理解できない人も多いと思うけど、殴り合いの美学は実在する。
私は喧嘩自体は弱かったと思うけど、非常に短気であったので、場数だけは少ないとは言い難い。もっとも大半は小学生の頃までで、中学生の頃には自制できるようになったので、喧嘩の回数は大きく減った。
とはいえ、中学の頃の喧嘩は、感情的な原因よりも、自身の立場を守るための喧嘩であることが増えた。避けられない喧嘩であるだけでなく、戦い方にも制限が加わって難しくなる。
子供の頃、米軍基地勤務のアメリカ人家庭のガキどもとの喧嘩は、とにかく勝てば良かった。だから小石を握り込んで殴ったり、後ろに回っての首絞めなども当たり前だった。
これが汚い手口だとは、あの頃はまったく考えていなかった。周囲でも、そんな喧嘩が当たり前だったので、それが普通だとさえ思っていた。もっとも転校して、閑静な住宅街に越したら、このやり方は普通ではないと知り、かなりビックリした。
小学校上級クラスくらいになると、汚い喧嘩は好まれないだけでなく、むしろ軽蔑を買うと知った。同時に、周囲から尊敬を勝ち取る様な、カッコイイ喧嘩があることも徐々に分かってきた。
その代表というか、模範例と言いたいのが、互いに殴り合いって決着を付ける方法だ。組み合うことも、蹴り技も、関節技も使わない。ただ、交互に殴りあうだけである。
喧嘩を暴力だと唾棄する方々には、決して理解されないと分かっている。でも、分る人には、あの魅力は分かるはず。己の拳だけで、相手に殴り勝つ。男なら、一度は憧れるはずだと信じている。
ただし、殴り合いに関しては、デカい奴が有利である。もう少し詳しく書くと、骨太で手足の長い奴は、間違いなく殴り合いに強い。単純に物理学的に有利なのだ。手足が長ければ、射程(リーチ)も長い。骨太の奴は自然と筋肉量も多い。
そして喧嘩慣れしている奴は、そのことを自覚していることが多い。厄介なことに、その時私と揉めたAが、このタイプであった。ガタイが良く、手足が長いだけでなく、親分肌で面東ゥの良い奴だけに、下手な喧嘩は危なかった。
元々は、Aの手下というか、使いパシリの野郎と、私がゲーセンで揉めたことが発端であった。その野郎はたいして強くない癖に、妙にえばる奴だったので、前から気に食わないと思っていた。だから、良い機会だったので、挑発して先に手を出させた上でぶちのめした。
すると親分格のAが乗り出してきやがった。放課後に呼び出されて行ってみると、もう逃げられない雰囲気であった。ここで逃げたら、自分は弱虫として卒業するまで苛められることは分かっていた。
さりとて、Aに勝てるとは思えなかった。しかし、喧嘩自体は逃げる訳にはいかない。私は腹をくくって、負けを覚悟の上で、バカにされない喧嘩をすることに決めた。
要はAを満足させれば良いのだ。だから、Aのパンチから逃げてはダメだ。顔面は避けておでこで受けるか、肩と胸でパンチを受け、隙を見てAにパンチを叩き込んだ。もっとも反撃のバンチは、まるで効かなかった。
なんとか3分は持たせたかったが、Aのパンチは重く、1分と持たずに私は地面に倒れていた。頭がガンガンして、とても立っていられなかったからだ。
満足げなAは「お前、なかなかやるじゃん」と余裕で、例の下っ端が倒れている私を蹴ろうとすると、「お前、俺の喧嘩にケチつける気か?」と凄んで、その場を収めた。私としては成功であった。
ボロ負けなのは確かだが、根性みせたことで、私はバカにされずに済んだ。その代償として、数日腫れ上がった無様な顔をさらすことになったことは致し方なかった。
思いっ切り私に殴り勝ったAは、私に好感を抱いたようで、仲良くとはいかないが、円滑な関係を作れた。男子中学生にとっては、この関係は非常に重要である。
これは負け惜しみではないのだが、ボロ負けした私もAに対してマイナスの感情を抱くことはなかった。私より喧嘩では格上のAは、拳だけでやり合ってくれた、これは私にとっても栄誉である。
もし人望あるAと、その仲間たちに袋叩きにされていたら、私は卒業まで惨めな境遇であったことは確かである。Aと対マンでやり合えたからこそ、私は立場を守れた。
男にとって、正々堂々たる殴り合いは、名誉の勲章にもなりうると私は信じている。
ところで、プロレスの試合では、意外と殴り合いは名勝負とならない。技と技の見せ合いに比べると、印象が良くない。ほとんどの場合、感情的なもつれ合いから、殴り合いになり、観客を無視したバトルに成りがちだからだ。
でも例外はある。それが2002年のドン・フライと高山の試合であったと思う。
わずか6分たらずの試合なのだが、ひたすらに殴り合いだけになった珍しい試合である。普通ならば陰惨な、あるいはツマラない試合になるのだが、この試合に限っては、お互いに殴りあうことしかやらず、それが返って鮮烈な印象となった稀有な試合であった。
ドン・フライはプロレスラーというよりも、総合格闘家としての性格が強い。ボクシング、レスリング、柔道をかなりのレベルで習得しており、なおかつプロレスを演じることも出来た。ちなみに元・消防士という職歴も似合い過ぎ。
相手となった高山も、日本人離れした巨体であり、試合根性もあるだけに、この試合は互いの意地が、良い意味で発揮されたからこそ、名勝負になったと思う。試合後の顔面崩壊した高山の映像はショックであった。同時に、すごいプロ根性を感じて、男として敬意を抱いたものです。
男と生まれたからには、こんな殴り合いで勝ちたいものだと思わせる試合でしたよ。