昨今、日本のライトノベルでは異世界ものが人気である。
もっとも、これは日本に限ったものではない。古来より人々は空想に夢を託して、現実とは異なる異世界を創造してきた。古代神話なんかがその典型だと思う。もっとも人が創造した異世界ゆえに、論理的な矛盾や物語の構成に無理があることも珍しくない。
だからだろうが、完全なる異世界の物語を構築した作品は稀だし、それ故に敬意が払われる。欧米だと「指輪物語」が代表的であるが、表題の「デューン」もまた非常に評価が高い。
ホラーならばラグクラフトのクトゥルー神話体系があるが、SFではFハーバートのデューン・シリーズが非常に出来が良い。私も中学生の頃にドはまりしたぐらいである。
やはり、なんといっても世界観が素晴らしい。当時の欧米では蔑視されがちであったイスラム教の雰囲気たっぷりな砂の惑星デューンと、人工知能を禁じた倫理観、キリスト教の修道院をモチーフにしたかのような宗教組織といった未来社会を背景にしている。
銀河を股にかける帝国と、中世さながらの封建領主たちと宇宙航行を牛耳るギルドが互いにけん制し合う世界で、罠にはめられた主人公の父。そこから息子が立ち上がり、帝国に反乱をしかけて勝利する第一部。
そして物語は子供たちに引き継がれる。表題の作品のエンディングで明かされる未来は、私のSF読書歴の衝撃度で確実にTOP3に入る。これはネタばらしはしたくないので、是非とも読んでもらうしかない。
ただ私の本音は、石ノ森章太郎が表紙、挿絵を担当した当初の版を読んで欲しいのだ。でもあの性悪の早川が映画化にかこつけて販売を伸ばそうとして、挿絵をなくしてしまったので、当初版は古本屋でしか入手できない。
40年以上前の古書で、しかも作りの粗い文庫本にも関わらず、既にプレミアがついているようなので、積極的にはお薦めできなのが辛いところだ。実写化された映画版よりも、石ノ森の挿絵のほうが素晴らしいと信じてやまない私です。
この地球において生物が最も栄えた時期は、今よりも平均気温が高い。
もっと端的にいえば、一番寒いはずの北極及び南極が一年中氷の世界である現代は、地質学的には地球が寒冷期にあることを意味している。一年中氷が溶けない万年氷床があることは、地球史的には珍しいとさえいえる。
北極の氷が融けると、白熊ちゃんが死んじゃうなんていい加減な報道に騙されないで欲しい。そりゃ飢えて痩せ細った白熊は実在するだろうが、白熊自体の生息数に関する正確な情報はないのが実情だ。
なぜなら北極圏の多くを占めるロシア領における白熊生息数が把握されていないからだ。ただ、一部報道でロシアの沿岸沿いに白熊が増えて、人里に入り込んでいることは確からしい。
さらに付け加えると、大気中のCO2が増加していると騒ぐ人がけっこう居る。でも、恐竜が棲息していた数千万年前は、現在の十倍以上のCO2が大気に含有されていたことをどう考えるのかね。
ぶっちゃけ温暖化が進めば、地表の植物はより繁茂し、それに伴い昆虫、鳥、そして哺乳類も今以上に増加するのが過去の実例である。温暖化は地球上の生物にとって、むしろ恩恵であるのは真実だと思う。
では、なぜに今、地球温暖化が問題となっているのか。
45億年にも及ぶ地球の歴史の中では、気候変動は当たり前の現象で、驚くべきことではない。しかし、最近の研究で分かってきたのは、寒冷期から温暖期、あるいはその逆のプロセルは徐々に進むのではなく、むしろ急激に転換することだ。
もちろん地質学的には短期間の変化だが、地球上の生物にとっては破滅的(カタストロフィ的)な変化でもある。とりわけ陸上は気温の変動が、海に比べると激しく、温度変化は動物のみならず、植物にも絶大な影響を与える。
繰り返すが、現在の地球は寒冷期にあり、いずれは温暖期に変わるであろうが、それは当分先のことだと思われていた。しかし、人類の経済活動は極めて活発で、人為的に増えた二酸化炭素が温暖化のプロセスを加速化される可能性があることが問題となった。
気温の変化は陸上において顕著であり、まず植物の生息環境に多大な影響を与え、それに伴い動物、昆虫、鳥その他の動物が変化に応じて生態を変える。それを繰り返してきたのが、地球の歴史である。
しかし、人類と称する哺乳類は環境を自らの意志に基づき変化させてきた。大規模な灌漑や運河の敷設、森の破滅的伐採と農地開拓と云う名の環境破壊を繰り返す特異な生物である。
厄介なのは、その環境破壊に加えて国境線という人為的な縄張り意識が強く、しばしばこの縄張りを巡って戦争を積み重ねてきた。加速化された温暖化は、この国境と云う名の縄張りに多大な影響を与える可能性が高い。
つまり急激な温度変化は、人類に戦乱の時代を引き起こすと予測されている。だからこそ現代社会を主導する欧米各国は深刻に温暖化を恐れている。
二酸化炭素削減とは、単に地球の気温上昇を防ぐことだけを意味してはいない。新たな戦乱の引き金となる可能性を秘めているのが地球温暖化なのだ。だからこそ、欧米はガソリン車全廃など過激な方針を打ち出している。
さて、ここまで書いておいてなんだが、私は必ずしも二酸化炭素の急増が地球温暖化の主犯とは信じていない。やはり地球の大気温度は、太陽からの輻射に左右されると考えています。二酸化炭素がそれにどの程度影響を与えているのか、それはまだ研究途上なのが実情です。
さりとて現代文明を牽引する欧米が、脱化石燃料と二酸化炭素排出抑制を主導している以上、それに逆らうのはあまり賢明ではないでしょう。でも全面的に従うべきとも思えない。少なくとも欧米が目指す原子力発電とEV車の流れには、疑問をもつべきでしょうね。
仕事柄、中小企業庁や経済産業省、区役所などから景気動向をはじめ様々なアンケート調査への協力を依頼されることがある。
まだ若手の頃はけっこう素直に応じていたが、この十年ほどはほどんどお断わりしている。
たかがアンケートではあるが、真面目に対応しようとするとかなりの手間暇を要する。無報酬の依頼にそんな時間をかけられないから断らざるを得ない。
人材に余力がある大企業ならいざ知らず、中小、とりわけ小企業、零細企業、個人事業者にはこの手のアンケートに誠実に対応する余裕がない。
だからとは云わないが、概ね政府の発表する景気動向などは、日本の企業の9割を占める中小企業が十分に反映されていないと感じることが多い。
これはこれで問題だが、命に係わる問題ではない。
しかし、このアンケートが新型コロナウィルスに対するワクチンの副作用による死者に関するものであったら大問題である。
厚生労働省のHPでは、ワクチンによる副作用の結果としての死者数を1200人あまりだと報じている。しかし、現場の医師たちは、この数字を決して真に受けない。
なぜなら報告されていない副作用による死者は、もっといると現場の医師たちは実感しているからだ。別に政府が意図的に隠ぺいしている訳ではない。厚生労働省はワクチン接種に関わった医師たちに積極的に報告を求めている。
ところが現場の医師たちの反応は渋い。なぜならこのアンケートを書くのは簡単ではないからだ。亡くなった患者の病歴、通院歴、服用した薬の種類と量など様々な項目を埋めていかねばならない。
ただでさえ医療崩壊を云われるほどの激務の最中に、この煩雑なアンケートを書く余裕がない。事実、この話をしてくれた医師は、私の元にも疑わしい案件はあったが、多忙で書けなかったとの事。
ちなみにこの医師の推測では死者数は1200人どころかその20倍はいるのではないかと推測していた。ただし、本当にワクチンと死因との因果関係については、未だ研究途上であり、複合的な原因の可能性も高いとも言っていた。
なんて危険なワクチンを!と怒りを感じる方も多かろうと思う。しかし、この副作用による死者が出ることは、けっこう予測されていた結果に過ぎない。なぜなら、このワクチンは未だ治験段階のものだからだ。
要するにワクチンとしての安全性よりも、新型コロナによる社会不安を抑制するための政治的な手法として活用されたのが実態ではないか。つまり安全性を確認するよりも、とにかく人々の不安解消を優先しての政治的決断の結果である。
これを誤った政治的判断だと決めつけるのは難しいと思う。たしかに安全性への確認は不十分であった。しかし、ある程度の効果が認められたのも事実であり、これにより命が助かった人のほうが多い可能性は否定できない。
少し不快感はあるが、私としては日本政府のこの遣り口を容認せざるを得ないと考えている。でも許せないと思う人も多かろうとも思う。人の生き死にが関わることであり、だまし討ちのような遣り口に反発する気持ちは分かる。
分るけれど、私が容認するのは、私が医療の無謬性を信じていないからだ。不完全なる人間のやることが、完全である訳ないと達観しているからでもある。出来る限り完全を目指して欲しいとは思うが、それを他人に強要するほど傲慢にもなれない。
だから致し方ないと諦めている。実際問題、この不完全なるワクチンについて一番悩んでいるのは医師であり、医薬品会社の研究者たちであろうと思う。大儲けしている製薬会社に不信感を持つかもしれないが、経営者だって今後のリスクを考えれば、内心相当な葛藤があったであろうことは容易に想像がつく。
だからこそ政治がその後押しをしたのが、今回のコロナ禍であったと思う。おそらく、これから副作用の研究や過去の臨床結果の検討で、医療関係者は大いに困惑すると思う。
なんだか陸上自衛隊の武器のダメっぷりばかり取り上げてしまったので、ここらで航空自衛隊を取り上げよう。
なかでも地味にダメだった兵器の代表といって良いのがC1輸送機。国産初のジェット輸送機であるのだが、全てに中途半端という悲劇の機体であった。
なにせ輸送機の癖に搭載貨物量が中途半端、おまけに飛行距離も中途半端で、挙句に値段も半端に高い。実用性に乏しく、なんの目的で国産機として製造されたのか不明な機体でした。
もっとも、これは製造前からある程度分かっていたこと。防衛庁内におけう意見対立、ジェット機の製造ノウハウの蓄積、国防族と称するたかり政治屋の干渉など問題山積で、相互の意見の妥協の結果の中途半端な設計思想が産み出してしまったジェット輸送機第一号でした。
私に言わせれば、戦争での運用を考えず、その危機感なしで軍隊を持っているが故の贅沢です。
もともと軍事用輸送機と云う奴は、案外と難しい機体です。戦時における使用が前提であり、ろくに整備されていない空港での離発着が求められる上に、機体の整備もままならぬ状況下での酷使が想定される難儀な機体です。
タフな作りが故に、防音など快適性は無視されるので、民間機への転用が難しい。そのせいで、軍用輸送機は、一度作られると非常に長く使用されるし、新型機が作られることも少ない。
この特殊な性格ゆえに、アメリカでもソ連でも国内需要だけでは採算が取れず、多くの場合同盟国のみならず、中立国に至るまで幅広く販売される不思議な軍用機でもあります。
だから日本のように、日本一国で使用すること自体、軍用輸送機としてはあり得ない金の無駄遣いです。
C1が完成してからも、なぜに同様の輸送機をなぜ輸入しなかったとの論議が散々戦わされたのも当然です。C1よりも使い勝手の良い軍用輸送機はいくつもありましたから。
でも最終的には国産を目指すべきとの意見に押されて、使い辛いC1輸送機は20年近く使われてきました。でもPKOなど海外での使用は無理(航続距離が足りない)なので、アメリカのC130を使っていました。
唯一、良かったのはこの駄作機の製造ノウハウが活かされて、次のC2輸送機で大幅に改善されたことでしょう。
それでも私は言いたい。軍用輸送機を国産に拘ることに何の価値があるのかと。輸出する気はないので、当然にC2一機で250億円というコスト高だし、国連軍への協力だって、日本独自仕様のために使い辛い。
なれば、西側ではベストセラー機であり、補修も各国で受けられるC130とC17でいいではないか。そうすれば、余った予算を自衛隊の福利厚生に使える。なにせ自衛隊は生活雑貨すら不足しがちの慢性予算不足で悩んでいるのです。
無理に国産輸送機なんて作らず、その分組織としてまともな福利厚生が可能な組織にしたほうが良いと思います。先進国で上官が部下のためにトイレットペーパーや替えのボールペンを負担する軍隊なんて日本ぐらいです。
嗚呼、恥ずかし哉。
自宅待機中、大幅に使用量が増えたのがオリーブオイルだ。
以前はごま油とサラダ油がメインだったのだが、知人から頂いたオリーブオイルが大量で、これを消化するために欧州料理を作ることが増える始末であった。
でも、私の料理のレバートリーも大幅に増えた。失敗もいくつかやらかしたが、自分でも上手く出来たとご満悦のものもある。
ところで、オリーブオイルというかオリーブという果実が日本に入ってきたのは明治40年代だそうだ。当初は三か所ほどで栽培していたが、続いたのは小豆島だけ。おかげで小豆島のオリーブは特産品として令和の日本では立派なブランド品である。
そのオリーブオイルの採れたてというか、エキストラヴァージンオイルと称される本物のオリーブオイルをある洋食屋さんで味わったことがある。けっこう期待していたのだが、内心その癖の強さというか香りのきつさに素直に美味しいとは言えなかった。
でも店のシェフは、私の反応は予想通りだったようで、次に普通のオリーブオイルを出してくれた。こちらは熟成しているというか、素直に美味しいと楽しめる味わいであった。
そんな私をみながらシェフは「実はどちらもエキストラヴァージンオイルなんですよ」と一寸困った顔で説明してくれた。驚く私たちに、最初に出したのは小豆島で採れた本物というかヨーロッパの基準(IOC)を満たしたもの。次に出したのは、日本のスーパーなどで店頭で大手食品会社の製品として売られているJAS規格のものだそうだ。
どちらも決して偽物ではないが、オリーブオイルの基準が違うだけだそうだ。でも西欧の方だったら、後者の大手食品会社のものをエキストラヴァージンオイルだとは認めないでしょうとも言っていた。
逆に前者のものを出せば、ほとんどの欧州の方は本物だと認めてくれるそうだ。小豆島のオリーブ農家もすごいものだ。
ただし、日本人の多くは後者の味を好むらしい。つまり本物の味には馴染めていないのが実情だそうだ。当然に大手の食品会社もそれを知っていて敢えて味を変えたエキストラヴァージンオイルを販売しているそうだ。
思い出してみれば、私がオリーブオイルを実際に食したのは、成人になってからだ。多分パスタ料理に使われていたと思う。その後バブル期に雨後の竹の子みたいに増えたイタリアン料理の店で、オリーブオイルにパンを浸す食べ方を知ったぐらいだから、それほど馴染みのある味でないのも当然だろう。
もっとも近年はかなり一般家庭にも普及したようで、イタリアンに限らずフレンチやスパニッシュの料理でも良く使われている。小豆島だけでなく、熊本でも本格的にオリーブ栽培を始めて(厳密には明治時代に失敗しているので再開だ)、その製品が市場に出回っていると聞く。
実際、この私も自宅待機中にオリーブオイルを多用した料理を幾つも作っている。かなり馴染んできたと思うけど、やはり本場のエキストラヴァージンオイルとなると、まだまだ舌に馴染んでいないのだろなァ。
でも身体に良い油みたいなので、少しずつ馴染もうと思います。あたしゃ、美味しければ何でも良いのさ。