あけましておめでとうございます。正月早々、辛い御題の続きです。
谷本容疑者による長男刺殺未遂事件から10年。彼の心境は変わったのか。
変ったでしょう、前科者になったのですから。
長男殺人未遂事件で懲役4年の実刑です。刑務所に入ったのです。自分は出来る人間だと思い込んでいた。それなのに刑務所に入った。名実共に最低ランクの人間に位置付けられた。
今までの自信が崩れ落ちた。歳は60を超えた。人生を挽回する月日は残っていない。
私も57歳です。これから大成する可能性はゼロに近い。夢も希望も色あせた。今の年齢に絶望している。それが鬱の一端なのは間違いない。
そしてこのまま60歳を超えてしまったら、回復できないほど鬱は深まるのではないかと危惧している。
谷本容疑者も完全な鬱病患者となった。
能力は有るとの思いは残っている。自分は正しいと思い込んでいる。
しかし運が無い。前科者として蔑まれ差別を受ける。そして60歳を超える年齢。何をどう頑張っても成功は無理だ。それは理解している。
自分の息子を殺そうとしたのだ。自分でも精神病だと自覚している。もう人生は諦めるしかない。全ては終わった。
精神病、鬱病の人生に何がある。心の苦しみが死ぬまで続くだけ。それなら死んだ方が良いのではないか。
谷本容疑者が通院している心療内科は「西梅田こころとからだのクリニック」。こちらの院長の顔写真が出ていたので人相を探る感じで眺めました。
人間の感覚、感情は人さまざまです。私にも善と悪の心がある。私も好意と悪意を持って院長の顔を眺めた。
好意での私の判断は「患者に同情して哀れみ悲しみを受けている顔」。悪意では「患者を軽蔑・嫌悪している顔」です。
院長の患者に対する電話の声も聴いたのですが、「大変誠実で患者に対し親身になっている声」と私は感じましたが、その声も人それぞれ善にも悪にもに感じる。
それが人間の能力の低さです。人によって感じ方が違う。その感じ方はその人その人にとっては正解なのです。
私も仙台の心療内科・精神科の評判を調べたのですが、同じ医師に対し善と感じる者、悪と感じる者がいる。
鬱病患者・精神病患者は精神がナイーブ過ぎるのです。だから医師のちょっとした表情、言動を見逃さない。必要以上に過大評価をしてしまう。善も悪も過大に感じてしまう。
それが鬱病・精神病の恐ろしさなのだと思います。
続く。