諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

白水阿弥陀堂と沼ノ内弁財天の猫には悪い事をした。

2021年01月09日 10時49分59秒 | 旅行
正月恒例の禊旅ですが、コロナに感染した可能性と身体がだるいことから、フラフラしています。

其れプラス、スマホによるナビ。

道が分からないのでスマホホルダーにセットして、スマホをナビとして運転していたのですが、スマホを見る度にクルマに酔ってしまう。

体調が悪い時にクルマを運転すると覿面に酔ってしまうのですが、運転しながらのスマホのがん見も直ぐに酔う。もうヘロヘロ。本当に気持ちが悪い。少し休みたい。

本当は「いわきワイナリー」でコーヒーを飲みたかったのです。

私の母親の実家梨園の正面に出来た「いわきワイナリー」。この場所には好間の炭鉱のズリ山があった。亡くなった従兄たちは「おさびし山」と呼んでいた。

なるほど、ムーミン谷の「おさびし山」そっくり。何か私に似ている。でも、何時の間にか消えてしまった(消えたのではなく、木々が生えて分からなくなった)。

「いわきワイナリー」は中々の景観の地に建てられています。雑木林にもテーブルとイスがある。ここで本を読めたら良い気持ちだろうな。

でも、この寒さだから室内でコーヒーを飲もう。そして梨のワインを買って帰ろうと思っていたのですが、正月3日まで休みだった。

まっ、何時もの私のセオリー通りと言う事ですね。

そう言う事で、久々に近くの白水阿弥陀堂に行ってみっかとなったのです。

ここは福島県唯一の国宝なのですが、コロナの為か参拝客は少なかったです。

奥州藤原家初代、藤原清衡の娘・徳子が平泉を模して造った庭園なのですが、中々の趣です。巨大な池には鴨が多数泳いでいる。紅葉の季節は美しいと思います。建造物が一つしかないのが、ちょっと寂しいですが。

さて、参拝しようと思ったら、お賽銭が無かった。引き返して自動販売機で缶コーヒーを購入。そこのベンチで缶コーヒーを飲む。これが中々の幸せ。

そして再度境内に入りつり銭をお賽銭とし参拝。帰りは子供が凧揚げし、犬が遊んでいる広大な広場を通り駐車場に。

クルマに近付くとキジトラの猫が近付いてくる。私はフラフラしながらクルマの中に入る。窓から猫を見たら、キジトラがクルマのドアの前に座っている。

このままクルマを出したら猫を轢いてしまう。困った。「何か食い物をくれ」と言っているみたいだ。

食い物はパンしかない。バター入りの高いパンだ。でも、猫ってパンを食うのかな。

私はパンプキンが生地に練りこまれた、小さいサイズの食パンをちぎり、キジトラにあげて見た。キジトラは口に含み吐き出した。

「やっぱり食わないか。でもパンしか食べ物は持っていないんだよ」とクルマに戻ると、一気に食べだした。何だ、食べるんじゃないか。

またちぎってパンを投げる。また食べた。しょうがない。また投げる。また食べる。旨いみたいだ。それならと持っていたパンプキンパンを全部与え、食べている間にクルマに乗り込む。野良猫も生きて行くのは大変だなぁーと思って。

次の日、迷ったが通年通っている沼ノ内弁財天に。

ここには車中泊できそうな広大な駐車場がある。トイレ付だ。

正月はこれでもかと露店が並んでいたものだが、今は露店など並ばない。元旦参りをする人もかなり少ない。これも巨大ウナギが消えたからだと思う。私の子供の頃は、1メートルをはるかに超える腕の太さの巨大ウナギがいたものだが。

勿論、ウナギのを取るのは禁じられている。神の使いだから当然だ。

弁才天とウナギ、何か関係があるのか。

ある。私は気が付いた。弁才天が天宇受売命であるならウナギは重要な存在だ。

まっ、その話はまたの機会にしますけど。

私は沼見台??から沼の風景を見る。沼の表面は凍っている。凍っていないところには鴨が泳いでいる。パンを持ってくれば良かったかなぁー。

そしたらどこからか猫の鳴き声が。後ろを振り向くと社の賽銭箱の隣に茶白の猫がいた。気持ち良さそうに日向ぼっこをしていた。ニャーと私を呼んでいた。

また猫がいた。私は駐車場のクルマに戻り,高級レーズンパンを取ってくる。このパンもバタータップリで猫も食べる筈。

ちぎって与える。不審がっている。食べないかと、目をそらしている間にパンは消えた。やっぱり食べるんじゃないか。ゴロゴロ言っているし。

そしてまたちぎり、またちぎりしてパンを与える。この猫も野良猫なのだろうなぁー。昨日の夜は寒かったが、大丈夫なのかなー。私が1人暮らしをしていたら、連れて帰っても良いかなぁーと思いながら、沼ノ内弁財天を後にした。

そして仙台に帰郷。何かフラフラがまだ取れない。寝るしかない。

そこでふっと思った。本当に猫にパンを与えて良かったのかを。

ネットで調べてみた。そしてら猫にパンを与えては駄目とのこと。

炭水化物のパンを猫が食べたら消化不良となる。便秘、下痢、肥満、糖尿病になってしまうと書かれていた。

そうだよ。本当は私もパンは食べては駄目なのだ。それなのに猫にも与えてしまった。下痢や便秘になっていたら悪い事をしたなぁー。申し訳なかった。失敗した。

よし、今度行った時はチャウチュールを持って行ってやろう。軽い猫のエサも。その程度しか猫には楽しみは無い。野良猫の寿命は短い。そのくらいの事はしてやろう。

それがせめてもの罪滅ぼし。其れまで生きていて欲しい。本当にまた持って行くぞ。


ではでは。

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西会津、奥会津に別荘が少ない理由。

2020年07月05日 10時06分46秒 | 旅行
これも以前書き半端にしていたヤツです。出しときます。


昨年の夏、西会津、奥会津の道の駅で車中泊をしました。

会津は盆地。夏は大変暑いと言うのは分かっておりましたが、双方の道の駅は標高の高い場所に位置する。夜は涼しい風が吹く筈と思っていた。甘かった。

とんでもない暑さ。全然眠れない。睡眠薬を飲んで無理やり寝たが、暑さで午前5時に目が覚めた。朝の5時でさえ暑い。これ、東京より全然暑いんでないかい。

裏磐梯や天栄村の道の駅での車中泊は涼しくて快適だったが、この双方の会津では地獄の様な暑さだった。

それで分かった。西会津や奥会津に別荘が殆ど無い訳が。

別荘と言うのは軽井沢とか避暑地に有るもんです。しかし西会津、奥会津は夏、とんでもなく暑い。全然避暑地ではない。

夏にあんな暑い場所に行くなんて馬鹿げている。別荘なんてとんでもない話。しかも冬は頗る寒く雪も深い。積雪3メートルもザラ。別荘を建てる人がいないのも当然か。

実は西会津、奥会津を終の棲家にしようと考えていたのですが、候補から省きました。

西会津は簡単に渓流魚が釣れる。

奥会津ならボートも持っているので、沼沢湖でヒメマスを釣りながら余生を過ごそうと考えていたのですが、会津の自然は半端ない。諦めました。

現在、日本の不動産価格が高騰していると伝えられていますが、それは令和2年1月1日時点でのこと。コロナは全然考慮に入っていない。実際は3割下がっているとの報告もありますが、それ以上に山の中の別荘価格が急落。ビックリするくらいの安値で買えます。

それと現在の空家率は14%とされていますが、12年後には30%に達するとの報告も有る。もう、そこらじゅう空家だらけになります。

超田舎だと住んでくれる人に補助までしてくれる。ただで古家を譲渡する人も現れている。もう住で悩む事は無い。まだまだ安くなる。

だから私の終の棲家はじっくりと考えたいと思います。

そう言いながら、その前にポックリと逝ってしまう。途中で駄目になる。それが姓名判断にもあわられている私の人生のパターンなので、実現する可能性はかなり低いですが・・・・・・・。


ではでは。





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いわき市・車中泊の旅。【鹿狼山神社編】その6

2019年01月29日 08時59分49秒 | 旅行
これで終わるつもりです。続きです。

鹿狼山の頂上に足尾神社が鎮座していたのは全然知りませんでしたが、太白山の手長伝説も解明出来る部分はあったと思います。

でも問題は会津磐梯山の手長足長伝説。まるでヨーロッパの童話の「長靴をはいた猫」のストーリーそっくりなのは何故ざんしょ。しかも付近には「猫魔」と言う地名もあるし。その猫を演じるのは空海なんですけど・・・・・。

うーん、これはまたの機会に語りたいと思います。

さて、辺りを再度360度見渡し、神社に挨拶、鳥居を出て鳥居に挨拶、階段を下ります。

休憩小屋に置いた自転車のチューブで出来たメッセンジャパックへと向かう。

珍しく無断言しますが、山を登る人は浄化されている。だから心が穏やか。私のバッグを持ち逃げする人はいない。もっとも浄化され過ぎると命を落とす。人間は清濁を併せ持って生きている動物だから。

山小屋に戻ると60代の男性が一人になっていた。もう一人は下山したみたい。そして彼は私に「いい写真が撮れましたか」と声をかけて来た。

私は「ええ、まぁー」と軽く会釈。

60代の彼は私に「やっぱり」山が好きなのですか」と質問。

私は「この身体を見て山が好きだと思いますか」と疑問に思いながらも、考えてみれば20代からアウトドアファッションオンリーで生きてきた私。カッコだけは山男に見えるのかも。

そして「山が好きと言うより、ここの神社に参拝したくて登って参りました」と。

彼は「えっ」と絶句して「今までこの山には何度も登っているけど、神社の参拝の為に登って来たという人は始めて見た」と。

うーん、そんなもんなのかな。私は山といえば神社なのだが。

彼の話では鹿狼山は日本で一番早く山開きされるそうです。1月1日が山開き。本日は5日。

確かにここから御来光を見るのは清々しいだろうな。正月元旦の午前1時前に何時も友人が宮司をしている桜岡大神宮に参拝。それから方々へと車中泊の旅に出ていたが、次回は参拝してから直ぐに鹿狼山に登ろうか。それも良いな。

さて、4時10分過ぎ。そろそろ下山しなくては。私は60代の彼にそれではと会釈。

彼は名残惜しそうに「いいお湯ですから、是非、鹿狼の湯に浸かって帰ってください」と。

うーん、時間があれば是非にも入りたいが麓までは40分はかかる。そうなると到着は5時。それから風呂に入ると6時を過ぎる。「難しいかも」と思いながら下山した。

彼は山のガイドのようで山小屋にはお茶を振舞いながら5時まで居るみたい。こんな小さな初歩的な山でも遭難するヤツは居る筈。それを助ける。ボランティアでしょうけど徳のある仕事だと思いますね。

帰りは当たり前だけどオール下り坂。

私は20代の頃からスニーカーはSAUCONYと決めている。履いて来ているヤツはトレールランニングなのだが、若干サイズが大き過ぎる。

私のジャストサイズは25.5~26.0なのだが、直ぐに履けるように26.5を履いているのだ。だからスニーカーの中で足が動き疲れる。下り坂だからつま先に圧が加わる。下りでも結構疲れる。

行きは1時間40分近くかかったが、帰りは約40分で下山。頂上への所要時間40分と言うのは、黙々と歩き続けた時間なのだな。いくら何でも登り坂は40分では私には無理だよ。はぁー疲れた。

麓の鳥居に到着。礼をする。私の鹿狼山登山の相棒を務めてくれた竹杖を感謝を込めて撫でる。愛おしい。もって帰っちゃおうか。

否、この竹杖は霊場も物。登山者を手助けして頂上へと導く杖神。持って帰るのはまかり成らん。惜しい気持ちで一杯だが当然置いていくことに。未練だけど。

時間は5時。どうしよう。鹿狼の湯に浸かりまどろんで、閉店時間で本を読んで後は車中泊でまた一泊しちゃおうか。

でも、ここの駐車場、一人だと恐ろしいな。しょうがない。帰る事にしよう。未練だが。

そして2時間ほどクルマを飛ばし、途中ドンキで安物のスナック菓子なんぞを買い、食べながら運転して帰りました。4日間宿泊したけどお金はあんまりかからなかった。それでも良い旅だった。

もう親戚には合うつもりは無いから、盆と正月はこれからも車中泊の続け行きたい。柵との縁は切った。

私の忠告を無視つづけ金銭面や人生、そして命を大損した馬鹿とはもう話もしたくない。もう人の負まで背負う事はしない。更なる不幸がやってくるだろうが、私はもう知らん。どうとでも成ればいいさ。それが人殺し、神殺しの一族の定め。避けられないヤツは避けられないのだ。

今回のいわき市の旅を巡ってての感想だが、やっパリ私は鬼渡神との因果を感じる。鹿狼山も和多志神。大山祇神の山だった。

所有していた北好間字下屋敷の土地は閼伽井嶽の参道。途中に大山祇神の石碑が祀られていた。私の家系は天穂日命に続くのであれば、大山祇神を殺した家系なのかも知れん。参拝し続けないと命が続かない気がする。

そう言う事なら、今年の夏は大山祇神社の東北の総本山である西会津の大山祇神社に参ろうではないか。時間をかけて。


それまでには体重も減らさねば。目標は65キロ。そうなったら無呼吸症候群のC-PAPも突っ返せる。糖尿病薬も減るかも知れん。死なない程度に身を剃り落として西会津の山に挑んでやる。

待っていろよ西会津。そして沼沢湖。アタ族の地を見て来てやるぞ。


ではでは。



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いわき市・車中泊の旅。【鹿狼山神社編】その5

2019年01月28日 13時22分43秒 | 旅行
続きです。

話を手長伝説に戻します。

鹿狼山の手長は年老いた鹿と狼を連れていた。年老いた鹿と言いますと大山祇神の妻神??である鹿屋野姫神を思い浮かべます。「鹿屋」とは昔の家の屋根に敷いていた「萱」の事で、鹿屋野姫は屋敷神であり草神。漬物の神でもあり、故郷のいわき市ではタバコの神でもあります。

狼の方は大山祇神の眷属と考えらます。大山祇神を祀る神社には狼を狛犬にしている神社も多くありますので。

鹿屋野姫神は大山祇神との間には8神の子を産んでいます。天之狭土神、国之狭土神、天之狭霧神、国之狭霧神、天之闇戸神、国之闇戸神、大戸惑子神、大戸惑女神となります。ちょっと祟りが怖いですが、名前から推察しまして悪神に捉えられていると思われます。

っと言う事は手長足長がその性格に合いそうです。会津磐梯山の磐梯明神である手長足長は悪神として伝えられているので。

ここで太白山と照らし合わせます。太白山の頂上には貴船神社が鎮座してます。

「貴船=木船」。山の頂上に船なんておかしいと思うでしょうが、船はあの世とこの世を行き来するアイテム。だから山に祀られるのです。そして貴船権現の神道での名前は高龗神、闇龗神。

どうですか、上記の大山祇神と鹿屋野姫との10神の御子神の名と似ているでしょ。

私は以前、「瀬織津姫=手長」だとどこかの記事で書きましたが、貴船権現が瀬織津姫であるなら、鹿狼山・太白山の伝承を照らし合わせても言えると思います。

それとスタジオ・ジブリの「もののけ姫」も瀬織津姫がモデルではないかと記事を書きましたが、年老いた鹿はダイダラボッチになった。大山祇神の眷属の白い狼を連れている。そして手長足長は巨人のダイダラボッチ。おんぶした姿は蜘蛛。否、八岐大蛇。主役はサンとアシタカ。

サンは太陽神を表す。もののけ姫なのですから天照大神荒魂の瀬織津姫の性格に見れます。

アシタカとカップルになるのなら、アシタカは足長でサンは手長。

そんなところから「もののけ姫」は鹿狼山の手長伝説を土台にしているのではないかと思っちゃいますね。

何か話がシドロモドロになってまいりました。話を鹿狼山に戻します。

頂上には鹿狼山神社が鎮座している。祭神は大山祇神。そして境内社??として足尾神社が鎮座している。

足尾神社の神紋は「丸に羽団扇」。天狗と風神を示している。そして祭神は國立常命、面足命、かしこ根命。

國立常命は別天神。天地をを最初に開いた5神の1神。鹿狼山で考えると日本の地主神の祖である大山祇神を示していると思われます。

面足命。「面は顔」。「足は養育」。つなり「顔が整っている」、「美しいお顔の神」と訳せます。

漢字が出ないので「かしこ根命」と表記しましたが、その意味は「立派な男根を持つ神」となります。

つまり「美しいお顔の女神」と「立派な男根をしている男神」。これって道祖神を示しています。神紋も風神・猿田彦尊をイメージしますし。

山は霊場です。この世とあの世の境界線。だから道祖神が祀られている。

大山祇神の別名は和多志神。つまり渡神。境界線の神。アタ族が信仰していた神。

上記に書いてきた神々は道祖神。更には幸神となります。日本の本来の神。つなり手長足長が道祖神。手長が面足命で瀬織津姫。そして道祖神の女神。幸神の女神となるのではないでしょうか。

では「かしこ根命」は誰なのか。饒速日尊と考えられますが、饒速日尊は「早くに降伏した太陽神」と訳せます。本来は殺された可能性が高いので、私的には朝廷側に寄せて創造された神と考えます。

私的には長脛彦神をモデルとして饒速日尊を創造したと思えます。長脛彦神は「長い足の太陽神」と言う意味。足長に通じる名前なので。

天孫族にとって長脛彦神は日本最強の逆賊の神。その神を調伏したい。だから饒速日尊を誕生させたと考えます。



つづく。




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いわき市・車中泊の旅。【鹿狼山神社編】その4

2019年01月26日 16時46分38秒 | 旅行
続きです。そろそろ終わりたいです。

その昔、鹿狼山の頂上では老いた鹿と狼を連れた御手長様がいた。御手長様はその長い手を伸ばして海辺の貝を拾って食べていた。貝殻は鹿狼山の山麓に捨てられていた。その場は貝塚となり手長明神として祀られた。

そんな伝承が残っていますが、私は海辺と鹿狼山山麓に海人であるアタ族が暮らしていたと思っています。

では何故、二か所に分かれて暮らしていたのか。

震災を経験して実感したのですが、当時のこの地域の人々は何度も震災で大津波が来ていたことを承知していた。それは間違いないと思います。

宮城県・岩手県・福島県の海岸に鎮座する神社の大部分は大津波の被害を免れている。伊達政宗の時代にも大津波が来たのですから当然。現代人の方が津波に怠惰な気持ちだった。

そこから海で漁をして、鹿狼山山麓まで魚介類を持ってきて食べて暮らしていた。毎日海まで通っていたと考えていました。チョット無理があるなと思いながら。

でも松川浦からクルマで鹿狼山まで来ましたが、ここを歩いて移動したら日が暮れてしまいます。それだけで一日が過ぎてしまう。先ず無理です。

どちらでも暮らしていたのは間違いないと思いますが、毎日移動していたと言うのは無理。足がボロボロになっちゃう。

では何故分かれて住んでいたのか。それは手長伝説が示している。

手長は鹿狼山の頂上に座って長い手で海から拾っていた、つまり鹿狼山側のアタ族が主導していた。

鹿狼山の頂上からの景色は全てを見渡せます。私はド近眼ですが、古代の人達はかなり視力が良かった筈。視力2.0どころではない。もしかしたらアフリカ人並みに7.0だったりするかもです。

当時、地震と津波の関連は分からなかったでしょう。地震が来ても津波が来るとは限らない。でも鹿狼山の頂上にいれば、地震の後、津波が来るのが分かる。津波が来たら狼煙を上げて海側のアタ族へ知らせ、非難させる事が可能。

松川浦は津波の被害が甚大でした。宮城県でも閖上の町が津波で全滅状態。実は閖上を一望出来る山にも手長伝説が伝わっています。その山は太白山。

太白山に付いては今一分からない点が有りますが、閖上は赤貝の名産地。松川浦は蛤が有名。そして太白山の麓にも貝塚が有る。鹿狼山との共通点が多い。

閖上(ゆりあげ)の「閖(ゆり)」の字は日本中で閖上でしか使われていないそうです。観音像が閖上がったからその地名となりましたが、それって津波で閖上られた事を意味していると考えられます。それだけ昔から閖上は津波に悩まされていた。

だから鹿狼山や太白山ではアタ族が常駐していて津波を山頂で監視していた。海側のアタ族に指令していたと考えます。

勿論、津波に備えてだけではない。山頂に火を灯して灯台の役割も果たしていたと思います。また雨雲の接近も分かるでしょうから、それを狼煙等々で知らせていた。

また、福島県や宮城県はの海沿いの川は鮭が遡上する。目が良いのであれば、それも理由になるかも知れません。

それと、これはどこまで信じていいか分かりませんが、狼煙はその名の通り「狼の糞」を燃やしていたから狼煙です。垂直に煙が昇るそうなので。狼煙は中国から来ているので日本でも狼の糞を使っていたかは不明ですが、鹿狼山の名の通り、この地域は狼が多く住んでいたのは伝承からからも間違いないです。

狼と言うと森を連想しますが、狼も鹿も塩分が大好きな生き物。海の側で生息していたのです。

「送り狼」の伝承が有りますが、人の尿は塩分が強い。だから狼は人の尿を舐めたくて、付かす離れず人を追っかけてくる。それだけ塩が好き。

宮城県・福島県の海側は狼や鹿の楽園だったのは間違いないですね。


続く。







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