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kオジサンの中山道旅日記 その12 JR十二兼駅からJR上松駅 まで

2018-06-24 23:19:10 | Kオジサンの中山道旅日記 

6月24日(日) 曇のち晴 JR十二兼駅からJR上松駅まで

第12回です。第11回の続きで前回、終了したJR十二兼駅から街道歩きを再開して上松宿を目指しました。
中山道と中央本線が平行しており、何度か踏切を渡りました。それに中央線のガード下を潜るのも数回。これは元々中山道が有って、明治の時期に鉄道が敷設されたので、踏切りやガードで交差した結果なのでしょう。それに、元々中山道だった箇所が国道19号線で拡幅されたところも有りました。
中山道と国道19号線が並行しており、着いたり離れたりしました。そんな国道の横の歩道を延々と歩きました。

JR十二兼駅 ― 十二兼北信号  ― 十二兼  ― 第13中山道踏切  ― 
中央線ガード下 ― 下在郷一里塚跡 ― 野尻宿西口 ― 野尻宿本陣跡 ― 
第12中山道踏切 ― 第11中山道踏切
 ― 道の駅大桑 ― 第10中山道踏切 ― 
JR大桑駅 ― 伊那川橋 ― 大桑村橋場地区 ― 
第9中山道踏切 ― 須原宿門前下
 ― 定勝寺  ― 須原宿本陣跡 ― JR須原駅 ― 
須原宿一里塚跡  ― 
糸瀬山登山口  ― 大桑村上松町境界  ― 倉本一里塚跡  ― 
空木岳案内板 ― 
中央線ガード下 ― 草道の坂 ― 庚申塔 ― JR倉本駅 ― 
上松町荻原地区  ― 
荻原一里塚 ― 小野の滝 ― 中央線ガード下 ― 木曽寮 ― 滑川橋

 ― 石畳の道 ― 桂の大木 ― 越前屋 ― 中沢橋 ― 寺坂 ― JR上松駅

JR中津川駅

(07:36)
乗ってきた中津川行きの列車が7時35分着でした。
ここで乗り換え、松本行きに乗車します。
乗客が少なく、車内はガラガラでした。




列車の車窓から。
もう直ぐ十二兼駅です。
木曽川と国道19号線が並行しています。
この箇所。前回に歩いたコースです。



JR十二兼駅

(08:19)
JR十二兼駅に着きました。




JR十二兼駅で私以外にこちらのご夫婦が下車しました。
お二人。車内で私の横に座っていた方です。
リュックを背負っています。
街道歩きですかと聞くと、そうだと言っていました。
こちらのご夫婦。南木曽駅から乗車してきました。
上松方面に歩くと話していました。
この中山道歩き。何日目と聞いたのですが、判らないと言っていました。
何日目か判からないくらい、街道歩きを続けているのでしょう。
どちらからと聞くと、大阪からと言っていました。
ザ゛ックが小さいです。
想像ですが、車で来て歩き、列車で車に戻るの繰返しではないでしょうか。
そして車中泊かも知れません。

十二兼北信号

(08:24)
国道19号線の十二兼北信号です。
あの横断歩道を渡り、坂道に向かいます。





十二兼の集落に入ってきました。





(08:34)
中山道が中央線と並行しています。



第13中山道踏切

中山道と中央線が所々で交差しています。
ここは第13踏切ですが、この前には第14踏切が有りました。
これまでに気付きませんでしたが、何番の踏切りまであったのだろう






(08:58)
中央線のガードをくぐったところで前方から男性が歩いて来ました。
Mさんは中津川にお住まいだそうでした。
今日は野尻駅から歩いて来たと言っていました。
藤村の夜明け前の書き出しの一節。「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで知られている。多くの人は馬籠と妻籠の間がこの舞台だと思っているようだが、こちら、野尻から南木曽に掛けての方が本来の舞台のようだとのことでした。
その景色を見てみたい。
この辺りを3回歩いたと話していました。



下在郷一里塚跡

下在郷一里塚跡に来ました。



野尻宿西口

(09:08)
右側の家屋は野尻宿の西のはずれの場所だそうです。
それで、屋号が「はずれ」と言うと説明板に書いて有りました。





野尻宿の中を歩きます。





(09:15)
野尻宿脇本陣の石柱が立っています。



野尻宿本陣跡

こちらは本陣跡です。
後ろの石碑は明治天皇御小休所となっています。
明治の頃は本陣だった建物が残り、明治天皇が休んだのでしょう。






(09:19)
野尻宿の宿場内です。






(09:21)
野尻宿の石碑の周りを草刈りする男性。
ここまで歩いて来て、どちらに進めば良いのか刈らなくなりました。
道がアルファベットの 逆のようになっていました。
どちらに向かえば良いかわからず声を掛けると進む方向を教えてくれました。





中央線の横を歩きます。
前方にギザギザの形をした山が見えます。



第11中山道踏切

(09:31)
上りの「しなの」が通過しました。
第11中山道踏切を渡ります。
反対側から男性が歩いてきます。
静岡から来た男性で前日は木曽福島から須原まで歩き、今日は須原から南木曽まで歩くと言っていました。
時々、1泊で歩いたりしていると話していました。





ガードレール横のホタルブクロ。
今が最盛期なのでしょう。
アチコチで見かけました。






(09:39)
中山道が国道19号線と一緒になりました。
歩道を歩きます。
右側に「道の駅 大桑」が見えます。






歩道の下を中津川行きの普通列車が行きました。






(09:53)
先ほど見えたギザギザの形の山が近くなりました。
中央アルプスの方角で木曽駒か宝剣岳ではと思います。



第10中山道踏切

(09:55)
第10中山道踏切の上から大桑駅が見えます。
この辺りの中央線は単線ですが、駅で、複線になっています。





(10:12)
須原宿への石碑。





(10:36)
須原宿へ来ました。
大きな木をくりぬいた水舟。
須原宿は水舟の里をキャッチフレーズにしています。

この水舟は定勝寺の下にあるものでした。
須原宿の枡形で、本来の中山道はここへ寄っていませんでした。
気が付かずに来てしまいました。





水舟の里の地図です。
須原宿には水舟が随所に有りました。







定勝寺

定勝寺 の石段です。
定勝寺 は木曽三大寺の中でも最古刹の寺です。




常夜灯と呼んでよいのだろうか。
こんなのが何箇所も有ります。








(10:38)
須原宿のメイン通り。
前方に列車が見えます。





前方から若い女の子が走ってきました。
木曽路を走っているのかと聞くと、そうだと応えてくれました。
「木曽路を駆ける女」そんなイメージです。





(10:40)
水舟は上町下水舟とか茶屋町水舟が有ります。
こちらは本町水舟。




かけはしの蔵元。
西尾酒造店です。



須原宿の宿場の中です。




須原宿本陣跡

(10:43)
本陣跡です。
何年か前は家屋が有りましたが、無くなっています。
維持していくのが困難になったのでしょう。



JR須原駅 

(10:47)
須原駅まで来ました。
ここで昼食にしました。



須原宿一里塚跡

(11:08)
須原宿一里塚跡です。
宿場の北の入口に有りました。





須原宿の北の入口。
石碑があり、一里塚も有ります。





須原宿の表示板の裏側です。






(11:14)
須原宿を出て、中山道が国道19号線と少し離れました。
歩道となっているのですが、草が繁っています。
あの木曽路を駆ける女。彼女もここを走ったのだろうか。



糸瀬山登山口

19号線の歩道を歩いていると、糸瀬山登山口の表示が見えました。





(11:41)
上りの「しなの」が通過して行きます。



大桑村上松町境界

(11:49)
上松町のロードサイン。
ここから上松町に入ります。






木曽川の対岸。
桃山発電所が見えます。




倉本一里塚跡

(12:06)
駐車スペースに倉本一里塚の表示がありました。
停まっていたトラックに隠れていました。
地図でこの辺りに有るハズ。
それで探して見つける事が出来ましたが、見落としてしまいそうです。



空木岳案内板

国道から折れて中に入ります。
空木岳の案内標識が有ります。



草道の坂

(12:16)
珍しい草の道の中山道です。





倉本集落の中を歩きます。




JR倉本駅

(12:25)
倉本駅が見えるところに来ました。
中山道はこの先、左に進みます。
そして中央線の下を抜けました。






国道を離れて立町集落の中を通る道です。





(12:51)
信号を綿って国道の東側を歩きます。
中山道は右の坂を登りますが、そちらに入らず歩道を歩きました。




荻原集落です。
右に進むのが中山道です。
ここでは右へ行きました。





(13:12)
荻原集落に入ってきました。そして、和水と言う風越山の湧き水の表示がありました。
そちらの方に行ってみます。





「和水」(なごみ)と言う水場。
ず~と流れっぱなし。
ヒシャクが有り、飲んで見ました。
長時間歩いて来て、喉を潤してくれる。そんな美味しい水でした。
横に募金の筒が有り、10円投入しました。



荻原一里塚

(13:17)
荻原一里塚へ来ました。
荻原一里塚は中山道が国道19号線と一緒になるところに設けてありました。




国道19号線の歩道を歩きます。



小野の滝

(13:29)
国道沿いに有る、小野の滝に来ました。
名所・木曽八景の1つです。
説明板には中山道六十九次の上松宿で、この小野の滝が題材になっていると書いて有りました。
上に中央線の鉄橋が架かっています。
左の橋脚は石造りで、右の橋脚はコンクリート造です。
明治時代は石造り。昭和がコンクリート造りです。
明治は単線であって、昭和になって複線電化の時にコンクリートの橋脚が増設されました。
明治は突貫工事で風景を壊してしまう。そんな事を気にしなかったのかも知れません。



中央線ガード下

国道から街の中に入って行きます。
ここのガード。
旧線と新線が良く判ります。



石畳の道

(13:52)
道路から分かれて石畳の道に入ります。






道沿いに咲いていた花です。
オオヤマレンゲだと思います。
山へ行っても、滅多に目にする事が無い花。
そんな花がこんな所で見れました。





(14:01)
前方からご夫婦が歩いてきました。
上松駅から須原駅まで歩くと話していました。



越前屋

古い建物。
越前屋です。
中山道を多くの人が往来した頃から有る有名な蕎麦屋だった処です。
ここの角を降りていくと寝覚めの床です。






木曽川の対岸。
寝覚発電所が見えます。





(14:30)
眺望の良い場所。
上松駅が見えます。
あそこが今日のゴールです。



旧国道19号線だった道です。
バイパスができ走る車が少ないです。



JR上松駅

(15:14)
上松駅に着きました。
上松駅を撮影したのは15時14分ですが、14時55分頃に到着でした。
列車の時刻が15時56分で1時間ほど時間が有りました。
駅の周りをウロウロ。
そして、酒屋で缶ビールを買って来て駅前のベンチで呑みました。






今日の歩行状況です。
25キロほどを歩きました。


JR上松駅

(15:55)
15時56分発の中津川行きが入線してきました。





倉本駅を過ぎた列車の車内。
運転室の後ろの二人。
先ほど、越前屋近くで出会った人たちです。
あの時は須原駅まで行くと話していました。
須原駅に車を停めて列車に乗り、上松駅から乗って戻ろうとしているのかも知れません。
でも、歩くのがキツかつたか。
中央線の列車は本数が少なく、乗り過ごすと1時間以上も待たなければなりません。
体調を考慮し、倉本駅から上司やする判断は好い決断だったかもしれません。






感想
自宅から公共交通機関を乗り継いで目的地に向かい、前回終了したところから再開する。そんな繰り返しで12回を重ねました。こんな状態が何時まで続けれるのだろう。
いよいよ、木曽路の中心部まで歩いてきました。中山道と中央線。木曽川が並行しており、国道19号線も並行しています。時には国道の歩道となり、時には分離して集落の中を歩く。そんな状態の繰り返しでした。
随所に点在する発電所。木曽の山々。これが木曽路の風景です。
そんな雰囲気を味わいながら街道を歩いています。


今日の経費
JR那加駅からJR十二兼駅までとJR上松駅からJR那加駅まで。
青空フリーパス 2,570円
パン 108円
カップ麺 108円
お水の募金 10円
缶ビール 239円
               合計 3,035円


kオジサンの中山道旅日記  その13
8月22日(水) 晴 JR上松駅からJR宮ノ越駅まで  へ

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南信州の山    戸 倉 山 (1,681.0m)  

2018-06-21 23:32:45 | かがみの山歩会

山歩会で南信州の戸倉山に行ってきました。前日が雨。今日も朝の内は雨が残るような天気でした。登り始めはガスっていましたが山頂に向かうに連れて雲が消えて行きました。
ガスの間から顔を見せた山々は何と言う山だろうと思いました。
この戸倉山に4年前の9月に登りました。それは御嶽山の噴火の事故が有った日でした。帰りの車中でラジオを付けると御嶽山が噴火した事を繰り返し放送していました。
何時の時だったか記憶が曖昧になっても、御嶽山の噴火が有ったときに戸倉山へ登ったと言う記憶だけは残っています。


登り始めです。
キャンプ場があり、駐車場が完備していました。




登山道に指示標識が有り、どちらへ向えば良いか判りました。





カラマツだろうか。
真っ直ぐに伸びた木々。
そんな九十九折れの道を登ります。










休憩した場所が馬止の松でした。





登山道を登ります。
ガスが少し薄くなってきました。









幹に白ペンキで大きく「水」の字が書かれています。
こんな木が所々に有りました。
何の表示だろう。




先頭が松の木を見上げています。
幹に「猿の松」の標柱が持たせかかってありました。







西峰に到着して小休止です。




西峰の北か北西方面だと思います。
ガスった下界。
何も見えません。




東峰へ向かいます。




東峰へ向かう途中。
鞍部に避難小屋が有ります。




東峰です。
山頂に到達です。




山頂の標識に設置してあった「戸倉山」。
名古屋か江南の川瀬がつけたプレート。
以前はこう言うプレートの設置を肯定的に捉えていましたが、この類のプレートは山に登ったという自己満足のものであり、設置行為は止めて頂きたいと思うようになりました。




山頂には薬師如来が座っていました。




山頂からの眺望です。
雲が消えたり湧き出たりしています。
何処の山頂か判りませんが、山を確認できました。
この見えた山。南の方角だと思い込んでいましたが、東の方角かも知れません。




山頂を後にします。




西峰に戻って来ました。
西峰からの眺望です。
尖った山頂が見えます。
何と言う山だろう。





こちらは別の山です。
沢に雪が残っているのが判ります。




下山を始めました。
金明水と言う水場です。
チョロチョロと水が出ています。




金明水の横に咲いていたクリンソウ。
最盛期は過ぎていますが、天然のクリンソウです。




隊列で下山して行きます。






樹間から見えた山々。
中央アルプスの方向ですが何と言う山か判りません。




だいぶ下の方まで下山して来ました。






お疲れ様でした。
駐車場に到着です。


感想
 登山道を歩いていて、ヒグラシなのかハルゼミなのか蝉の鳴き声が聞こえました。ヒグラシのカナカナと言う鳴き声は知っています。でも、そんな鳴き声では有りませんでした。
新緑の時期で木々の枝が繁り、山頂からの眺望は良く有りませんでした。それに雨の後でガスが切れて行く。そんな感じがしました。南アルプスや中央アルプスの山々が望めました。この山の眺望は葉が繁り出す前が好いのでしょう。

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kオジサンの中山道旅日記 その11 馬籠バス停からJR十二兼駅 まで

2018-06-17 23:47:37 | Kオジサンの中山道旅日記 

6月17日(日) 曇のち晴 馬籠バス停からJR十二兼駅まで

第11回です。前回の続きでJR中津川駅からバスに乗って馬籠宿に向いました。そして前回、終了した中山道歩きを馬籠宿から再開しました。
馬籠宿から妻籠宿へ、そして三留野宿を通りJR十二兼駅まで歩きました。これまで歩いて来たのが岐阜県で、馬籠峠からは長野県に入りました。木曽路です。
馬籠宿では人がチラホラ。常時なら、宿場町をウロウロする観光客が居るのですが、全く人が居ないシーンを撮影する事が出来ました
妻籠宿では宿場の中心に行くにしたがって観光客を見かけました。それでも、観光客の数は少ないのではと思いました。馬籠宿から妻籠宿への道が「ロンリープラネット」と言う旅行誌で、紹介されているようで、外国人がそれを参考にするらしいのです。
男滝・女滝で外国人カップルを見かけました。それに大妻籠ではメキシコ人に会いました。また、帰路に南木曽駅で乗車して来る外国人を見かけました。これ程、歩く外国人が少ないのは珍しいことではなかろうか。
反面、妻籠宿から馬籠宿まで歩く日本人を何人も見かけました。日本人は妻籠宿や馬籠宿の宿場界隈をウロウロするだけです。歩いてみて、街道の雰囲気を味わう日本人が多くなる。
好い傾向ではなかろうか。

JR中津川駅 ・・・・・ 馬籠宿バス停  ― 馬籠宿の枡形  ― 藤村記念館  ― 
馬籠宿脇本陣 ― 
馬籠宿高札場 ― 馬籠上陣場跡 ― 水車塚 ― 梨子ノ木坂 ―
 十返舎一九の狂歌碑  ― 
峠集落 ― 馬籠峠 ― 一石栃立場茶屋 ― 
一石栃の白木改番所跡 ― 男滝・女滝 ― 
倉科祖霊社 ― 庚申塚 ― 大妻籠  ―
 神明橋 ― 大妻橋 ― 妻籠発電所  ― 
妻籠宿の枡形  ― 妻籠宿本陣  ― 
妻籠宿高札場  ― 口留番所跡 ― 鯉岩  ― 
妻籠城址分岐 ― 上久保の一里塚 ―    かぶと観音 ― 南木曽駅への分岐  ― 園原先生碑― 貯木場 ― 梨子沢 ― 
三留野宿本陣跡 ― 与川道分岐 ― 中央線ガード下 ― 
柿其入口 ― 南寝覚
 ― JR十二兼駅




馬籠峠に設置してあった中山道の案内図。
左下から右上へ歩きました。




(08:52)
中津川駅前のバス乗場です。
ここから市民病院行きや馬籠行きが発車しています。
バスは9時10分発です。
9時06分に着く列車でも良いのですが、1本前の列車に乗って来て駅前をブラブラしました。



(09:19)
バスの車窓から。
バスは中津川市内を抜け、旧国道19号線を走りました。
左前方に見えたのが落合ダムです。
木曽川堰き止め満水状態です。


馬籠宿バス停

(09:34)
馬籠バス停に着きました。
バスに乗っていたのは10人ほど。
途中、中切から女性二人が乗りましたが、全員が中津川駅から馬籠までの乗車でした。
大きなスーツケースを持った外国人も居ました。
あんなスーツケースを引っ張りながら宿場街を歩くのだろうかと思ってしまいました。





ここが馬籠宿の西入口です。
中山道馬籠宿の石碑、それに指示標識が立っています。



馬籠宿の枡形

(09:36)
石畳の道。
道が折れ、枡形になっています。
それに水車が見えます。





何回か馬籠を訪れていますが、水車に近寄ったのは初めてです。
この水車。
まだ新しいです。
このような水車を制作できる水車大工。
今では数少なくなっているのでしょう。
水車の据付。クレーンを使って大変だったのでしょう。





石畳の坂を登って行きます。
誰も居ないシーンを撮影できました。
日曜日の午前中です。
この時間で誰も居ないなんて、拍子抜けの気分でした。
逆にこんなシーンが撮影できる事がラッキーと言えます。



藤村記念館

(09:42)
藤村記念館へ来ました。
ここは馬籠宿の本陣跡だったところです。
この辺りでも散策する人が居ませんでした。




今日のKオジサンの後ろ姿です。



馬籠宿高札場

(09:52)
馬籠宿の東の入口です。
右側に高札場が見えます。





中津川宿では、中津川宿より駄賃並びに人足賃銭。落合迄荷物一駄五十五文となっていました。
ここの高札場は長持が幾らとかの表現になっています。
竹腰山城守と成瀬隼人正はともに尾張藩の附家老です。


馬籠上陣場跡

(09:54)
陣馬跡なのですが別名馬籠見晴台と呼ばれています。
見晴台と言うだけ有って眺望の良いところです。
恵那山が見えますが、山頂は雲に隠れています。





(09:58)
中山道で振返ると中津川の町が見下ろせます。
右奥が中津川なのですが、盆地である事が判ります。




県道7号線を渡ります。
中山道が特殊舗装になっています。


十返舎一九の狂歌碑

(10:21)
大きな木の根元に十返舎一九の狂歌碑が有ります。
この場所。休憩所とトイレが完備しています。



峠集落

峠集落を歩きます。
あの先、木々が凹の型になっている所が馬籠峠です。
峠までもう直ぐです。


馬籠峠

(10:38)
馬籠峠で岐阜県と長野県の県境です。






馬籠峠の頂上。
801メートルの高さまで登ってきました。




馬籠峠まで歩いて来た親子と出合いました。
子供さんは坂道を登ってきて少しキツそうでした。
お二人の背中を撮らせて貰いました。
瑞浪から来たそうですが、今日は親子で南木曽駅から馬籠まで歩くと話してくれました。




(10:43)
若い女性お二人です。
岐阜と愛知から来たと話していました。
今日は妻籠から馬籠まで、歩くと言っていました。
登り坂での出合でした。
少しキツそうに見えました。




こちらは名古屋から訪れたカップルです。
妻籠から馬籠まで歩くと話していました。




(10:51)
前方からお二人が歩いてきます。
南木曽から馬籠まで歩くと話していました。
お二人。東京から歩いているのだそうです。
既に東海道は完歩し、次に中山道を始めたのだと言っていました。



一石栃立場茶屋

一石栃は場所の名で、立場は休憩所のような意味です。
この場所には7軒ほどの家があったが、今ではこの牧野家、1軒となったと説明していました。




(10:53)
いちこく御休み処の入口です。
中へ入り、小休止しました。
お茶を出して頂きました。



一石栃の白木改番所跡の説明板です。
ここまで歩いて来る間、各地で白木改番所跡を目にしました。





一石栃立場茶屋の北側。
休憩所がありました。
ここでお昼にします。
先客の団体が居ました。
千葉県の八潮市からバスで来たといっていました。
男女20人余りのグループです。
「里山クラブ」と言う団体名だと言っていました。
3班が・・・。とか言っていました。班で人員の確認なのでしょう。
このような会。会を世話している人が居るのでしょう。
馬籠宿から妻籠宿まで歩くと話していました。



(11:02)
里山クラブを見送りました。
隊列を組んで歩いて行きます。





男捶川に架かる木の橋。
橋を渡ると県道7号線です。


男滝・女滝

(11:35)
先ほどの里山クラブの人たちが説明板を見ています。
男滝・女滝へ来るには、中山道が高い場所に有り、降りて来る。しかも行って戻って来るという形になります。
私は滝の場所を知っていましたので、県道7号線から下りていきましたら、追い着いてしまいました。





左が男滝。右が女滝です。
男滝が水量が多く迫力が有ります。





(11:50)
杉木立の石畳を歩きます。
右側に有るのが牛頭観音の説明板です。




大妻籠へ入って来ました。
菖蒲が見ごろを迎えています。




(11:57)
民宿、「まるや」の前辺りです。
前方から歩いて来る外国人が見えました。
何処の国からかと聞いたら、メキシコかに来たと言っていました。
妻籠宿から馬籠宿まで歩くのだそうです。
2本のストックで本格的に歩く姿です。




(12:23)
妻籠宿に入ってきました。
でも、ここは宿場のハズレ。
まだ人が少ないです。
自転車の親子。この人たちを先ほど、大妻籠で散策しているのを見かけました。




(12:31)
妻籠宿の中心部へ来ました。




ほうば巻きが並んでいる和菓子店。
澤田屋と言う屋号です。
ほうば巻きは木曽地方の名物。
今の時期だけ食せる素朴な和菓子です。




妻籠宿で、多く写真に取上げられる場所です。



妻籠宿本陣

(12:47)
本陣跡です。
この本陣の建物。
平成7年に復原されたと有ります。



妻籠宿高札場

妻籠宿高札場です。




駄賃の高札ですが、雨風で劣化し字が読め無くなっています。


鯉岩

(12:54)
大きな鯉岩。
鯉の形をした大岩だったが、明治24年の濃尾震災で形が変わってしまったと説明しています。


上久保の一里塚

こんもりした塚。
塚の形を残した一里塚です。





(13:31)
南木曽の町に来ました。
前方に木曽川。
そして、桃介橋が見えます。

ここを過ぎると南木曽駅へ向かうのと三留野宿へ向かう道の分岐がありました。
右に進み三留野宿へ行きます。



(13:40)
南木曽駅東側の貯木場が見えます。
量的にはどうなのだろう。
最盛期より量が減っているのではなかろうか。





(13:52)
まるで民家の庭先を歩くような感じがする中山道です。



階段を登っていく中山道。
指示標識が無かったら直進してしまいます。



三留野宿本陣跡

(13:58)
石柱が2本。
それに説明板。
表示が無かったら、本陣跡だという事が判りません。




古い家屋が並び宿場町の雰囲気があります。





何軒かの家に屋号の表札が下がっています。
「あめや」は飴屋を営んでいたのだろうか。



(14:07)
中央線のガードをくぐり国道に出てきました。
前方に木曽川が見えます。






道路が国道に交わります。





(14:29)
木曽川沿いの歩道を歩きます。
前方に下りの中央線が見えます。
中央線の上りは長いトンネルです。
下り線が旧線で上り線が新線なのでしょう。
列車が走ると好いロケーションになるのですが、列車の姿が見えません。





(14:42)
前方から男性が歩いてきます。




帽子を撮影させて貰いました。
この男性。横須賀市に住んでいて、海上自衛隊に勤務していたそうです。
この帽子は南極砕氷艦の「しらせ」のものです。
しらせの機関長をやっていたと話しました。





今回、歩いているプラン図を撮らせて貰いました。
第1ステージが日本橋から新町まで。第2ステージが新町から下諏訪までで、今回は第3ステージ。
今日は須原宿から歩いて来たそうです。

既に東海道は踏破したそうな。
奥さんを3年前に亡くし、今は街道歩きに取り組んでいると言っていました。
今回は中山道。
次は甲州街道歩く、それに熊野古道を歩きたい思っている。それに、出来たら車で日本一周をやりたいと話しました。

この男性。「Y」さんと言う方です。
名刺を交換しました。

私がこれから向かおうとする街道に和田峠が有ります。
急峻な峠で難所です。
峠を歩いたと言っていました。東海道の鈴鹿峠みたいでガレた所があるのだそうです。
登山靴が好いと聞きました。






「Y」さんの後姿を見送ります。
路上での5分ほどの立ち話。
一期一会の出合でした。




十二兼駅への道。
あの信号交差点で左に折れます。
あと、1キロです。



南寝覚 (別名河原峡)

(15:06)
柿其橋の上流です。




川にせり出した巨岩。
寝覚めの床に似ている場所で、南寝覚と呼ばれているようです。





(15:07)
十二兼の集落に入って来ました。




十二兼駅の弧線橋が見えてきました。


JR十二兼駅

(15:15)
十二兼駅に着きました。
この駅。
無人駅です。




歩き出す前と歩いた後です。
20キロ近い距離を歩きました。




(16:26)
16時26分発の中津川行きワンマンカーが入線してきました。

十二兼駅の上りホームで1時間以上待ちました。
次々と通過する特急列車。
しなの16号やしなの17号を見送りました。
20分頃になって若い男性が3人。女性2人が来ました。
中山道を歩いて来た人たちかと思ったら違うようでした。
何か、ベトナム人のように思えました。





列車が南木曽駅に停車しました。
ワンマンカー2両で前の車両に乗り口と降り口が着いています。
何人かの人たちが乗ってきます。
服装から推測すると中山道を歩いて来た人たちのように思えました。
それに、外国人も混じっていました。


中山道の指示標識

馬籠宿から妻籠宿までを歩き、その都度、指示標識撮影しました。
数字が段々減り、妻籠宿が近づいているのが判りました。
馬籠妻籠間が7.7キロです。7.7キロより大い数字の指示標識もありました。
どんな捉え方をしたのだろう。

感想
いよいよ木曽路に足を踏み入れました。
列車で来ては歩き、その日の内に列車で帰るの繰り返しです。
中央線は普通列車の本数が少なく、とても不便です。
これから葉自宅からの距離が遠くなる。
何時までこうして続けれるのだろう。
街道を歩いていて、多くの人と顔を合わせる事が出来ました。
ゴール近くで「Y」さんと出合いました。
このような事。街道歩きの面白さなのだろう。



今日の経費
JR那加駅からJR中津川駅までとJR十二兼駅からJR那加駅まで。
青空フリーパス 2,570円
中津川駅から馬籠宿までバス代 560円
パン 108円
カップ麺 108円
            合 計 3,346円


kオジサンの中山道旅日記  その12
6月24日(日) 曇のち晴 JR十二兼駅からJR上松駅まで  へ

 

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御嶽山が正面に・・・    下呂御前山 (1,412.0m)

2018-06-13 23:21:41 | 弐水会

弐水会で下呂御前山へ行って来ました。下呂御前山は正式には空谷山です。御前山は萩原にあり、区別するため下呂をつけ下呂御前山と呼んでいます。
下呂御前へは、何回か登っています。それでも時間が経つと記憶が薄くなっていきます。登山口の印象。山頂の表示柱。そんな程度の印象となってきていました。



山に登る準備が出来ました。
ここが登山口です。
以前もここから登りましたので、覚えています。
でも、この場所へ来る道が判り難いです。
ず~と前に登った時は、もっと下の方からでした。
ここまで、上がってこれるのは助かります。





指示標識が完備しています。
ここから入ります。





頂上まで2,950mと表示しています。
下山堂は、もっと下から登ってきた人のためです。





5合目辺りです。





砂利道の林道。
先ほどのアスファルト道よりも上部となります。
地元の人だから、こんなに上へ上がって来れる道を知っています。
軽四トラックが2台居ました。
丁度、1台の持ち主が登り始めるタイミングでした。





左が山頂へ向かう登山道で山頂まで1,300mと表示しています。
右はお助け水に向かいます。





途中。
展望台と表示した場所に出ました。
木々が繁っていますが、かろうじて展望が可能となっています。




名古屋方面。
名古屋駅周辺の高層ビル群が見えました。





高層ビル群の画像をトリミングしてみました。
カメラの性能よりも、人の「眼」の性能方が良いです。
白内障の手術をして、遠くの景色がバッチリ見えます。
名古屋と下呂の距離は100キロは有るでしょう。
今日の空気の清濁度が良かったから見えましたが、ラッキーでした。



8合目。
御嶽遥拝所跡へ来ました。




9合目。
杖を使った男性が下りてきました。
この男性。
もう1台の軽トラの人でしよう。
下呂御前に500回以上来ていると話していました。
それに、下呂富士に登る事を勧めていました。

とっても、話好きな人。
話が中々終わりませんでした。




山頂に到達です。




山頂から見える白山。



こちらは乗鞍岳です。
始めは雲に隠れていましたが、全容では有りませんが、こんな姿を現してくれました。





御嶽山をズームしました。
刻々と変わる景色。
ベールを脱いでいく。
そんな感じがしました。




方位を現す銘盤が設置して有ります。
見える方角の山を確認します。




こちらは南東の方角。
先週、白草山へ登った人が居て、その方向を確認していました。




下山を開始しました。





8合目まで降りて来ました。




下山途中。
土砂崩れが合ったような場所。
工事が完了し、地要望がよくなったところが有りました。
そこから見える白山方面です。




砂利の林道が見える所まで下りてきました。




杉林の中。
列で下山して行きます。




朝、登り始めた場所まで下りてきました。


感想
記憶が薄くなっていっても、下呂御前から名古屋の高層ビル群が見えた。
このことだけは忘れないでしょう。
山頂から白山や乗鞍が臨めて良かったです。

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kオジサンの中山道旅日記 その10 JR中津川駅から馬籠バス停 まで

2018-06-09 23:40:48 | Kオジサンの中山道旅日記 

6月9日(土) 晴 JR中津川駅から馬籠バス停まで

第10回で、前回の続きを歩きます。前回、終了した時は本町公園へ寄ってから中津川遊歩道公園を歩いたので、中山道から外れました。今日はJR中津川駅から馬籠宿のバス停へ向います。それで、本町公園を通り抜けて中山道まで行き、前回に終了した場所からウオーキングを再開しました。
中津川宿も山に囲まれた盆地の中にある宿場でして、今も枡形が残っている宿場の街でした。宿場の中心には本陣や脇本陣が有るのは勿論ですが、造り酒屋が有ったり老舗の菓子舗が有ったりして、かつては繁栄した宿場町の雰囲気が残っていました。
落合宿から馬籠宿の間には落合の石畳がありました。往時の石畳は70メートル余りで、大半は昭和から平成に工事されたものでした。往時の石畳と現在の石畳の区別は判りません。石畳の道の両側には木々が繁り、昔の旅人の気分を掻き立ててくれました。

JR中津川駅  ― 本町公園  ― 造り酒屋  ― 恵那神社への道標 ― 卯建の家並
 ― 中津川村庄屋跡 ― 中山道歴史資料館 ― 往来庭 ― 茶屋坂の高札場  ― 
芭蕉の句碑
 ― 尾州白木改番所跡 ― 子野石仏群 ― 子野の一里塚 ― 
与坂立場跡 ― 
落合宿助け合い大釜 ― 落合宿本陣跡  ― 上町の常夜灯 ― 
落合宿の高札場跡 ― 
飯田道追分道標 ―  下桁橋  ― 十曲峠入口  ― イボ観音
 ― 山中薬師医王寺  ― 
鐘鋳り場跡 ― 落合の石畳入口 ― 
なんじゃもんじゃの杜 ― 石畳の休憩所 ― 石畳入口
 ― 新茶屋の一里塚 ― 
これより北木曽路の碑 ― 正岡子規の句碑 ― 
島崎正樹翁記念碑 ― 馬籠城址 ― 
馬籠宿道標 ― 馬籠バス停  ・・・・・  JR中津川駅



今回、歩いたコース地図です。中津川宿から馬籠宿までを歩きました。
岐阜県十七宿 散策ガイド。「日本歴史街道」中山道連合から出典しました。


JR中津川駅

(08:42)
中津川駅へ着いて、駅の外へ出ました。
中山道の前回、終えた場所へ向かいます。




本町公園の中を通り、中津川の堤防に上がりました。
前方に見えるのが中津川にかかる中津川橋です。




(08:56)
この橋は中央橋で、ミニ中山道にかかっている橋です。





中央橋から下を眺めました。
ミニ中山道ですが、遊歩道となっています。
説明板にはこのミニ中山道は本州製紙中津工場の専用線だったものが、廃止となりその跡を整備したと書かれていました。鉄道の線路跡のような感じがしますが、坂道で勾配があり蒸気機関車が黒煙を上げて走ったのでしょう。


造り酒屋

恵那山の蔵元「はざま酒造」です。
杉玉が下がっています。



卯建の家並

(09:01)
横町の卯建の家々が並ぶ町並みです。




枡形で道が折れ、ここからは東に向かいます。




「ないき」という八百屋さん。
ここでエネルギー補給用にお菓子を買いました。
100円の袋菓子なのですが、ご主人は消費税をオマケしてくれました。



中津川村庄屋跡

(09:12)
中津川村庄屋跡の前で自転車の男性に出合いました。
彼は名古屋から電車で来たのだそうでした。
この自転車。前輪が外れるようになっていて、輪行袋に入れてなら、車内に持ち込めると言っていました。
私もこんな自転車が欲しいのですが、25万円ほどするのだそうです。
今日はどの辺りを走るの聞き逃しましたが、木曽街道の北部。贄川宿から走っていると話しました。
自転車に乗って旅を続けるのは行動範囲が広がると言っていました。



中山道歴史資料館

中津川市の中山道歴史資料館に寄りました。
ここで、この先の資料を戴きました。





四つ目川に架かる四つ目川橋。
遠くに恵那山が見えますが、雲に隠れています。



往来庭

(09:20)
中津川宿の往来庭です。
一番奥に壇が有り、そこに立つと招き猫が出てきました。
センサーが人体を感知して作動するのでしょう。
ここにはトイレも完備していました。




新町通り(中山道)を歩いていますと、街道歩きのような若い女性に出合いました。
写真を撮影しても良い香と聞きましたら、OKでした。
名古屋から来たのだそうです。
彼女が手にしていた地図。
何処でもらったのと聞き、駅近くの観光案内所だそうでした。
それで、私もと、向きを変えました。



茶屋坂の高札場

(09:51)
茶屋坂の高札場へ来ると、あずま屋で休憩している人が居ました。




高札場の中の1枚。
木賃と言う言葉が書かれています。木賃宿とは宿に泊まるのに、自炊をして、木の金を払うというもので、安い宿の事を指します。食事つきで泊まれる場所が旅籠です。
木賃銭が定められています。

左端の成瀬隼人正は戦国時代に家康に仕えた人物です。徳川幕府が出来て、尾張徳川家の租、徳川義直の補佐役となりました。尾張藩の附家老を勤め犬山城主となった人物です。





あずま屋で休憩していたカップルです。
写真を撮っても良いかと聞きましたら、OKで撮影に応じてくれました。
このカップル。フランスから来たと言っていました。
大きなザックを背負っていますが、何処まで行くのかと聞きましたらKYOTOでした。

フランス人でも英語を話していました。
私は英語は喋れませんので簡単な単語の会話です。
この時間にこの場所と言う事は馬籠で泊まったのでしょう。となると今夜は細久手宿の大黒屋だろうか。



中津川宿の絵図の横に有った美濃17宿の碑です。





高札場横の石段を上がって来て中津川の街を見下ろしました。
中津川が山々に囲まれているのが判ります、
真っ直ぐの中山道。
先ほどのフランス人ガップルが歩いて行くのが見えます。



尾州白木改番所跡

(10:00)
上金の白木改番所跡です。
白木改番所は、この上金に移される前は与坂に有ったようです。
前々回に歩いた時には大湫宿でも白木改番所跡が有りましたし、前回歩いた茄子川にも白木改番所跡が有りました。
それに大井宿でも有りました。
この尾張藩の白木改番所。各地に有りました。
尾張藩の重要な収入源だったので、厳重に取り締まったのでしょう。


子野石仏群

街道沿いの小高い場所に地蔵堂が有りました。
そして、石仏群が並んでいました。



子野の一里塚

(10:32)
子野の一里塚の石碑がポツンと立っています。




坂道が続きます。




急な坂道の連続です。
この先に与坂立場跡が有りますので、この坂を与坂と呼ぶのでしょう。




(10:39)
坂の上部へ来て振り返りました。
中津川の街が見下ろせます。




歩いて来て峠のような場所に来ました。
前方の風景が広がります。
左の池のように見えるのは木曽川です。落合ダムでダム湖になっています。
右の横線は国道19号線です。
左に来ると坂道で木曽路に入って行きます。



落合宿に入ってきました。


落合宿本陣跡

(11:00)
落合宿本陣跡 へ来ました。
明治天皇落合御小休所の石碑が立っています。ここで休憩したのでしょう。




今日のKオジサンの後ろ姿です。



下桁橋

(11:16)
落合川に架かる下桁橋を渡ります。
橋の上から落合川を見下ろしました。
その先には高峰山が見えます。



十曲峠入口

これより 十曲峠。
長い坂が始まります。




坂をランニングする男性が追い抜いて行きます。




オダマキとホタルブクロ。
道路際に咲いていました。


落合の石畳入口

(11:41)
落合の石畳の始まりです。




石畳に入って、直ぐに単独の女性が居ました。
ヘビが出て、他の人たちは見ていたようですが、彼女は見たくなかったのでしょう。
先に歩いて来ていました。
男性と女性、10人ほどのグループでした。
岐阜や各務原の人たち。
馬籠から中津川まで歩くと話していました。
グループの名を聞きましたら「緑親会」だと教えてくれました。
その名の通り、緑に親しむ会なのでしょう。
同じ年代の者同士なのでしょうが、一緒に行動できると言うのが好い事だと思います。
山登りだと体力差があり、一緒するのは無理ですが街道歩きなら一緒に行動できます。
この「会」。
恐らく骨折る人がいるから、皆さん一緒に行動できるのでしょう。




石畳の街道です。






石畳の道の説明板です。





(12:04)
前方から男性が歩いてきます。

言葉を交わしたら名古屋から来たと言う男性でした。
今日は南木曽駅で降りて、ここまで歩いて来たと話していました。





男性が眺めていた説明板。
中山道の解説や石畳の整備について書かれています。



石畳の休憩所

(12:33)
説明板の横に休憩所が有りました。
ここでお昼にしました。

中山道六十九次の札が下がっています。
四三、馬籠宿。四二、妻籠宿。それに二九、下諏訪宿。二八、和田宿の札が無くなっています。
この石畳を歩いた奴が盗んでいったのでしょう。
誰も見ていたいと思い、このような行為をする事は許せないです。


新茶屋の一里塚

新茶屋の一里塚まで来ました。
石碑と説明板が有ります。




(12:41)
この辺り、一里塚やこれより北木曽路の碑が固まって、有る場所です。
その説明板です。




これより北木曽路の碑

「これより北木曽路の碑」が有ります。
かつては、この石碑の位置は長野県と岐阜県の境でしたが長野県山口村が岐阜県に合併したので、県境ではなくなってしまいました。なお、この石碑の字は島崎藤村の揮毫に寄るものです。




(12:41)
上り坂が続きます。
この辺り。新茶屋と言う場所です。
左側に民宿が有ります。
梅の家ともう一軒。





ズーと長い坂が続きます。
この景色も電柱が無ければ良いと思える景色です。





(12:47)
坂の頂部へ上がってきました。
そして、振り返ります。
ここには正岡子規の句碑が有りました。この場所、夕日のスポットになっていました。

中津川の街が見下ろせます。

田植えが終わった時期。
右の富士のような型の山。
恵那の笠置山です。
名の通り笠を置いた型の山です。




(12:50)
登り坂が続きます。




路傍の花。
ピンクと赤の花が咲いています。
ウツギの仲間ではなかろうか。




(12:56)
勾配が少し緩くなっていきます。



馬籠城址

(13:07)
丸山と言うコンモリした山がある場所です。
馬籠城址の説明板が設置して有ります。




丸山とも城山とも言うと有ります。
城と言うより砦みたいなものだったのでしょう





(13:08)
今まで登り坂の連続ですが、やっと下り坂です。




遠くに見える恵那山。
今も雲に隠れていますが、雲の量が少なくなって来ています。






最後の登り坂です。
この坂を登り切れば馬籠宿です。



馬籠宿

馬籠宿に到着です。
観光客で賑わっています。





(13:15)
石の道標。
それに指示標識が設置して有ります。
石の道標には「中山道馬籠宿」江戸江八十里半、京江五十二里半と刻まれています。




(13:54)
馬籠宿のバス停です。
中津川駅行きのバスが来ました。
55分発ですので、定刻にやってきました。






バスに乗りました。
前には妻籠宿の横断歩道が見えます。

このバスが中津川駅へ着いたのが14時19分頃でした。
この時間帯の列車は20分と50分となっています。
中津川駅に着き改札口に向かうと、出て行く電車が見えました。
仕方なく、駅の周りをブラブラしました。





歩き出す前と歩いた後です。
歩いた後、撮影を忘れていて車内で撮りました。
15キロほどを歩きました。

感想
2012年4月21日に馬籠宿から妻籠宿にかけて歩きました。その時に一石栃白木改番所跡が有りました。次回に歩くコースです。今回は上金の白木改番所跡が有りました。大井宿でも改番所跡が有り、大湫宿でも改番所跡が有りました。茄子川にも改番所跡が有りました。こんな所に改番所が有るのだと発見する事が面白い。
これから先、一石栃以外にも改番所跡が有るカモ知れません。木曽全体に改番所跡があるのでしょう。
点在する改番所は尾張藩の重要な財源であり厳しくしたのでしょう。
中津川宿の標高が約305mで、ゴールした馬籠宿が約575mとなっています。270m程の標高差なのですが坂の連続でキツイ所が有りました。
2012年8月23日に上松立場から木曽福島へ歩きました。その時に山村代官所跡が有りました。その代官が山村氏です。今日、馬籠城址の説明板で山村氏の名が出てきていました。この山村氏と代官の山村氏は異なるかも知れませんが、関連性が面白いです。


今日の経費
JR那加駅からJR中津川駅までとJR中津川駅からJR那加駅まで。青空フリーパスを使用。 2,570円
お握り 120円
カップ麺 108円
袋菓子 200円
馬籠宿から中津川駅までバス代 560円
            合 計 3,588円


kオジサンの中山道旅日記  その11
6月17日(日) 曇のち晴 馬籠バス停からJR十二兼駅まで   へ

 

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御嶽山の外輪山(だと思う)    白 草 山 (1,641m)

2018-06-07 23:41:17 | かがみの山歩会

今日は6月の第1木曜日で、かかみの山歩会が有る日でした。
そして、今日は山歩会で白草山に出かけました。弐水会で白草山へ昨年9月に登りました。アノ時は初秋、今回は六月で初夏のシーズンです。1年も経たないうちに再度、白草山に登りました。長い林道を歩き、その後に登山道を歩く。その印象は同じですが、雨の翌日でガスに包まれた山行でした。
今回は小学生と一緒になりました。下呂小学校の4年生だと話してくれました。



広域林道を歩いて来て、黒谷林道の入口に来ました。
ここから白草山に向かいます。




黒谷林道の入口に設置して有った白草山の概念図。





ゲートの横をすり抜けて林道に入ります。




長い林道を歩いてきました。

途中、歩いて来る子供を見かけました。
大人と一緒でした。
どの辺りから引き返して来たのだろう。
詳しい事は判りませんが、途中で、これ以上進む事が出来ないので、戻ってきたのでしょう。
付き添っていた大人は、先生だったのだと思います。

ここから本格的や山登りとなります。
この場所で小休止。
そして、再び歩き始めました。





木橋に設置して有る表示板。
橋を渡れば山道になります。





登山道の横が谷川になっています。
前日は雨だったので、水量が多くなっています。






登山道沿いの表示板。
不規則な間隔で設置して有ります。





山頂まで1.6KMまで、上がって来ました。







下界の視界が広がります。
雨の後でガスッています。






先生が子供の手を引いて登っていました。
やや肥満の子供。
もう、登れないと何度も口にしていました。
結局は・・・・・。

先生に手を引かれて登って行きますが、途中。2人の先生に付き添われた子供を見かけました。
途中で登るのを断念したのだろうか。




尾根沿いに出て勾配が緩くなりました。





箱岩山への分岐を過ぎた場所です。
私は、この辺りでエネルギー切れ状態になりました。
ここでお昼を食べようと思い、本隊は山頂へ向かって貰いました。






子供たちの列が通過して行きます。






昼食を取って山頂へ行けると思い、登るのを再開しました。
この辺り。
ガスに包まれています。
視界がよかったら御嶽山が見えるところです。






山頂に到達しました。
山頂に到達する前。
子供達のコーラスが聞こえました。





山頂の標識です。
子供たちが昼食をとっています。
誰かが話してくれましたが、下呂小学校から59名で来ていると言っていました。






私達は先に下山を開始しました。







この場所が、私が休憩した場所です。





サクラに似た木。
この花がズミだと教えて貰いました。






箱岩山への分岐まで下りてきました。






分岐点。
この辺りにはミズバショウが生えていますが、花の時期は過ぎています。






下山の途中です。
下呂の竹原が見下ろせます。






木橋を渡り、下山して行きます。






黒谷林道の終点まで下りてきました。
橋を渡れば長い林道歩きが始まります。






黒谷林道を歩いて来て、ゲートの場所まで来ました。




感想
途中でバテて、ヘロヘロになってしまいました。丸でエネルギー切れ状態でした。原因は判っています。
6月5日からダイエットを始めました。
炭水化物や脂肪分を極力、摂取しないようにしていましたのです。
こんな状態でも、みんなに遅れて山頂に到達できて良かったです。

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