ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

医学部受験の歪み

2018-11-07 11:59:00 | 社会・政治・一般

意図は分からないでもない。せっかく医局に入ったのに、妊娠を機に止めてしまう女医さんたちに困惑する病院の幹部の思いは分からなくはない。

だからといって、医大入試の採点に手を加えるのは筋違いだ。ましてや、大学のOBの子弟を優先させたり、二浪を排除するのもおかしい。

試験というものは、機会均等という意味で非常に大切な役割をもっている。コネでもなければ、金の多寡でもない。勉強という自らの実力のみで評価してもらえる。たとえ育ちが悪くても、貧乏でも、自らの努力により人生を切り開くことが出来る。

受験勉強は苦しくて、辛くて、青春の貴重な時間を潰してしまうのは確かだ。だが、その努力により試験を突破することで、若者に人生での成功の機会を与えることができる。

人間は近代以前、社会で大きく出世するためには武力(暴力)か、血縁か賄賂によるしかないのが実情であった。稀にその実力、実績から出世することはあっても、多くの若者は初めから努力を諦めていた。

しかし、近代に入り学歴社会となったことで、試験という道が拓けた。近代化した国家が、中世以来変わりのないアジア・アフリカ諸国に対して優位に立ったのは偶然ではない。

学校教育を国民に平等に与え、更に試験という関門を突破さえすれば、より高みを目指せる進路を設けたことで、国民全体のやる気と能力を高めた。血縁とコネがなければ、いつまでも自らの境遇を改善できなかった前・近代国家が太刀打ちできなかったのも当然である。

だが、東京医科大はその大切な試験から平等という理念を奪った。若者たちの多くの努力と辛苦を無駄なものと切り捨てた。似たようなことをした大学は他にもあるようだ。

意図は分からなくもない。だが対応策が間違っている。妊娠を機に辞めてしまう女医さんたちを引き留めたいのならば、院内に託児所を設けるとか、家政婦を派遣するとか、他にやり様はあったはず。
 
その努力をせずに、安易に試験を歪めることで誤魔化した。決して許されるものではない。大学の名声は地に落ちたと思う。

コメント (2)
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