こちらは常高寺。
石段の上にフェンスが設けて有りますが、そこは小浜線の線路でして先には進めません。
寺に向かうには左のトンネルを潜ります。



古い町並みの中を歩きます。




明治から昭和にかけて営まれていた蓬嶋楼(ホウトウロウ)。
中から三味線の音が聞こえた時代を想像します。




民家の横で咲いていたオダマキ。




庚申堂。
赤い身代わり申が吊るされています。




古い町並み。
家々の入口には身代わり申が吊るされています。




三丁町を歩いてきました。




ゴール。
小浜公園まで歩いてきました。




海辺。
この横は海水浴場となるところです。


行楽日和の好天に恵まれ小浜の街中を歩くことが出来ました。
小浜西組は古い町でレトロなテーマパーク的な雰囲気が残っています。伝建群に指定され、点々では有りますが、家屋が整備されつつあります。
時間的な制約が有り、今回は駆け足的に歩きました。訪ねる事ができませんでした場所を再度訪れたいと思いました。


おまけ

小浜港の突堤へ海釣りに出かけた事が有ります。その帰りに若狭小浜お魚センターに寄った事が有ります。
小浜漁港で水揚げされた魚が市場でせり売りされ、ここのお魚センターに並びます。お魚センターの横は市場で、その横が漁港です。遠洋の魚は別ですが、地魚は獲れたてのものが並びます。しかも、魚が安価です。好い魚は昼過ぎには売れてしまいます。
いづみ町の魚も好いですが、お魚センターに寄るのも好いでしょう。

コメント (2)
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中山道をゆく  ~木曽川空中散歩から  うとう峠を抜けて鵜沼宿へ

2015-04-12 23:47:11 | ウオーキング

ウオーキングのコミニティの4月例会に参加しました。
今回は、3月21日に名鉄電車で開催された「名鉄のハイキング」のコースを辿るものです。

集合場所は新鵜沼駅です。
メンバーは9人で、歩き始めました。
タイトルに木曽川空中散歩と有ります。
どんな、意味からこのタイトルが名付けられたのでしょう。


3月21日に名鉄のウオーキングで使用された地図です。
新鵜沼駅から北へ進んでから国道21号線の歩道を歩き、貞照寺に向かいました。坂祝町との境界あたりから中山道に入り、うとう峠を目指しました。もりの本屋さんの横の広場でランチタイム。その後は鵜沼宿を目指しました。鵜沼宿町屋館と脇本陣を見学しました。
名鉄の地図では、新鵜沼駅に戻る形になっていますが、脇本陣から鵜沼宿駅へ行き、そこから名電各務原駅まで乗車しました。そして恵みの湯で汗を流しました。



新鵜沼の駅から北に歩き、国道21号線の歩道を歩きます。
歩道を歩いていますが、車道を凄い速さで車が走り去ります。
騒音が喧しいと言った感じです。



途中、21号線から横の市道に入り、市道を歩いてきました。
貞照寺へ来ました。



貞照寺の山門から本堂が見えます。



本堂横の「やまもも」です。
満開の時期を迎えています。


こちらが本堂です。



これから本堂に入り、参拝します。



本堂の中には芸能人の名札が貼られています。
この寺に参拝した人たちの名札です。

まだ、新しいのは最近参拝した人なのでしよう。
テレビの取材で、ここへ訪れたのではないかと言う声が有りました。



本堂の奥に貞奴の霊廟が有ります。
その霊廟も訪ねました。



ひっそりとした川上貞奴の霊廟。
カメラに収めます。



貞照寺を去る時見送ってくれたお坊さん。
私たちが訪れた時からず~と庭掃除の作業を続けていました。
作業しながらも、手は休めません。
ようこそ、お参りくださったなどと、言葉を掛けてくれました。




川上別荘の塀から八重桜の姿が見えます。



こちらは御衣黄が咲いています。



右は木曽川。
日本ラインの横を歩きます。



岸から野鳥が見えます。
カモの仲間でしょうか。
もう、北国に帰る時を迎えています。


坂祝町との境界まで来ました。



境界近くから下の道に下ります。
中山道は、一旦下に降りて国道と高山線の下を横切ります。
大きな看板の下にプレートが着けてありますが、歩く人にとっては判り難いコースとなっています。



下に潜った中山道です。
このトンネルで国道21号線とJR高山線の下を横切ります。

ここの状態を知らない人は、この用に下を横切っている事が判り難いことでしょう。



トンネルを出て休憩します。
今まで、国道の歩道を歩いていましたが、国道から離れると、喧騒な音が止み、静かになりました。



休憩を済ませ、再び歩き始めました。



桜が落花を始め、花びらが道路に散らばっています。



中山道。
地道から石畳の道に変わりました。

林間を歩きますが、ウグイスの鳴声が聞こえます。


うとう峠が直ぐ近くです。



咲き始めたツツジル
とっても好い色をしています。



うとう峠に着きました。



うとう峠の説明板。
一里塚のあとだといいますが、一里塚の土が盛られた痕跡は残っていません。



日本ラインうぬまの森の標石。
市民の憩いの場となっています。



もりの本やさんの横の広場。
ここでランチタイムとします。



ランチタイムを終えて歩き出しました。
うぬまの森には色々なコースが有り、表示しています。




中山道を歩きます。
この先に町屋館と脇本陣があり、この先に有ると表示しています。



高札場。
元もとの高札場は赤坂神社近くに有りましたが、みんなが見る場所で、ここに復元しています。



鵜沼宿町屋館に来ました。



町屋館に入り、見学します。



町屋館の前。
中山道ですが、旧街道と言う雰囲気がします。



町屋館と脇本陣との間に本陣跡の説明板が設けて有ります。



芭蕉の句碑。
芭蕉は更科紀行でこの地を訪れています。その説明板を読みます。



脇本陣館内に入ります。



脇本陣の館内。





奥に有った殿様用の雪隠です。


脇本陣を見学した後、鵜沼宿駅に向かい、名電各務原駅で降りて恵みの湯へ行き、汗を流しました。
好天に恵まれたウオーキングでした。
中山道の雰囲気を残す道を歩く事が出来ました。

コメント (2)
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