続きますけど、今までの私の話、お分かりになられてますでしょうか。私も書いていて何が何だか分からなくなってきてますけど、正月なんでしょうがないですね、これ。
さて大歳神なのですが、世間的には大国主の幼名とか、ニギハヤヒ命の別名とか言われてますね。
申し訳ないですけど、私は違うと思います。ずっとずっと前の神様が大歳神。否、大歳神が国津神・天照大神なら、日本の最初の神の様にも思えます。
だったら天照大神の親のイザナギ命・イザナミ命はどうなんだとなります。大変恐れ多いのですが、天照大神に親が必要だったから創られたのではとも考えてしまいます。私が記紀の編集者でもそうします。神がどのように誕生したのかを書いた方がわかりやすいので。
さて、チョット話を天皇に戻します。
天皇家の祖神は天照大神。そして天照大神を祀る神社と言えば伊勢神宮。それなのに持統天皇から明治天皇の間の約1000年間、歴代の天皇は伊勢神宮に参拝して来なかった。これって不思議です。
持統天皇の時代、天変地異が連続して発生。側近が大反対するのを聞かずに持統天皇は天変地異を鎮める為に伊勢神宮に参拝した(持統天皇が伊勢神宮を建立したらしいけど)。
そして時代は過ぎ明治時代に明治政府は神仏分離を決行。天照大神を日本の最高神と定めた。その報告の為に明治天皇は伊勢神宮に参拝したのか。
色々考えられますけど1000年もの間、天皇家は祖神を祀る伊勢神宮へ足を運ばなかった。それは伊勢神宮を恐れていたから。持統天皇の側近が伊勢神宮への参拝を止めたのは祟りを恐れたから。
それはやはり本来の天照大神を消し去って天の岩戸へ隠して隠蔽し、、天の岩戸から出した新しい性質の天照大神を、自分たちの祖神として迎えた事に後ろめたさを持っていたからだと思います。
天皇家は祟りや呪いに敏感です。明治天皇の玄孫の竹田恒泰なんかは自分の誕生日を非公開にしていますが、それも呪いをかけられるのを恐れての事らしいです。それほど天皇家は慎重に生き延びてきた。こんなに続いている王家??は世界広しと言えども天皇家だけです。神経質な程に天皇家は祟りを恐れた。だから伊勢神宮には詣でなかった。
その理由は伊勢神宮の地主神、天の岩戸に隠した本来の国津神である天照大神を恐れていたのではないた。本当の天照大神は天皇家にとって敵だった。出雲に続いて伊勢も国譲りを行った。敵の神を自分たちの祖神として日本を統治した。その後ろめたさがある。天変地異はそれを怒った地主神・天照大神が起こしたと考えた。だから恐れて伊勢神宮には近づかなかったのではないか。
そして本来の天照大神とは誰なのか。
伊勢の地主神と言えば風神・伊勢津彦命。阿部志彦神に伊勢の国譲りを迫られ、神風と共に諏訪に移ったと言われています。
この伊勢津彦命の別名は出雲建子命。この名から出雲系の神である事は間違いないと思う。そして「子」が付く。っと言う事は親の神の方が知名度があるのではないか。
出雲建子命と似ている出雲系の神は建御名方命。建御名富方命とも表記されているので富氏系の神。だとすると登美長脛彦と同神。又は同じ系列と考えられる。父親は大国主なのか。
大国主命は役職名。そして伊勢津彦命も役職名と思えるが、伊勢の地名は伊勢津彦命から来ていると考えられる。
出雲と伊勢の違いがある。時代に差が感じられる。大国主は伊勢にはいなかった筈だ。だとしたら誰が伊勢津彦命の親なのか。
続く。
さて大歳神なのですが、世間的には大国主の幼名とか、ニギハヤヒ命の別名とか言われてますね。
申し訳ないですけど、私は違うと思います。ずっとずっと前の神様が大歳神。否、大歳神が国津神・天照大神なら、日本の最初の神の様にも思えます。
だったら天照大神の親のイザナギ命・イザナミ命はどうなんだとなります。大変恐れ多いのですが、天照大神に親が必要だったから創られたのではとも考えてしまいます。私が記紀の編集者でもそうします。神がどのように誕生したのかを書いた方がわかりやすいので。
さて、チョット話を天皇に戻します。
天皇家の祖神は天照大神。そして天照大神を祀る神社と言えば伊勢神宮。それなのに持統天皇から明治天皇の間の約1000年間、歴代の天皇は伊勢神宮に参拝して来なかった。これって不思議です。
持統天皇の時代、天変地異が連続して発生。側近が大反対するのを聞かずに持統天皇は天変地異を鎮める為に伊勢神宮に参拝した(持統天皇が伊勢神宮を建立したらしいけど)。
そして時代は過ぎ明治時代に明治政府は神仏分離を決行。天照大神を日本の最高神と定めた。その報告の為に明治天皇は伊勢神宮に参拝したのか。
色々考えられますけど1000年もの間、天皇家は祖神を祀る伊勢神宮へ足を運ばなかった。それは伊勢神宮を恐れていたから。持統天皇の側近が伊勢神宮への参拝を止めたのは祟りを恐れたから。
それはやはり本来の天照大神を消し去って天の岩戸へ隠して隠蔽し、、天の岩戸から出した新しい性質の天照大神を、自分たちの祖神として迎えた事に後ろめたさを持っていたからだと思います。
天皇家は祟りや呪いに敏感です。明治天皇の玄孫の竹田恒泰なんかは自分の誕生日を非公開にしていますが、それも呪いをかけられるのを恐れての事らしいです。それほど天皇家は慎重に生き延びてきた。こんなに続いている王家??は世界広しと言えども天皇家だけです。神経質な程に天皇家は祟りを恐れた。だから伊勢神宮には詣でなかった。
その理由は伊勢神宮の地主神、天の岩戸に隠した本来の国津神である天照大神を恐れていたのではないた。本当の天照大神は天皇家にとって敵だった。出雲に続いて伊勢も国譲りを行った。敵の神を自分たちの祖神として日本を統治した。その後ろめたさがある。天変地異はそれを怒った地主神・天照大神が起こしたと考えた。だから恐れて伊勢神宮には近づかなかったのではないか。
そして本来の天照大神とは誰なのか。
伊勢の地主神と言えば風神・伊勢津彦命。阿部志彦神に伊勢の国譲りを迫られ、神風と共に諏訪に移ったと言われています。
この伊勢津彦命の別名は出雲建子命。この名から出雲系の神である事は間違いないと思う。そして「子」が付く。っと言う事は親の神の方が知名度があるのではないか。
出雲建子命と似ている出雲系の神は建御名方命。建御名富方命とも表記されているので富氏系の神。だとすると登美長脛彦と同神。又は同じ系列と考えられる。父親は大国主なのか。
大国主命は役職名。そして伊勢津彦命も役職名と思えるが、伊勢の地名は伊勢津彦命から来ていると考えられる。
出雲と伊勢の違いがある。時代に差が感じられる。大国主は伊勢にはいなかった筈だ。だとしたら誰が伊勢津彦命の親なのか。
続く。