民主主義は、皆が平等な社会を目指すべきと勘違いしている人って、案外多いのではないでしょうか。
ええ、勘違いです。そもそも民主主義の成り立ちは、納税者に選挙という形で政治に参加させることを目的としていました。機会を与えるという意味で、平等を目指した思想であることは間違いありません。しかし、結果としての平等を目指したものではない。
貴族などの土地所有者は、その土地から収穫を上げて納税します。一方、商人は日々の努力により利益を上げて、そのなかから納税します。運もあるでしょうが、商人一人一人の努力は人それぞれ。当然、結果としての利益に差が出ます。努力して利益を上げ、納税をしたものが、自分の意見を政治に反映させたいと望んだ結果が、民主主義を生み出したといえるでしょう。
産業革命により生産力の飛躍的増大は、必然的に貧富の差を拡大なさしめました。資本力の大小による違いもあるでしょうが、各経営者の営業努力の差でもあるわけです。この結果、社会において富めるものと貧しいものの新たなる階級が生まれることとなりました。
血統や社会階級(王とか貴族とか)による階層が隔てられた社会は、その矛盾から民主主義を生み出しました。封建社会がもっていた差別は形式上、なくなりましたが、その一方民主主義のもとでは、資本家階級と労働者階級という新たな階層が生まれてしまったわけです。
これを社会矛盾と考えて、その是正を目指したのがマルクス等に代表される社会主義者です。彼らは当然のこと、結果の平等を目指します。
私は一概に社会主義を否定する気はありません。労働者保護を目的とした各種法律の制定など好ましい改革の原動力になったのは事実ですから。かくゆう私自身が恩恵を被った難病患者に対する助成措置などは、社会主義政権(地方自治レベルでしたが)が生み出したものですしね。
されど、社会主義は必然的に国家を肥大させました。そしてその国家の機能、組織の運営等に深くかかわれる者に利益をもたらし、そうでないものとの間に王と貧民並みの格差を生じしめました。
やはり人間って奴は、平等を望む一方で、他人より豊かであることをも望む存在なのでしょう。皮肉なことに、民主主義は競争社会肯定論者(結果の差は当然)と平等至高主義者(結果が平等であるべき)を並存させてしまう制度でもあります。
戦後の日本は資本主義の衣を纏いつつ、先進国随一といえるほど社会主義の実現にも力を入れて国づくりをしてきました。「機会均等、結果不平等」と「結果平等、競争否定」の相反する思想が「和をもって尊としとなす」建前の元で混在し、争い妥協し合う奇妙な歴史を育んできた社会でもあります。
現在のライブドア騒動や姉歯建築士不正建築事件も、前者と後者のしのぎ合いの表れである感が耐えません。自分自身の立つ位置が、どこにあるのか、あるべきなのかを考えさせられます。
ええ、勘違いです。そもそも民主主義の成り立ちは、納税者に選挙という形で政治に参加させることを目的としていました。機会を与えるという意味で、平等を目指した思想であることは間違いありません。しかし、結果としての平等を目指したものではない。
貴族などの土地所有者は、その土地から収穫を上げて納税します。一方、商人は日々の努力により利益を上げて、そのなかから納税します。運もあるでしょうが、商人一人一人の努力は人それぞれ。当然、結果としての利益に差が出ます。努力して利益を上げ、納税をしたものが、自分の意見を政治に反映させたいと望んだ結果が、民主主義を生み出したといえるでしょう。
産業革命により生産力の飛躍的増大は、必然的に貧富の差を拡大なさしめました。資本力の大小による違いもあるでしょうが、各経営者の営業努力の差でもあるわけです。この結果、社会において富めるものと貧しいものの新たなる階級が生まれることとなりました。
血統や社会階級(王とか貴族とか)による階層が隔てられた社会は、その矛盾から民主主義を生み出しました。封建社会がもっていた差別は形式上、なくなりましたが、その一方民主主義のもとでは、資本家階級と労働者階級という新たな階層が生まれてしまったわけです。
これを社会矛盾と考えて、その是正を目指したのがマルクス等に代表される社会主義者です。彼らは当然のこと、結果の平等を目指します。
私は一概に社会主義を否定する気はありません。労働者保護を目的とした各種法律の制定など好ましい改革の原動力になったのは事実ですから。かくゆう私自身が恩恵を被った難病患者に対する助成措置などは、社会主義政権(地方自治レベルでしたが)が生み出したものですしね。
されど、社会主義は必然的に国家を肥大させました。そしてその国家の機能、組織の運営等に深くかかわれる者に利益をもたらし、そうでないものとの間に王と貧民並みの格差を生じしめました。
やはり人間って奴は、平等を望む一方で、他人より豊かであることをも望む存在なのでしょう。皮肉なことに、民主主義は競争社会肯定論者(結果の差は当然)と平等至高主義者(結果が平等であるべき)を並存させてしまう制度でもあります。
戦後の日本は資本主義の衣を纏いつつ、先進国随一といえるほど社会主義の実現にも力を入れて国づくりをしてきました。「機会均等、結果不平等」と「結果平等、競争否定」の相反する思想が「和をもって尊としとなす」建前の元で混在し、争い妥協し合う奇妙な歴史を育んできた社会でもあります。
現在のライブドア騒動や姉歯建築士不正建築事件も、前者と後者のしのぎ合いの表れである感が耐えません。自分自身の立つ位置が、どこにあるのか、あるべきなのかを考えさせられます。