Kオジサンの新・山歩きの記

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鈴鹿の山  御在所岳 (1,212m)  1,212の山

2012-12-12 23:41:35 | 水曜会

水曜会で御在所岳に行ってきました。
2012年12月12日で12が並びます。御在所岳は 標高が1,212mです。
この12並びの日に記念イベントを開いたらと言うのが「山たまご」さんの案で、今年3月の事でした。
その事を「岳魚」さんに話すと、ロープウェイ会社に提案し、先方が乗って来ました。
イベントの前には記念カードを配布する予定でしたが、もっといい物を渡す事になり、記念のカンバッジに変わりました。
ロープウェイ会社がマスコミ各社にニュースソースを提供して、各社が取材に来ていました。

イベントは12年12月12日の12時12分12秒に向かって、カウントダウンをしました。
御在所岳が1,212mの山であり、遠く関東から来たグループもありました。
また、この日が誕生日の男性は免許証を見せて自分がこの日が誕生日だと証明し、テレビのインタビューを受けていました。

早朝。水曜会の集合場所に向かう途中、マックに寄ってコーヒーを買いました。
車へ戻る際に地面が凍っていて、滑り臀部を強打してしまいました。
そのため水曜会の皆さんとは別れて、ロープウェイで登りました。


水曜会の皆さんは、これから登るコースの相談です。


イベントに合わせて、続々と多くのグループが登っていきました。


ロープウェイの乗車券です。


山たまごさんと和たんさんも一緒に乗りました。


ゴンドラが登っていきます。


ゴンドラからつがいのニホンカモシカが見えました。
上から見下ろすと、大きなねずみのように見えます。


山頂駅に着き、まだ時間が有りましたので、朝陽台に向かいました。


枝の霧氷です。


枝が道の上に伸び、トンネルのようです。


朝陽台から伊勢の海が見えました。
弓のように弧を描く海岸線。
志摩の方角に小さく神島が見えました。


三角点のイベント会場に向かいました。


皆が歩き易いように重機で除雪していました。


山たまごさん。手製の12並び。


イベント開始までには時間が有り、プレートを持って記念撮影をするご夫婦。
ここが三重と滋賀の県境で、三滋とかけています。


12時12分12秒の時計を持つて、収まる男性も居ました。


中京テレビのクルーがやって着ました。


三重テレビのクルーもやって着ました。


来訪した人で時間が無いと言う人には時間前でしたがバッジを渡していました。


記念のバッジです。


御在所ロープウェイの森さん。
今日は大忙しでした。
この人のリードで、リハーサルをやり、本番を迎えました。
おしゃべりの上手い人で、個人情報云々と言い、みんなを笑わせていました。


ずらりと並んだテレビカメラの列。
中京テレビ。メーテレ。三重テレビ。そして地元のケーブルテレビが来ていました。
新聞社も来ていたのでしょう。


少し遅くなりましたが、風を避ける事が出来た場所でランチタイムとなりました。


皆はこれから下山します。
ロープウェイで登り、下山は皆と一緒に下山勝と思っていましたが、臀部が痛く、大事をとってロープウェイで下山しました。途中で身動きが出来なくなっても、困るので、結果的にはこの判断でよかったのではないかと思いました。


ゴンドラが発車します。


特徴のある白い鉄塔。
この鉄塔は目立っており、遠くからでもあの山が御在所岳だとわかります。


前方の視界。
木曽三川や火力発電所が見えます。


夜のメーテレのニュース。


御在所岳に登るつもりで出かけましたが、集合場所に向かう途中にアクシデントに遭い、残念な結果となってしまいました。
ただ、時間がタップリ合って山上を散策し、霧氷の景色を楽しむ事が出来ました。

山たまごさんは、今後は毎年12月12日が御在所の日になるのじゃないか。と話していました。




コメント (4)
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中山道 木曽11宿ウォーク⑩ 奈良井宿 ⇒ 是より南 木曽路石碑  雪中行軍? 12年12月8日

2012-12-08 22:05:18 | 中山道 木曽11宿ウオーク

名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしました。
第10回目となり、今回でゴールを迎えました。今回は第10回のコースでしたが、参加者は32名でした。木曽路の最北の部分を歩きました。

奈良井宿駐車場(11:26) ― JR奈良井駅(11:33)~(11:41) ― 橋戸一里塚跡(12:00)  ― 
諏訪神社(12:24) ― 道の駅 ならかわ(12:37)~(13:20) ― 押込一里塚跡(13:47) 
 ― 深澤家住宅(14:07) ― 贄川番所(14:14) ― JR贄川駅(14:24)~(14:37) ― 
若神子一里塚跡(15:06) ― 是より南 木曽路石碑(15:47) ― 桑原口駐車場(15:50)



主催者から貰ったコース地図。



バスで中央自動車道を走り、伊那ICで降りて国道361号線で、スタート地点の奈良井宿に向かいました。バスが権兵衛トンネルを出ると真っ白の雪景色となりました。
伊那谷では道路の両側に少し雪がありましたが、権兵衛トンネルから出ると真っ白の雪で激しく降っていました。皆からは歓声なのか溜息なのか、「オー」とか「ワー」とか思わず声が挙がりました。
こんな状態の中を歩かなければならないという思いが先立ったのでしょう。



(11:26)
奈良井宿の駐車場で仕度を整え、これから出発です。



(11:31)
奈良井宿の北端です。
まず、JR奈良井駅を目指して歩き始めました。




JR奈良井駅。
雪が横から降ってきます。



駅舎の中にこんな面白い札が下がっていました。
ここに観光案内所が有りましたが、訪れる人は少なかったです。



(11:34)
松本行きの普通列車が入線して来ました。




(11:46)
11時46分。「特急しなの7号」がスピードを落として、通過して行きました。
普通列車松本行きの時刻が42分発ですから、特急は7分ほど遅れて通過しました。




私たちが歩いている横を特急がゆっくりしたスピードで抜けていきました。



(11:49)
続いて、特急のために遅れた普通列車が走っていきました。




道路脇を列になって歩きました。




足元には10センチほど雪が積もっていました。



(12:09)
これから木曽平沢の街中を歩きます。
ウオーキングリーダーがコースを説明しました。



木曽平沢の街中。
両側に漆器屋さんの軒が続きます。



街の中の店はほとんどが漆器の店でした。




(12:22)
諏訪神社に向かいます。




諏訪神社の境内に有った「御柱」。




諏訪神社の横の道に石垣が有りました。
この石垣は、かつての中山道の状態のまま、残っていて文化財に指定されていました。



(12:37)
「道の駅 ならかわ」に着きました。
風が強く雪が舞っていました。




(12:41)
「道の駅 ならかわ」の一角に喫茶店が有り、フィンランドから来た人がやっているとテレビで紹介していましたので、お邪魔してみました。




CAFE U・LIFE カフェ ユーライフと言う店です。




ウッラさんと言うフィンランドから来た方です。
店に入り、撮影の求めに気軽に応じて貰えました。




フィンランドのドーナツです。
1こ買い求めましたが、沖縄のサーダーアンダギーに似た味でした。



バスへ戻りました。
今回も「まると」のお弁当です。
ボリュームが有ります。
晴れていたら外で食べれたのですが、天気が悪く車内でのお昼となりました。




(13:21)
出発時間が近づきました。
集合し、人員確認をして出発です。




(13:33)
列になって歩きますが、風が強く雪が飛ばされてきます。
顔に当たると痛かったです。




押込の一里塚跡。
一面の雪で、草地の中なのか、畑の中なのか判りません。




(14:07)
深澤家住宅の前に来ました。
木曽の町屋の姿を残していると言うことから国の重要文化財に指定されています。
説明板には行商を営んでいて関西へも商売をしていたと有りました。
この主屋の裏には蔵が有りました。



贄川関所へ来ました。
説明しているリーダーです。




復元された贄川関所。




眼鏡橋に向かう道の手すりにはこんなアートが付いていました。




(14:16)
眼鏡橋はメロディー橋になっていて木曽節を奏でるようになっていました。



鉄パイプが下がり、叩くと音が出て木曽節が鳴ります。



JR贄川駅に来ました。



贄川駅を出発します。



(15:34)
古い旧家ですが、明治天皇がこちらでお休みになりました。




中央線で廃線となったトンネル。




(15:46)
是より南 木曽路の石碑。
国道のすぐ脇に有りました。



(15:50)
駐車場でバスが待機していました。




ゴールです。
カミさんと一緒にゴールテープを切りました。



これはゴール時の画像です。
スタート時の撮影を忘念していました。
それにしても20,000歩は歩いたと思います。


感想
まるで雪中行軍のようなウオーキングでしたが32名の参加者全員が歩き通しました。その内の22名は今回で完歩となりました。参加者は50代からから70代にかけての年齢層ですが、皆さん、元気な人ばかりでした。悪天候の中を歩き通し、凄いと感心します。

ウオーキングの面白さ。
リーダーから木曽地方の人口が減少していると説明がありました。
平成の町村合併で最南の山口村は岐阜県の中津川市へ、最北の楢川村は塩尻市に合併しました。中間の町村は合併して木曽町となりましたが、一緒に合併できなかった村もあります。
就業の場所が限られ若者が都会へ流出しているので、減少しているのでしょう。人口の減少と高齢化の問題を抱えていると思います。

今回、トンネルで簡単に通り抜けた権兵衛峠。
かつて、木曽谷は田が少なく伊那谷から馬に荷を乗せて米を運び、帰りに木曽の産物を持ち帰った。木曽駒ケ岳の鞍部の街道が交易のルートになっていたそうです。
単に歩くことだけがウォーキングではありません。色々と説明して貰えて勉強になりました。

回を重ねて、ついにラストを迎えました。このバスツアーは月に2回開催されています。
毎回顔を合わせるわけではありませんが、これまで一緒にウオーキングをして来て、顔なじみの人が多くなりました。お互いの名を知りませんし、知ろうとも思いません。でも「名古屋の人」とか「犬山の人」「豊田の人」と認識し、多くの人と知り合うことが出来ました。
回数を重ねて段々、人の垣根が低くなり、多くの人とおしゃべりできたのも面白かったです。


夫婦で完歩
夫婦で木曽路を歩き通すことができました。私は山に登ったりしていて大丈夫だったのですが、カミさんの方は大変だったと思います。特に、第一回の落合川からの登り坂と第九回の鳥居峠越えは頑張ったと思います。
3月31日に中津川宿をスタートして、月1回のペースで回を重ね、ようやくゴールを迎えました。
1回目はまだ桜が開花する前の時期で雨でした。2回目は馬籠の遅い桜の時期でした。
炎天の時のウオーキングや雨天のウオーキング。色々の事が走馬灯のように脳裏に浮かびます。
一緒に歩き通せたことが嬉しいです。
木曽地方の文化や歴史などを色々と知る事が出来てよかったです。

第1回は雨の中のスタートとなりました。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/d/20120402

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一宮友歩会 第41回例会  河川探訪シリーズ 堀川編Part3  堀川沿いを歩く  

2012-12-05 22:03:47 | 一宮友歩会

一宮友歩会の例会で今回は熱田区、昭和区、中区と名古屋の中心部を南から北へ新堀川沿いを付いたり離れたりしながら北へ歩くコースでした。
特に熱田区では要所ごとに説明の札が立てられ、この辺りの歴史の古さを感じさせました。 
新堀川は、元は精進川と言う川でしたが、精進と言う言葉が良くないとのことで名を変えました。精進川は牛巻や雁道辺りが低湿地で大雨の度に氾濫して居たので掘削改良し、新しい川となりました。掘削改良した時の土は鶴舞公園の小山にされました。

神宮前駅 ― 熱田神宮 ― 宮の渡し公園 ― 裁断橋 ― 神宮東公園 ― 
西福寺 ―  村雲公園 ― 御器所八幡宮 ― 秀吉母宅跡 ― 尾陽神社 ― 
小酒井不水居宅祉 ― 八幡山古墳 ― 鶴舞公園 ― 溺死者慰霊碑 ― 
堀留水処理センター ― 清浄寺 ― 那古野山公園


今回歩いたコース地図です。



開かずの踏み切り。
今回の集合場所は名鉄神宮前駅でした。開始時刻前に参加者がチラホラと集まってきました。
ここは今年6月末まで道路だったのですが、踏切が廃止となりました。


新しい渡道橋計画と遮断された踏切。
JR東海道線と名鉄本線の踏み切りで、列車がひっきりなしに通過します。
新しく完成するのが平成28年。
もっと早く完成させれないでしょうか。



熱田神宮に来ました。


東海道の分岐となる場所です。


宮の宿の本陣が有った場所です。


七里の渡し公園。
かつてはここから桑名に向かって舟が出ていました。


徳川家康が竹千代と呼ばれていた頃に人質になっていた場所。
子供の頃に今川義元の人質になっていたことは知っていましたが、その前段階で信長の父親に、人質で取られていました。
幼い頃の家康。幼年期に人質としてよその武将の下に預けられていた子供の心境はどのような物が有ったのでしょうか。
今回の開催のため、下下見。下見を重ねてきましたが、その段階では、石碑が無くこのように工事中でした。

戦争の爪痕。
石柱は大澤山となっているのですが、空襲で折れたままになっていました。
このような石柱が折れ程強力な爆弾が落下下のでしょう。


戦争の爪痕。
鶴舞公園内に伯爵加藤孝明銅像で銅像部分が無く台座のみが残っていました。
説明板に昭和19年に戦時物資として供出したとなっています。心で供出反対を思っても表に反対意見を言えない時代でした。
近くにいた人からは、備え付けて復元してはどうかとの声が有りました。



御器所の歩道を歩きます。
木が紅葉し歩道に散っています。


秀吉の母の居宅が有ったといわれる場所。


尾陽神社で説明を聞きます。


御器所城の場所ですが、城の石垣だったのでしょうか。


精進川の溺死者の霊を祀る地蔵。
この地蔵建立の発起人の子孫と言う人が私たちの声を聞き、説明に来てくれました。


台座に発起人の名が刻まれています。


木の葉が落ち円墳の姿が良く判ります。


新堀川沿いに材木商が軒を連ねていました。
廃業した店もあることでしょうが、現地を歩いてみて、川で材木が運ばれてきて材木商が隆盛した事がわかります。


堀留水処理センターに着きました。


土曜日でしたが、特別に職員が説明に対応してくれました。


施設内を見学します。


堀留下水処理場の説明。


古い煉瓦が活用されています。


日本の下水道の先駆者だった堀留下水処理場。
100年を迎えました。


ゴールです。

大須のど真ん中に古墳が在ることを知りました。
円墳のような姿ですが、説明板には前方後円墳だったとなっています。
 

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