安東伸昭ブログ

安東伸昭の行動日記

津山市長のトップインタビュー

2013年10月23日 | 行政

平成25年10月23日 9:00

時事通信社のiJANPにトップインタビュー記事として、岡山県津山市 宮地昭範市長の取材記事が掲載されていました。内容は以下の通りです。

「ご紹介」

◇市民との対話を重視=宮地昭範・岡山県津山市長

 「私は高校しか出ていないし、自治労の幹部だった人間。こんな人間が市長をやっているのは珍しいでしょう」と、笑みを浮かべるのは岡山県津山市(10万5900人)の宮地昭範市長(みやじ・あきのり=65)。初対面の人にもオープンに接する性格で、市民にも評判がいい。2010年の市長選で前職を破って就任以来、市民との対話を重視し職員の意識改革と財政健全化に全力投球している。

 「市役所に40年勤めてきたが、ぜひ市長像を変えてみたい。ざっくばらんに市民の皆さんといつでも膝を交えてお話をして、いろんな政策に生かせばいい」と、就任以来「地域懇談会」を17回、「市民と市長のふれあいトーク」を9回実施してきた。職員には「いろいろ考えて私自身にボトムアップしてほしい」と意識改革を訴え、「職員もものごとを新しい発想で考えるようになる」と効用を強調する。

 市の大きな課題がごみ処理施設の新設事業。熱回収・リサイクル施設を完備した新クリーンセンターへ転換を図るが、就任時には建設地をめぐって住民との話し合いは妥結していなかった。「当選後1年間、(建設予定地の住民と)トラブルがあった問題の検証期間を設けた」と振り返るように反対派住民と話し合いを行って建設地が決まり、造成が始まった。

 また、市長は大きな財政上の負担だった土地開発公社を「第三セクター改革推進債」を活用して整理する決断をした。「30年間、毎年元金と利息をプラスしたものを市の財政から払っていくという形を取った。苦渋の選択だったが、今私がそのことをやらないと永久に借金は残ったまま」と語る。

 明るい話題として市内の城東地区の「重要伝統的建造物群保存地区」選定が決まったことを挙げる。市は1300年前に美作国が建国されて以来、県北の中心都市としての歴史があり、江戸時代にも津山藩として独自の歴史を刻んできた。その城下東側の町人地区の町並みは今でも当時の重厚なたたずまいを残している。岡山県内では、高梁市ベンガラ赤壁の吹屋地区、倉敷市美観地区に次いで3番目の指定で「素晴らしい歴史文化遺産で観光資源。こういうものを内外にアピールして頑張っていかないといけない」と強調する。

 国内では京都の梅小路機関車庫に次ぐ規模で鉄道ファンを集めるJR津山駅構内の「扇形機関車庫」も含め歴史・文化遺産を生かし、年間70万人の観光客を100万人にしようと観光振興も進めている。

 〔横顔〕津山商業高校卒業後、市に入庁。環境生活部次長で退職し、市長は就任1期目。趣味はスポーツ観戦。座右の銘は「星火燎原(せいかりょうげん)」。尊敬する人物は坂本竜馬。

 〔市の自慢〕津山藩お抱え絵師・鍬形★斎(くわがた・けいさい)が描いた「江戸一目図屏風」は傑作とされ、スカイツリー開業に合わせ複製が販売された。西洋医学を紹介した宇田川玄随(うだがわ・げんずい)、幕末の対米露交渉で活躍した箕作阮甫(みつくり・げんぽ)らを幕末に輩出したことでも有名。

(岡山支局・丸山宣行)(了)(2013年10月21日配信)


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津山圏域消防組合議会視察

2013年10月23日 | 議会報告

平成25年10月21・22日

津山圏域消防組合議会による視察に出席する。(15名の議員と事務局3名)

 視察先:呉消防署・海上自衛隊呉地方隊

呉消防署では、森島和雄危機管理室課長補佐より、「南海トラフ巨大地震」に対す取組状況について聴く。

Photo

 

特徴

 全国市町との災害時協定の締結先として、旧軍港市との総合応援協定締結(横須賀、舞鶴、佐世保)

 災害時支援として、自衛隊OB(隊友会)と

 アレルギー対応非常食の備蓄(今年度より対応)

 海上自衛隊衛生隊員及び各艦船の看護師取得者と救急自動車同乗実習の実施及び呉海上保安庁と総合訓練の実施を行っている。

 年間では24名の同乗実習-呉ならではの取組と受けとめました。

 

海上自衛隊呉地方隊の基地視察(2日目)

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伊豆大島に向けての支援物資を護衛艦に積載中

貨物船では無いので、隊員による人海戦術での作業である。

一方では、パレット毎に艦内に運び込まれていました。

台風接近により、海上自衛隊の出動かな?と思う(個人的)

 

海上自衛隊呉地方総監部の説明を聴く

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明治22年の建物

3本の矢を取り入れた、玄関の御影石の柱

 

初日、呉消防署の研修終了後、大和ミュージアムを見学する。

私の会社の上司であった高柳部長のお父さんの写真を初めて目にする。

 高柳儀八氏(初代戦艦大和艦長)

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涙ぐみながら、資料映像を見られていた、入館者もおられました。

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