私は割と物欲には乏しいほうだと思う。
でも、欲しいものがない訳ではない。ただ、現実的に無理だと思うので、心の奥底に仕舞い込んでいる。
小学生の頃だが、スーパーカー・ブームというものがあった。ポルシェ911や、ロータス・スメ[ツ、カウンタック、フェラーリといったスーパーカーが男の子たちの夢を掻き立てた。
私もその一人ではあったが、その頃は車酔いがひどく、セダンだろうとバスだろうと車に乗るのは苦手。そのせいでさほど夢中になることはなかった。それでもスーパーカーの造形美や、エンジンの唸り、排気音の雄々しさには、強く胸を打たれたものだ。
十代後半、大学浪人時代から始めた渋谷のホテルの駐車場の係員をやっていた時だ。時たま、お客さんの車を運転して駐車ゲージに入れたり、出したりすることがあった。ただ、その駐車場のゲージは狭く、時折やってくるスーパーカーに触れる機会はなかった。
ところが、ある日のことだ。軽快なエンジン音が響いて、背の低いスメ[ツカーが入って来た。なんとロータス7であった。1980年代は、英国にもまだ自動車メーカーは残っており、スポーツカー専業であるロータス社が作っていたオープンカーであった。
今でこそ、マツダのミアータ(ロードスター)があるが、あの当時、小型軽量なオープンカーといえば、このロータス7が唯一であった。鳥打帽をかぶった初老の男性は、私に向かって車のキーを放ってよこし「しまっといてくれ」と言い放つと、ホテルの入り口に消えた。
私はドキドキしながら、その車に乗り込み、キーを捻るとエンジンが唸りだした。幸い、夜遅い時間なので、周囲に人はいない。私はまずバックギアにシフトを入れて、外までバック。その後、ハンドルの感覚を楽しみながら、狭い駐車場を走らせてみた。
いい! こいつはイイぞぅ。
車が軽いので、操作感がダイレクトで、自分の感覚に直結する運転感覚が爽快だった。エンジンは軽快だし、エキゾースト音(排気音)も心地よい。いいなァと思いつつ、車をゲージに入れて、下車する。
こいつを外で思いっ切り走らせたら、さぞや楽しいだろうと思う。でも、しがないホテルの従業員である。顧客からの預かりものである車を自由にはできやしない。後ろ髪を引かれつつ、ゲージを地下に下ろす。
いつか、自分でこの車を買いたいものだと思った。当時はロータス社の車のなかでは一番安い部類であったが、それでも1千万は超えていたと記憶している。まだバブル経済が始まる前である。
ただ、オープンカーは雨の多い日本では、ファーストカーとしては使い辛いことは知っていた。二台目の車として楽しむべき車なのだ。しかも屋根つきの駐車場が必携である。
俺には無理かなァ~と嘆きつつ、でも夢は持ち続けたいものだと自分を納得させたことは、今も覚えている。
その後のことだが、ロータス社は経営危機が続き、このロータス7の製造販売の権利を売りに出した。それを買い取ったのがケーターハム社であった。たしか、1990年代のことだと思う。ケーターハム社以外にも、この車の製造を手掛けたメーカーはいくつもある。でも、本来の魅力を一番活かしたのがケーターハム社だと思う。
以降、ケーターハム7として世界中に販売された。もっとも、この手のスポーツカーは完全に時代遅れである。エアコンもないから夏は暑いし、冬は防寒着を着てドライブするしかない。パワーステアリングもないからハンドルは重い。
当然、クソ暑い日本の夏なんて、とてもじゃないが運転できたもんじゃない。春と秋、晴天の時限定の車である。ちなみに女性受けは最低。なにせ、オープンカーだけに、帽子を被っても髪は風でバラバラ。音はうるさいし、車高が凄まじく低いので、覗かれっぱなし。
この車の助手席に乗って、気持ちよくドライブできる女性は皆無だと思う。ただし、自分でハンドル握って運転すれば、こんな楽しい車はない。以前、箱根の旧道で、初老の女性がこの車を運転しているのを見かけたことがある。思わず目を見張ってしまった。カッコイイ~
そんな特殊な車なのだが、実はこの車は日本とも縁が深い。
元々のロータス7自体が、基本設計は1950年代である。もはや当初のエンジン、ギアボックスなどを作っているメーカーはない。なかでも、この車に似合ったエンジンは、欧米の自動車メーカーには存在しない。車が小さすぎて、それに合わせた小型エンジンで、しかも現代の排ガス規制に適合したものなど、あるわけなかった。
そこで本田のバイクのエンジンを搭載したり、大排気量のエンジンを無理やり積み込ませて、スーパーカーに改造した奴もある。構造が簡単な車故に、小さな工場でも作れるからである。でも本来の魅力は、小さな車体に軽いエンジンの軽スメ[ツカーである。
この車の魅力は、小ささ故である。小さくて軽いからこそ、排気量の小さなエンジンでもスポーツカーとして走らせることが出来る。古いエンジンでも、マニュアルシフトで適切なエンジン回転数を保てば、こんなに楽しい車はない。
でも、そのエンジンがない。だからこの車を愛するオーナーたちは、修理に修理を重ねて大事に保管していた。でも、そろそろ無理かもしれない。
そんな時、観光で日本に来たケーターハム社の社員が、欧米にはない軽自動車に乗ってみた。軽自動車は日本独自のもので、欧米には存在しないクラスである。狭い日本の道路事情には合うが、欧米には不向きとされている。
しかし、その社員は軽自動車の魅力にはまってしまった。同時に来日した奥様も同様で、遂には帰国土産にスズキのカプチーノという軽自動車のオープンカーを買って、個人輸入して持ち帰った。
その社員は確信していた。スズキのエンジンをケーターハム7に搭載すれば、この車の魅力は甦ると。だが、社長を始めとして経営陣は、伝統ある英国車に、日本のエンジンを載せるなんて考えられないと、検討さえ拒否した。
諦めきれなかったその社員は、奥さんのカプチーノで出勤して、渋る社長を乗せて走らせてみた。
結果は火を見るよりも明らかであった。興奮した社長さんは、このエンジンをケーターハムに搭載する計画を即座に重役会議に持ち込んだ。来日してスズキと交渉してエンジンの供給契約を締結。
その結果、騙し騙しエンジンを労わって走らせていた旧ケーターハム7のオーナーたちを狂喜させる新ケーターハムが誕生した。思いっ切りエンジンを吹かせて、ワインディングロードを走るケーターハムの姿が世界各地に見られるようになった。
ある著名な元F1ドライバーは、スーパーカーを300キロで走らせるよりも、ケーターハムを100キロで走らせるほうが楽しいと断言する。日本と英国の幸せなコラボ。それがケーターハム7なのです。
私もいつか、自分のものにしたいなァと密かに夢見ております。