日本で花開いたプロレス兄弟、それがマレンコ・ブラザースだ。
父のボリスはアメリカで悪役レスラーとして知られたが、なぜかカール・ゴッチと仲が良く、マレンコの二人の息子もゴッチ道場でレスリングを学んでいる。それゆえに、ショーマンシップに徹したアメリカのプロレスとは肌が合わなかった。
そこでゴッチの勧めもあり、日本のUWFで再デビュー。技の掛け合いや、パワーとスピードのある本格的な試合を好む日本のプロレス界は二人にとって理想的であったようだ。
その後、二人は全日本プロレスへ行った。ここでダイナマイト・キッドとデイビボーイ・スミス組とマレンコ兄弟とのタッグマッチは、名勝負として名高い。私はこの試合はTVで観ているが、ものすごく熱くて、レスリングのレベルの高い試合だったと記憶している。
その後、兄のジョーは藤原組で本格的なレスリングに熱中し、その求道的な姿勢で高い評価を得た。カール・ゴッチに心酔していたせいか、年を経るごとに似てきたのがちょっと怖かった。ちなみにプロレスは好きだが、一定レベルの相手でないとリングに立つのは嫌だった。引退後は本来目指していた薬剤師をやりながら、師であるゴッチの死を看取っている。
ちなみにゴッチは遺骨の一部を日本で埋葬し墓も建てている。その際にジョーはわざわざ来日して葬儀に立ち会っている。ちょっとアメリカ人離れした感覚であるが、それだけ日本に馴染んでいたのだろう。
一方、弟のディーンほうは新日本プロレスへ行き、そこでワイルド・ペガサス(クリス・ベノア)やブラックタイガー(エディ・ゲレロ)の二人と邂逅し、志を同じくする仲間としてスリリングなプロレスを満喫した。
なにしろその頃、新日本では獣神サンダーライガーこと山田が、日本全国の大手から弱小団体までを集めたジュニア・ヘビー級のプロレスの祭典を開催して、ハイレベルな試合を展開していた。そこでも外人組三人は思いっ切りプロレスをエンジョイしていた。
日本ではあまり知られていないが、アメリカにおいてジュニアヘビー級のプロレスの面白さを伝えたのが獣神サンダーライガーである。ヘビー級とは一味違うスピーディでテクニカルなプロレスは、ショーマンシップ満載のエンターテイメントとしてのプロレスに飽きてきたアメリカのファンに評価された。
だからこそ、クリスやエディ、ディーンの元にアメリカから誘いがかかった。日本のプロレスを気に入ってはいたが、やはり本国アメリカで一旗あげたい気持ちから三人は帰国する。三人はアメリカのプロレスを変えてやるとの思いから、各地で激戦を繰り返し遂にはチャンピオンの座に就く。その時、他の二人は我がことのように喜び合ったという。
しかし不幸なことにクリスとエディは若くして亡くなり、ディーンもリングを去った。裏方に回ってアメリカのプロレスを支えている。今もアメリカのプロレスを変えたいという三人の意志を引き継いでいるのだと思う。
兄と弟、共にプロレスをやりながらも目指すものは違ったが、兄弟仲は良かったようだ。私にとって嬉しいのは、二人が薬物やアルコールなどで悲惨な晩年を送ることなく、今も健やかに暮らしていることだ。
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