「各務原歩こう会」の12月例会で岐阜市の金華山に登りました。
現地集合で岐阜護国神社北側の河川敷駐車場に集合です。今回のリーダーはAさんが勤めていました。
河川敷の駐車場を出発して、瞑想の小径登山口から入り、馬の背登山道を登りました。お城の前を通過して瞑想の小径下山口から下り、鼻高コースを下山します。分岐から大参道コースを辿り妙見峠から東坂コースを登り返します。ロープウェイ山頂駅辺りでランチとしました。その後は百曲がりコースで下山して駐車場に戻りました。
登って下って、また登り、そして下山する。二山分登りました。
河川敷駐車場(7:50) ― めい想の小径登山口(8:05) ― 馬の背分岐(8:14) ―
馬の背下山口(9:05) ― 三角点(9:09) ― 岐阜城前(9:15~9:22) ―
めい想の小径下山口(9:24) ― めい想・鼻高分岐(9:36) ―
鼻高・大参道分岐(10:12~10:14) ― 大参道・達目分岐(10:42) ―
妙見峠(10:52~10:56) ― 東坂下山口(11:35) ― 東屋(11:37~12:10) ―
百曲がり下山口(12:12) ― 百曲がり登山口(13:02) ― 河川敷駐車場(13:28)
今回のコース地図です。
長良川の河川敷の駐車場をスタートしました。
木の枝が紅葉していますが、最後の紅葉です。
この階段がめい想の小径の登山口です。
ここからが本格的な登山となります。
めい想の小径と馬の背登山道の分岐です。
ここで、小休止の後、歩き出しました。
馬の背登山道の一番急峻な辺りです。
馬の背登山道の下山口が近づいてきました。
もう、一息です。
馬の背の下山口で小休止の後、三角点に向かいます。
三角点は旧測候所の裏手にあります。
この場所は、判り難い場所であり、みんなに教えていました。
岐阜城が真近に見えます。
何時も金華山へ登りに来ている人なのでしょう。
ヤマガラにピーナツを与えています。
ヤマガラをアップで。
岐阜城の前を通過し、鼻高コースに向かいます。
金華山の御嶽神社を過ぎると建物があり、その場所は展望の良い岩場の場所となっています。
眼下に長良川。
対岸に百々峰。その奥には冠雪した奥美濃の山々が見えます。
雲に包まれた御嶽山です。
山頂から下ってきて、眺望の良い場所。
振り返ると・・・・。
ここまで下山して来ました。
岐阜城ガ小さく見えます。
分岐を過ぎて妙見峠を目指します。
このコースは歩き易い道です。
妙見峠はもうすぐです。
少し、登り返しが有ります。
妙見峠での小休止。
この赤い服のオバアチャンは金華山の名物的な人のようです。
山の中を大きな声を発しながら歩いていました。
上の赤い服を脱ぐと下は赤いトレーナーで日本100名山の名が付いていました。100名山に行って来たのでしょう。元気な張りきりお婆ちゃんです。
岩が露出した東坂コースを登ります。
右上に小さく岐阜城が見えます。
岐阜城南側の断崖です。
上の画像を切り取ってみました。
真ん中の白い点がハヤブサです。
山頂に到達して、ランチタイムとなりました。
南側の眺望が開けています。
濃尾平野が一望できます。
地平線で、横に白い線が入っていますが、伊勢湾の海面です。
右はロープウェイの参条木です。
ここからが百曲がりコースの下山口となります。
金華山の植物を説明するHさんです。
Hさんの指差す方角。
画像では、判り難いのですが、赤いタマミズキが確認できます。
タマミズキのタマは美しいとか綺麗と言う意味で、タマミズキはモチノキの仲間なのだが、ミズキと名が付いていると話しました。
金華山は春のツブラジイ。初冬の頃のタマミズキが良いと言っていました。
緩やかな登山道を下ります。
百曲がり登山道の登山口へ下山して来て、岐阜公園の中を歩きます。
こちらの葉も紅葉していますが、最後の紅葉です。
お疲れ様でした。
河川敷の駐車場に戻ってきました。
今回は、地元の金華山に登りました。
登って下ってまた登るの山歩きでした。
改めて思ったのは、まだまだ、金華山に自然が残っているということです。山頂でヤマゲラを見かけましたし、岐阜城の南の断崖にはハヤブサが確認できました。
それに、今回は眺望が良かって、遠くの伊勢湾が見えました。そして、赤いタマミズキ。金華山にはまだ、自然が一杯と、言ったところです。
今回、先頭でリーダーを勤めたAさん。お疲れ様でした。
クラブツーリズムが主催する北・山の辺の道ハイキングに参加しました。13.03.29に南のコースを歩きましたので、次は北のコースを歩いて見たいと思っていましたところ、クラブツーリズムの冊子に開催するとあり、早速応募しました。
JR帯解駅(11:17) ― 円照寺(11:47~11:56) ― 弘仁寺(12:56~13:40) ―
白川ダム(14:04) ― 名阪国道下(14:27) ― 石上大塚古墳(14:41) ―
豊日神社(15:15~15:18) ― 石上神宮(15:39~15:50) ― 天理教本部前(16:11)
― 近鉄天理駅(16:38)
近鉄名古屋駅に集合です。団体として、纏まって改札を通過しました。プラットホームで待つこと、しばらくして電車が入線です。
専用列車「かげろひ」で天理へ向かい、近鉄天理駅からJR天理駅でへ乗り換えです。JR桜井線には10分程乗車し、JR帯解駅前からウオーキングがスタートしました。
今回の参加者は45名でして、帯解駅をスタートする前に3班に班分けをして、ボランティアガイドが1人づつ付いてくれました。
主催者から渡された地図です。
帯解駅から東に進み、山の辺の道を北から南に歩きましたので、向きを立てにしました。
この地図は歩いたコースは判りますが、近鉄で無料で貰える地図の方が判り易いです。
http://www.kintetsu.co.jp/zigyou/teku2/pdf/nara08.pdf
近鉄名古屋駅です。
朝7時が集合時間でした。
添乗員が参加者を点呼しています。
「かげろひ」が近鉄名古屋駅の2番ホームに入線してきました。団体専用列車です。
列車に乗りました。
今回の参加者は45名です。座席に余裕があり、1人で2人分の座席を占めて座って行く事が出来ました。
近鉄天理駅に到着しました。
途中。桑名駅、四日市駅、津駅で乗客を拾って行きました。その他にも名張駅では運転手や車掌の交代が有りましたし、何回も特急に追い越されました。特急に追い越される運転停車は仕方が無いですが、車掌からのアナウンスが有りませんでした。
名古屋駅発が7時22分で天理駅着が10時39分です。3時間余まりの時間を要しました。
近鉄天理駅に着いたかげろひ。
乗客が降りてきます。
この後、JR桜井線の天理駅に向かいました。
天理駅はJR桜井線が南北に走り、近鉄天理線が接していて、Tの字をしています。
この駅で、近鉄線からJR線に乗り換えです。
近鉄線からJR線に乗り換えました。
2両編成の奈良行き電車が入線してきました。
帯解駅に到着です。
電車はワンマンの運行で、最前部のドアしか開きません。車体に菊などが描かれて居ますが、他線区で使われていたのか、古そうな車両です。
跨線橋を渡り駅舎の出口に向かいます。
帯解駅の前です。
ここからウオーキングのスタートですが、3人のボランティアガイドが付いてくれます。
参加者が45名でして、3つの班に分けられました。
帯解駅前で3人のボランティアガイドと対面しました。最初に顔を合わせたわけでありますので、3人のボランティアとツアー客との対面式のようなものを持ち、ボランティアの1人が2人を紹介するなどの事が在ると良いのではと思いました。3人の中にリーダーが存在しないように感じました。
ボランティアガイドが先頭で帯解駅をスタートです。
横に広がってのウオーキング。
車が通るところでしたので、交通に注意して歩かなければなりません。
ガイドから車に注意して歩くようにと言う言葉が無く、気に掛かりました。
円照寺を目指して歩きます。
北の方角で、刈り取られた田の向こうに若草山が見えます。
奈良公園はすぐ近くです。
班毎に歩道を歩いて行きます。
2月14日に開催される奈良マラソンの幟旗が何本も立てて有ります。
円照寺の入口です。
ここから、先の円照寺に向かいます。
円照寺へ来ました。
みんな、寺に向かってカメラを向けます。
この円照寺は一般公開をしていません。
別名、山村御殿と呼ばれるお寺で格式の高い門跡寺院です。
円照寺から竜王池に向かいます。
一面の落葉のジュウタンです。
歩く度にカサカサと音がします。
竜王池へ出てきました。
農業用の溜池なのでしょう。
池の真ん中に島が有ります。
45人の参加者で3班に分けて歩き出しましたが、円照寺を訪ねた後、私たちの2班は竜王池に向かいました。ガイドは、3班が続いて来ないと携帯を掛けたりして歌碑の前で待ちました。3班は始めに歩いた参道を再び戻りました。その結果、2班は遅れてしまったのです。班別に分けたのであり、他班の行動を気にする必要が無かったのです。このようなことも、事前に打ち合わせがしてないと感じました。
歩いていて、何箇所も万葉集の歌碑が設置して有ります。
揮毫した人によって、書体が異なりますが、もつと読み易い字で書いてもらえたらと思います。簡単に読めるような字ですと、有り難味が無くなるのでしょうか。
弘仁寺に着きました。
この先に寺の門が有ります。
モミジが色づいてきていますが、もう、終りと言った感じがします。。
弘仁寺の本堂です。
ここでは、本堂に入らせていただき、秘仏にお目にかかりました。
この先の白川ダムで昼食の予定でしたが、時間が遅くなっていましたので、弘仁寺で昼食となりました。
目張り寿司のようなお弁当です。でも、寿司でなく混ぜご飯を高菜で巻いたようなものでした。
大和路と書かれた箸の袋が付いていますが、弁当を製造した業者名は明示して有りませんでした。
弘仁寺を後にします。
モミジの葉が落ち、最後の紅葉と言った感じです。
白川ダムまで歩いて来ました。
大きな白川ダムです。ダム提を築いて溜池にしています。
石上大塚古墳の下まで来ました。
ガイドがここで説明してくれます。
私たちの班の案内人は、隣りの人に話し掛けるような喋り方で後方には声が聞こえてきませんでした。ハンドマイクを使うとかの方法が望ましいと思います。
他のツアーで「まほろばの道」案内している人は頭に掛けたマイクでハンドフリーで話しているのを見かけました。
ガイドの知り合いなのでしょうか。
ミカンを育成している人で、私たちに差し入れしてくれました。
細い地道を一列になって歩きます。
一列で歩きます。
前方は別の団体で、リーダーの持っていた資料には「まほろばの道」と表示していました。
後ほど、参加者と言葉を交わしましたが、大阪からでコスモとか言う会社だといっていました。
奈良市と天理市のでは、案内表示の仕方が異なります。
天理市に入るとこのようなタイプの説明板に変りました。
豊日神社を過ぎて。
冬の日差しが傾き、影が長くなっています。
沿線のモミジ。
色づいていますが、今シーズン、最後のモミジです。
もうすぐ、石上神宮です。
石上神宮ではガイドが説明してくれました。
寺や神社で見物した後、ガイドは集合させて指差しで1.2.3.と人数をチェックしていました。ツアーの終わり頃には添乗員が二列縦隊に並ばせて数えていました。
これなども、ガイドを引き受けた立場なら、ガイドがチェックすべきことです。
石上神宮を去ります。
綺麗な景色ですが、車が邪魔しています。
天理教本部前まで来ました。
天理教本部前で一旦、解散し自由に天理駅を目指します。
ここからはアーケード街を歩きます。
北山の辺の道に有った道標です。何箇所か設置してあり、道に迷うことは有りません。
多くの標識が有りますが、標識のすぐ近くに自動販売機が有り、景観を損ねています。
最期に
13.03.29に山の辺の道を歩きました。http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/6ac1fbfe32533f4fcbf22a3e52f95711
次は北・山の辺の道を歩いてみたいと思っていました。旅行パンフで募集が有り、渡りに船の感じで申し込みました。前回はフリーハイキングでしたが、今回は3人のボランティアガイドによるハイキングでした。
参加者は45人で、最初に帯解駅で3班に分け、その時にガイドより早く歩かないでと、言われていたにも関わらずガイドを追い越して前の班に付いて来てしまった人が居ました。「初めにガイドより早く歩かないでと言われていたでしょう」と。言葉を掛けると「ガイドが遅すぎて」と言っていました。ルールが守れない。歩く方にも問題が在るのです。
どうしても、前回歩いた時のイメージが有り、前の時と比較してしまいます。
北・山の辺の道には円照寺、弘仁寺、石上神宮などの社寺が有るだけで、南コースに比較すると、見所が少ないです。南コースには無人販売でハッサクやお花、漬物などが売られていましたし、可愛らしい猫の陶器を売る店が有りましたが、北コースには無人販売所を目にしませんでしたし、民芸品的なものを売る店は無かったのです。
帰りの電車で、今回、参加した人と一緒になりました。同じ市に住んでいる人でした。その人は先々週に南コースを歩いたのだそうです。参加者は90名で電車は満席になったと話していました。90名を5班に分れて歩いた言っていましたが、ガイドが引率するのだと、無人販売や店に寄ったりできなかったのではと思ってしまいました。
北・山の辺の道を歩いてみて、イメージ的に、期待した程ではなかったという印象がします。南の山の辺の道が好印象だったので、ガイドの対応の拙さもあり、余計にそう感じさせるのかも知れません。
今回、歩いたコースは北・山の辺の道の南半分です。まだ、帯解駅から奈良駅までのコースが残っています。http://www.kintetsu.co.jp/zigyou/teku2/pdf/nara07.pdf
機会があれば、残りのコースを歩いてみたいと思います。
一宮友歩会は愛知県一宮市を中心としたウオーキング同好会で、犬山、江南、稲沢、名古屋などと尾張地区地区全般に会員がいます。主に愛知・岐阜県を偶数月に歩いていまして、8月は暑い時期なので7月開催しています。回を重ね、53回目の開催となりました。
12月例会は名鉄大同町駅から南区内の大江川緑地を東へ進み、くつ塚を訪ねます。元成尾町や本星崎町の古い街を通り笠寺公園を目指し、笠寺観音を経由して本笠寺駅へゴールしました。
今回、伊勢湾台風の記憶を呼び起こす記念モニュメントや伊勢湾台風の殉難碑を訪ねたり、かつては川であった大江川緑地を歩きました。また、南区はかつては海で有った処が干拓され、新田となった箇所も多い地域です。
このウオーキングは、単に歩くだけでなく、現地で歴史や文化が学べる面白さが有ります。見所の多い南区を歩きました。
大同町駅(9:20)スタート ― 宝生公園(9:40~9:43) ― 大江川緑地(9:52) ―
くつ塚(10:10~10:16) ― 大江川緑地(10:22) ― 呼続神社(11:08) ―
永井荷風追慕碑(西来寺)(11:27~11:58) ― 蒼龍寺(12:07~12:11) ―
星崎城址(12:30~12:37) ― 本城公園(12:40~12:47) ― 粕畑貝塚跡(12:55)
笠寺一里塚(13:03) ― 笠寺公園(13:08) ― 見晴台考古資料館(13:15~13:20) ―
笠寺観音(13:38~13:43) ― 本笠寺駅(13:48)ゴール
名鉄大同町駅を出発しました。
伊勢湾台風の記憶
東海地方に住む人で、60歳以上のヒトならば、大抵の人は伊勢湾台風の記憶を持っています。今回、歩いた南区は伊勢湾台風が襲来し被害が大きかった地域です。今回のウオーキングでは愛と力の筏像とくつ塚を訪ねました。
愛と力の筏像。
名鉄大同駅の東側に大同高校があり、この像は高校の南側に有ります。
竿の先が、当時水に浸かった水位を表しています。台風の後、2000人もの被災者が大同高校に押し寄せたと言います。高校生たちが、救援物資の移送や負傷者の救助に手作りの筏で行動したという像です。
南区の浜田南公園です。
この場所に多くの靴が流れ着き、この場所に慰霊碑が設けられています。
慰霊碑の有る浜田南公園に来ました。
北側には新しくマンションが建ちました。
伊勢湾台風殉難者慰霊碑。
会長から頼まれて、当時の事を語るSさんです。
あの台風が来た時は高校2年生だったそうです。襲来時水が襲い、天井の高さまで浸水したのだそうです。浸水して来た時、当時の家屋は基礎に固定して有るのでなかって、家が浮き出したと話しておられました。
台風通過後、土壁の土が落ちてしまい、竹が見える状態になったとか。
そこにベニヤを貼ったが、冬は寒くて仕方なかったと語りました。
お昼。西来寺で他の方に話しているのが耳に入りました。
台風の後、南区役所の前に遺体がずら~と並んでいたのだそうです。
棺桶が足らなくて・・・・・と聞こえました。
最高浸水位。
男性の身長と比べてみますと、どれ程、深かったのか判ります。
伊勢湾台風の説明盤。
昭和34年9月26日。
ダレもが覚えている期日です。
あの日は土曜日で、翌日、台風が通過した後は、凄い晴れの日でした。
東海道線に西側はほとんどが水没しました。とうじ、守山区緑区はまだ、名古屋市に編入していない頃です。市内の半分近くが水没しました。
大江川緑地
今回、歩いたコース地図です。
こちらは明治24年の地図です。
東海道線が全通したのが明治22年でした。用地買収も、し易いように民家を避けて敷設しています。多くの場所で干拓が行われ、新田が誕生しています。白地のところは塩田だそうでして、ここで生産された塩が信州などに送られました。その道に塩付街道と、名が残っています。
大江緑地を進みます。
左側のコンクリートが川の堤防だったと想像できます。
昭和50年代に緑地の工事が始まったそうです。
今では、木が太くなっていますが、このようなコンクリート堤防がなかったら、かつて、ここは川であったと想像できません。
木の葉が紅葉しています。
最後の紅葉の時期です。
大江緑地を歩きます。
イチョウの葉が落ち、黄色いジュウタンとなっています。
歩く人。走る人。
市民の憩いの場所となっています。
Yさんの解説です。
この大江川の近くに大同特殊鋼と言う会社があります。大正の頃福沢桃介は基礎川にダムを設けて発電に努めたのですが、なかなか、電気が売れない時期だったそうです。余った電気を活用する方策として、電気炉を始めたのだそうです。
また、この大江川辺りは県営の工業用水が豊富にあり、三井東圧化学などの工場が有りました。川の周りに工場が多く、ヘドロを垂れ流していました。そんな状況から進み、大江川を埋め立てて緑地化したのだそうです。その時、緑地化に周りの企業に金を出させたそうです。
歳月が流れ、木が大きく成長しています。
永井荷風追慕碑 西来寺
西来寺です。
寺の境内に永井荷風追慕碑が設けてありました。
時々雪が舞い、雨も振ったりと言う空模様となりました。
予定ではこの先の本城公園で昼食でしたが、急遽、お寺にお願いして軒先をお借りしました。
星崎城址
星崎城址の石碑と説明看板。
星崎小学校の校内にあり、中には入れませんでした。
星崎城の規模は大きく、名鉄が城跡を横切る形となりました。
Mさんが星崎城跡の時代背景を解説しています。
笠寺一里塚
左側の道路は東海道です。
前方の小山が笠寺の一里塚です。
榎の大木が枝を広げています。
笠寺公園
笠寺公園に来ました。
ここでも木の紅葉。
住居跡へ入ります。
住居跡の入口と内部で再現されていた当時の生活の模様です。
マネキン人形が生活状況を表しています。
見晴台考古資料館の入口と内部です。
笠寺観音
笠寺観音に来ました。
宮本武蔵の石碑が設けてあります。
笠寺観音の建物です。
笠寺観音で人質になっていた家康が交換されたと記して有る石碑が有りました。
ゴール。
本笠寺駅に着きました。
お疲れ様でした。