十代の頃は、ラジオに夢中だった。
中波の深夜放送には中学、高校とはまり、夜更かしの悪癖がついてしまったほどだ。だが、多少音楽の嗜好が固まってくると、音質の良さを求めるようになり、必然的にFM放送を聴くようになっていた。
あれは二十代半ばの頃だった。なんとも奇怪で印象的な歌がラジオから流れてきた。番組はNHK・FMで夕方6時からやっているリスナーのリクエストの曲を放送する番組だった。
美声とは言い難い声だが、一度聴いたら忘れられないほどの衝撃であった。その歌詞も恐ろしく過激で、反社会的だと断じてもいいくらいだ。よくぞNHKが放送したものだと驚いたくらいだ。
おそらくは中年と思われるNHKの男性アナウンサーには理解しがたい曲であったのだろう。曲を流した後で「このような乱雑な歌い方は、如何なものかと思いますね」とコメントしていた。
多分、今だったらネット上で炎上しただろう問題発言ではあるが、分かる気もした。まるで抑えきれぬ激情を吐き出すかのような歌い方は、パンクともロックとも違うように思える。さりとて演歌ではないが、情念の迸りはフォークをはるかに上回る。
唄っていたのは真島昌利、ブルーハーツの一員であり、ソロ・デビューの曲であった。ほぼ同時期に近藤真彦がリリースしているので、こちらで聴いたことがある人もいると思う。
ファンの方には叱られそうだが、近藤マッチの歌い方はソフトに上手にまとまっていて、多分正当な歌い手としては、これが正しいのであろう。しかし、インパクトという点では、真島昌利の歌い方に到底及ばない。魂の込め方がまるで違う。
この歌があったからこそ、私はアンダルシアという地名を忘れることなく覚えていた。この地は不思議な場所である。いや、スペインとポルトガルという航海時代の先陣をきった二つの国があるイベリア半島自体が不思議だと言うべきだろう。
スペインとポルトガルはヨーロッパの国である。それは間違いないのだが、ヨーロッパでない香りを残している国でもある。理由は簡単で、かつて数百年にわたり、イスラム圏に属していたからだ。すなわちムーア人の国であった。
銘記していただきたいのだが、中世の世界では、イスラムとシナこそが先進国であった。ムーア人が支配したイベリア半島ではイスラム文化が花開き、この地には先進的な知識と、古来よりの英知が育まれた。
当時、ヨーロッパの人々はその知識を求めて、はるばるイベリア半島を訪れて、この地の大学で学んだものだ。ヨーロッパの地にもギリシア、ローマの文献は残されていたが、それはキリスト教が独占していた上に、キリスト教の教えと必ずしも一致しないが故に、教会はそれを封印してしまっていた。
皮肉なことに、文明の地オリエントを支配した異教のイスラムの地においてこそ、ギリシャ、ローマの英知は保存され、研究され、発展していた。ただ、ヨーロッパの地からオリエントはあまりに遠い。
だからこそ、イベリア半島のイスラム諸王国にヨーロッパの知識人はこぞって留学した。やがて力をつけた西欧のキリスト教諸国は、欲望に駆られてオリエントを襲った。世にいう聖地回復のための十字軍である。
この十字軍により、西欧諸国は富がイスラム王国にあると知り、オリエントのみならず地中海沿岸のイスラム諸王国に攻め入ったが撃退された。地中海はイスラムの海であり、海を越えての遠征は容易ではなかった。
そこで次に狙われたのがイベリア半島のイスラム王国であった。イスラムにとって辺境の地であるイベリア半島には援助の手は十分に差し伸べられず、途切れることなく襲ってくるキリスト教国の侵略に、遂に最後のムーア人の王国が潰えたのは15世紀になる。
美しいイスラムの都市は、破壊の憂き目にあったものも少なくないが、アルハンブラ宮殿を始めとして、イベリア半島南部のアンダルシアの地には、美を理解するスペイン人たちの手により、かろうじて保存された。
おかげで現代の我々もアンダルシアの美しいムーア人の建築物を鑑賞することが出来る。このような複雑な歴史を持つ地域だけに、ここはヨーロッパにあって、ヨーロッパにない雰囲気を持つ。それが喩えようもない美しさを醸し出し、世界中の人々を惹きつける。
現在では観光地の遺跡でしかないアルハンブラ宮殿に実際に住んだ表題の著者がつむぎだす、不思議なアンダルシアの物語。いつかこの地を訪れてみたいものだと思いました。