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時と場所、機会の巡りあわせがあまりに不遇だった、それが伊達政宗だと思う。
まず生まれが遅すぎた。せめて10年早ければ戦国大名として北条や松平、武田、上杉、最上と対等に戦えたと思うが、彼が奥州を統一した時には既に信長、秀吉が台頭していた。
そして場所。やはり奥州は遠すぎる。これは四国の長曾我部、九州の大友、島津にも共通するが、当時の日本の中心地は京都であり、遠すぎては情報が適切に伝わらない。
最後の機会巡り合わせ、これは人(敵、味方、部下)と物(鉄砲や新商品)との出会いであり、入手機会でもある。伊達政宗はこの点でも不利であった。
ある意味、非常に残念な戦国大名であった。秀吉と家康は、この奥州の猛者を非常に警戒したのも無理はないと思う。それだけの潜在能力はあったと思う。しかし私は伊達政宗を一級の戦国大名だとは認めているが、信長や秀吉のような天下人にはなれなかっただろうと考えている。
これは武田信玄や上杉謙信、長宗我部元親らにも共通するのだが、伊達政宗も優れた戦国大名であった。それは間違いがないが、では戦国覇者としての観点からすると、所詮ローカルな統治者に収まってしまう。
織田信長が凄かったのは、織田家歴代の家臣に囚われず、優秀ならば外部の人材を積極的に登用したことだ。柴田勝家と丹羽長秀を除けば滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉は外部登用者である。だからこそ日本各地に彼らを派遣して勢力圏を伸ばすことが出来た。もちろん重要な戦いには自らが赴くことも忘れない。
ただ最後に最も信頼していた明智の裏切りにあったのは不運であったが、案外と信長は「是非もなし」として納得していたかもしれない。それを観ていた秀吉も外部からの人材登用に積極的であったが、本能寺の変以降は、次第に親族を重用したことが豊臣政権が短命に終わった原因であった気がする。
この二人の戦国覇者を見ていた家康は、裏切る可能性のあるものは難癖付けても潰し、潰せないほど強力なものは遠隔地に配して徳川泰平の世を実現した。そして伊達政宗はその後者であった。
単なる武者でなかった政宗は、徳川の世が安定するとみるや、本国の開発整備に力を入れる一方、幕府に対しては隙をみせず幕末の世まで続く伊達藩を残して見せた。まさに英傑だと思う。
そんな伊達政宗を主人公に、その補佐役や家族らを描いた歴史四コマ漫画が表題の作品です。気軽に楽しめる佳作だと思うで機会があったら是非ご一読を。
ちょっとの運が歴史を左右する
世が世ならゴキブリも益虫だったかも
蜘蛛ってゴキちゃんも捕食するんだね
鳥肌立てながらコメントしてます
ふぎゃあぁぁぁぁぁつって(笑)
このマンガではないのですが、大河ドラマの伊達政宗をパロディ化した四コママンガがあったのですよ。あれはめちゃくちゃ面白かった...そのノリでこのマンガを読んだらキレが足りなかったと思いました。
それとは別に「殿といっしよ」という戦国大名を扱った四コマでは、やっぱり主人公には成りきれなかった政宗が面白かったです。