先日、弟と口論しました。弟はヤクザとの付き合いもある男です。直ぐに基地外の様に怒り出します。親譲りです。私に鬱憤を晴らそうとしたのです。小泉進次郎のせいで勤めている会社の業績が激減し、リストラ候補に挙がっているみたいですので。
私は子供の頃から親に殴る蹴るの虐待を受けています。今も父親からは露骨に暴言を吐かれます。そうしないと父親は平常を保てない。弟もそれに倣って私に鬱憤を晴らそうとしたのです。本当に最低な奴です。
口論となりましたが、弁では私の方が上です。そして私は弟の痛いところを突いた。それで弟は激高。弟は台所の包丁を握った。私を刺そうとした。認知症の母親が必死で止めた。
その時、私は自分でもビックリするくらい冷静でした。私が刺されたら恨みがある家族に復讐できる。苦しい鬱病からも逃れられる。楽になれる。そう思ったら気分が本当に楽になりました。
この感覚、多分、自殺者の感覚だと思います。死んだら楽になれる。幸せに感じられる。
私の掌の怪我は弟との対立が原因です。一生消えない痛みが残っています。痛みで夜も眠れない。その辛さが30数年続いています。
私が死ねばその痛みや恨みも消える。そして私を殺した弟は刑務所で罪を償う。私を虐待した親も晩節を汚す。こんな良い復讐方法はない。私が親や弟を殺すよりもずっと良い。
鬱病患者の自殺はこの感覚が絶対あると思います。そして私も自殺者予備軍のレベルまで落ちている。そう実感しました。
それでは鬱病患者が生きて行くにはどうしたらよいのか。
答えは自分を捨てる事です。違う人間になる事です。
親も財産も全て捨てて、自分を誰も知らない場所で一から暮らす。
人生なんてあっと言う間です。直ぐに歳を取ります。65歳になれば年金も貰える。貰えない人は生活保護を貰えば良いのです。
私、今、断捨離をしていますが、人間、荷物を担いで生きて行くのは辛いです。捨てて身軽になる。それが鬱を克服して生きて行けるコツなのではないでしょうか。
私は財産なんかいらないと思っていましたが、弟に渡すよりは私の親が迷惑をかけた人々に渡した方が良い。その方がスッキリする。死んでもお金は地獄に持って行けない。
命を捨てるくらいなら自分の立場を捨てるべきです。自分の家族も親戚も財産もです。
そう思うと心が楽になりました。不思議ですよね。
ではでは。
ではでは。