諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「蛇に睨まれた蛙」を考察する。 その2

2014年05月06日 14時26分43秒 | 動物
さて、蛇に戻ります。

よくよく考えたら爬虫類なのに蛇だけ瞼が無いのは不思議です。何で瞼が無いのか。瞼は目を守ります。目を疲れさせない役目も果たします。瞼が無いと目を怪我します。どんな動物だって瞼は必要な筈です。

変だなぁーと思い調べたら蛇も瞼を持っていました。でも蛇が目をパチクリパチクリしているの見た事無いですよね。それもその筈、蛇は瞼があっても瞬きはしません。瞬きが出来ないのです。

っと言うより瞼が開きません。何を言っているのか分らないでしょう。私もシドロモドロになっていますが、蛇は何時も目を瞑ったままなんです。蛇の瞼は硬質な透明の膜です。目を瞑ったままでも目は見えると言う事です。或る意味、爬虫類の中でも一番進化しているのが蛇なんです。

元々蛇は手足を持っていました。蛇の腹の部分を見てみますと棘の様な突起があります。それは手足があった時の名残です。

究極の運動性能を得るために手足が退化した訳です。穴の中に入れる様になる為にね。
しかも蛇は水陸両用。蛙以上の性能です。蛙は水面でしか泳げませんが、蛇は水中も泳げますからね。だから瞼が邪魔になったとは言いませんが、瞼を瞑ったまま目が見えるのって究極の性能だと思いますね。

さて宗教の話に戻します。

蛇を撫でてやりたいほど好きな人もいるでしようが、大抵の人は蛇は苦手だと思います。何故なんでしょ。

その答えは人間も元々は爬虫類だったと言う事です。

まっ賛否両論あると思いますが、この世で一番進化した存在は人間です。そして人間の脳には、進化途中にあった生物の段階の部位が存在しています。

先ず脳の外側は新皮質と言われ、霊長類としての人間の心理・理性がインプットされている。

脳の中間の部位・大脳縁辺系は初期の哺乳類との共有が見られる。

そして一番中核にあるR複合体は爬虫類、更には恐竜だった時の脳の働きをしていると言われてます。

つまり人間は爬虫類だった時の記憶を有しているのです。

そして爬虫類の最大の敵は爬虫類です。同類です。その記憶が残っているからこそ蛇を恐れる、若しくは嫌う感情が存在するのだと思います。

人間が爬虫類だったと言うことは、人間の先祖は爬虫類、蛇であった事にもなります。

中国では人頭蛇尾の女禍(本来は女偏)が人間の始祖とされています。キリスト教ではアダムとイブに性交の仕方を教えたのが蛇です。つまり蛇により人間が栄えた事になります。これも人間の始祖が蛇でもあるとする考えに繋がると思います。

日本の神道も蛇に繋がります。「神=蛇」であるとさえ言えます。蛇を神として祀り上げているのです。それは人間が蛇を畏怖する事から生じているとも言えます。

それとは逆にキリスト教は蛇を悪魔としています。全ての災いは蛇であるとし、蛇を踏みつけるべき存在としています。

これらは「蛇=畏怖」、「蛇=嫌悪」との考えに分かれたから違う思想の宗教になったと私は推測していますが、根本は同じではないかと考える次第で有ります。元々は蛇だったのですから。


ではでは。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする