諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

脚の痛みと心の辛さで負を祓っているのだろうか。

2020年03月06日 08時11分38秒 | 人生
脚が痛い。痛みの峠は過ぎたが、薬が切れるとまだまだ痛い。

それを押して空き部屋の掃除をしたら、物凄い寒気と過呼吸に襲われた。

心が辛い。悲鳴を上げている。精神的にも限界に来ている。

本来なら精神病院に入院すべきところなのかも知れない。しかし、保険を父親に流されてしまった。親に追い詰められている。これが人殺しの家系の長男の定めなのだろうな。

これを乗り切られるか。なんかもう十分だと言う気持ちの方が強い。そこまでに生に対して価値があるのだろうか。

生きている間は負を受ける。それは誰も避けられない。特に私は負を受け続けている。それにも限度がある。

以前、俳優の田中実が自殺した事をブログで書いたが、間違いなく私の方が田中実よりも生きて行く頼りになるものが少ない。否、皆無に近い。それでも生きて行くしかない。何を頼りに生きて行ったら良いのだろうか。

親の死か。そう思ってしまうほど心に余裕が無くなっている。

今の私にとってそれは一つの希望。それで心の負担は軽減される。しかし、恨みは残ったまま。親とその記憶が全部消えない限り、自分の浄化は出来ない。完璧な浄化は自分の死しかあるまい。

そんな風に想いながら生きて行くのもまた辛い。そこにどうしようもない脚の痛みが加わって本当に辛い。

取りあえずロキソニンとデパスに縋ろう。

でも、これって薬物中毒患者とどう違うのだろう。私は麻薬常習者を非難する立場にないな。彼らも辛かったから、麻薬に走ったのだろうし。

ホント、人生って何なのだろう。

宗教でないのは分かっている。私の複雑な思考は宗教の矛盾を突き止める。宗教では納得が出来ない。

本当に一体何なのだろう。

これは死んでみないと分かりそうに無い。誰だってそうなのだろう。


ではでは。
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