続きます。
馬鹿な織田信長はキリシタンを容認した。金平糖貰って喜んで。
しかし、豊臣秀吉、徳川家康はキリシタンの恐ろしさ、キリスト教国の真の目的を察知した。
キリシタン大名は神社仏閣を破壊し、僧侶や神職を異教徒・悪魔として殺しまくった。日本人女性50万人をキリスト教国に奴隷として売り火薬を購入。キリスト教国の走狗として日本の植民地化を画策した。
更には日本のキリシタン大名を中国に渡らせ、中国支配をも検討していた。
故に徳川幕府からキリスト教禁教令が発令。キリシタンは弾圧された。
伊達政宗の馬鹿も後にキリシタンの恐ろしさを知った。自分がキリスト教国の走狗として用いられる愚かさに気が付いた。
そして支倉常長はスペインとの交渉が上手く行かず、失意のうちに帰国。帰国した支倉常長の身柄は隠され、帰国から2年後に死亡した。
死因は分かりませんが、支倉常長はクリスチャンとして洗礼を受けていた。幕府に知れたら伊達藩にも危害が及ぶ。
クリスチャンとしての信仰を捨てない支倉常長。支倉常長の存在は知られてはならない。だから支倉常長は政宗によって暗殺されたとの話も伝わっています。
現に支倉常長の嫡男ではある支倉常頼は、召使がキリシタンだったと言う理由で処刑。支倉家は一時断絶しています。それだけ伊達政宗はキリシタンを迫害し始めたのです。
実は仙台城の御堀代わりである広瀬川には、水牢なるものが存在していました。キリシタンを水牢に入れて溺れさせる拷問をしていた。キリスト教から改宗させる為に。
それでもキリシタンには改宗しない者がいる。そうなると処刑するしかない。
しかし、キリスト教徒は処刑してもイエスキリストの様に再び生き返ると考えられていた。だから処刑されたキリシタンの遺体は生き返らないように、細かく切り刻んで広瀬川に流されていたそうです。
私、思うのですが、この考えと風葬は同じではないでしょうか。
つまり風葬するのは遺体が蘇らない為に、腐るまで見届けていたと思うのです。
アイヌでは故人に旅支度の衣装を着せてムシロに包み、壁を突き破って遺体を家から送り出していたそうです。
理由は人が通る通路から送り出せば、霊が再び現世に蘇り家に戻って来ると考えられていた。だから家の壁を突き破って遺体を外に出し、戻れないように壁は補修する。それほど亡くなった人の霊が戻ることを拒否しているのです。
私も私の家系の者が使えていた征夷大将軍を祀る神社で丑三つ時に幽霊を見ましたが、古代の人も幽霊を恐れていた。
故人が幽霊として現世に戻ることは良しとしない。故人が幽霊となることは故人にとっても不幸。
その考えがアイヌ人同様、古代日本人にもあった。だから故人の遺体を風葬で完全に滅ぼして弔っていたのではないでしょうか。
愛していた故人が幽霊として戻って来ることに嬉しさを感じる人もいると思いますが、戻って来たとしても生きれる者はどうしようもない。故人は成仏出来ていない。それは不幸である。
現世への未練を断ち切る為に、風葬により遺体を徹底的に滅ぼす。その考えから風葬によって弔っていたと私は考えます。
勿論、朧気ながらですが。
ではでは。
燃やしちゃったら復活は無いなぁと思いました。
私は父親の葬式には出ないつもりでいました。
ですが、精神科用語で「親殺し」と言うらしいですが、しっかりと親の死を確認した方が今後生きて行く上で親に悩まされないで済む。葬式には出るべきとユーチューブの「樺チャンネル」で語っていたので、出ることにしました。
喪主をした弟は皆に不審に思われ私に怒っていましたが。
親に悩まされたのであるなら、やっぱり親の死を実感し納得すべきだと思いました。