私のような活字中毒患者の最大の欠点は、活字で印刷された文を信じ込む傾向が強いことだ。
特に新聞に対する信頼は相当なものであった。おかしいと思うことはあった。でも、疑っても、それを検証する術を持たなかったが故に、曖昧なままに新聞記事を信用していた。
疑念が疑惑となり、確信に変わったのは、大学4年の就職活動中であった。我が家は伝統的に朝日新聞なのだが、社会に出れば必ず必要だと父に力説されて、日経新聞を並行して読むようになった。
だいぶ前に、このブログでも書いたが、あのパーシングⅡ配備報道がなければ、まだしばらくは新聞信者のままであったと思う。朝日がどうこうではなく、複数の情報から検証することの重要性を実地で学べた経験は大きかった。
その新聞なのだが、表題の書を読んで驚き、呆れ、脱力してしまった。
新聞って創刊当時から、平気でウソを報じていたのか・・・。まァ、いろいろと思うところはあるのだが、人間って事実かどうかよりも、面白い話が好きなのですねえ。
私自身、自戒を込めて白状すれば、日常的な会話においても、話を面白、おかしくするために嘘を交えることはある。それを誇張とか、守秘義務からの止むを得ない処置だと言い訳してもいいけど、つまるところウソはウソ。
おそらくだけど、人間は嘘をつく生き物だと思う。なぜかといえば、嘘をつくことで日常生活を円滑にやり過ごしているからだ。嘘をつかずに生きていけることは素晴らしいと思うけど、多分息苦しいのだろうとも思う。
ただ、ウソを付く以上、そのウソは人を楽しませるものであって、人を傷つけるものではあって欲しくないとも思っている。嘘をつくことは良くないと断言できるほど人生は単純ではない。
ウソをつくことで、人を傷つけない場合もある。嘘をつくことで虚栄心を満たす場合もある。どうせウソをつくならば、人を楽しませたり、慰めるような優しいウソを付きたいものだ。
表題の本には、歴史上有名なウソの実例があふれている。世の中、ウソと真実とが合い混じり合って動いている。それが現実である以上、ウソに対して上手に対応できる自分でありたいと思います。