フランス料理は美味しいと思うし、イタリア料理も大好きだ。
少ししか知らないが、スペイン料理やポルトガル料理だって美味しい。あまり評判の良くないドイツ料理やイギリス料理だって、その一部は確かに美味しいと現地で思ったのも確かだ。
今の日本ではあまり人気はないかもしれないが、ロシア料理は子供の頃の大事な思い出である。総じて西欧料理全般、私はけっこう好きだ。あまり大きな声で言うべきではないかもしれないが、美味しい国の料理には貴族文化と帝国主義が必要だと思っている。
貧しい国民を尻目に一部の支配者が美食を満喫し、他国を侵略して美味しいものを簒奪してまでして豊かな生活を享受する。この傲慢にして貪欲な人間の本能があるからこそ、美食は成立する。帝国主義の総本山である西欧料理が美味しいのは当然である。
その西欧の帝国主義をギリギリで喰いとめた明治政府は、食われぬ為に富国強兵を目指した。屈辱的な不平等関税を甘受しながらも、西欧の強き部分を学び自らのものにすることで、列強の一角に名を挙げることに成功した。
その過程で伝統的な日本の食文化に取り込まれたのが、いわゆる西欧料理である。だが、この時代の日本は西欧料理をそのままの形で受け入れることは出来なかった。
食材などの調達で難しい部分があったのは確かだが、それ以上に伝統的な食文化へのこだわりという心の壁が大きかった。だからこし西欧料理を日本的にアレンジした洋食が生まれた。
後にトンカツと名を変えたカツレツであり、オムライスやカレーライスなどが続々と編み出された。西欧料理をご飯に合うようにアレンジしたのが洋食だと言われるが、たしかにそうかもしれない。やはり主食が米であり、おかずとしての西欧料理のかたちが当時の日本人に一番しっくりときたのだろう。
いや、今でもご飯とオカズといった形は当たり前であり、主食がお米の日本人に適した形態なのだと思う。その一方でご飯なしで西欧料理を食することも珍しくなくなってきている。
私の記憶では、やはりバブル経済がもたらしたものだと思う。ようやく西欧料理がそのままの形で日本社会にも受け入れられるようになったのだが、それには日本の高度成長の恩恵である過剰な資金がもたらしたことを思うと、いささか複雑な心境である。
バブル期の日本の経済力は、欧米をして日本の再侵略だと警戒されるほど凄まじかったことが良く分かる。やはり美食には、他者を怯えさすほどの経済格差とか、文化侵略といった好ましからざる道程が求められるようだ。
表題の書は、その洋食やの老舗である日本橋の「たいめいけん」の初代が記したエッセイである。
さすがに私も初代の店が新川にあった頃のことは知らないが、「たいめいけん」自体には幼少時に行った記憶がある。ここのオムライスは名物で、それを母と祖母に聞かされた覚えがあるからだ。もちろん子供はオムライスが大好きだから、私もかなり鮮明に覚えている。
ただ、店が思い出せない。食べたことは覚えているが、どこで食べたかが思い出せない。多分、日本橋の本店ではないように思う。私の記憶だと上野動物園に行った帰りだから、上野のデパート内に出店した「たいめいけん」か上野駅構内の「たいめいけん」ではないかと思う。
もう母にも祖母にも訊けないから、こればっかりは分からない。妹・・・長男様の吾輩が覚えてないのだから、妹たちが覚えている訳ない。訊くだけ無駄であろう。第一、お子様ランチだったと思うぞ。
もっとも私もお子様ランチだが、おばあちゃんのオムライスを分けてもらったので覚えているのだ。
ちなみに、「たいめいけん」の日本橋店は先月、閉店してしまった。コロナ閉店かと思いきや、日本橋の再開発に伴う閉店だそうで、いずれ再開するとのこと。もう数十年、足を運んでいないのだけど、再開する予定だと聞いて一安心です。
日本橋のたいめいけんは、前の職場のすぐ近くだったのですが、あんまり行かずに終わってしまいました。今から思うともったいない事をしました。
そうそう、日本はバブルを境にして大きくあか抜けましたよね。私、バブル時代、とても嫌いなのですが(当時も違和感あった)あの頃、日本が決定的に変わったのも確かで、バブル以降に生まれた人には、どれほど日本が変わったかわからないでしょうね・・。
あとヌマンタさんは書かれてる様に、宮廷料理がある事はその国の料理に決定的な質の高さを与えてる気がします。
東の横綱が中華料理なら、西はフランス料理でしょうか。(*´з`)
宮廷料理はいろいろありますが、やはり複数の国家を支配した帝国のものが最上です。西欧料理の原型は、実はオスマン・トルコ王国が源流です。中華料理は、モンゴル帝国時代に今の原型がかたちづくられています。人間の貪欲さの象徴でもあると思います。