5月12日に「各務原歩こう会」で山本山から賤ヶ岳へ縦走しました。
この5月例会の計画は3月に決まっていて私がリーダーを担当することに決まっていました。5月3日に浜松まつりへ行った際に、熱中症に罹ってしまいました。
咄嗟に浮かんだ事は12日の5月例会に行けるだろうかと言うことです。罹患してから日数が有って体調が回復し、行って来ることができました。
この縦走のコースは山の先輩。風花さんが歩いたコースです。
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風花さんは賤ヶ岳から山本山への縦走でしたが、私たちは逆バージョンで歩きました。
今回の参加者は20名でした。風花さんに言わせると「ジジババ登山隊」と言うことに成るのでしょうね。
このコースを縦走するのは初めてでしたが、06.05.06に朝日神社から山本山へのピストン。10.09.15にびわ湖一周ウォークで、湖北みずとりステーションから塩津浜まで歩き、西野水道の公園から山梨子までの山越えをしました。また、12.02.06にJR西日本のウオーキングでしたが余呉駅に集合してから、国民宿舎から余呉駅までのコースをスノーシューで歩きました。
全体を縦走したのは初めてでしたが、少々のアップダウンは有るものの、面白いコースでした。
先頭を歩いていて気が付きませんでしたが、ツクバネウツギが咲いていました。イワカガミは終わっていて緑の大きな葉が残っているだけでした。コースの所々にはコシアブラやタカノツメの葉が大きくなってしまっているのを見かけました。もう少し早い時期なら摘みながら歩くことも出来ます。
歩き易いコースですので、冬季にはスノーシューで縦走してみるのも面白いでしょう。そんなことを考えるとこのコースは1年中楽しめるコースです。
縦走しなくても、余呉駅から余呉湖の湖岸を歩き、旧国民宿舎横から賤ヶ岳へ登って、江土登り口に降りてきて駅に戻るとか、
朝日山神社の横から山本山に登り宇賀神社へ降りてきて朝日山神社に戻るコースも取れます。
色々のコースを計画してみるのも面白いでしょう。
朝日山登山口(8:31) ― 山本山(9:01~9:10) ― 熊野越(9:49) ―
西野水道この下標識(10:11) ― 木戸峠(10:22) ― 磯野山(11:00~11:05)
― P360.4(西山)(11:35~12:00) ― 山梨子峠(12:13) ― リフト終点(12:33) ―
賤ヶ岳山頂(12:40~13:00) ― 中川清秀墓(13:48~13:57) ― 江土登り口(14:25) ―
余呉駅駐車場(14:32)
朝日山登山口にコースの案内看板が設置してあり、これから歩く道程を説明しています。
看板の上にはお手洗いのプレートが取り付けて有りますが、古いレポートの写真には載っていません。
地元の人の配慮で設けられたものでしょう。
朝日山神社のトイレを借りたわけですが、これから山に登ると言う時にトイレを利用させて貰えるのはありがたいことです。
左側は朝日小学校の校舎です。
3階建ての建物で、階段を登り始めると朝の授業の始まるところが窓越しに見えました。
山本山への登り坂。
快適に登るという訳には行きませんが、キツクてキツクと言う登りでは有りません。
二の丸広場に着きました。
ここで小休止です。
ここの山頂でも登山団体の山名プレートがくくり付けてありました。
自己満足を満たすプレートの貼り付けは謹んで貰いたいものです。
それに、プレートを下げるにしても、団体名は表現して欲しくありません。
二の丸広場からは竹生島が見えます。
木戸峠で休憩です。
Kオジサン、説明をしています。
磯野山で休憩です。
これから進む道を地図で確認しました。
三角点の西野まで来ました。
ここへ来る前に雨がパラつき、とても風が強かったのです。
このまま、最終目的地の余呉駅まで行けるか不安にかられました。
三角点西山です。標高はP360.4m。
この場所でお昼の休憩を取りました。
昼食を終え、再び歩き始めましたが、高低差が無く歩き易い道です。
両側は杉林が茂っており琵琶湖の姿は見えません。
賤ヶ岳隧道の上まで来ると、これから向かう賤ヶ岳山頂展望台が見えました。
リフトの終点も確認できます。
あそこまで、最後の登りです。
賤ヶ岳隧道の上を通過します。
下には国道8号線が見下ろせます。
西側には琵琶湖が見えます。
今は藤ヶ崎トンネルが出来て、県道となった湖岸の旧国道が確認できます。
山梨子峠では樹間から琵琶湖が見えます。
この場所は、琵琶湖ウオーキングの時に休憩した場所です。
その時は、ここから山梨子へ下っていきました。
樹間から竹生島が望めます。
風がとても強く、湖面を風が渡ると漣が起き、水の色が変わります。
上りが続きます。
もうすぐにリフト駅で、その後は賤ヶ岳に着きます。
最後の頑張りの時です。
リフトの終点に到着です。
到着する時にリフトが動いていたのですが、到着した途端リフトがストップしたのです。
搭乗者があると動かし、上に揚げてしまったらストップさせているのでしょうか。
賤ヶ岳山頂に着きました。
標柱を中心に撮影しましたが、右側に欠けて双眼鏡が写っています。
無料の双眼鏡が設置してありました。
いたづら心から双眼鏡を覗き、カメラを接写してみました。
写るか否かと思いましたが、撮影してみたら湖面の波が見え、波の先が白くなって居ます。
こちらは山頂の広場。
地図が設置してあり、余呉湖の地図で説明しています。
山頂は山頂園地と言った感じで展望台が有りますし、トイレも完備していました。
山本山や旧国民宿舎から上がって来て、トイレの方向が表示して有ればと思いました。
ここでは、暫く休憩し余呉駅まで歩きました。
兎に角、風が強かったです。
余呉湖が抜群の眺望で見えます。
この余呉湖には羽衣伝説があります。
展望台からは歩いて来たコースの山々が見えます。
中央の奥の山が山本山です。
あの遠くの山を眺めると、良く歩いて来たなと言う気持ちになります。
左に眼を転ずると湖北の平野が広がります。
賤ヶ岳山頂から余呉駅に向かって歩きます。
賤ヶ岳山頂で国民宿舎跡に下山するか否か考えましたが、天候は不安がないと思われましたので、予定通りのコースを辿ることにしました。
もし、天候が崩れたりした時、バスは近くに呼び寄せれますので、助かります。
左側は鹿避けのテープが巻いてありますが、右側は巻いてありません。歩道を境に所有者が異なるからでしょう。
シーンと静まり返ったコースです。
考えすぎかもしれませんが、古戦場となったコースです。
明るい時なら言いのですが、薄暗くなってくると・・・・・。
古戦場の山。
戦が始まり、ほら貝の音。「ワー」と言う喚声。
そして鉄砲の音。
鍔迫り合い。刀のしのぎを削る音。
硝煙の匂い。血の匂い。
破れた幟旗と累々と横たわる遺体。そんな戦場(イクサバ)の様子が想像できます。
中川清秀の墓の入口に設置されていた標識です。
左は遊歩百戦の柱。右は余呉湖賤ヶ岳山本山歩道の標識です。
同じ場所に設置されていながら表示距離が異なります。
起点が異なるのか、数字が異なるのはどうなっているのだろう。
中川清秀の墓で休憩です。
江土登り口に下山して来ました。
登山口はここの右側でしたが、車を洗っている民家の軒先に下りて来てしまいました。
それで、洗車していた若い人に謝罪です。
マイクロバスが余呉駅の駐車場で待っていてくれました。
この駐車場は余呉駅を利用する観光客用と看板があり、無料で使えました。
駅からは少し離れていましたが、このような駐車場を設けてもらえているのはありがたいことです。
左は近江湖の辺の道の案内表示
左は余呉湖賤ヶ岳山本山歩道の案内表示です。
1本の道が重複指定されています。
道の標識も近江湖の辺の道の物と余呉湖賤ヶ岳山本山歩道。遊歩百選、それに南の方では高槻町観光協会の標柱まで設置されて居ます。
指示標式の設置はありがたいですが、目的地までの数字が滅茶苦茶で信用できない数字です。
統一して設置して貰いたいですし、緊急の場合に連絡が取れるよう、ポストに番号を付して貰いたいです。
指示標識ですが、左から右にかけて。賤ヶ岳から余呉駅にかけてのものです。
賤ヶ岳から余呉駅の間の距離は変わらないはずですが、設置場所によって異なるのは信用できません。
こちらは磯野山の標識。
すぐ隣に有りながら山本山までの距離が異なります。
歩道を歩いていると古保利古墳群と言う事で何枚も説明看板が設置してあります。
看板の横で、明らかに古墳だと想像させる場所も有ります。
古墳ですから羨道や石室はどうなっているのでしょうね。
こちらは古保利古墳群の説明看板です。
最後に
朝日山神社から余呉駅まで、とても風が強かったのですが、13キロ余りを踏破することが出来ました。
特に気をもんだのは天気の影響で何処まで歩くかと言う事です。
三角点西山のポイントで昼食の休憩を取りましたが、その前には雨がパラ付いていましたので、最終目的地の余呉駅まで行くか旧国民宿舎余呉荘へ下山するか判断させられました。
バスが余呉駅に待機していましたので、余呉荘に呼び寄せてショートカットすることがができましたのですが、結果的には昼食の後の天候は崩れなくて、予定通り余呉駅まで行きました。
下山してきてバスが待っている駐車場まで来るとヤレヤレと言う気が沸いて来ました。
新緑の北近江路を歩きました。強風には閉口しましたが、計画通り全員が無事に歩き通しました。