諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

今頃だが「ゴジラ-1.0」を視ての感想。その4

2024年06月29日 15時48分28秒 | 映画・ドラマ
続きます。

「ゴジラ-1.0」での海神作戦は無理があります。爬虫類で動作が機敏なゴジラを駆逐艦4隻でフロンガスを結び付けたロープ??で結びつけるなんて殆ど不可能。現実味がありません。

だったらどうするか。そりゃ一服盛るしかない。そこでクジラを捕って青酸カしか大量に持ってゴジラ(ジラース)に喰わせるしかない。

海峡の近くの島にクジラを置いて喰わせる。ゴジラの方も血の匂いを嗅いでやって来る筈です。

毒入りクジラを喰ったゴジラに戦車で攻撃する。ゴジラは海に逃げる。そこで駆逐艦4隻でゴジラを縛り付け、海神作戦を決行する。

でもね、ゴジラは海底に住んでいるのです。急浮上させても死ぬとは考えられない。私が原作者でも海神作戦は失敗させます。

ゴジラは再生します。そこで口に集中砲火を繰り返す。それでもゴジラは死なず、放射砲で全ての駆逐艦を破壊する。

一度放射砲を放つと暫くは放てない。そこに震電の乗った敷島と731部隊の研究員が細胞を急速に壊死する毒薬と共に口に突っ込む。

毒薬はゴジラの体内に流れ込み、細胞を急速に溶かす。ゴジラは最後の力を振り絞り、震電を嚙み砕く。

それで震電の爆弾が破裂して、溶けだしていた首から頭部が吹き飛び、ゴジラは死ぬ。

勿論、敷島と731部隊の研究者も爆発に巻き込まれ死亡します。彼らの罪は彼らの死によって償ったエンディングで終わらせます。

映画では大石典子がゴジラ細胞で生きていたことになっていましたが、私なら死亡したままにします。

ゴジラも次回作を考えて海底で再生していましたが、ゴジラも死んだことにします。敷島らが命を懸けたのですから、その成果としてゴジラが死ななければ、敷島らは浮かばれませんからね。

以上です。

今の特撮映画ってハッピーエンドで終わるストーリーが大部分ですが、昔は主人公が亡くなるケースが多かった。自分の命と引き換えに敵を倒す。その終わり方の方がドラスチックで印象に残ると思います。

このストーリーだったら、「ゴジラ-1.0」の違和感を払拭できるし、真実味も増す筈です。私的には90点は採れると思います。


ではでは。











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