「永井平九郎」シリーズは、まだまだ続きます。
「御鍋神社」でもっとも不思議な事と言えるのが、「平将門公」と「桔梗姫」が一緒に祀られている事だと言えます。これって、大変な事なんですよ。多分、「御鍋神社」に限っての事だと思われますが・・・。
理由は、「将門公」は「桔梗姫」のせいで命を落としたとされるからです。「桔梗姫」が鉄人「平将門公」の弱点を、俵藤太こと「藤原秀郷」に教えてしまったからなんですね。
この点について、2つの説が考えられているようです。
一つは「桔梗姫は無邪気で良い娘で、将門公にも可愛がられていた。将門公の弱点も悪気があっての事では無く、うっかり、若しくは脅されて、やむ負えず不可抗力で喋ってしまった」。
もう一つは「桔梗姫は藤原秀郷のスパイで、将門公の弱点を調べるべく側室になった」。
うーんこれについては、今となっては調べようがないと言うか、どちらも判断がつきませんわね。
まあ<どちらにしても「桔梗姫」のせいで「将門公」が亡くなった原因にしているのは確かだと言えます。
それ故ですが「桔梗姫」の嫌われっぷりは凄いです。
例えば、将門公(めんどくさいので、もう「」は取ります)を祀る神田明神の明神祭では、桔梗紋の家は参加が禁止されていたとか、将門公に縁のある土地であるとか、将門公を信仰する人々らからは、桔梗を忌み嫌い、桔梗柄の衣類を着ないとか、桔梗は植えないとか、植えても咲かないとかありますね。
将門公は菅原道真公に並んで日本の呪いの第一人者です。荒俣宏の「帝都物語」、「帝都大戦」の主人公??だったりしますから、そりゃもう大変なもんです。
そんな方に恨まれたのでは、桔梗姫もたまったもんじゃないですよ。
御鍋神社の言い伝えでは自決したことにっなっていますが、桔梗姫の裏切りを知った将門公に首を跳ねられた、切り捨てられた、祟り殺されたとも言われています。
それとは逆に将門公の伯父の平良兼に襲われ、子供と共に自害したとか、藤原秀郷に協力したのに、口封じの為殺されたとかとも言われています。
まだあります。これは相馬の伝承ですが、相馬と言っても福島県の相馬ではなく、茨城県の北相馬郡藤代町の話です。
将門公の第三の城館内に桔梗姫の朝日(旭)御殿があり、ここで将門公の武運を祈っていたが、将門公の討ち死にの知らせを受け、城内の沼(現在は桔梗田と呼ばれる)で入水したとも言われています。
もう、ここまで来ると、どれが本当か分かりませんよ。
敵から殺されたのか。味方に殺されたのか。どっちが敵でどっちが味方なのか。はたまた、夫を愛するがゆえに入水したのか。永井平九郎とその一族を思って自決したのか・・・・・。
うーん何と言うか、本当に桔梗姫が存在していたのかも疑わしくなりますわね。
つづく。