ノーブル・ノーズの花の穴

麗しき本音のつぶや記
~月に1度ブログ~

生きるボケ死ぬボケ

2019-12-18 11:14:36 | Weblog

全てのものが、終わりを迎える。

会社は倒産する。
お気に入りの店は移転する。
人は集団から卒業する。
関係は離散する。
物は壊れる。
身内は死んでゆく。

蓄えるべきものは、お金より、孤独に耐える力だ。
都合の良いところで、苦しまずに、
自分が死んでくれるとは限らない。

「G線上」のバイオリン教室だって、
先生も生徒も辞めていく。

自分もいつか、今の仕事を辞める日が来るだろう。

「ザ・ノンフィクション」で、
「ぼけますから、よろしくお願いします」を見た時、
ボケたお母さんが、布団にくるまって、
「死にたい。」と言っていた気持ちが、よく分かる。

死にたくはないが、何もできない事が辛いのだ。

介護ヘルパーが来ると、
「気忙しくなる」、「居場所が無くなる」、「死にたい」、
お母さんが言ってる事は、もっともだ。

それより、知らないヘルパーが、
かん高い声で挨拶して、
すごい勢いでアプローチして来る方が、うっとうしい。

年上のお母さんに対して、
「よしよし。」だなんて、バカにしている。
「世の中の役に立つ仕事をしている人」の、
上から目線が嫌なのだ。

料理をしようとするヘルパーの後に、
ついて行くお母さんを、カメラで追いながら、
「何もしなくていいんだよ。」と、くり返す娘は、
その言葉が、母親を、どれだけ傷つけるか、
分からないのだろうか?

お父さんも、本当は、
ヘルパーが入るのは嫌なのだろうが、
自分では支えきれないから、観念したのだろう。
ごねるお母さんに、「感謝しろ!」と怒鳴ったのが、
自分に言い聞かせるようだった。

私が、この作品の中に見たのは、
認知症の介護の苦労ではなく、
どんな相手だろうと、言っている事を、
ちゃんと聴かねばならないという事だ。

相手をボケと決めつける前に、
自分がボケじゃねーか、確認しろ。

終わってゆくものはみな、デリケートなのだ。

 


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