ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

平和を守るために必要なこと

2020-08-21 11:42:00 | 社会・政治・一般
私は怠け者である。

まぁ正確には、ナマケグマの生まれ変わりだと信じているだけだ。ゴロゴロと寝転びながら、好きな本を好きなだけ読んでいる時間が一番幸せ。

なればこそ、日本が平和であって欲しいと切望している。戦争なんて真っ平御免である。

ところで日本は議会制民主主義を採用する国である。投票権を持つ有権者が、平和を守る意思が選挙を通じて政治に反映される、されるはずだ。

私のみるところ、残念ながらあまり上手く機能していない。原因の一つは、日本国民が軍事あるいは戦争に関して適切な教育を受けていない上に、適切な情報を得ていないからだ。

前者に関しては、学校教育の問題でもある。戦争を否定すれば、世の中平和であるといったお花畑平和主義が横行しているのが学校の現実だ。これには、日本の軍事力を可能な限り削っておきたい周辺諸国の謀略の成果であり、また事なかれ主義が横行する霞が関の官僚たちの責任も大きい。

だが最大の犯人は、日教組の妄想平和主義であり、現実逃避の姿勢である。これを真に受けて育った頭カチカチの素直な生徒たちもいることはいる。でも大半の生徒たちは、彼らの似非平和主義に気が付くが、長いものには巻かれろと、現実的な対応をしている。

一方、有権者に適切な情報を提供する役割を担う第四の権力者であるマスコミの罪深さも相当なものだ。一応、軍事情報に詳しいらしい記者もいるだろうけど、はっきり言ってレベルが低い。

21世紀の日本の軍事を考えるならば、最大の問題がなにであるかが、まるで分かっていない記事ばかりのマスコミにはウンザリする。オスプレイに反対する馬鹿は論外だが、ヘリ空母の軽空母への転換などは、もっと真剣に取材するべきだ。

はっきり言えば、ヘリ空母の数倍の維持費用が必要になる。アメリカを一例にとれば、原子力空母の建造費用が5千億ドルで、搭載する艦載機の購入費用が同程度で、一年の維持管理費が5千億ドルだと言われている。

今の日本の経済規模で、軽空母を保持しようと考えたら絶対にGDP比1%の枠に収まるはずがない。アメリカの承認というか、推奨あっての軽空母であろうことは容易に想像が付くが、いったいマスコミは何を取材しているのだ?

高齢化が進むだけでなく、少子化が進む21世紀の日本は、確実に今よりも経済規模が縮小する。高齢者層の増加は社会保障費の増額を必要とすることは、現在進行形の問題である。しかも若い人材が減少する以上、国家歳入は確実に減少するぞ。

更に恐ろしいことに、人口が減少する以上、人手不足、人材不足の問題は、少しづつ、しかも着実に日本社会の活力を削っていく。いや、もう既にこの問題の影響は出ている。で、どこから軽空母の維持費をねん出するのだ?

現在、地方自治体が担っているゴミ処理問題の現場を取材してみれば、人手不足、若者不足の現実がみえている。まして慢性的な人手不足の自衛隊は、今まで以上に人手不足に悩むことになる。

恐ろしいことに、これは既に顕在化している問題でもある。情報があまり出されていないのだが、自衛隊では現在ヘリコプター部隊の運用に四苦八苦している。老朽化した機体を早くオスプレイに切り替えたいのかと思いきや、それは問題の一端でしかなかった。

ヘリコプターは減耗が激しいため、定期的なメンテナンスが必要不可欠だ。しかし、そのメンテ部門において高齢化による隊員の退職と、新規隊員の不足からメンテナンスが予定通りに進んでいないようなのだ。

しかも、部品などを提供する企業にも同様な事情があるようで、ヘリコプター部隊は近い将来運用が厳しくなると語る自衛隊関係者もいるほどの事態に陥っている。

平和を守るためには軍事力は絶対に必要である。周辺国を圧唐キるような軍事力は必要ない。日本に攻撃意志を持つ国が、日本の反撃を浮黷髓xの軍事力で十分である。

言い換えれば、周辺国の軍事力を適切に測ることが、平和を守る上で必要な情報となる。軍事力とは相対的なものあることが分かっていないおバカなマスコミが多過ぎる。

8月に目だったニュースのなかにシナの空軍に圧唐ウれる日本の自衛隊という記事があった。まさにおバカ記事の典型であった。シナは軍事的なトラブルが多い国であり、日本だけでなく台湾、ヴェトナム、インド、ロシア、北コリア、中央アジア諸国に加えてアメリカという仮想敵国を有する。

たとえシナの最新鋭ステルス戦闘機が1000機あったとしても、そのうち対日本作戦に投入できるのは、半分どころか3割程度だろう。その程度ならば、航空自衛隊とアメリカ軍の支援があれば撃退は可能である。

軍事力は相対的なものであり、だからこそ適切な情報が重要となる。余談だが、シナのステルス戦闘機のうち、本当に脅威となるのはロシア製エンジンを搭載している機体だけだ。シナ製のジェットエンジンはまだまだ性能が低く、アメリカはもちろん、日本にも遠く及ばないのが実情だ。

で、なんで日本に軽空母が必要なのだ?

今後の日本の軍事に必要なのは、無人機であり、ロボット兵器であり、民間軍事会社であろう。更に付け加えるのならば、外国人の登用である。アメリカの市民権のような代償が必要であろうが、そのための準備とか問題意識の共有などが、今の日本に必要な軍事知識だと私は考えています。

それなのに、日本のマスコミ様ときたらハードウェアの軍事ばかりで、ソフトウェアの軍事、社会制度としての軍事にはまるで無関心。そのマスコミから情報を得る日本の有権者が軍事音痴なのも無理ないと思います。
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BUNGO 二宮裕次

2020-08-20 14:11:00 | 

未知の世界に足を踏み込むのは怖い。

その意味で私は冒険者ではない。若い頃、長く登山をやっていたが、原則として決められたルートを守る登山しかやらなかった。もちろん下準備は十二分にする。管轄の警察署、消防署の確認は当然の事、ガイドブック、国土地理院の地形図なども熟読する。

不安に感じれば、地元の山岳会への照会だって厭わなかった。これはあまり一般的でないルートを使う場合、地元の営林署などに確認を取る過程で教わったことだ。やはり地元の情報が一番である。

だから安易な遭難などはしたことがない。常に危険を回避する登山を心がけていた。そのせいかもしれないが、人気のあるアルプスの一般ルートのほうが、むしろ油断しがちで、ちょっと冷や汗かいたことがある。

大学卒業を控えて社会人としての登山を考えた時も、日常の会社員との両立を第一にし、従来の縦走中心から日帰りでも楽しめるフリークライミングへの移行を計画した。

新しい分野への挑戦であったが、以前から多少の経験はあり、人口登攀の経験もあったので不安はなかった。私にとって登山は娯楽であって冒険ではなかったと思う。

だからこそ、表題の作品の主人公に惹かれるのだろう。石浜文吾は未知の世界へ踏み出すことを恐れない。いや、むしろ無意識に期待に頬を染めてしまうほどに、未知の世界へと喜び勇んで飛び込んでいく。

その文吾をチームメイトとして、またライバルとして傍で見つめる野田は、全日本ジュニアの常連であり、いわゆる天才を謳われる才能の持ち主だ。その野田が恐れ戦くほどに文吾は、未知の世界へと突き進む。

二人が目指すのは目前の中学野球の全国大会ではない。高校野球でさえ通過点である。目指すはプロであり、既に脳裏の片隅にはメジャーさえ描いている。

だが周囲から浮くほどの努力型の天才でもある野田でさえ、ブレーキのかからない文吾の才能には驚かざるを得ない。現時点での完成度は、野田が遥かに勝るが、将来は分からない。

もちろん挫折はいくらでもある。そこから立ち上がり、再び戦列復帰をめざし、エースの座を欲する貪欲さだが決して見苦しくはない。むしろ清々しいほどの汗と涙と泥で汚れたユニフォームに憧れさえ感じてしまう。

今、私が最も注目している野球漫画です。夏休み、久々に漫画喫茶で一気読みしました。多分、私、この作品全巻買い揃えてしまう気がします。

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ケール

2020-08-18 11:52:00 | 健康・病気・薬・食事

新しいレシピが増えて嬉しい。

時折、よく使うスーパーの店頭に陳列されていることは知っていた。だが、手を出す気になれなかったのがケールであった。

私的には、ケール=青汁の原材料であった。だから、どうしても美味しいというイメージがなく、苦い、不味いといった偏見が付いて回る。

もっともケール自体は、スーパーベジタブルの異名が付くほどに栄養価が高い。数ある緑黄野菜のなかでも、ケールほど栄養のバランスが良い野菜はないと断言できるほどである。だから気になってはいた。

ただ、その調理法がよく分からない。どうしても青汁のイメージが強く、美味しいというイメージが掴めずにいた。

そんな矢先、先日セレンディビティさんのブログにケールの記事があった。読んでみると、ケールをオリーブオイルで炒め、クミンシードで味付け、最後は卵添えるだけのシンプルなレシピであった。ケールは炒めると、苦味がなくなっていくとは知らなかった。

これなら私にも出来るかな。ただ、問題はクミンだ。カレーなどに使われる香辛料なのだが、私は使ったことがない。元々辛いものは好きではないので、あまり買う気になれない。

冷蔵庫の中味をチェックして、「辛くない食べる辣油」で代替できないか試してみることにした。フライパンに、この食べる辣油を大匙2杯ほど広げ、一口サイズに手でちぎったケールを入れて炒める。

炒めると、あっという間に縮んでいく。そこへ塩コショウを少々ふりかけ、味見してみる。・・・ちょっと物足りない。でも苦くはないぞ。そこで火を止めて、ミニトマトを刻んで追加で加えて炒める。

濃緑のケールに赤いミニトマトが映える。酸味が加わって、より食べやすく感じた。ちなみに卵は・・・あれ?ないぞ。よく考えたら、今朝、パンに乗せるために使っていて、在庫がなかった。だからミニトマトを加えたのが実情だ。

まだ納得のいく味ではないが、少なくても苦くはなく、ぐっと食べやすく感じた。もう少し工夫してみたい。クミンシードの替わりに、鷹の爪ではダメかしらん?オイスターソースは使えないかな?イタリアンバジルソースとも合いそうな気がする。

ケール自体は、毎日店頭に並ぶ訳ではないので、日常的には使いずらい。でも、今回のチャレンジで、少し使い方が分かった気がする。あれこれと試してみたい。

栄養価が素晴らしく高いケールなので、今後もあれこれとチャレンジしてみようと思います。

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日傘

2020-08-17 11:40:00 | 日記

人生、なにが起こるか分からない。

まさか、まさかである。私は子供の頃から夏はいつも日焼けしていた。だから20代の頃に長期入院して、秋になって一番驚いたのは実は色白であったことだった。

身体がボロボロになった長期入院であったが、一番嫌だったのが、実は日焼けしていない色白の素肌であった。気持ち悪くて仕方なかった。だから翌年、痛い目にあった。

11月の終わりに退院したのだが、治ったわけではなく病状が安定したから自宅療養に切り替えただけだ。もっといえば、病室に空きが欲しかった総婦長の御意向であった。

11月の半ばに突如病室に現れて、本を読んでいた私をジロジロと眺めて「あなた、だいぶ元気になったわよね。ウンウン:・・・」そう言い放つと、翌週明けには若い主治医から退院を伝えられた。

少し釈然としないでもないが、当時長過ぎる入院生活に飽き飽きして、病院を昼間抜け出すことが多かったので、堂々退院できることは朗報であった。そして、自分の体力が激減していることに自宅で気が付く羽目に陥る。

そのまま春まで毎週外来に通いつつ、私は今年は日焼けしてやると堅い決意を持っていた。まさか日焼けすることが、あれほど体力を浪費するとは知らなかった。家でぐったりと寝込みながら、それでも日焼けした浅黒い肌に満足していた。吐き気がするほど、疲労したけど、ここはやせ我慢である。

そんな私であるからして、社会復帰を果たした後は、夏は日焼けするものだと決めつけていた。あの頃は休日になると、自転車にまたがり、日がな一日古本屋巡りをしていた。あっという間に日焼けしていたことに、軽い満足感を覚えていたものだ。

それなのに、この私が遂に日傘デビューである。

この年になると、日差しが辛い。日焼けはしたいが、すれば疲労感が半端ない現実にめげた。朝から肌を刺すほどの痛い日差しに根負けしてしまった。そこで使ってみたのがモンベル社の日傘である。

これが凄い。影の濃さが違う。熱の遮断具合が桁外れた。さすがアウトドアメーカーの風雲児であるモンベル社である。ちなみにこの傘、雨天時にも使えるので大変便利。重さが200gと携帯用としては少し重いのと、値段が5000円を少し超えるのが難点。でも、値段相応の価値はあると思いますよ。

一点、難があるとしたら、傘の色がシルバーで派手派手ってところかな。目立つのですよ。でも、日差しを遮るこの涼しさには替え難いのです。

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自然淘汰

2020-08-15 14:31:00 | 社会・政治・一般

生きるってことは、それだけで大変なのだと思う。

私は動物ドキュメンタリーが好き。ただペットなどの愛玩動物の番組よりも野生動物のドキュメンタリーが好きだ。TVはほとんど視ないが、「アニマル・プラネット」や「ディスカバリー・チャンネル」は機会があれば、視るように努めている。

だから生きるってことの残酷さ、切実さ、愛おしさが痛いほどに良く分かる。野生の世界は美しくもあるが、同じぐらい苛酷である。

現在、世界中を席巻する新型コロナウィルスではあるが、私はわりと達観して視ている。野生の世界はもっと過酷だと知っているからだ。

野性動物にも感染症などの病気はある。医者も病院もいない野生動物の世界では、体力のあるものだけが生き残る過酷な世界だ。当然にマスクもないし、薬用アルコール消毒なんかもない。

当然のように感染した動物は、幼い子供、年老いたものが真っ先に死ぬ。自然の脅威は老若男女関係なく、無慈悲に襲い鰍ゥる。だが不思議なことに、死亡率100%の感染症は存在しない。必ず生き残る個体が出てくる。

以前に視た動物ドキュメンタリーでは、アフリカのシマウマに非常に強力な伝染病が拡がり、多くのシマウマがサバンナに死骸を晒した。当然にハイエナやライオン、ハゲワシなどがその死体を貪り喰い、昆虫が遺骸を食いつくし、僅かに残った骨や毛さえも菌類が吸い尽くした。野性の厳しさは、死体さえ活用してしまう。

だが番組の撮影スタッフは貴重な場面を逃しはしなかった。なんと生き残ったシマウマが、病気で死んだ仲間のシマウマの死体を食べている場面を。草食のシマウマは通常、肉を食べることはしない。それなのに死骸の肉を食べていたことに撮影スタッフは驚いた。

だが、同行していた地元の黒人ガイドは別に驚くこともなく、よくあることだと淡々としていた。撮影スタッフの一人である動物学者は、あれはシマウマが死んだ遺骸から弱った病原体を摂取して、ワクチンのような効果を得ているのではないかと推測していた。

未だ科学的には解明されてはいないのだが、シマウマに限らず、野生動物には人間の知識では測れぬ叡智のようなものがあるらしい。よく知られていることだが、ライオンのような肉食動物でさえ体調が悪いと、ある種の葉っぱを食べだす。後で調べると、薬草としての効能があるらしい。

人間がワクチンを発明したのは18世紀のことだが、それよりも遥か昔から野生動物は独特の感染症対策を知っていたのだろう。

今、日本だけでなく世界中で新型コロナウィルスの封じ込めに失敗し、第二の拡散を浮黷トいる。自主的に自宅待機、経済活動自粛をして感染を防いだ日本のような国でさえ、第二の拡散に怯えている。

地球上の生物は、すべからず病気と無縁ではいられない。それは進んだ(と思っている)医学知識をもった人類も同じこと。極論なのは承知しているが、結局は一番対策を取らなかったスウェーデンのやり方が一番賢いのかもしれないと私は感じている。

当初、スウェーデンのやり方は欧米でもWTOでも批難の対象とされた。実際多くのスウェーデンの人たちが感染し、発病し、死亡している。しかし、現時点で判ずるに、一番終息が早そうな気配である。

私は日本が感染者が少ないのは、自粛と自宅待機のおかげだと思っている。しかし、死亡者が少ないのは、自宅で大人しくしていて、結果的に健やかな生活でいたことが、感染者の病状悪化を防いだのだと考えている。

当たり前の話だが、昔から人類は病気になったら大人しく寝て、適切な食事で栄養を採り、自然に備わっている治癒力で病気を治してきた。

決してワクチンが無意味だとは思わない。ワクチンは幼子や高齢者には有効であるはずだから。でも、結局のところ人間誰もが持っている自然な治癒力こそが、一番頼りになるように思えてなりません。

暴論なのは承知の上です。おそらく、体力のない小さな子供や高齢者には過酷過ぎるやり方でしょうから。でも、そもそも生きること自体、本来は過酷なものなのです。

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