私が信じていないものの一つに、マスコミの人権感覚がある。
もともと、人としての基本的で最低限の生きる権利である人権という概念は、近代が産み出したもので、古来から存在してきたものではない。
だが、近代社会というものは、人権を大切にすることで、成り立ってきたのも確かである。人が生きていく上で、互いに尊重し合える最低限の権利としての人権は、守られるべきものだと信じている。
今、世界的に話題になっているのは、北朝鮮に渡航して、そこで捕まり一年以上たってからようやく帰国が許されたアメリカ人青年の事件である。脳細胞の大半が死滅している状態での帰国であり、事実上生きる屍であった。そして、アメリカの地でまもなく死んでしまった。
北当局は、ボツリヌス菌のせいだなどと宣伝しているが、誰がそんな戯言を信じようか。何らかの手段で、洗脳しようとして失敗したと考えるのが自然だと思う。
で、日本のマスコミの報道は、どうかとみると、まるで他人事である。相も変わらず、加計学園だの、メールだのと騒いでいる。要は安倍政権憎しからの情報操作に躍起なのだろう。
しかし、普通に考えたら、未だ北朝鮮に居て、帰国を望んでいる日本人の問題のほうが、よほど重要な問題ではないのか。更に付け加えるのなら、共産シナにおいて、スパイ疑惑で拘留されている12人の日本人の問題だってある。
おそらく、政府は水面下で動いているはずだが、未だ成果は出ない。おそらくだが、外務省は相も変わらずの、事なかれ主義で、何もしなければ失敗もしないと考えているのだろう。
北の拉致日本人の奪還が、小泉首相をたきつけた安倍ら自民党政治家の功績である。政治家が働きかけないと、減点考課で縛られた役所は動かないことが多い。そのくらい、日本の役所は、既存の仕事以外のことには消極的だ。
未だ北に据え置かれた日本人や、共産シナに拘束された日本人の救出は、政治家だけでなく、マスコミの報道による国民の無言の支援が必要となる。それがないと、実務を担当する役所は動かない。
安倍政権叩きに夢中なマスコミ様は、海外で拘束されている日本人には無関心であられるようだ。そんなマスコミの主張する正義なんて、信じられますかってんだ。