断言するが、プロレス技には、見かけ唐オというか、実戦では役に立たない技がけっこうある。
その一つに空手チョップという技がある。いわゆる手刀である。力道山の空手チョップが有名だし、ジャイアント馬場もよく使っていた。
ところが、この空手チョップは喧嘩では、まず使えない。プロレスごっこ、大好きだった私だが、空手チョップがまるで効かないことには、ほとほと閉口した。
実を言えば、空手チョップの原型である手刀による攻撃は、限定的な使い方をすれば、かなり有益な技である。そのことを知ったのは、十代後半になってからだ。
例えば首の頸動脈や、耳の後ろ、あるいは後頭部の首筋を狙った手刀の打撃は、とても効果がある。嘘だと思ったら、手刀の部分で自分の後頭部の首筋を叩いてみるといい。人の意識を飛ばすぐらいの効果がある。
手刀は、指を伸ばした状態の手の小指側の根本の部分で打撃を与える。この部分は肉が厚く、負傷しずらい部分でもある。正拳打ちが、指を痛めやすいのに比べ、多用が可能となる。
プロレスラーが多用するのも当然である。ちなみに、力道山は首の頸動脈を狙うことで必殺技としていた。またジャイアント馬場は、その長身を活かして相手の頭頂部を狙っていた(脳天から竹割と呼ばれた)。
この頭頂部って奴は、鍛えることが出来ない部位で、ここを上から押さえられると、体幹の動きを止める効果がある。あのブレーキの壊れたダンプカーと称されたスタン・ハンセンの突撃を、馬場は脳天狙いの空手チョップで止めていた。
では、空手チョップの代名詞とも云える、水平打ちはどうか? 私の経験上、まったく効かないプロレス技の代表例である。なにせ、相手の分厚い胸板を叩くのだから、効く訳ない。ただし、動きが派手で、胸板を打つ音が大きいので、一応見栄えはする。
その程度の技だと思っていた。そんな私の考えを一変させたのが小橋健太だ。
あれは佐々木健介との試合であったと思う。意地になった両者が空手チョップ合戦を始めた。撃ち合った空手チョップは合計で200あまり。互いに、大きなスウィングで相手の分厚い胸板に空手チョップを打ち付ける。
そのたびに汗が飛び散り、音が会場に響き渡る。観客は、この凄まじい打ち合いに大興奮であった。私は後にビデオ観戦したのだが、この試合はライブで観たかったと後悔するほど、ド迫力の試合であった。
後のインタビューで健介が、「小橋の水平チョップを他のレスラーが嫌がる理由が、よく分かった」と言いながら、どす黒く変色した腕を記者に見せていた。そこまで腫れ上がるほどに、打ち合っていたのかよ・・・怖。ちなみに小橋選手の腕は、それほどは腫れ上がってはいなかった。いかに鍛えているか、よく分かる。
健介だって、頑丈な体躯が自慢のマッチョレスラーである。ただ、小橋ほどは、空手チョップを鍛えていなかった。小橋健太は一途なプロレスラーである。決して不器用ではなく、多彩な技を持っている。
しかし、そのファイトぶりは健気なほどに一途である。いや、健気さを通り越して、危ないほどである。トップロープから飛び降り、空中を一回転してマット上で倒れている相手の上に落下する「ムーンサルト・プレス」という技がある。
武藤敬二が得意とする、如何にもプロレス的な技だが、かなり危ない技である。小橋選手も使っていたが、体重が重い分、膝への負担が大きい。たまたま、その試合をみていた武藤が、「あの技は膝を壊しやすいから、使うのを控えたほうがいい」と小橋選手に助言をしたらしい。
すると、小橋選手は「でも、ファンの方々が喜ぶから」と使うのを止めなかった。その結果、膝はボロボロとなり、年々痛々しい姿になっていった。そして、遂には癌が発見され、リングに上がることが出来なくなった。
医者からドクターストップがかかるギリギリまでプロレスラーとして奮闘した小橋選手は、プロレスファンから「ミスタープロレス」と呼ばれるほどのプロレス馬鹿であった。
馬鹿の一念というか、徹底的に身体を鍛え、技を磨き、プロレスラーの凄味を体現してきた小橋健太。練習が趣味だと公言して、師匠の馬場から「休むのも鍛錬の内」と云われても、鍛えることを止めなかった。その一徹さが、効かないはずの空手チョップに命を吹き込んだのでしょう。
なお、癌との闘病に打ち勝ち、現在はTV出演や、講演会などで活躍しているようだ。願わくば、彼が安らかな人生を送らんことを。彼はプロレスのため、身体を犠牲にして頑張ってきたのですから。