もはや日本語は、日本人だけのものではない。
しばしば云われるのが、日本語の特殊性であった。たしかに2000年近く、孤立した日本列島で育まれた言語だけに、独特の言い回しや、母音過多の発音を活用した俳諧など詩文の発達。表意文字である漢字と、表音文字である平仮名、片仮名を併用する特異な言語であることは確かだ。
しかし、話言葉としての日本語を巧みに駆使する外国人は、半世紀前に比して飛躍的に増えた。駐留していたアメリカ軍人とその家族は、かつては日本語など挨拶さえ、ロクに覚えようとしなかった。
ところが、現在では日本語での日常会話程度なら当然に出来ることが珍しくない。欧米だけではなく、東南アジアや中東から来て、日本に定着している外国人も少なくない。
特に、子供の頃から日本の学校に通った外国人だと、日本人並に読み書きが出来る。また、海外で育ちながらも、成人して来日し、真剣に日本語を学んだ外国人も、今や珍しい存在ではなくなりつつある。
表題の作品の著者も、下手な日本人以上に日本語を使いこなす。短いエッセーを読んだだけでも、その見識の深さがよく分かる。もはや、日本語は日本人だけの独占物ではない。
ただ、反原発やら、反イラク戦争といった、いささかアメリカ人らしくない政治的見識の持ち主である。だからこそなのだろうが、日本の風土に馴染んでしまったようでもある。
それでも、日本人とは異なる視線で、日本をみつめることは、けっこう刺激になる。というか、我々日本人が忘れがちなことを再認識させてくれるエッセーでもある。
気軽に読める構成なので、機会がありましたらどうぞ。