goo blog サービス終了のお知らせ 

ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

マイナンバー対応 下々の知恵

2016-05-24 11:56:00 | 経済・金融・税制

現場には現場の知恵がある。

鳴り物入りで発表されたマイナンバー制度ではあるが、いろいろと問題が多い。私の事務所では、基本的にマイナンバーは預からない。保管が面倒だし、コストもかかる。別になくても差し障りがないからでもある。

ところで、現在三月決算法人の申告が最盛期である。この期の法人申告から、マイナンバー記載が要求されているのだが、この件に関して、某税務署において、税務署幹部と税理士会支部との連絡会があった。

その席でのことである。法人担当の税務職員曰く「先生方におかれましては、既に3月決算法人から、マイナンバーの記載のご準備が進んでいることかと伺っております。が、実際にはマイナンバーの記載がなくても、申告書は間違いなく収受したします。むしろ、マイナンバーをご記載頂くと、先生方の本人確認等、いろいろと提出して頂く書面が増えます。先生方も煩雑でしょうし、私どもでも手間が増えてしまいます。」

そういって、署長の顔をチラ見した後で、「そのあたりのご事情を、先生方におかれましては、ご斟酌いただいて、税務行政へのご協力をお願いしたいと思います」

この話を聞いた古参の税理士の先生方はニヤニヤ。分かりやすく言うと、要は、マイナンバーを記載してくれるなってこと。

これが、鳴るもの入りで発表されたマイナンバー制度の、行政の現場における実情です。ヘンに思う方もあろうかと思いますが、これが一番現実的な判断だと思います。

マイナンバー制度自体は、方向性として間違っているとは思わないし、使い方次第で国民への行政サービスを向上させる可能性も秘めていると私は考えています。しかし、現時点では、まず国民の利便性は皆無に近い。また、過度な個人情報保護が、効率を妨げている。

つまり、政府のための制度として先行しています。しかも、その政府が縦割り行政の弊害で、情報の共有化を妨げている。行政の末端であり、国民と直に接する部門ほど、マイナンバー制度を面棟Lがっている。

これがエリートの集まりである霞が関のお役人様の仕事の実態です。彼らが如何に現場を把握していないかが良く分かります。

しかし、マイナンバー制度を侮ってはいけないと思います。10年後はまだ未完成でしょうが、30年後には、なくてはならない制度になっている可能性は少なくありません。その時、ICカードであるとは思いませんけど、国民の情報は政府により、相当程度管理されることになるでしょう。

そのことに嫌な印象を受ける人は多いでしょうが、メリットもあるはずです。雇用保険の不正受給や、生活保護の不正受給など、これまで縦割り行政の弊害で、十分取り締まることが出来なかった、これらの不正もマイナンバー制度がかなりの効果を持つでしょう。

また、半世紀後には、日本列島における日本国籍者は今よりも減少し、短期もしくは中長期の外国籍の滞在者が増えていると思われる。マイナンバー制度は、使い方次第では、行政面のみならず、多国籍化した未来の日本にも役立つ制度に進化する可能性を秘めている。

ただし、それは当面先のこと。現時点では、ない知恵を絞って、マイナンバーを使わないつもりで業務に活かすつもりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡崎の進化

2016-05-23 13:15:00 | スポーツ

今やサッカー日本代表の不動のエースは、岡崎慎司であろう。

イングランドのプレミヤリーグは、世界でもトップクラスのリーグであり、今期は開幕前の予想をひっくり返して、レスターが優勝した。チェルシーや、マンチェスターなどの強豪がこけたせいでもあるが、最下位争いをするとみられていたレスターの優勝は、歴史に残る珍事であり、大どんでん返しでもあった。

それこそ、100年に一度の珍事だと言っていいほどではあるが、その優勝メンバーの一人に、あの岡崎が名を連ねているのだから、驚きを禁じ得ない。

私が岡崎選手のプレーを見たのは、彼がまだ20才頃の清水エスパルスの若手選手であったころだ。長身の大型FWヨンセンのサポート役との印象が強い。よく動く選手で、密集した場所でも頭から突っ込んでいく突貫小僧であったと記憶している。

実際、インタビューでヘディングでの得点こそ、自分の長所で、足より頭ですと答えて、取材陣を笑わせていた。実際、足元のテクニックは下手に近く、その動きと、ダイビングヘッドが特徴の選手であった。憧れる選手は、ゴン中山との言に、そうだろうなと納得した。

その後、日本代表になり、アジア杯で活躍し、南ア大会でも活躍して、ドイツ・ブンデスリーガーに移籍した。正直、上手い選手ではなく、むしろ執拗で、機敏な動きで、隙間からねじ込むようなシュートをする選手であったから、果たして通用するのか疑問に思っていた。

案の定、最初のチームではベンチ入りさえ難しく、たまに出てもあまり期待されていなかったように見えた。ドイツの屈強なDF陣に跳ねかえされているように見えてしまい、これは早々に帰国かと思っていた。

その後、弱小チームのマインツに移籍したことで、彼の才能が開花した。エースFWを高額な移籍金で奪われたばかりのマインツにあって、岡崎は得点を重ねてチームに大きく貢献した。体つきが一回り大きく、太くなっていた。

いや、それだけではない。トラップ(ボールを受ける技術)が抜群に上手になっていた。小柄な彼は、敵選手に取られない位置にボールを置いて、素早く動いてシュート体勢に入るようになっていた。

なんとなくだが、ゴン中山を彷彿とさせた。中山もサッカー選手としては、決して上手い選手ではなかった。しかし、年々進化する選手で、後にジュビロでチームメイトとなったブラジル代表のドゥンガが、「後、10年早くプロになっていれば、世界に通じるFWになれた」と言っている。

岡崎も、憧れる中山に似たのか、年々そのサッカースキルを磨いて進化してきた。マインツからイギリスのプレミヤリーグに移籍して以降は、当初は控え選手であった。マインツではエースFWであったのに、彼はその屈辱に耐え、下部リーグで実績を挙げてのベンチ入り。

その後は、チームのみならず、サポーター、サッカーメディア、そして相手チームからも讃美される抜群の運動量で、チームを支え、二人のFW選手の影に隠れながらも、必要不可欠なレギュラー選手となった。

あの激しいプレミアリーグで、相手選手3人に囲まれながらも、ボールを奪われない位置に着実にトラップし、ゴールに向かってシュート体勢に入る姿勢は、かつての突貫小僧とは別人であった。

今年始まるワールドカップの最終予選においては、この岡崎選手の活躍なくして、突破はありえないでしょう。是非とも、その頑張りに期待したいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢はパン屋さん

2016-05-20 12:05:00 | 経済・金融・税制

夢を潰すような助言は、あまりしたくないと考えている。

それでも、どうしても止めた方が良いと助言せざるを得ないのが、実はパン屋さんである。

日本は世界に冠たるパン王国である。これは、あまり知られていないが、堂々たる事実である。元々、米食を中心とした食生活の日本ではあるが、学校給食の普及と、それに伴い食パンを食べるようになった結果、創意工夫を凝らした日本独自のパン食文化が生まれている。

特に家庭でパンが作られるようになると、パン作りを趣味とする人たちが出てきた。趣味といっても、洒落にならないほどの入れ込みようで、独自のイースト菌酵母を使ったり、自宅の庭に本格的な窯を作る人も出てきた。

こうなると、その趣味を活かしてパン屋さんをやりたいと考えるのは、自然の流れであることは理解できる。美味しいパンを、みんなに食べて欲しいと願う気持ちだって分かる。

でも、趣味と商売は違うことも分かって欲しい。

パン作りは、時間がかかる。パン生地の練りから、発酵のプロセスを得て、窯で焼いて、店頭に並ぶまでは、一日以上かかる。パン屋さんともなれば、単なる食パンだけでなく、様々な種類のパンを作る。ほとんどが、手作業による製造となる。

そのパンを店頭に並べて、販売してこそパン屋である。自分で作ったパンを売り、それを買う人の笑顔を楽しみにしているパン屋さんは少なくない。お金だけじゃないとの言い分もよく分かる。

でも・・・それでも私は言いたい。だったら、あなたは何時、寝るの。家族はどうなっているの。近所づきあいや、親戚付き合いは、どうなっているの。

一人では無理。家族の協力と分業ができないと、パン屋さんは潰れてしまう。いや、そのまえに身体を壊すのではないか。パン厨房の脇に、簡易ベッドを持ち込めばイイと言う問題ではない。

パン屋さんで起業したいとの相談を受けると、私が真っ先に訊くのが、家族の協力体制である。一人ですべてをこなすのは絶対に無理。いや、家族の協力あっても、なかなかに厳しいのがパン屋さんだと思う。

多くの大手食材会社が、パンの製造を機械化しているのは、相応の根拠があってのことだ。パンの製造と販売は、事実上24時間体制を必要とする。だから、大手のパン製造会社は、交代勤務と、製造と販売との分離を行っている。

でも、個人で起業した場合、これは難しい。大手のパン会社の作るパンには妥協と諦めがあると言うが、それは労働者の福利厚生を考えれば、当然の手法である。そこに個人企業のパン屋さんの活路はあるのかもしれないが、個人の体力には限界がある。

でも、手はないではない。注文販売に徹するとか、製造に専念して、販売を委託するとかの方法もある。とにかく、一人ですべてをやろうとしないで欲しい。そのくらい、パン屋さんは厳しい仕事なのだから。

街の小さなパン屋さんに入ってみたら、そのパンが個人の長時間労働の末に店頭に並んでいることを、ちょっとでいいから思い出して欲しいと思います。本当に大変なんですよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真夜中の戦士 永井豪

2016-05-19 11:58:00 | 

歴史書を読んでいると、概ね戦争は讃美されるべきものとして記されていることが多い。

これは、歴史が戦争の勝者の視点から描かれるものである以上、当然なのだろうが、現代を生きる我々からは違和感を禁じ得ない。

戦争に対して批判的な書物が出回るようになったのは、概ね近代以降である。もっといえば、出版が自由に、しかも大量になされるようになってからだ。

想像だが、古代から中世においても、戦争に対して批判的な書がなかったとは思えない。しかし、それらの書は、権力者の手により、あるいは勝者の手により抹殺されてしまったのだろう。

だが、敢えて書かせてもらえば、戦争とはチャンスであり、戦争を機に富と幸福をつかんだ者は、少なからずいたはずだ。それを奪われた敗者の嘆きなど、論ずるに値せずと考える者も多かったのだろうととも想像している。

古代から中世においては、戦争とは個人の武勇の集積であり、弱者は踏みにじられ、勝ち残った強者の栄光のみが注目された時代であったのだとも思う。

それを一転してしまったのは、産業革命である。銃器や大砲など、従来の兵器よりも格段に破壊力、殺傷力を増した武器を大量生産なさしめたのが、産業革命に他ならない。この恐るべき兵器の拡散が、近代以降の戦争を大きく変えてしまった。

もはや個人の武勇はかき消され、殺傷力の高い兵器を大量に導入し、それを活用することこそが、戦争の勝利への唯一の道となった。如何に強力無双な兵士といえども、上空から落下して死をまき散らす榴弾砲に勝てるはずもない。個人の武勇は、近代兵器の影に押し隠された。

結果、優れた武器を数多く有する軍が、その戦場を制し、勝利をもぎとるようになった。優れた武勇を持つ個人が勝つのではない。優れた武器を持つ個人が勝つという残酷な結果が露呈した。

だからこそ、近代以降は個人の視点から戦争の悲惨さを記した書が世に出回るようになった。科学技術の発達は、ますます戦争の悲惨さを拡大する結果となった。だからこそ、反戦の書が多く出回るようになったと思う。

既に始まっていることだが、既に人間が直接戦うのではなく、遠隔操作の兵器が戦場で人を殺している時代である。やがては、ロボットが人間に替わって兵士として戦場で戦う時代となる。

そうなると、そのロボット兵士の性能を如何に上げるかが問題となる。人間に近い思考力を持ち、感情さえ有するアンドロイド兵士は、そう遠からぬ未来に登場する可能性は高い。

そんな時代を先取りして描かれた漫画が表題の作品である。多くの作品を世に出した多作な漫画家である永井豪自身が、自ら傑作だと自薦するほどの出来栄え。後に続編が描かれたことからして、本人も相当に気に入っているのでしょう。

私がこの作品を読んだのは、十代前半の頃の散髪屋の待ち時間。当時はカラー刷りで掲載されていました。短編でしたが、忘れがたい印象を残したことは確かです。もし、読んだことがないようでしたら、是非ともお薦めしたい傑作です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亜人 桜井画門

2016-05-18 11:59:00 | 

旧人と称されたネアンデルタール種から、我々現生人類の祖であるクロマニヨン種へと移行してから、わずか5万年程度である。

次なる進化が待ち受けていると考える方が自然だと思う。そう考える人はけっこう多く、大変興味深いことに、その新たなる人類は超能力の持ち主だとされることが多い。

多くのSF作家が、そのような作品を書いている。それは漫画の世界でも同じで、我々現生人類が持たない特殊能力を持つが故に、次なる人類として登場させる設定が目立つ。

だが、私は疑問に思っている。次なる進化は、必ず訪れると確信しているが、それが超能力である必要はないのではないか。地球に生命が生まれて以降、数え切れぬほどの進化が行われてきたが、その進化に特殊能力が付加されるケースは、それほど多くないと考えている。

多くの進化は、環境の変化などの外的変化に対応したものや、病気などの内的要因に対応したものが多く、特殊能力があるが故に進化した種として生き延びた例は、むしろ少数派だと思うからだ。

もしかしたら、次なる人類への進化は、誰も気が付かぬうちに、少しずつ始まり、気が付いたら世代交代のようになっているかもしれない。

上記の作品は、人間となんら変わることはないが、不死性を持ち、不思議な黒い人影のような存在を駆使できる亜人が、人類の中にいつのまにか混じっている世界を舞台としている。

面白い作品だと思っていたが、掲載誌がコミック・アフタヌーンの別冊であったため、よほどの漫画好きでないと読んでいないのが残念であった。しかし、口コミというか、ネット上での評判が良く、それがまわりまわって、TVアニメ化されたことで、人気に火が付いた。

遂には映画化まで果たしたほどだが、やはりアニメ好きでないと知られていない残念な作品でもある。無理に読むような漫画ではないが、もし目にすることがあったら、是非読んで欲しいと思います。所謂、新人類もののなかでは異色の出来だと私は評価しています。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする