都市部で暮らしていると気が付かないが、地方とりわけ農村における農協の支配力は凄い。
農協は単なる協同組合の域を超えている。まず第一に巨大な金融機関としての顔を有する。その資金力は都銀に匹敵するもので、出資者である農民を守るためにバブルにより発生した大量の不良債権の処理が遅れた背景には、住専に投資していた農協を守るためであったことは確かだ。
同時に農協は自民党における票集めの役割を担っており、農協を守ることが自民党の長期政権維持の重要な要素であった。だからこそ農協が多額の出資をしていた住専を守る為、大蔵省は多大な負担を国民に強いた。
しかし本来の農協の役目は、農家の保護である。文字通り共済組織として農家を守ってきたことも事実である。ただ、組織が大きくるに連れて、農家を守るよりも農協という組織を守ることが顕著になってきたことも事実である。
私は都市に住む消費者であるため、その視点は非生産者としてのものであり、卵不足やバター不足などが生じると、農協は何をやっているのかと憤りを感じてしまう。しかし、その一方で卵の価格が低水準で安値安定していることは失念している。
だからこそ今年の猛暑の最中、卵の市場価格が数十年ぶりで上がったことに憤りを感じるが、農家からすればこれまで安値で提供してきたことを感謝されない不満はあることは、なかなか実感できない。しかし冷静に考えれば、卵の値段はずっと農協が仲介して安定した価格で市場に提供されていた訳で、私のような都市生活者はそのありがたみに無知であっただけだ。
農協とは、たしかに生活に必要な農作物、畜産物を市場に安定供給するために重要な役割を担ってきた。ただ、その一方でバター不足に代表されるように、安定供給に失敗したこともある。だが、案外と畜産農家の方々は、この失敗に対して寛容であることを知ったのは、表題のエッセイ漫画を読んだからだ。
作者はプロ農家というか荒川農園で育った生粋の農業従事者だけに、現場の苦労が分かっている。現在、荒川農園は畜産は止めてしまったそうだが、そのあたりの事情は下手な新聞報道よりも、よほど分かりやすい。
正直言えば冒頭に書いたように、私は農協に対して批判的だ。荒川先生のこのエッセイを読んでもなお農協に対する批判的なイメージは、なかなかに覆らない。でも、私の考えが現場知らずの頭デッカチであることも分かる。だから今では農協に対して以前ほど攻撃的にはなれない。
少し前に小泉の馬鹿息子が農協改革を言い出して、コテンパンにやり込められていたが、あれは完全に勉強不足。巨大な組織である農協は、その末端において確かに農家の手助けになっている。それを永田町の屁理屈で変えようとするなんて無謀に過ぎる。それでも農協には問題が数多あることも確かだ。
霞が関の現場知らずのエリート官僚様が改革を志向しても跳ね返し、マスコミ様期待の若手政治家を前面に出しても、農協の厚い壁は簡単には破られない。しかし、その農協をもってしても解決できない難問がある。
一つは農家の減少である。元々日本は中長期的にみても人口減少は避けられないが、なかでも農業に就労する人たちの減少は確実に数字に表れている現在進行形の課題である。実のところ、農業に就労したいと志す人たちもいるのだが、農業法の壁や農協による規制と支配が妨げとなる。なによりも農家が長年守ってきた慣習こそが、農業離れを引き起こしている。
私はこの農業エッセイ漫画を楽しく読んでいるが、現実の農業に思いをはせると、いささか陰鬱な気持ちになる。反対したり、批判するのは簡単だ。しかし、その代案を出すのは難しく、更にそれを実行するのは、それ以上に大変だ。
21世紀の課題は、水資源、化石燃料資源、そして農業資源だと考えているが、日本は水以外は輸入頼りである。燃料に関しては原油価格の避けられぬ高騰が解決の発端になると思うが、農業に関してはいささか悲観的にならざるを得ない。
おそらく21世紀後半には深刻な問題となると思います。そのころには私は生きていないと思いますけど、やはり心配ですね。