諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

死に方を忘れた人々。

2024年12月23日 12時07分28秒 | 人生
以前、かかりつけの床屋のマスターとの会話です。

マスターは母親を心不全で亡くしたばかりです。82歳だったそうです。前日までピンピンしていたのに、朝起きてこないと思ったら亡くなっていたそうです。

マスターは若い頃に父親を亡くしていたので、母親の死には人一倍ショックを受けていましたが、苦しまずに亡くなったのは良かったと語っていました。

私は言いました。「私の父は終末医療の施設で何も食べれず、コロナで親族にも会えず、40キロまでやせ衰えて亡くなった。あそこまで苦しんで生きるべきではなかった。死を選んだ方が幸せだった」と。

マスターは創価学会員だと思われます。聖教新聞を購読していますので。

マスターは言いました。「それでも死んではいけない。苦しくても生き続けなければならない」と。

マスターは二人の兄弟も幼少時に亡くしています。死に対しては私よりも深く考えて生きてきた。その結論が「何が何でも生き続けろ」だったのでしょう。

私は反論できませんでした。母親を亡くしたばかりの彼に、自死を肯定する私の考えは言えませんでした。

「人間は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生だと思います。でも、不健康な状態でも生きるのは酷。

酷な人生も人生なのだろうけど、苦しみ生きて死ぬ。それに達成感があるのか。死が待ち遠しいのではないか。そんな人生に意味はあるのか。

父は誤嚥性肺炎、更には膵臓癌の疑いで3カ月以上寝たきりとなり亡くなった。母は認知症で自分自身をも忘れた状態にある。心と頭脳は死に近い状態にある。

父は死を待って亡くなった。母も死を待っている状態である。医療で生を得られている状態。

父の場合も母の場合もそうだが、自ら自死を選択できる状態ではない。それは大変な不幸ではないのか。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」と言われているが、死を考えずに亡くなる。それも不幸な気がする。

昔は癌で余命が幾ばくもなくても余命宣言はされなかった。

私の父は大変気持ちが小さい人物だったので、余命宣言はしていません。最後まで完治を信じていた。それが正解だったのか。

今年、義妹が膵臓癌で苦しんで亡くなったが、余命宣言はされたらしい。しかし、家族がいるから自死は選べない。生きようとした。それは尊いと思うが、過酷ではないか。

辛くても死ぬ訳にはいかない。或いは死を決行できない状態。死に方を忘れた状態と言うのは過酷ではないのか。

キリスト教は命は神から与えられたものだから自殺は禁止されている。

仏教での死は生きての修業が困難になったので、修行場所を涅槃に変えるとして自殺は肯定されているみたいだ。

その二つの考えのどちらでも無い私は、仏教に不信感を感じていても生きるのが辛ければ死んでも良いと考えている。

注射でさえ、大降りの鬱が降って来る私である。生きるのには向いていない。っとは言え、我慢できるまでは死を我慢すべきだとは思う。

そして我慢できなくなったら死ぬ。死ぬ時は死に方を覚えているうちに死にたいと思う。

「人は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生の根本だと思うが、これは中々残酷な言葉だと思える。


ではでは。







コメント (11)
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