学校で優等生だからといって、社会に出てからも偉くなれるとは限らない。
人生も半世紀を過ぎてみると、そろそろ人生の終着点が見えてくる。組織のなかにおける自分の最終的な地位が予測できてしまう年齢であり、定年後の次なる人生設計に取り鰍ゥれねばならない年でもある。
そうなると、不思議と学生時代が懐かしくなり、急にみんなに会いたくなって同窓会が開かれたりする。最終学歴である大学よりも、高校や中学校の同窓会が多くなるのは、日ごろあまり接点がないからだろう。
あくまで一般論というか、私的な見解だが、社会に出てからも連絡を取り合う友人は、どうしても最終学歴を共にした学校の同窓が中心となる。私自身、大学時代の友人とは、それほど間が空くことなく連絡をとっており、飲み会やら旅行やらの遊びも少なくない。
一方、高校や中学の時の友人とは、個人的に親しい間柄の連中を除くと、日ごろはまったく連絡をとらないことが多い。学歴社会である日本では、最終学歴がその後の人生に大きな影響を与えるのは、必然的な事実である。
実際、大学の同窓だと大半が一部上場企業勤務が多く、私のような自営はまれだ。日常的な接点も少なくなく、仕事の帰りに気軽に会って飲みに行ける。交わす会話も、似たような傾向があり、戸惑うことは少ない。
一方、高校、中学の同窓となると趣が異なってくる。もちろん一部上場企業勤務もいるが、どちらかといえば少数派であり、中小企業勤務の方が目立つ。また自営も多く、会社経営者も数人いる。非常にバラエティに富んでいるので、それはそれで楽しいが、戸惑うことも少なくない。
社会的な階級で判じれば、概ね大学卒のほうが地位は高い。ただし、実際に人生をどう楽しみ、如何に自分らしく働いているかとなると、だいぶ様相が異なる。
これは致し方ないことだが、一部上場企業並みの会社に勤めると、その経歴は似たようなものとなる。転勤と海外勤務、社宅から住宅購入、家族と週末の余暇の過ごし方には、似たような傾向が出てきてしまう。
しかし、中小企業や自営業者、会社経営者ともなると、その生き方は多種多様であり、数十年ぶりに再会して話を聞いて驚かされることは多い。下請けの立場で苦労していると云いつつも、案外おこぼれに預かっていたりして、うまく立ち回っていることが伺える。
自営や、会社経営ともなれば、その生き方は千差万別であり、その苦労も察せられるが、自分なりの人生を築いていることも分かり、羨ましく感じることもある。
だが気になるのは学校では勉強の良く出来た、いわゆる優等生たちである。順調に人生を歩んできたと思われる者もいるには居た。しかし同窓会の場に顔を出さない連中もいた。噂ではあまり芳しい様子ではないようのなのだ。
私は学生時代、この優等生たちとはあまり付き合わなかった。別に嫌っていたわけでもなく、ただ単に一緒にいても面白くないと思っていたからだ。悪い奴らではないのは分かっていたが、悪いことも出来ない根性なしだとも思っていた。
もちろん優等生といっても、それぞれ個性は豊かであり、学業以外に趣味や部活に熱心な、普通の学生も多かった。しかし、私が思い出すと、気になるのは孤立気味になる優等生の子たちであった。
表面的な付き合いに終始したので、彼らのことを深く理解したとは言えないが、なんとなく危惧していた。こいつら、社会に出たらやっていけるのか?
私は学校なんて、社会に出るための階段に過ぎず、社会に出てからが本当の自分の人生だと考えていた。社会に出たら必要だと分かっていたから、学生ながらパチンコやマージャンなどの遊びも覚えたし、酒やタバコも付き合いの一部だと認識していた。
大人、とりわけ年齢の離れた大人たちとの付き合いが出来なくては、大人社会は上手く動けないことぐらいは知っていた。そして、学校の勉強が社会にそのまま通じる訳ではないことも知っていた子供だった。
学校で学ぶ勉強は、ある種の知的鍛錬に近く、実社会でそのまま通じないことは当然だとも考えていた。だから、当然のように学校だけが学びの場だとは捉えていなかった。大人たちの輪に自然に加われるようになってこそ、大人の一員だと思っていた。
だから、パチンコ屋に行けば店長や店員にも挨拶していたし、常連との挨拶は欠かせないと思っていた。飲み屋でいくら酔っても、店に迷惑かけない飲み方を身に着けようと苦労していた。
子供目線ではあったが、大人として社会で生きていく労苦があることを分かっていた。それは避けられぬものであるならば、その労苦を上手く切り抜けるノウハウを身に着けることも立派な勉強だと思っていた。
だからこそ、学校の勉強しか出来ないような連中を、少し心配していた。余計なおせっかいだと分かっていたので、口をはさむようなことはしなかったが、あいつら苦労するだろうなと思っていた。
たいした根拠のない心配だ思っていたが、こうして同窓会などに顔を出してみると、困ったことに当たっているようなのだ。
もちろん、同窓会に顔を出さないから苦労している訳ではないだろう。学業優秀なまま卒業し、官庁や大企業でエリートとして活躍し、多忙で同窓会なんぞに時間を割けない奴だっているはずだ。
それはそれで構わないのだが、私が聞いた噂には、人間関係のストレスで壊れた奴や、私生活が崩壊した奴の話があった。彼らは学生時代、勉強の良く出来た優等生だったのに、大人になってからは転落の一途をたどっていたようなのだ。
私は学生時代の勉強に価値がないとは思わない。しかし、学生時代を勉強だけで終えてしまうのは、いささか危ういと思う。あいつ、プライド高かったから、苦しいとき、辛いときに自分一人で抱え込んだのだろう。馬鹿をやるのが苦手だったから、人に弱みを見せるのも苦手だったのだろう。
お~い、ボロボロでもいいから顔ぐらいだせや。愚痴くらい聞いてやるからさ。