諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神道と相撲道。或いは負けた力士こそが瀬織津姫だ!? その5

2018年01月12日 11時52分24秒 | 瀬織津姫
疲労困憊ながらも続きます。

さて、伊勢津彦命は誰なのか。答えは大歳神と天知迦流美豆姫との子が妥当ですよね。

私の友人が宮司を務める神社には大歳神と並んで御歳神・若歳神を祀っていますけど、御歳神が大歳神の子、そして若歳神は孫となるらしいです。

まっ、それは置いておきまして、伊勢津彦命とだぶる神として、私はどうしても大歳神の10神の子供の中で鬼渡神である阿須波神が浮かんできます。

「庭中の 阿須波の神に小柴刺し 吾は斎はむ 帰り来までに」。万葉集での阿須波神の歌ですが、この歌から阿須波神は旅立ちの神である事が分かります。伊勢津彦命も伊勢の国譲りで神風と共に信州・諏訪に旅立った。同じ旅立ちの神です。

そして伊勢津彦命は風神。阿須波神にも「波」の字がある。「波」は風により起きる。阿須波神もまた風神と言えます。

そして伊勢津彦命は諏訪へ旅立った。似ているでしょ阿須波(アスハ)神の発音と諏訪(スワ)は。

しかも福島県の鬼渡神社は諏訪神社の境内社であるケースが多いのです。宮城県でも愛子の諏訪神社に彌渡大神として祀られていますし。

更に吉田東伍の大日本地名辞典において「阿須波神は志波彦(シワヒコ)神と同神」と書いております。

私もその説を支持していますが、「諏訪(スワ)」と「志波(シワ)」も似ている。しかも「彦=日子」。太陽神は風神でもある。志波彦神で考えても諏訪に逃げた伊勢津彦命とかぶります。

志波彦神は塩竃神社の地主神と考えて良いと思っていますが、阿須波神は鹿島と香取の地主神と考えられる。塩竃神社にも鹿島神と香取神が祀られている。

この点はまだまだ考えを練らなければ何とも言えませんが、もしかしたら戦った諏訪神・建御名方命と鹿島神・建雷神は同神の可能性があると思います。勿論、鹿島の地主神である阿須波神が建雷命に調伏されている可能性もありますが・・・・・・・。

まだあります。万葉集の「小柴刺し・・・」から阿須波神は柴神と呼ばれています。「旅の安全を守る神」です。

阿須波神に小柴を折って土に刺し旅の安全を祈るのですが、「柴(シバ)」と「諏訪(スワ)」も似ている。諏訪神・建御名方命も出雲から建雷命に追われて諏訪まで逃げてきている。逃げたと言う事は旅立ったと同じ事になります。

ここまで名前に共通点があると、どうしても「諏訪神・建御名方命=伊勢の地主神・伊勢津彦命=阿須波神=志波彦神」と考えてしまいます。それに猿田彦命も続くのですが、それはまたの機会に書きたいと思います。

さて、瀬織津姫に戻ります。瀬織津姫は天知迦流美豆姫。だとすると国技館の土俵の吊るされている屋根に祀られている禍津日神も天知迦流美豆姫。そうなると一緒に土俵上に祀られている直日神は大歳神となる。「日」の字が付くから共に太陽神。

禍津日神は人の罪を指摘する検事的な神。直日神はその人の罪を弁護する弁護士的な神。併せて裁判官的な神。禍津日神と直日神で人の罪を図る。相撲の勝負を判定する行司の神が禍津日神と直日神である。それは正しいと思います。

しかし瀬織津姫で相撲を考えるとまた違った答えが出て来ます。瀬織津姫は人の穢れを受け取り背負い持って行ってくれる神なので。

本当の相撲はその名の通り「殴り合い」です。相対して撲するのです。

土俵を創ったのは織田信長。殴る蹴る突くが禁止されたのは平安時代。本来の相撲は殴る蹴る。倒れた者を踏みつける。そして殺す。どちらかが死んで勝負が決する。それが本来の相撲です。

相撲を神道で考えると力士は神であり、人の罪を苦しみとして神が体験し酷い目に合う。最後には殺されて死ぬ。それを瀬織津姫で考えると負けて罪を背負い殺されて黄泉の国に行く力士が瀬織津姫である禍津日神。勝利して祝福される神が直日神ではないでしょうか。

そして大歳神の「歳」は「サイ」と読める。つまり「賽、斎、狭井、幸、佐売・・・・」。あの世とこの世の境界線の神・賽の神を示す。道祖神である。

相撲も本来は生死を分ける死合。生と死の境界線の競技。負けて死ぬ力士は自分の罪・穢れを背負ってくれる神。勝って生き残る力士は自分に富と幸をもたらす神。

だからこそ殺されなくなったとしても、相撲で八百長は許されない。勝つのも相撲。負けても相撲。それが神事としての相撲だと思いますので。

その事から考えても相撲は大歳神を信仰する行事であると言えます。そして大歳神こそが本来の天照大神。日本の最高神。

それが知られては天皇家が困る。だからこそ中臣氏は日本の最高神・大歳神をカムフラージュする為に大祓祝詞で瀬織津姫を創造した。

実は友人の神社に長年参拝し、そう思うようになりました。でもこの話は検索されたくない。今回のタイトルはそんな思いから付けました。

この話、また更に考えが練られたら書きたいと思います。瀬織津姫の源流は神道の神髄だと考えていますので。



続く。









コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする