諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

永井平九郎と御鍋神社 その2

2013年01月05日 23時29分52秒 | 永井平九郎

「平ノ九郎」の意味について語ると言っておきながら、まだ、「御鍋神社」の所在地、まだ言っていませんでしたね。

後々書くと訳が分からなくなりそうなので、今書いときます。

 

さて、「御鍋神社」の鎮座する場所はと言うと、福島県天栄村の二岐温泉(ふたまたおんせん)のあたりです。

天栄村と言うと羽鳥湖のレジーナの森やスキー場、発泡スチロール??で出来たジャパンドームハウス製のホテル当たりが有名なのでしょうか。名産は健康食品のヤーコンくらいなもんだと思います。

 

二岐温泉は、温泉作家(こう言うのか知りませんが)が最初に「秘湯」と呼び始めた温泉らしいです。それだけとんでもない山奥にあるという事ですわね。

 

実は私もまだ「御鍋神社」へは行っていませんし、詳しい住所も分かりません。かなり山奥に入るようなので、ちゃんとした住所はないと思います。

 

まあ、私のブログを読んで、「御鍋神社」に行きたいと思われる奇特な方はいないと思いますが、ちょっと行き方をご説明しますと、二岐温泉から二岐橋を渡り、二岐林道に出て、小白森山登山口の看板から4キロの道のりです。神社までは二俣川に沿って道が続いていて、「御鍋林道」とも言うらしいです。

車で行けないこともないようですが、かなりのダートで、バイクならオフロードでないとダメみたいですね。

途中、「山の名水百選(誰が選んだのだろ)」にも選ばれた「桔梗清水」があるそうですが、説明文には「源義経の側室の桔梗姫が使用した清水」とあり、「桔梗の姫のかくし清水授水場」と呼ばれているそうです。

うーん、これって間違っていると思うのですがね。源義経の側室に桔梗姫なんていないし、多分、「静御前」と間違えたのでしょう。

これまた多分ですが、、「源九郎義経」も「永井平九郎」と間違えたのだと思います。「九郎」違いです。ご苦労な事です。まあ、伝説なんてこんなもんです。

 

「御鍋神社」の目印は、鳥居がわりに「森の巨人百選(村起しの一環ですかね)」に選ばれた二本のサワラの巨木が立っており、その隙間から大鍋(本当は大釜)が見えます。

ハイキングコースにあるような神社なので、当然、神職の方が常駐しない無人の神社です。

 

何故、こんな人目を隠すようなところに鎮座しているかと言うと、「永井平九郎」は時の朝廷に追われている逃亡者ですので、ここまで逃げてきたからと言う事ですね。

 

その「永井平九郎」に付いては、諸説色々あります。

例えば、「永井平九郎は平将門公の家臣で、時の朝廷に叛旗を翻した将門公を諌めたが聞き入れられず、将門公は戦中、額に矢を受けで死亡。

"そんでわっ"ってことで、永井平九郎は時の帝から賜った鼎を持ち、将門公の側室の「桔梗姫」を伴い、一部の一族を連れて、追っ手からこの地まで逃げてきた。

桔梗姫はその時、将門公の子供を宿しており、逃亡中に出産。桔梗姫は出産後、か弱き女の身での逃亡は足手纏いになるとして、その場で自害。

永井平九郎は生まれた将門公と桔梗姫の子供を抱え、朝廷の鼎(大鍋??、大釜??)で飯を食い食い逃亡生活を続けるのであった。」と言う説があります。

申し訳ない、少々私のフィクション入りです。

 

ここまで言うとお分かりかも知れませんが、「御鍋神社」には「永井平九郎」の他に、「平将門公」と「桔梗姫」も祀られています。

中央に主祭神の「永井平九郎」。配神として「平将門公」、「桔梗姫」となります。

 

天下の「平将門公」を差し置いて、無名の「永井平九郎」を中央に祀るのは大変おこがましいのではとお思いの方もおられるでしょうが、この伝説の主人公は「永井平九郎」でありますし、「永井平九郎」には別の説というか、まだまだ秘密があります。

 

それはまた次回に、お題を変えてお話したいと思います。

 

ではでは。

 

 

 

 

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永井平九郎と御鍋神社 その1

2013年01月05日 09時09分13秒 | 永井平九郎

えー、お題目はチョット変わりましたが、前回からの続きです。

 永井平九郎の事について、どこまで話したらいいか、問題発言にならないか考えていましたが、その時はその時。気にせず書きたいと思います。

 さて、永井平九郎については、馬鹿でかい福島私立図書館でも結局は発見出来ませんでした。

多分、探し方に問題があるのでしょうけど<限られた時間でそんなマイナーな人物を探すのはやはり難しかったです。永井平九郎を載せていた40年前の本も流石に見つかりませんでした。当然でしょうね。

 しょうがないからまたネット検索です。今度は永井をとって「平九郎」だけで探してみたりしましたが、「曲垣平九郎」なる馬術指南役が江戸の愛宕山の石段を馬で登った話」とかしか出てきません。

 こうなったら丹念に調べるしかないです。そしてら福島県に「平九郎」の地名が出てきた。それならと「平九郎、福島、神社」で検索して出てきたのが、タイトルの「御鍋神社」です。「永井平九郎」を祀る「永井神社」は、この「御鍋神社」に間違いないです(私としては珍しく断言します)。

理由は「平ノ九郎」なる人物が祀られていますし、御神体も大鍋・・・・・・っと、言いたいところですが、こりゃ、どう見ても大釜なんですがね。でもまあ神社の名前が「御鍋神社」なのですから、神社の前に吊り下げられている大釜は大鍋なのだと思います(汗)。

 ここで問題なのが「永井平九郎」を祀る「永井神社」が、何故「御鍋神社」なのか。まあ、理由は3つしかありません。

1.40年前、「御鍋神社」を「永井神社」と私が間違って覚えたから。

2.「永井平九郎」の民話を書いた作者が間違ったから。

3.或いは「御鍋神社」の神社名を作者が伏したから。

の、どれかでしょうね。

そのことについては、今となっては調べる術もないことですし、しょうがないですね。

それと、神社には「平ノ九郎」として祀っているのに、何故、民話では「永井平九郎」となったのか。

「御鍋神社」でネット検索したら、「平将門」研究の第一人者である「村上春樹」氏の書物に「平ノ九郎」を「永井平九郎」として記載されていました。

まあ、多分、地元の言い伝えでも「平ノ九郎」の本名は「永井平九郎」なんだと思います。

それでは何故「平ノ九郎」または「平九郎」として祀ったのか・・・・・。

 その前に、誤解するといけないので、平将門研究科の「村上春樹」氏について申し上げときます。まず、この村上春樹氏は、あの村上春樹氏ではありません。同姓同名で、出身校も同じなので、大抵の人が間違っているようなのですが、ベストセラー作家の村上春樹氏ではないのです。

 私も「平将門公(祟りが怖いので、今後、公を付けて表記します)」に大変興味があるので、研究家の方の村上春樹氏の本をアマゾンで調べてみたら、アマゾンでの購入者のコメントに、「あの村上春樹が、平将門公の研究してたのかと勘違いして買ってしまった」旨の記載がありました。

そりゃ、そうですわねぇー。私だってそう思いましたしね。

 この村上春樹氏の平将門公研究本は数冊あるようですが、アマゾンでのお値段が、皆、数万円してます。今の私には買えませんわ(涙)。

何れ、私自身が復興したら買いたいと心にチョットだけ刻んだつもりになっている次第です。

 

つづく。

 

 

 

 

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