正義のヒーローには孤独が似合う。
孤独が似合うのには理由がある。正義というものは、案外と狭量で、協調性に乏しく、妥協が苦手である。だから必然的に単独での活動が中心となる。ファンタスティック・フォーのような例外もあるが、あれは強いリーダーシップなしには存続しえない。
だから、アニメのヒーローたちを集めたアヴェンジャーズが仲間割れし、分裂するのはある意味、必然ですらある。もっとも、今回の仲間割れの原因は、直接的には国連の管理を受け入れるかどうかだが、その背後にあるのは、国家あるいは政府に対する抜きがたい不信感であろう。
これは、アメリカ独特ではないか。古い歴史を持つ国は、数多の侵略を受けた経験から、支配者あるいは権力者と支配される国民との間に、ある種の冷静な距離感がある。
しかし、アメリカは建国の歴史が浅いだけに、アメリカ市民は自国の政府に対する心理的距離が近い。そう、近すぎるのだ。他国に比して、自分たちの政府との思いが強く、それは強い愛国心にもなる。
ところが、思いが強すぎるが故に、政府が我々の政府であると思えなくなると、途端に強い拒否反応を示す。元々、政府の力を借りずに開拓という名の侵略行為により、各地の州政府(当時は地方政府)が築かれ、それがゆるやかに連合することでアメリカ合衆国は建国された。
それを近代国家として統合したのが、かのリンカーンである。この功績ゆえに、リンカーンは歴代大統領のなかでも別格の扱いを受ける。なぜか日本人は、黒人奴隷解放を宣したからだと勘違いしているが、そうではない。
だが、全てのアメリカ市民が、統合された近代的な政府となった合衆国を認めているわけではない。外部からの攻撃(日本帝国やアルカイーダ)に対しては、一致団結して戦う。しかし、内部においては、ワシントンにある政府を素直に認めている訳ではないアメリカ市民が少なくない。
人種問題や、格差問題だけが、アメリカを引き裂いている訳ではない。このアメリカ独特の精神的な軋轢なくして、この映画が何故に「シビル・ウォー」なのかは理解できないと思う。
普通、アメリカにおいて「シビル・ウォー」といえば南北戦争を意味する。ゆるやかな地方政府の連合体であった建国当時のアメリカを南北陣営に引き裂き、結果として、近代的な統一政体としてのアメリカ政府を打ち立てた、あの戦争である。
南北戦争は、アメリカになにをもたらし、また何を壊し、何を作り上げ、その結果何が起こったのか。
アイアンマンや、キャプテン・アメリカたちアベンジャーズを引き裂いたこの戦いは、南北戦争の理解なくして、到底理解しがたい背景を持つ。その意味で、娯楽作品としては、いささか問題がある。
だから、本作品は従来のアベンジャーズものに比して爽快感や、ワクワク感に乏しい。かろうじて、随所に入れられた小ネタにより笑えるのが、救いとなっている。
ただし、映像のド迫力は本物であり、特に3D技術の改善が随所に見られる点は高評価だ。アメリカン・ヒーローものであるだけに、単純明快なアドベンチャー映画を期待すると、絶対に裏切られます。
これをリアルなヒーロー映画とみるか、理屈っぽ過ぎと捉えるかにより、評価は変わると思います。私は残念ながら後者でした。