幼稚園から小学校低学年のときの絵が天袋から出てきた。
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なんともなつかしい、ミルトン(フルーツカルピスのようなものが
丸っこいガラスのボトルに入っている)の紙箱に入っている。
母は忘れただろうが、このミルトンのえくぼのあるボトルは
醤油入れになって長くガス台の傍らにあったのだ。
箱は埃まみれのぼろぼろだが、中から出てきたクレヨン画は
昨日描いたようにきれいだ。
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1枚1枚、先生の赤丸印やらよく出来ました桜判子があるので、
学校で描いたものだろうが、夥しい数だ。
私は捨てられない女なので、スペースがある限り何でも保存しているが、
母は捨て魔なので、もうそんなものは残っていないだろと思っていた。
天袋は高いところにあるので、背の低い母の死角だったのだ。
しかし、80歳になったので身の回りを片付けたい気持ちに
拍車がかかったらしく、1度も見たことのない天袋に目をつけたらしい。
私が27歳のときに、それまでのデッサン、油絵などとともに
高校の学生鞄や中学校で配布されたパンフレット
(ガリ判刷りの藁半紙をホチキスでとめたもの)の類と
その幼い絵の入ったミルトンの箱を天袋にしまって、
旅行に出かけるようにお嫁に行った。
私の部屋はそののち父が死ぬまで使い、今は母が使っている。
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ミルトンの箱の中の絵では、小学一年生のときの
夏休み絵日記がめちゃくちゃ素敵で、母と笑いながら眺めた。
毎日、毎日、前年の春に生まれた妹のことばかり書いてある。
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1ページ目、7月21日、ピアノが来た日。
「きのうよるにぴあのがきました。
きょうのあさ、うちのYこちゃんといっしょにぴあのをひきました。」
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7月28日、自転車が来た日。
オレンジ色のクレヨンでページいっぱいの自転車の絵。
7月30日、「もうわたしはじてんしゃにのれます。」
7月31日、「きのうじてんしゃのうしろにちりがみを
のせてかえりました。」とある。
このちりがみはもちろん今のようにふわふわの
ティッシュペーパーでもトイレットペーパーでもない。
おそらくトイレで使っていたごわごわの四角いちりがみだ。
近所の商店街で買ってきたにちがいない。
一人のお使いか、お買い物についていって荷物運びをしたのか
覚えていないが、妹が生まれて忙しい母の手伝いをよくしていたのだ。
冷蔵庫を開けると妹は泣いたらしい。
「うちのYこちゃんはわたしがレイゾウコをあけると
まんまといってなきます。ぎゅうにゅうがみえるからです。」
前年千葉に父が建てた家に引っ越したのばかりだったので、
その小さな冷蔵庫も新しく買ったものに違いない。
白黒テレビはすでにあつたが、掃除機、電話、洗濯機は
このあたりでうちにやってきたのだと思う。
昭和30年代後半、妹は経済の高度成長とともに生を受けたのだった。
「けさうちのYこちゃんはいぬまるさんにおいもをもらいました。」
お向かいの犬丸さんはやさしいおばあちゃまで祖母と仲良しだった。
私も「れもんのソーダすい」をごちそうになったと書いてある。
↑食べ物のことばかり(笑)
「らじおたいそうからわたしがかえると
うちのYこちゃんは『ちゃいり(おかえり)』といいます。」
「きのうYこちゃんがえんぴつけずりをまわしてあそびました
えんぴつはいれませんただぐるぐるまわすだけです。」
読点が全くないのが、ぐるぐる回る感じで素敵。(笑)
妹の行動の一つ一つがニュースなのである。
最後に8月14日「けさYこちゃんはあるきました。」と
母と私の真ん中で手を繋いで歩く妹の絵。
ずっと這い這いをせずに、座って足だけでいざっていた妹は、
さんざん母を心配させたけれど、1歳四ヵ月で妹は歩いたのだ。
日記はもうページがなくて、あとの2週間をどのように過ごしたのか、
気になるところではあるが、1年生用に20枚しかない絵日記なのだ。
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8月6日、親戚でもない綺麗な「ようこおねえちゃん」が出て来て、
「きのうとうきょうでおねえちゃんにおみやげをもらいました。
ようこねえちゃんとさんどいっちををたべました。」
母が「私は一緒に行かなかった」と言いだして、
おそらく父がわたしを連れて会いにいったであろう
謎の「ようこねえちゃん」の身元の推理が始まる。
8月10日、「きのうたつおにいちゃんがよるにきました。
おおきなすいかをもらいました。」
と父の従兄弟がスイカを提げてくる姿。
当時「たつおにいちゃん」は横浜に住んでいて、
このときはまだ独身だつたと思う。
じきに所帯を持って、わたしはお泊まりで遊びに行ったらしい。
数年後の絵日記に生まれたばかりの赤ちゃんや
氷川丸のことなどが書かれていた。
ほんとうにこんなことがあったのだ。
たどたどしいけれど、そのとき持てる力を全部使って、
自分が出合ったできごとをあらわしているのである。
自分でも書いたことを覚えていない。
現在の私は社交嫌いと思い込んでいるけれど、
絵日記には、家族やお友達や先生が生き生きと描かれているのだ。
家族やお友達と一緒に行った大洗の海、プール、谷津遊園。
40年後、人の出てこない短歌を作り、
人の出てこない写真を撮るようになるなんて、
そのときには想像もしなかっただろう。
2年生になると、絵もなんだかつまらなくなり、
絵日記も投げやりで、素朴な喜びは消えていた。
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なんともなつかしい、ミルトン(フルーツカルピスのようなものが
丸っこいガラスのボトルに入っている)の紙箱に入っている。
母は忘れただろうが、このミルトンのえくぼのあるボトルは
醤油入れになって長くガス台の傍らにあったのだ。
箱は埃まみれのぼろぼろだが、中から出てきたクレヨン画は
昨日描いたようにきれいだ。
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1枚1枚、先生の赤丸印やらよく出来ました桜判子があるので、
学校で描いたものだろうが、夥しい数だ。
私は捨てられない女なので、スペースがある限り何でも保存しているが、
母は捨て魔なので、もうそんなものは残っていないだろと思っていた。
天袋は高いところにあるので、背の低い母の死角だったのだ。
しかし、80歳になったので身の回りを片付けたい気持ちに
拍車がかかったらしく、1度も見たことのない天袋に目をつけたらしい。
私が27歳のときに、それまでのデッサン、油絵などとともに
高校の学生鞄や中学校で配布されたパンフレット
(ガリ判刷りの藁半紙をホチキスでとめたもの)の類と
その幼い絵の入ったミルトンの箱を天袋にしまって、
旅行に出かけるようにお嫁に行った。
私の部屋はそののち父が死ぬまで使い、今は母が使っている。
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ミルトンの箱の中の絵では、小学一年生のときの
夏休み絵日記がめちゃくちゃ素敵で、母と笑いながら眺めた。
毎日、毎日、前年の春に生まれた妹のことばかり書いてある。
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1ページ目、7月21日、ピアノが来た日。
「きのうよるにぴあのがきました。
きょうのあさ、うちのYこちゃんといっしょにぴあのをひきました。」
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7月28日、自転車が来た日。
オレンジ色のクレヨンでページいっぱいの自転車の絵。
7月30日、「もうわたしはじてんしゃにのれます。」
7月31日、「きのうじてんしゃのうしろにちりがみを
のせてかえりました。」とある。
このちりがみはもちろん今のようにふわふわの
ティッシュペーパーでもトイレットペーパーでもない。
おそらくトイレで使っていたごわごわの四角いちりがみだ。
近所の商店街で買ってきたにちがいない。
一人のお使いか、お買い物についていって荷物運びをしたのか
覚えていないが、妹が生まれて忙しい母の手伝いをよくしていたのだ。
冷蔵庫を開けると妹は泣いたらしい。
「うちのYこちゃんはわたしがレイゾウコをあけると
まんまといってなきます。ぎゅうにゅうがみえるからです。」
前年千葉に父が建てた家に引っ越したのばかりだったので、
その小さな冷蔵庫も新しく買ったものに違いない。
白黒テレビはすでにあつたが、掃除機、電話、洗濯機は
このあたりでうちにやってきたのだと思う。
昭和30年代後半、妹は経済の高度成長とともに生を受けたのだった。
「けさうちのYこちゃんはいぬまるさんにおいもをもらいました。」
お向かいの犬丸さんはやさしいおばあちゃまで祖母と仲良しだった。
私も「れもんのソーダすい」をごちそうになったと書いてある。
↑食べ物のことばかり(笑)
「らじおたいそうからわたしがかえると
うちのYこちゃんは『ちゃいり(おかえり)』といいます。」
「きのうYこちゃんがえんぴつけずりをまわしてあそびました
えんぴつはいれませんただぐるぐるまわすだけです。」
読点が全くないのが、ぐるぐる回る感じで素敵。(笑)
妹の行動の一つ一つがニュースなのである。
最後に8月14日「けさYこちゃんはあるきました。」と
母と私の真ん中で手を繋いで歩く妹の絵。
ずっと這い這いをせずに、座って足だけでいざっていた妹は、
さんざん母を心配させたけれど、1歳四ヵ月で妹は歩いたのだ。
日記はもうページがなくて、あとの2週間をどのように過ごしたのか、
気になるところではあるが、1年生用に20枚しかない絵日記なのだ。
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8月6日、親戚でもない綺麗な「ようこおねえちゃん」が出て来て、
「きのうとうきょうでおねえちゃんにおみやげをもらいました。
ようこねえちゃんとさんどいっちををたべました。」
母が「私は一緒に行かなかった」と言いだして、
おそらく父がわたしを連れて会いにいったであろう
謎の「ようこねえちゃん」の身元の推理が始まる。
8月10日、「きのうたつおにいちゃんがよるにきました。
おおきなすいかをもらいました。」
と父の従兄弟がスイカを提げてくる姿。
当時「たつおにいちゃん」は横浜に住んでいて、
このときはまだ独身だつたと思う。
じきに所帯を持って、わたしはお泊まりで遊びに行ったらしい。
数年後の絵日記に生まれたばかりの赤ちゃんや
氷川丸のことなどが書かれていた。
ほんとうにこんなことがあったのだ。
たどたどしいけれど、そのとき持てる力を全部使って、
自分が出合ったできごとをあらわしているのである。
自分でも書いたことを覚えていない。
現在の私は社交嫌いと思い込んでいるけれど、
絵日記には、家族やお友達や先生が生き生きと描かれているのだ。
家族やお友達と一緒に行った大洗の海、プール、谷津遊園。
40年後、人の出てこない短歌を作り、
人の出てこない写真を撮るようになるなんて、
そのときには想像もしなかっただろう。
2年生になると、絵もなんだかつまらなくなり、
絵日記も投げやりで、素朴な喜びは消えていた。