諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神社仏閣に油を撒いた男。

2015年06月07日 10時15分37秒 | ニュース

最近、神社仏閣に謎の油が撒かれる事件が相次いでありました。日本の広範囲に渡って油が撒かれてます。

当たり前ですが神社仏閣は木造建築です。木材に油が染みていきます。そうなると中々油の染みた跡は取れないでしょうね。ホント、日本の文化財に対して「何てことしたんだ」と言いたいです。こんな事する馬鹿者は、罰が当たって地獄に行って貰いたいと思いますね。

さて、誰が謎の油を撒いたのか。今更ながらですが、私はキリスト教関係者、或いはキリスト教の知識が在る者ではないかと考えてました。

理由は「熊野の本地、五衰殿」の最後の方で書きましたが、処刑されたイエスの遺体をマグダラのマリヤとされる「泣き女」、もしくは「罪の女」が香油をつけて清めようとした。つまり香油はイエスに対して祝福であると共に、埋葬の儀式と言えます。つまり祓い清めと言えなくもないと思っていました。

この香油は甘松香の根から採ったナルドの香油とされています。大変高価です。イエスの頭に香油を注いだ女性に対し、「その香油で多くの人が裕福に暮らせるのに何て勿体無い事をするのだ」とイエスの弟子達がその女性を責めた記述が聖書にあります。

その女性はイエスが処刑される事を予感していたから香油を注いだ。イエスに対し良い事をしたのに弟子達は責めた。そしてイエスは「良い事をしているのに」と、責めた弟子達を諌めています。

香油を注いだ女を責めた弟子達はその後、「イエスなんて知らない。自分達はイエスの弟子ではない」としてイエスを見捨てます。弟子達は香油を注いだ女よりもイエスに対する信仰は薄かったと言えます。

つまり香油を注ぐ行為は、神に対する最上級の祝福です。それを神社仏閣に撒いた。その行為は祝福なのか。

それは違うと思いました。キリスト教は一神教です。神社仏閣はキリスト教に取って悪魔の巣窟です。そこに香油ではないでしょうが謎の油を撒いた。それは悪魔に対し聖水をかけた行為に近かったのではないでしょうか。

つまり聖水では跡が残らないから、謎の油を撒いたと思います。キリスト教の優位性を示す為に。悪魔を成敗してやろうとする意思を込めて。

そして今日、犯人と目される人物が判明しました。韓国から帰化したした52歳の日本人医師で、アメリカ在住だそうです。プロテスタント系のキリスト教の幹部だそうです。これはチョット問題だと思います。

キリスト教にもカルトはあります。でもこの犯人はカルトではない。医師としても優れた経歴がある。正当なキリスト教徒と言えます。

正当なキリスト教徒として、神社仏閣を攻撃する行為は肯定されます。悪魔を攻撃して何が悪い。そう考えるのは間違っていません。それがキリスト教に限らず、宗教の本質と言えますので。

しかし、その行為・考えは争いを生みます。過去の宗教戦争はその考えが根底にあります。お互いに自分の信じる宗教が間違っているとは思いません。だから宗教戦争は永遠に無くならない。今のイスラム国もそれを表していると思います。

日本の場合、織田信長によって仏教徒は粛清されました。キリスト教徒は徳川幕府により弾圧されています。武力を持つ宗教は滅びる。宗教者は武力を持つべきではないと、精神に刻んでいます。

しかし、其れは日本に限ってです。謎の油を撒いた医師は韓国からの帰化人です。日本人の精神は備わっていない。ある意味、純粋に近いキリスト教者です。たがらこの様な行為をしたのだと思います。

日本人は彼の行為を許してはいけません。イスラム国だったら絶対死刑になります。日本では罰金刑となると思われますが、軽度の罰金ではこの行為は止みません。金を払えば許されると思われたら、互いに恨みは募ります。何れ衝突します。過去もそれで宗教戦争に発展しているのです。

深く問題提起をし、日本の文化を貶した行為として多方面で追求すべきです。それが平和に繋がると思いますので。

 

ではでは。

 

 

 

コメント (3)
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