諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

太宰治と三島由紀夫。そして芥川龍之介。それぞれの感情。その3

2019年04月23日 14時50分28秒 | 読書
続きです。

太宰治の芥川龍之介に対する憧れ。これは恋に近いかも。

男にだって女性ホルモンがあります。歳を取るにつれて男女のホルモンバランスが逆転します。男女共にそれぞれのホルモンが減少するのです。

うーん、何と言うかそのう、説明が難しいなぁへー。うーん、言い辛いのですが、女性は女性ホルモンが減って男性化する。男は男性ホルモンが減って女性化する。

60歳頃になると、男の方が女性ホルモンが高く女性の方が低くなる。

もう、ハッキリ言っちゃいます。男女が逆転してしまうのです。

だからそのう、立派なおばさんになってしまった人は下品に成ってしまったりします。これっ、しょうがないのです。ホルモンの関係上、男性ホルモンの方が比重が高くなるのですから。

逆に50代の男は女々しくなる。私の世代の男の自殺が目立つのは、やっぱり女々しくなっているのも一因だと思います。

脱線してしまいました。この話は止めておきます。

太宰治の「芥川龍之介LOVE」に喰らい付いた男がいた。三島由紀夫。本名・平岡公威。

三島由紀夫は何故か祖母の「平岡なつ(旧姓・永井なつ)」に育てられる。「二階で赤ん坊を育てるのは危険」だとして両親から取り上げて。

「平岡なつ」は坐骨神経痛を患い、ヒステリックな性格だったらしい。そして公威を何故か女性的に教育する。

公威は20歳まで女の子の様な言葉遣いだったらしい。男の子の遊びを禁じ、女の子の遊びだけを許した。これは何を意味しているのだろうか。

この件を説明するのは大変難しいですが、私が予てから申し上げている「人殺しの家系」の事を、平岡なつは知っていたのではないかと思います。

「人殺しの家系」とは「親の因果が子に報い」と言う事なのですが、兎に角、長男に災いが降りかかるのです。夭逝してしまうケースが多い。

だから平岡なつは公威を女の子として成人まで育てた。親から取り上げて公威を育てた理由は、何としても公威を生かしてやりたかった。だから20歳まで育て上げたのではないかと考えます。こんな風に考えるのは、私位だと思いますけど。

その弊害として平岡公威は女性的な心も育ってしまった。猛る男の心と素直な女性の心を持ち合わせた進化した人間に育成された。

平岡公威は6歳の頃には俳句も詠めるし、詩も書けるようになったそうです。そして余りの出来栄えから盗作を疑われた。

こう言うのは元々才能が有ったからなのでしょうけど、やはり男と女の心、若しくは頭脳を持ち合わせるからこその様に私は思います。確かに彼は天才でしょうから。

しかし、平岡公威、後の三島由紀夫は其の女の心に嫌悪した。だから自衛隊に体験入隊したり、ボディビルで身体を鍛えていたのかも知れません。自分の男の心を増強し、女の心を追い出す為に。

しかし、それは不可能だった。自分はどの様に生きていったら良いのか。

その一つの答えは三輪明宏の様な気がします。彼の様に美しくなりたい。女性よりも美しい存在になりたい。しかし、それは自分は無理。だからボディビルで男の肉体を強化したのではないか。

かつて三島由紀夫と親交があった実業家で作家の邱永漢は、「三島由紀夫は自分の肉体が衰えるのが耐えられないから自決した」と言ってましたが、確かに鍛えられた肉体で男を認識していたとしたら、老化する身体に我慢がならないのは確かだと思えます。

自分の心の女性の部分と闘う為には、男として鍛え強化した肉体が不可欠。それが老化で失われたら、自分は耐えられるだろうか。

歳を取ると男の男性ホルモンは低下する。女性化していく。女々しくなっていく。男を維持出来なくなる。それに恐怖した。

老化する前に、男としてピークの今、自決すべきではないか。

三島由紀夫は息子を溺愛していたらしいが、それなら子供の為に思い止まるのではないか。

ここの部分は流石に分かりませんね。私は独り者。私には分からないです。


続く。

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太宰治と三島由紀夫。そして芥川龍之介。それぞれの感情。その2

2019年04月19日 17時23分01秒 | 読書
知らなかったのですが、gooブログがリニューアルされて「早く続きを」のボタンが設定されたみたいですね。期待されて嬉しいですが、期待される事に慣れていない人生を送って来た私。ちょっとプレッシャー。そんなに期待せず読んでください。痴れ者ですから。

それでは続きです。

太宰治は芥川龍之介が好きだった。そこで疑問を感じました。太宰治と言う名前に。

太宰治の本名は「津島修治」。津島姓に付いては以前「エミシの心と安東水軍」と題して書きましたが、元々は対馬の出。だから「津島」なのです。

蒙古襲来の時、津軽の安東水軍が交流があった壱岐と対馬に援軍に行った。そして島民を救出し津軽へ連れ帰った。つまり太宰治こと津島修治は対馬の血が流れている。それが芥川龍之介とどう関連するのか。

私は何事も姓名判断と言うか、文字の本来の意味が気になってしょうがない性質なのですが、普通、「太宰治」と言うペンネームを考えるものだろうかと疑問でした。

「太宰治」。何で「太宰」なのか。「治」は理解できる。本名は「修治」。「治」だけを残したと考えられる。でも何故「治」を残したのか。

太宰治はその名前の由来について詳しくは語っていないみたいです。でも芥川龍之介が好きだった。それを加味して考えれば、答えが出ると思いました。

出ました。太宰治の名前と芥川龍之介の関連が。勿論、私の解釈ですが。

「太宰」と言えば「太宰府」です。太宰治の「太宰」は「太宰府」から採ったのは間違いないでしょう。

では、何故「太宰」を姓としたのか。

一つは対馬の血が流れているからでしょう。蒙古襲来の時、蒙古と対峙した日本の拠点は太宰府でしたから。

太宰治は知っていたと思います。自分に対馬の血が流れている事を。

安東水軍に助けられた。だから青森県に生まれた。

太宰府も蒙古と戦ってくれた。その感謝と親しみを込めて「太宰」と称したのではないか。

それに「芥川龍之介」が加わります。芥川龍之介も太宰府に関連がある。

「芥川龍之介」。本名です。名前を直訳すると「ゴミだらけの川に住む龍を助ける」となるでしょうか。かなり悪い名前です。

でも本来なら「新原」姓だったのです。父親が「新原」でしたから。

しかし、父親が幼少時に亡くなった。妹も亡くなった。母親は精神に異常をきたした。それで母の兄の養子になり、「芥川」姓を名乗った。

この「新原」姓ですが福岡県が発祥。つまり太宰府です。この事、芥川龍之介が大好きな太宰治は知っていたのではないでしょうか。芥川龍之介が大好きだから、太宰を名乗ったのではないでしょうか。

そして「治」。「修治」の本名から「治」だけを残した。それは何故か。

「治」は「水」と「台」です。元々は「川の氾濫を台に乗って監視する」との意味です。それが「川を治める」意味合いから発展して、今の「支配する」的な意味となった。


そこから考えると「太宰治」は「太宰府の川を監視する」と訳せる。

「芥川龍之介」の血筋は太宰府の出。そして「芥川」。つまり「太宰治」は芥川龍之介が好き過ぎて、「芥川龍之介を監視する、見続ける」との意味合いから「太宰治」を名乗ったのではないか(少々苦しいけど)。

こんな事を考えるのは私位だと思いますが、好きだからこそ「太宰治」の名前に辿り着いたと考えます。

勿論、断言はしません。名前に左右される人生を送っている私故の考えですから。


続く。





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太宰治と三島由紀夫。そして芥川龍之介。それぞれの感情。その1

2019年04月18日 12時08分57秒 | 読書
読書のカテゴリーで書いちゃいますが、私、彼らの本はあえて読んでいません。

私は意外と人に感化されてしまうのです。だから自殺した作家が怖い。私を洗脳するのではないか。私を死に導くのではないかと思って。

それは今回置いときます。前回、「私が新紙幣の人物を選ぶとしたらら・・・・。」と題して記事を書きました。

そこで気が付きました。太宰治と芥川龍之介の顔が似ている。髪型がほぼ同じ。二人とも顎に手をやる写真を見かける。これは何かある。

気になったら調べたくなるのが私の性。調べました。分かりました、その理由が。

何と太宰治は芥川龍之介が大好きだったのですね。知らなかった。

でも姿やポーズまでマネするかな。憧れていたのは分かるけど、良い歳してそんな事をするのかな。

当時、彼らはジャニーズアイドル並に女性に人気があった筈。あの髪型とあのポーズは女性に受ける為にしていた。芥川がモテるから俺もやってみようと太宰が真似ていたのか。チョット疑問。もしかして太宰治はゲイではないのか。何となくゲイっぱい顔をしてるし。

私はバリーマニロウが好きなのですが、バリーの音楽は普通じゃ有り得ないと思っています。こんな天才いるのかと。

そして私は薄々気が付いていました。バリーはゲイだと。ゲイだから男の感情も女の感情も分かる。理解している。だから的確にヒット曲を生み出せる。ゲイは天才。ゲイだからそれが出来るのだと。

今、テレビで人気のマツコ・デラックスもそうですが、頭の回転が速い。人への伝達力が優れている。人を魅了し洗脳する雰囲気がある。

彼(彼女?)も間違いなく天才。男と女の感覚を備えている。だから説得力がある。それは究極の人間。それは人としての進化。ニュータイプなのではないだろうか。

他にゲイとしてでテレビに出ている人も長年活躍している人が多い。芸能界で長く生きるって才能が絶対必要。それはゲイだから出来る芸当ではないか。

そう考えると太宰治もゲイなのでは。ゲイだから芥川龍之介が好きなのではないか。

否,それだけではない。三島由紀夫は勿論、川端康成もゲイだったのではないか。

ゲイだから皆、あれだけの名作を残せた。そしてゲイだから悩み苦しみ、死を選んだのではないか。


つづく。




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「矢沢宰詩集 光る砂漠」を読んで。

2017年03月07日 11時07分02秒 | 読書

この矢沢宰さんは7歳で腎結核を発病。8歳で片方の腎臓を摘出。そのころから死を意識して生きて来たみたいです。そして14歳で詩を書き始め、21歳で亡くなったそうす。

もう最初の出だしから生きるか死ぬかを書いています。14歳でです。14歳から21歳までずっーと生きるか死ぬか。頑張ろう、駄目だ。期待と挫折の交錯。チョッとした出来事にも一喜一憂。読んでいて辛いです。

過ぎ行く日々、季節に置いてきぼりをくらう感覚。付いていけない自分が情けない。他人には出来て、自分には出来ない。

慰めてくれる物は病室の窓から見える景色、草木花々、流れる雲、雪、小動物、白いナース着の看護婦さん、そして母親。それだけを想って生きている。

そして憎んでいるのは弱い自分。悪い自分。悪く弱い自分との戦いの日々。悲し過ぎます。

そう言えば福島県の放射能による帰宅困難地域に結核病棟がありましたが、以前は結核は死に近い病で、若い人が多くなくなっていました。

私もいわき市在住の5歳の頃、腎臓病で2週間ほど入院していた事がありましたが、ずっーと小学校にも行っていない子供が同室にいました。この矢沢さんも絶望の中、僅かな希望に縋り勉学し遅れて高校にも進学しましたが、それも価値があるのかも判らない。病は辛いですね。

ここで矢沢さんの詩で心に残ったものを3つ書きます。

 

 

われわれは 

水分の少ない泥の中で動いている鮒だ!  

頭を持ち上げたり 身をよじったり 生きよう生きようとがんばる。

鮒は世の中のもの追いつこうと必死である。

動けば動くほど悪いとわかっていても・・・・・・・・。

それでも鮒には時々、

澄んだ水が流れてくる時がある。

するとすぐ有頂天になってしまう。

だがまたしょげてしまう。

それは泥の中しかわからないと想って・・・・・・・・。

鮒が見るのは空の色だけである。

空に夢を話すこともある。

 

少年

 

光る砂漠

影をだいて

少年は魚をつる

青い目

ふるえる指先

少年は早く

魚をつりたい

 

小道がみえる・・・・・・・・

 

小道がみえる

白い橋もみえる

みんな

思い出の風景だ

然し私がいない

私は何処に行ったのだ?

そして私の愛は?  (絶筆)

 

この三つの詩、全部判りますね。手に取るように私には判ります。

特に最後の詩の「私は何処に行ったのだ?」。

悪くて弱い自分と戦っていたのだが、その悪くて弱い自分こそが自分自身だった。その自分が消えた。悪さと弱さの克服は死しかなかったと言う事でしょうか。辛いですね。何時も死を意識して生きるのは。

私の従兄弟も同じ21歳で亡くなりましたが、死は突然やって来る方がマシなのかな。彼はやれる事はやっていたみたいだし。でもやりたいことはまだまだ有った筈だけど。

私と従兄弟と矢沢さんの共通点は釣りが好きだと言う事だけど、もっともっと釣りたかった筈。魚に限らず。色々な人生を。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

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「僕の死に方 エンディングダイアリー500日 金子哲雄」を読んで。 その2

2014年08月29日 00時53分06秒 | 読書
さて、続きです。

彼、金子哲雄氏が急激に痩せたのは、私には持ち合わせていない金子氏の根性の賜物だと思っていました。そして鼻にチューブが・・・・・・。

私は「何か病気なのか、呼吸が苦しいからチューブで鼻に酸素を送っているのだから肺が悪いのか」と思いましたが、何時もと変わらないマシンガントークでしたので、「一時的になんだろうな」と思いました。

そして急にテレビから姿を消した。

「手術でもしているのか」と思っていたら直ぐに「肺癌で亡くなった」と訃報が流れたのです。

私は驚きましたよ。「亡くなるギリギリまで仕事をしていたのか」と。

それに彼には二人の姉と弟の4人兄弟だったのに、既に金子氏一人を除いて亡くなっていたとテレビで伝えています。これにも本当に驚きましたね。「何て因果な家系」なのかと。

金子氏を入れて4人兄弟全員が亡くなるなんて、どうなっているのでしょうか。ご両親はまだ健在のようです。こんな不条理があるのでしょうか。

頭に来ます。頭に来ても誰に怒っていいのでしょうか。神にでしょうか。神に対して怒るべきなのでしょうか。

ここまで負の因果が強いと、何が何だか分かりません。世の中のせいでもないし、自分のせいでもない。理不尽だし、ご両親が可哀想過ぎます。ここまで酷い人生ってあるのでしょうか。

金子氏の正式な病名は肺癌の一種の「肺カルチノイド」。10万人に1人の割合で発症する病気です。しかも金子氏の場合、かなり特殊な組織型のカルチノイドと言う事で、数千万人に1人の確率だそうです。

数千万人に1人ですから前例が殆ど無い。外科手術、抗がん剤、放射線治療も効果がない。治療の施しようがない病気です。こんなの有りなのでしょうか。

私の59歳になる母方の従兄弟も数年前に肺がんで亡くなっています。タバコが止められず肺癌となりました。自業自得と言えばそれまでですが、因果に苦しんで生きてのことです。

しかし、金子氏の場合、問答無用の病気です。兄弟全員問答無用。誰が何故あからさまな意思で命を奪うのでしょうか。

私は何時も死に対して考えて生きて来ましたが、ここまで徹底した死を与える存在に対して怒りを覚えます。

残念ながら私が怒っても何も解決しませんが・・・・・・。

それに対して金子氏、見事な人生でした。延命治療もせず最後まで仕事をし続けるなんて見事としか言えません。

自分の死を確信し、受け入れ、最後の最後まで仕事をし続けた。死を覚悟してこの本を書き、自分の葬式まで自分でプロデュースするなんてて、見事と言う外ありません。

それに比べこの私、長年ウジウジと生きています。心が弱すぎます。金子氏に完敗です。ここまで凄い人だとは思いませんでした。「どうもすいません」と謝りたい気持ちでいっぱいです。

金子氏は享年41歳。自分で90点の人生だったと言ってます。

今の私はどうか。せいぜい2点位でしょうか。全然ダメですわ。

ここで大変無粋ながら私のいつもの癖で姓名判断で彼の人生を調べました。残念ながら姓名は彼の人生を予知していました。

正負の法則でも兄弟の死と言う大きな負を支払っていましたが、全力で正に生きた。それが今回の負に繋がったとも考えられます。

出来れば姓名を手直ししたり、正負のバランスを取れば何とか・・・・・と思いましたが、それにしても理不尽すぎると思いました。

私はただただご冥福をお祈りするとともに、彼と言う死に立ち向かった男の記憶を、心に刻んで生きて行きたいと思う次第であります。


ではでは。

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