ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

人権の日

2023-12-13 09:21:09 | 社会・政治・一般

まだ民主党政権の頃だ。

私が一人事務所でのんびりと仕事をしていると、電話が鳴った。休日でもあり、電話がないのが嬉しいと思っていたので、半ば迷惑に思いつつで受話器を取ると見知らぬ男性だった。

なんでも今年は人権の年であり、人権を守る為に活躍しているA事務所ですと、訊いてもないのにペラペラと喋る。

なんだ、人権屋かと思い、受話器を遠ざけスピーカーの音量を絞って放置しておく。すると「先生!きいてますか、人権ですよ、人権」としつこい。再び受話器を取り、「仕事が忙しく、余裕もないし関心もありませんので失礼します」と受話器を置く。

その数分後、無言電話が二回ほど鳴った。頭の悪い人権屋だと呆れる。まったく菅直人が余計なことを云いだすから・・・ぼやきながら事務所の電話を留守電に切り替えて再び仕事に戻った。どうも人権を振り回す輩には、碌な奴がいない。

だいたい人権を言い出したフランスのルソーこそ、その生きざまは人権とは程遠いろくでなしである。子供を5人作ったが、全員孤児院に放り出した輩が、偉そうに人権思想の生みの親みたいに崇められているのだから呆れてしまう。

まぁ本人は反省のつもりであったらしいが、そのくせ子供たちを探した形跡がないのはどうよと思う。とはいえルソーが生み出した人権思想は、民主主義政治の土台になったことは認めるべきだ。そして、この新しい正義を実現するためにヨーロッパ中を革命戦争で血に染め上げた末に、近代的な議会政治が成立したことも事実である。

ただ日本ではこのあたりの歴史を正しく教えていないことが多い。人権思想を胸に、銃器を腕に抱いて市民兵、農民兵たちが貴族の館や教会に襲い掛かり、ヨーロッパ各地に血の雨を降らせて戦い、勝ち取ったのが人権である。

その凄惨さを画家のドロクロワは「民主の女神は流血を欲す」として歴史に残る傑作を描いている。勘違いして欲しくないのだが、民主主義は戦争を求めるのではない、民主主義を確立するためには戦争が必要であっただけである。

ところが日本では何故だが、民主主義=平和だとの勘違いが横行している。実際には人権思想という正義を確信した熱狂的な兵隊に襲われた当時の王様や貴族は文字通り震えあがった。歴史が教えるように、正義を確信した人間こそが、最も残酷になり得ることを証明したのが革命戦争であった。

人権を安易にありがたがる危険を認識してこそ、その重要性が分かると思いますが、日本ではいい加減な平和教育が事実を歪めていることは分かって欲しいと思います。

コメント
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