政治家に求められる資質の一つが、役者であることならば、オバマは見事だと思う。
先週の伊勢志摩サミットは、低迷する世界経済を主題とした先進国首脳たちの会合であったはずだ。しかし、肝心の主目的ではさしたる成果は得られなかった。これは別に驚くべきことではない。
世界中のどの国も、この低迷する世界経済への明確な処方箋をもってないことが再確認されただけである。これは予想済みであり、織り込み済みの結果であるに過ぎない。
そのかわり、世界の眼を惹いたのは、第二次世界大戦時にアメリカが原爆を始めて実戦使用した地であるヒロシマを、オバマ・アメリカ大統領が訪問したことであった。このニュースだけは、世界中に配信された。
サミット自体にたいした成果がなかったからでもあるが、イギリスやフランスの首脳たちがやっかむぐらいのニュース格差であったのは確かだ。でも、はっきり言うが、中身のなさは、サミットと大差ないと思う。
オバマ大統領は、その就任以来しばしば核兵器のない世界を口にしてきたが、彼の在任中にはまったく進展がなかったのが現実である。その彼が広島を訪れてみたところで、核なき世界が実現する可能性は皆無に等しい。
ところが、日本のマスコミ報道では、核兵器廃絶に向けた大きな一歩だと過大、あるいは偏向評価するものが少なからず見受けられる。
原爆による悲惨な被害を世界に訴えることが、核兵器廃絶につながると期待すること自体、別に間違っているとは思わない。でも、その逆もあるのが現実であることも論じるべきなのではないか。
核兵器は恐るべき惨状を引き起こす。だからこそ、核兵器をもつことで自国を守りたい。そう考える国が少なくないのが現実ではないのか。多くの反対を押し切って核兵器を持つに至った国は、イスラエル、南アフリカ、インド、パキスタン、イラン、そして北朝鮮と続いている。
現実には、核兵器は根絶どころか拡散している。つまり、広島、長崎の原爆被害を訴えれば訴えるほど、その戦争抑止力としての核兵器の価値を再認識する人たちが確実にいることの証左でもある。
もちろん、広島、長崎の悲惨な現状をみて、核兵器廃絶に激しく同意する人たちだっている。いるけれど、それは何の成果ももたらしてはいない。
オバマ大統領は、そんなこと先刻承知の上で広島を訪問している。実際にはアメリカに核兵器を廃絶するどころか、より高性能化している。命中精度や、ネットワーク化された指揮系統に、効果的に核兵器を組み込んでいる。
でも、そんな素振りは一切見せず、原爆被災者とハグする名役者ぶりである。日本のマスコミは、いったい何をみているのか。核兵器根絶の夢に呆けて、現実の核兵器拡散傾向の上昇や、核兵器のより高機能化は見えてないとしか言いようがない。
日本のマスメディアの低能ぶりには、ほとほと嫌気がさしますね。