テープが擦り切れるほど繰り返し視たのがディエゴ・マラドーナのプレー集であったそうだ。
80年代にアルゼンチンに君臨した王様、それがディエゴ・マラドーナであった。そのプレーは正に異次元のもの。他の選手の倍はボールタッチを繰り返すドリブル。他の選手ならば優しく浮かせるボールを激しく高速でゴールネットに打ち込まれるフリーキック。筋肉ダルマと言いたくなるような逞しい体つき。小柄な体躯ながら超絶的な跳躍力をみせ、ダッシュとストップを繰り返す独特のプレースタイル。
よくペレと比較されるが、ピッチ上の一人の選手として評価するならば、私はマラドーナのほうが上であったと考えている。ちなみにペレの偉業は、世界とりわけアフリカやアジアにサッカーの魅力を伝えて世界的な人気スポーツとしたことだと思う。
サッカーがマイナーであった日本でも、マラドーナのプレーが見れるヴィデオはサッカー少年の間ではバイブル扱いであった。そんなサッカー少年の一人が中村俊輔であった。何度も何度もヴィデオを繰り返し視て、そのプレーを目に焼き付けて練習に励んだという。
だが身体の線が細く、大柄な選手に弾き飛ばされることが多かった俊輔は、ジュニアチームでこそマリノスの下部チームに居られたが、ユース年代ではチームに置いてもらえなかった。その屈辱を胸にして、高校サッカーで活躍しての日産マリノス入りを果たした苦労人だ。
私は中村俊輔に天才という冠を乗せたくない。この人こそ努力と研鑽の末に大成した選手であると確信しているからだ。
中村俊輔といえばフリーキックの名手として知られるが、Jリーグにデビューした時はなによりもドリブルの名手であった。マラドーナのように細かいタッチを繰り返し、相手からボールを取られず、トリッキーな動きで翻弄してゴールに向かってドリブルを進める姿には感嘆符が思わず漏れる素晴らしさ。
そして当時の日本人選手には珍しく正確なロングキックによるパス供給も得意であった。その実力でチームに貢献し、次第に中心選手となった。当時のJリーグには海外の有名選手が多数いたが、フリーキックを任される数少ない日本人選手が俊輔であった。
そして当然に日本代表にも召集されたが、当時の監督はトルシェエであり、彼は自分の戦術に選手を当てはめるため、日韓ワールドカップでは代表を外される屈辱を経験している。もちろん、その後は復帰して大活躍している。アジア杯やコンフェデレーションズ杯における活躍は私の中では生ける伝説級である。
しかし予選ではあれほど活躍し、俊輔抜きでワールドカップ大会への出場はあり得ないほどに貢献したにも関わらず、様々な理由で本大会ではほとんど活躍できていない悲運の選手であった。
その俊輔も現役引退を発表し、先日引退試合をしている。間違いなく今後は指導者への道をたどると思う。実際現在横浜FCのコーチであるが、狙いは日本代表監督であろう。現役時代に満たされなかった思いを指導者として活かして欲しい。きっと彼なら出来ると私は信じています。