諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

墓暴きは大罪だ。僧侶だとしても人として許されない。仏を語る資格なんてないぞ。

2023年04月06日 09時55分44秒 | 
今回は仏教に喧嘩を売ります。墓暴きに付いてです。

死者の墓を暴く。これほど死者を冒涜した行為は無いと思います。それを経済的な理由から僧侶が行っている。

無縁仏となり管理費が払えないなら強制的に墓じまいさせられる。あの世の沙汰も金次第か。何がお釈迦様だ。死者の眠りを妨げる墓暴きは外道の所業ではないのか。

そういえば昔、近藤真彦の母親の遺骨が何者かに墓から奪われ、近藤真彦に「レコード大賞を辞退せよ」と脅しをかけて来た馬鹿者がいました。

近藤真彦の母親は私の記憶が正しければ、飲み屋を経営していて飲酒運転で帰宅し電信柱に激突して亡くなっています。

自業自得ではありますが、母親が交通事故で無くなった。その母親のお骨が墓から暴かれ、「レコード大賞の出場を辞退せよ」とマッチは脅された。

私だったら当然、その犯人に従います。そんなレコード大賞なんて何れ忘れられる。くだらない。くれてやります。

それに近藤真彦の歌唱力で受賞する訳ではない。ジャニーズの力と人気によるものだろ。そんなのは一瞬だ。何の価値があるのか。母親の遺骨の方が尊いだろ。私ならレコード大賞は辞退します。一時の名声なんてくだらない。

しかし、近藤真彦は母親が自動車事故で亡くなったのに金のかかる自働車レースに出ている。理解できない。

彼は脅しに従わずレコード大賞に出場。それで母親の遺骨は戻ってこなかった。私は近藤真彦にも憤りを感じました。

勿論、それ以上に犯人に対して怒りを感じますが、名誉と母親の遺骨を天秤にかけて名誉を取った。愚かだと思います。

不仲の実の弟が母親の遺骨を盗んだとの噂もありますが、マッチが憎くても実の母親の墓を暴き、遺骨を盗む訳がない。それが分かっていてでレコード大賞に出場したとは思えない。やっぱり理解できません。

さて、お墓です。私は親と同じ墓に入るつもりは無い。それ以上に後ろめたいのです。その墓地は無縁仏の遺骨を掘り返して、新しく分譲??しなおした墓なので。

人の墓を暴いた墓地に自分が入る。こんな醜いエゴは無い。死んでも自分中心か。死者の眠りを妨げての安穏なんて許されないぞ。

勿論、寺院の経営に付いては理解しています。

理解してはいますが、寺院の経営の為とは言え死者の眠りを妨げて良いのか。それが仏教の答えか。浄土宗の答えか。

私の家の宗家である永井直勝は、東京都新宿区信濃町に浄土宗の一行院を開基しました。因みに信濃町の町名は永井直勝が信濃守の役職に付いていた時、その地に屋敷を構えていたからそう呼ばれています。

その一行院ですが、現在はビルディングとなっております。そのビルの中にお墓があるのです。

つまり、一行院の墓地の遺骨は全て掘り起こされて墓地を分譲したのだと推測します。

信濃町のある部分は一行院の墓地だった。その地にビルディングを建てて人々は暮らしいてる。それって罰当たりではないのか。

何たって東京の一等地とです。墓にしておくのは勿体ない。その考えから墓を暴いて分譲したのだと思います。

遺骨はビルディングにあるとしても人は土に帰るべきです。

仏教は、浄土宗は人は死んだら終わりと考えているのでないのですか。亡くなってからの世界こそが仏教ではないのですか。そんなのが仏教なのですか。それで釈迦や仏を語る資格はあるのですか。

経済面での理由は分かります。でも人は土の中で眠りたい筈です。だったらビルディングの中ではなく、遠く離れても山の中でも良いので新たに土地を購入し、その地に墓を新造するべきではないですか。

墓地を売ったのでしようから、寺院はその資金も持っていると思います。それなら代替えの地を用意して、山の中でも良いのでお墓を移すべきではないでしようか。コインロッカーみたいなビルディングの墓地なんて、死者を冒涜していますよ。

私の父の墓も仙台市の中心地に近い北山にあります。そして墓を継ぐ者は私の甥です。

でも分かるんですよ、私。甥にはその能力が無いことを。

私の家系の流れですが、子供には禍と苦しみ、死を暗示させる意味合いの名前を付ける習慣があります。所謂、子殺しの家系なのです。無意識であっても子供を殺す遺伝子がある一族なのです。

甥の名前は一言で言って「リングの貞子」です。甥が気の毒です。

夭逝はしないと思いますが、死より苦しい人生を歩む意味合いがあります。井の中の蛙で雁字搦めの人生を歩む事となる毒名です。あの名前では大成しない。先ず間違いなく我が一族は無縁仏になると思っています。

だからこそ私は永遠に安眠が出来る墓が欲しい。無縁仏としてお骨を纏められて埋葬されたくはない。どうしても永遠に眠れるの墓が欲しい。

それが私の一番の望みです。

生きているのは苦しかった。良い思い出もすくなかった。辛い事ばかりだった。

だから死に期待している。生への執着を忘れ幸せに眠りたい。そんな墓を造る。それが私の最後の念願です。


ではでは。



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2 コメント

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Unknown (さいばかおす)
2023-04-06 18:27:57
全く同感です!
僧侶のくせに金が払えないなら墓仕舞いをしろとはとんでもない話。
絶対許せません!
必ず罰当が当たると思います。
俺が今まで、大きな事故や事件に巻き込まれず、大病もしないで生き永らえてきたのは、御先祖様の守護があるからだと思っています。
俺の祖父は早死にでした。父方の祖父は、親父が中学生の時に48歳で亡くなり、母方の祖父は65歳で、俺が小学二年生の時に亡くなりました。どちらも病死です。
祖父が子孫を全力で守るために早目にあの世に行って守護神になったのだと思っています。
お陰様で、両親、叔父叔母、従兄弟姉妹達は誰一人として不幸な目に遭っていません。
ちなみに祖父祖母の兄弟には戦死者は全くいません。
父方の祖母の弟は、ミッドウェー海戦で空母赤城に乗っていて撃沈されましたが、生き残っています。ミッドウェー海戦の後はガダルカナルへの輸送の任務につき、終戦まで横須賀軍港に駐屯していたそうです。
母方の祖父の妹の旦那はブーゲンビル島への輸送作戦に参加した後は、呉軍港に終戦まで駐屯していたそうです。
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正負の法則。 (綱永井寵生)
2023-04-07 18:56:01
さいばかおすさんへ

この世の中、どんな分野でも正負の法則が成立していると思えます。誰かが正を得れば、誰かがその負を負わされる。誰もが均等に正を得るのは有り得ないです。

私の家系は長男が負を受け持つケースが多いです。本家の長男も21歳で事故死していますか、ダウン症の従弟もいます。甥っ子は死産。父方の祖父は49歳で列車事故で片足切断。病院に運ばれて違う血液を輸血され死亡しています。

残念ではありますが、負を引き受けたから家族の正があるのだと考えます。だからこそ、黄泉の世界では幸せに暮らして貰いたい。

残念ながら無縁仏になる可能性は誰にもあり得ます。

悲劇のシナリオの人生を歩んだのだから、墓の下で安らかな眠りに付きたい。それを金銭面の関係から拒む。僧侶も生活がかかっているのは分かりますが、余りにも不条理だと思います。

私の家系は浄土宗ですが、浄土宗の総本山である増上寺内で殺された家系の者(永井尚長)もおります。

その点を浄土宗の僧侶に聞きたいと思いましたが、多分、何も答えられないでしよう。仏教なんてその程度のもの。一つのビジネスです。

昨年亡くなった父の戒名で「9文字の戒名を望まれるのであれば、浄土宗の対面・格式があるので最低でも100万円は頂かないと」と言われました。

仏教の格式って何なのでしよう。やっていることはオウムや統一教会、創価学会と全然変わらないように思えます。ただ単に歴史が長いだけです。

昔は勝手に墓を造っても問題ありませんでした。今、それを許すと殺人事件の隠ぺいに繋がり困難です。

でも、タダ同然の土地はいくらでもあります。誰が所有しているのか分からない土地は九州と同じ面積があるそうです。

そんな土地を買い求めて自分の墓を造るのって、それほど重大な罪なのでしようか。まるで国が宗教ビジネスを後押ししているようでやりきれないです。
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