ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

忍風カムイ外伝

2023-02-06 10:41:00 | テレビ
漫画は子供の娯楽。

そんな考え方が当たり前だったが、60年代ごろから大人向けの漫画が出版されるようになった。いわゆる劇画と呼ばれた漫画がそれなのだが、その一方、漫画を動画にしたいわゆるテレビ漫画(アニメーション)は相変わらず子供向けであった。

劇画といえば「カムイ」と云うほどに大人が読める漫画として定評があった作品だが、さすがに子供向けと見られていたTV漫画として製作されることはなかった。

そんな中で、主役の一人である抜け人カムイをクローズアップした外伝がアニメとして製作された。私はこの暗い画風のアニメがお気に入りであった。しかし、あまり人気はなかったらしく打ち切りになった。

ちなみにその後釜が「サザエさん」である。雰囲気違い過ぎだろう。

正直に云えば、私は「サザエさん」が好きではなかった。忍風カムイ外伝のような大人の雰囲気があるアニメの方がずっと良かった。白土三平の作品でTVアニメ化されたものといえば、普通「サスケ」が上がると思う。でも、私はカムイ外伝のほうが好きだった。

ただ、基本的に抜け忍カムイと、彼を追う忍びたちの殺し合いだから、PTAや親の世代には受けが悪かったのだろう。でもその後釜の番組がサザエさんなのだからギャップが酷過ぎる。

ご存じの方もあろうかと思うが、この作品は現在では再放送が出来ない。なにせ差別用語で満ち溢れているからだ。なにせ非人出身のカムイが主役ですし、片目、奇形など差別用語だらけ。

私は差別には反対だけど、このような差別語を隠ぺいするがごときやり方には賛成できない。むしろ差別が過去にあったことを隠さず、表に出した上で差別の非道さを明らかにするほうが良いと思います。

でも安易に差別隠蔽を図りたがる良心的な反差別論者が多いから、やはり再放送は難しいでしょうね。私はこの暗い雰囲気をまとった抜け忍カムイが大好きだったので、とても残念です。
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日本料理の伝統

2023-02-03 11:54:26 | 健康・病気・薬・食事
毎年、寒さが厳しくなると訃報が届く。

私がまだ駆け出しの頃だ。ある老舗の日本料理店の会計及び申告を担当していた。店はいかにもな古風で和風の作りで、献立はその日によって違う。達筆なお品書き次第で値段も変る。都内とはいえ少し県境よりであったからか、高級割烹としては少しお安い。

こんな店が地元にあったらなァと少し憧れた店でもあった。店主は無口な頑固職人を思い浮かべていただければ、まず間違いない。店主が喋らない分、賑やかな奥様が店内を切り盛りしていたからか、いつも賑やかな雰囲気であった。

私はいつもランチタイムと夜の営業の合間の時間に店を訪れ、帳簿をコピーし、いくつかの領収証等を預り、後は賄いを頂きながらの雑談であった。実はこの賄が美味しかった。

未だに忘れがたいのは、卵かけご飯である。たかが卵かけご飯というなかれ。一口食べたら唖然とするほど美味かった。卵に出汁が入っているのは分かるが、その出汁の旨味が尋常じゃない。付け合せの小松菜のお浸しもさっぱりとしていながら、微かな出汁の旨味が絶妙で、お代わりしたくなるほど。

もっとも駆け出しの私は、お代わりを頼むほど図々しくはなれず、レシピを訊きだせるほどに厚かましくはなれなかった。でも「美味しいです」の一言は忘れたことはない。

ある日のことだが、前日に電話があり、少し早めに来て欲しいという。ランチタイムの終わり際に店に行き、片づけをしている奥様を置いて、店主は私を連れて車に乗り込んだ。

一時間ほど走り、郊外の洋風レストランに連れていかれた。そこで店主が頼んだのが、ビーフシチュー。なんでも口コミで人気の献立らしいが、店の雰囲気が如何にもな洋風であり、初老の店主には入りずらかったらしい。なので、若い私を同伴したそうだ。

そこで頂いたビーフシチューは確かに美味かった。肉はほろほろに溶ける様な柔らかさで、噛み切る必要がない。だがシチューの風味が独特で、私が知っているビーフシチューとは明らかに違った。

店主もその違いが気になるようで、匂いを嗅いだり、舌の上で転がしたりと、なにやら探っているようだ。しばらくして納得したように頷き、帰りはスピード違反に私がビビるほどに急いで車を走らせた。

店に戻るなり厨房に籠って、なにやら料理をし始めた。もう私のことなど忘れているようだ。一休みしていた奥様が現われ、「なにかヒントをつかんだみたいよ」と少し呆れ気味で笑っていた。

老舗の割烹料理の店で、ビーフシチューをどう活かすのか、私は妙に思っていた。私が悩む顔をみて奥様は言った「日本料理はね、いつも時代の最先端を取り入れて、今日よりも明日に美味いと云わせる努力をしてきたのよ」と話してくれた。

その後、領収証にやたらとワインの仕入れが増えたのだけは覚えている。店主はなにも云わなかったが、奥様の話だと「煮込み料理」に幾つか新しい手順が加わったそうだ。実際、店の売り上げは順調に伸びていたので、効果はあったのだろう。

まだバブルの残照が眩しい頃だったせいか、その店に大手の不動産会社から立ち退き請求があり、随分と抵抗したが最後は押し切られてしまい、店は閉店となった。ただし閉店の理由は店主が体調を崩したからで、身体が復調したら新たに店を開くはずであった。

その数年後のことだが、奥様から郷里に夫婦して帰ることを伝えられた。どうも体調の回復が思わしくないらしく、店の再開は諦めたそうだ。実に残念に思ったが、致し方ないことでもある。

私は未だにあの店の賄で食べた卵かけご飯以上の美味しい卵かけご飯にお目にかかったことがない。

そして先日、奥様よりご連絡を頂き、御主人の訃報を知った。遠方であり、またコロナ禍で家族葬なので、最後の挨拶が出来なかったことが心残りである。

美味しさなんて、その場限りの感動であり、刹那的な感動でもある。それは分かっているのだが、記憶に深く刻まれるほどの美味しさを、後何度味わえるだろうか。長生きに固執する気はないが、出来るだけ美味しい記憶は沢山味わいたいと思います。
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異次元

2023-02-02 10:36:03 | 社会・政治・一般
あくまで私の周囲に限ったことだが、大卒の友人、知人で子供が居ない夫婦が多数派で、居たとしても2人が精一杯だ。もちろん一人っ子が一番多い。

ところが高卒、もしくは高校中退の友人知人となると、未婚者は少数派で結婚して子供を複数抱えた家族持ちが多数派となる。なかには結婚と離婚を繰り返している猛者もいる。

偏見だと誹謗されるかもしれないが、私見では教育水準の低い家庭ほど子供の数は多いように思う。同時に高学歴で高収入な家庭では夫婦のみ、もしくは子供は一人といったケースが多い。

これは西側先進国全般に見られる傾向である。文明が高度化すると、子供の教育が重要になるため、どうしても学費の負担が多くなる。現代はある程度、避妊が可能なため、子供の数を意図的に調整できる。

また核家族化によりシングルマザーは概ね困窮化することが多い。昔のように親に子(孫なのだが)を預けて働くケースは少ない以上、子を持つことを避ける風潮が出るのは当然だろう。

しかし、この少子化という現象は確実に社会を衰退させる。それが分かっているからこそ政府は異次元なんて言葉を駆使して対策に躍起になるのだろう。

でも、その中身がお粗末すぎる。私なんざ異次元どころか違和感ありありである。

私自身は別個の理由から独身、子なしを自ら選択している。別に隠すことではないが、若い頃の難病歴から、自分が満足に家庭を築ける自信がなかったことが最大の理由となっている。なにせ生命保険にも満足に入れない身なので、家族を持てても途中で投げ出す(死ぬ)可能性が高く、それは無責任に過ぎると思っていたからだ。

還暦まで生きてきたが、この先は危ういことも承知している。それなりに稼ぎはあるが、不安定な自由業なので、自分が無事に生きて来れただけでも満足である。

そんな私でも、身体が健康であったのならば結婚は考えただろう。でも子供は精々一人かな・・・と思う。生活レベルを大幅に落とせば二人以上も可能だろうけど、やはり躊躇うと思う。

そこで岸田政権の異次元の少子化対策をみると、既存の思考法から抜け出ていない。一言でいえば金を今までより大目に払えば良い、ただそれだけだ。

アホじゃないかと思う。既成の法制度の枠にはまり切った官僚の作文であることが明白なダメ政策である。まったく異次元ではなく、小手先改革に過ぎない。

そりゃお金は大事だ。しかし、お金だけで子育ては出来ない。具体的に異次元の対策というのならば

1 外国人家政婦を認める。ただしその管理は民間ではなく、政府(地方自治体移管)で責任をもってやる。
2 誕生から4歳までの育児休暇を強要する。そのための生活費補てんは国が出せ。
3 公立に関する限り、義務教育は無償化。

個々に説明すると煩雑になるので割愛するが、この程度はやらないと安心して子育てなんて出来ない。違和感を感じるとしたら、それは過去の高度成長時代の常識、多人数の家族、親族による助け合いが普通だったころの常識に縛られているからだ。

時代が変わっており、家族、親族の関係も希薄になっている現代に過去の常識は役に立たない。ちなみに霞が関のエリート役人様は既成の法制度の枠内でしか思考が出来ない。変わってしまった社会情勢に対応する新たな法制度は、役人には作れない。今の役人はそのように育てられているから、これはどうしようもない。だから異次元なんていう字面だけで対応しようとする。

変えるには立法府の人間が、すなわち国会議員が立ち上がるしかない。それなのに有権者が投票するのは既存の法制度の下では役立つベテラン議員とか、反対するしか能がないボンクラ議員ばかり。

民主主義の悪いところは、代表者を選ぶ有権者がアホである場合、当然に選ばれるのはアホな議員であることだ。それを加速化させるのが、これまた反対することが正義だと思っている新聞、TVであるから、アホが重層的に積み重なっている。

怖いね、このような間抜けな状況が続くと、有権者は次第に強権力者を望むようになる。独裁が生み出されるのは、いつだって我儘な市民が不満を貯め込んだ時です。歴史をしっかりと学んで欲しいものです。
コメント (7)
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