良識が問われる問題だと思う。
一部の県の図書館で、原爆被害の恐ろしさを伝える名著として名高い漫画の「はだしのゲン」が閉架措置が取られていると報道されていた。その記事を読んで、私は少し首を傾げた。
この漫画は戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさを伝える作品として、漫画でありながら全国の小中学校に置かれたことで有名な作品である。なぜに閉架措置がとられたのか。たしか、物語の後半では日本兵がシナで婦女子を暴行する場面等があったので、そのあたりを配慮しての閉架措置らしい。
実はこの「はだしのゲン」という漫画が有名なのは前半部分だけだ。すなわち集英社の週刊少年ジャンプで連載されていた時のものである。原爆被害の凄惨さが目立ったがゆえに、耳目を集めたが後々人気は落ちて、連載中止となっている。
これは人気投票により連載を決めるというジャンプ独特のシステム故であり、この時点では特段恣意的な動きはなかった。
問題はこの後の連載である。日本共産党系の雑誌「文化評論」に連載され、その後日教組系の雑誌「教育評論」に移って最終回を迎えた。掲載される雑誌は、当時でさえマイナーなものであったので、全部読んでいる人は少ないと思う。
はっきり言えば、ジャンプ連載時代と、その後の連載では内容がかなり異なる。登場人物等には変わりはないが、明らかに反・天皇制度、反・アメリカといった色彩が色濃く出るようになった。もっといえば、天皇への憎悪が色濃く出た左派勢力の宣伝漫画に堕している。
今回、明らかにされた日本兵のシナでの暴行場面なんざ、明らかにねつ造、事実誤認、あるいは政治的偏向によるものだ。共産党の政治的主張に沿ったものであり、あげくには日教組の反日自虐教育路線に忠実な道具と化しているのが「はだしのゲン」の後半部分である。
私は太平洋戦争中、日本兵が清廉潔白であったなんて言う気はないが、シナ兵のみならずシナの一般大衆の日本人に対するリンチが壮絶で残虐なものであったことも知っている。はっきり言うが、シナの人民は、決してか弱い被害者ではなかった。
だからこそ、大陸へ渡って未来を夢見た普通の日本人たちを守るため、日本軍の進出(侵略、大いにけっこう)は日本大衆から大いに支持された。戦後の日本のマスコミが広めた嘘のなかでも、もっとも卑怯で性質が悪いのは日本軍の侵略に、多くの日本人が後ろめたい気持ちをもっていたというものがある。
これは敗戦を終戦と誤魔化すより性質が悪い。大陸での成功を夢見て海を渡った日本の普通の市民たちを襲う残虐非道なシナの馬賊や、暴虐な軍閥の残酷な横暴があったからこそ日本軍のシナ駐屯は支持された。当時の日本の民主主義は、日本軍をこそ支持していたのが歴史的事実です。
ただし、日本共産党や日本社会党など一部の人たちは、そのような状況に危惧を抱いていたことは事実。そして、その日本が負けた以上、次の日本を作っていくのはマルクス主義の正義であり、社会主義こそが新生・日本の道標となるはず。
それなのに、アメリカの横暴により大資本家は生き残り、あろうことかアメリカ式の資本主義が幅を利かす歪んだ日本となってしまった。そして日本の有権者たちは、金に目がくらんで、社会主義の栄光よりも拝金主義の悦楽にひれ伏した。
しかも、あの天皇どもは制度として生き残り、今も皇居の真ん中でぬけぬけと栄華を食んでいる始末である。いかに我々が社会主義の正義を叫ぼうと、選挙において愚民どもは我々を支持しようとしなかった。
こんな愚かな日本なんざ、徹底的に貶めてやる。だが大衆の支持は欲しい。だからこそ戦争責任を天皇と軍隊に押し付け、普通の日本人はその被害者であると洗脳する必要がある。
この目的のためには、「はだしのゲン」という漫画は最適な手段である。主人公のゲンに、戦争中の日本兵が如何に非道で残虐であったかを刷りこみ、天皇こそが戦争を主導した主犯であると断言させる。そうすれば、我々の理想に共感する日本人が増えるはず。
「はだしのゲン」を全国の小中学校に置け、全国の図書館に置くんだ。
ところが愚民には愚民なりの常識がある。あまりにえげつない残虐暴行をする場面が散りばめられた漫画を子供が読む場所に置くのは相応しくない。そう考える愚民は少なくなかったようだ。だからこその閉架措置である。
私は表現の自由は大切だと思う。しかし、人としての良識に照らしての閉架措置はあってもいいと考える。ジャンプ連載時代の第一部(友子の死と、ゲンの髪が生え始めたあたり)までは、戦争の不合理さとか、原爆の恐ろしさを知らしめる良書といっていい。でも、共産党系の雑誌や日教組の雑誌に連載されたものは成人指定したほうあいい。あれはエログロ漫画並みの低俗さであり、子供が読むにはひど過ぎる。
まァ、歪んだ善意からくる正義を振りかざす人たちは、自分たちの正義を良識に照らすことはしないと思いますがね。
一部の県の図書館で、原爆被害の恐ろしさを伝える名著として名高い漫画の「はだしのゲン」が閉架措置が取られていると報道されていた。その記事を読んで、私は少し首を傾げた。
この漫画は戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさを伝える作品として、漫画でありながら全国の小中学校に置かれたことで有名な作品である。なぜに閉架措置がとられたのか。たしか、物語の後半では日本兵がシナで婦女子を暴行する場面等があったので、そのあたりを配慮しての閉架措置らしい。
実はこの「はだしのゲン」という漫画が有名なのは前半部分だけだ。すなわち集英社の週刊少年ジャンプで連載されていた時のものである。原爆被害の凄惨さが目立ったがゆえに、耳目を集めたが後々人気は落ちて、連載中止となっている。
これは人気投票により連載を決めるというジャンプ独特のシステム故であり、この時点では特段恣意的な動きはなかった。
問題はこの後の連載である。日本共産党系の雑誌「文化評論」に連載され、その後日教組系の雑誌「教育評論」に移って最終回を迎えた。掲載される雑誌は、当時でさえマイナーなものであったので、全部読んでいる人は少ないと思う。
はっきり言えば、ジャンプ連載時代と、その後の連載では内容がかなり異なる。登場人物等には変わりはないが、明らかに反・天皇制度、反・アメリカといった色彩が色濃く出るようになった。もっといえば、天皇への憎悪が色濃く出た左派勢力の宣伝漫画に堕している。
今回、明らかにされた日本兵のシナでの暴行場面なんざ、明らかにねつ造、事実誤認、あるいは政治的偏向によるものだ。共産党の政治的主張に沿ったものであり、あげくには日教組の反日自虐教育路線に忠実な道具と化しているのが「はだしのゲン」の後半部分である。
私は太平洋戦争中、日本兵が清廉潔白であったなんて言う気はないが、シナ兵のみならずシナの一般大衆の日本人に対するリンチが壮絶で残虐なものであったことも知っている。はっきり言うが、シナの人民は、決してか弱い被害者ではなかった。
だからこそ、大陸へ渡って未来を夢見た普通の日本人たちを守るため、日本軍の進出(侵略、大いにけっこう)は日本大衆から大いに支持された。戦後の日本のマスコミが広めた嘘のなかでも、もっとも卑怯で性質が悪いのは日本軍の侵略に、多くの日本人が後ろめたい気持ちをもっていたというものがある。
これは敗戦を終戦と誤魔化すより性質が悪い。大陸での成功を夢見て海を渡った日本の普通の市民たちを襲う残虐非道なシナの馬賊や、暴虐な軍閥の残酷な横暴があったからこそ日本軍のシナ駐屯は支持された。当時の日本の民主主義は、日本軍をこそ支持していたのが歴史的事実です。
ただし、日本共産党や日本社会党など一部の人たちは、そのような状況に危惧を抱いていたことは事実。そして、その日本が負けた以上、次の日本を作っていくのはマルクス主義の正義であり、社会主義こそが新生・日本の道標となるはず。
それなのに、アメリカの横暴により大資本家は生き残り、あろうことかアメリカ式の資本主義が幅を利かす歪んだ日本となってしまった。そして日本の有権者たちは、金に目がくらんで、社会主義の栄光よりも拝金主義の悦楽にひれ伏した。
しかも、あの天皇どもは制度として生き残り、今も皇居の真ん中でぬけぬけと栄華を食んでいる始末である。いかに我々が社会主義の正義を叫ぼうと、選挙において愚民どもは我々を支持しようとしなかった。
こんな愚かな日本なんざ、徹底的に貶めてやる。だが大衆の支持は欲しい。だからこそ戦争責任を天皇と軍隊に押し付け、普通の日本人はその被害者であると洗脳する必要がある。
この目的のためには、「はだしのゲン」という漫画は最適な手段である。主人公のゲンに、戦争中の日本兵が如何に非道で残虐であったかを刷りこみ、天皇こそが戦争を主導した主犯であると断言させる。そうすれば、我々の理想に共感する日本人が増えるはず。
「はだしのゲン」を全国の小中学校に置け、全国の図書館に置くんだ。
ところが愚民には愚民なりの常識がある。あまりにえげつない残虐暴行をする場面が散りばめられた漫画を子供が読む場所に置くのは相応しくない。そう考える愚民は少なくなかったようだ。だからこその閉架措置である。
私は表現の自由は大切だと思う。しかし、人としての良識に照らしての閉架措置はあってもいいと考える。ジャンプ連載時代の第一部(友子の死と、ゲンの髪が生え始めたあたり)までは、戦争の不合理さとか、原爆の恐ろしさを知らしめる良書といっていい。でも、共産党系の雑誌や日教組の雑誌に連載されたものは成人指定したほうあいい。あれはエログロ漫画並みの低俗さであり、子供が読むにはひど過ぎる。
まァ、歪んだ善意からくる正義を振りかざす人たちは、自分たちの正義を良識に照らすことはしないと思いますがね。