前回、「高畑裕太容疑者を姓名判断する」と題して記事を書きました。私のブログとしてはえらい反響でした。一日で900人以上の人に見られるなんて新記録です。それほど力を入れて書いたつもりは無いのに。
神道に付いては間違いがあってはならじと確認に確認を重ね、手間を掛けて書いているのですが、話題の人物の姓名判断でここまで注目されるとは思いませんでした。ちょっと微妙ですね。私、多少は姓名判断を否定したいとの思いもありますので。
第一、宗派によって画数の数え方が違うのはおかしいです。私は時間を掛けて不幸に合われた方の名前の画数を調べ、本来の文字の画数で計算した方が適合すると確信はしていますが、それは統計的なものです。断言は出来ません。そこが姓名判断で自信が持てないところです。
しかしながら、私の家系で0系の画数を持つ者は全員不幸になっています。信じたくない反面、当たっていると思える。私も色々迷いはあります。姓名判断を記事にして傷付く人もいるだろうし。
だから「高畑裕太容疑者を姓名判断する」なんて短絡的に書いて良かったのか。魂を殺された被害者やその家族を傷付けてはいないか心配になっています。私の考えも正しいかどうか、私も自信が無いので。
そこでと言っちゃ何ですが、前回の記事のフォロー的に「正負の法則」で今回の事件をチョットだけ語りたいと思います。
その前に少々「正負の法則」を説明すると、世の中は諸行無常。良い事ばかり続かないし、悪い事も続かない。それが「正負の法則」の考えです。
「では何故に格差が出るのか、続く人もいるぞ」となります。それは因果な家系が災いする面もありますが、正負を上手く乗り切ってないからだ言えます。
良い事があったら、「良い事のお裾分けをする。良い事を少し減らす。他人に対して良い事をしてやる。お金にならない事を見返りを求めずひっそりと行う」等々で、正負のバランスを取る事が大事だと思います。
ここで注意して貰いたいのは、新興宗教もその考えで寄付を出せと言って来る事です。いいですか、それは霊感商法です。不安を煽ってお金を出させる商売なのです。確かにそれも正負の法則ではありますが、お金だけが正負の法則ではありません。強要されるのではなく、自分の考えで親切にする、良い行いをする。それでも十分正負の法則と言えます。
付け加えるなら自分をしっかりと見定める。気を引き締める。アニマル浜口じゃないですけど、世の中気合です。
この世の中、残念ながら親切に魔が群がります。魔は気が優しい者が大好きです。だから強い気が大事です。
気をしっかり持つ。それが魔を刎ねつける秘訣だと私は思いますね。
続く。