ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

歴史は繰り返す

2023-02-13 11:35:36 | 社会・政治・一般
嫌な予測をすると、ロシアによるウクライナ侵攻は当分続くでしょう。

具体的には2026年から2028年あたりに終息すると考えています。その理由は過去のソ連のアフガン戦争にあります。この時も西側社会は反発して経済制裁やオリンピックなどのイベント不参加と揉めたものでした。

ソ連は西側の圧力には決して屈しませんでした。しかし、その国力をもってしても戦争を継続するのは5~6年が限度であったようです。この限度とは、単に経済的なものだけでなく、軍隊内部の人材枯渇や、党指導部内部での意見統一の維持が困難になったことなどが原因であるようです。

ちなみにアフガニスタン戦争の時は、首都カブールを完全に支配していたのですが、西側及びイスラム諸国からの支援を受けた地方の山岳地帯に潜むゲリラたち相手の非対称戦に苦戦したことが、長引いた原因でしょう。

そしてウクライナに戻ると、未だ首都キエフを制圧することも出来ず、東部をある程度支配するに留まっています。西側からの援助を受けたウクライナ政府は、援助の一部をポケットに入れてホクホクしているはず。紛争が長引くほどに、政府関係者の預金口座は増える一方。これだから戦争は止められない。

はっきりと書きますけど、ロシアのウクライナ侵攻を招いたのは、EU及びアメリカによるウクライナのNATO加盟です。ロシアはウクライナを絶対防衛圏と認識しているのだから、これを認める訳がない。ロシアにとっては防衛戦争です。

ただロシアのミスもある。クリミア半島を短期間で接収できたので、ウクライナ本土も短時間で制圧できると踏んだのが第一の間違い。第二の間違いは、戦力の小出し投入をしてしまったこと。戦争で一番やってはダメなやつです。

古来より戦争は、大兵力をもって惜しみなく戦力を投入して敵地を一気に制圧するのが王道です。ところが大国ほど、兵力の小出し投入をやらかしてしまう。それなのにアフガンでも、ヴェトナムでも同じ失敗をやらかしている。

さすがにアメリカは反省したのか、イラクに対しては大戦力を投じて勝利をものにしています。ただ、今回のロシアのウクライナ侵攻に対して、アメリカはちょっと嫌らしい。

本気でウクライナを助ける気はないのは、クエートと比較すれば明らか。むしろ旧型兵器の在庫一掃セールと考えていることが見え見えです。いや、それはNATO諸国も同じで、旧ワルシャワ条約機構軍の国々(ポーランドやルーマニアなど)は、旧ソ連兵器をウクライナへ送り、その替わりに西側の兵器を入れ替え作戦実行中です。

軍需産業は、このウクライナ紛争を新兵器の実験場に使っていることは、知る人ぞ知る事実。このような状況下で、戦争が長引くのは必然にして当然。

では短期間で終結する可能性はないのか。私はあると思います。それはロシアかウクライナ、どちらかの政府首脳が消える(引退でも暗殺でも可)ことです。その場合、新たな政治指導者は戦争終結に向けて動き出すと思います。

一応付け加えておくと、ロシアはかつてグルジア(現ジョージア)やモルドバ、チェチェンなどにも軍事力を行使しています。でも、その時は西側が大規模な支援をしなかったので、短期間で終わると思いきや解決に何年もかかっています。

忘れちゃいけません。旧ソ連の国々の抵抗力の強さを。ロシアの民はどうも攻めは苦手だが、守りに入ると異様に強い。ウクライナでロシアが苦戦しているから、ロシアが弱いなんて軽率に考えてはいけません。

だからこそ、政治家の交替こそが戦争終結の近道だと思うのです。ひどい話だとは思いますが、人類の歴史なんて、この繰り返しですよ。
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幸せな国

2023-02-10 11:34:45 | 社会・政治・一般
幸せを測る尺度はない。

一人一人、誰もが幸せを願っているが、その内容は人それぞれだ。客観的で公平な尺度で幸せを測ることは無理だと思う。

私は仕事が好きだし、仕事に集中している時は、ある種の酩酊感すら感じる。だが全ての仕事が好きな訳もなく、内心嫌々やっている仕事だってある。でも、仕事がない人生はちょっと考えにくい。

しかし私の本性はナマケグマである。忙しい最中に、サボる悦楽を知っている。足早に歩き、的確かつ合理的に行動して物事を片付けることを目指している。でも、なんの制約もなく、だらしなく寝転んで本を読むのも大好きだ。

自営業故に自分のやりやすいように仕事が出来るが、申告期限と顧客満足は絶対の指標であることは自覚している。アップダウンの激しい生き方だと思うが、あまり不満はない。

だからこそ自由度の高い今の生き方が出来る現状を受け入れている。喜んで受け入れている。その自由度を許しているのは、日本が立憲民主主義国家であり、市場経済であり、法治が行き届いた国家であるからだ。日本に生まれ、日本で育ち、日本で生きていけることは幸せだと思っている。

この幸せを乱す戦争とか天災などを恐れ、憎み、警戒している。なにせ日本には日本を否定することが幸せだと信じ込んでいる輩が横行しているからだ。それ故に選挙は決して馬鹿にしていない。

私が馬鹿にしている政治屋が数多いることを口惜しく思っているが、それもまた民意の反映である以上、受け入れざるを得ない。自由とは時として不自由なものだ。異なる意見が存在することを許容することもまた、民主主義の義務であるから。

私は民主主義を決して馬鹿にしてはいないが、さりとて最上の政治制度だとは思っていない。民主主義がそれなりに機能するためには、本来の主権者たる有権者が適切な判断をする必要がある。その判断のベースとなる情報を提供するマスメディアが、適切な情報を提供しなければ、選挙制度は決して上手くいかない。

そして困ったことに、我が日本に於いては、このマスメディアこそが適切とは言いかねる情報提供をしているのが実情なのだ。政治がおかしくなるのも必然である。国内報道だけならまだしも、国外報道でもやらかしているから頭が痛い。

そんな一例が「幸せの国ブータン」であった。2011年ブータンの国王夫妻の来日は日本政府大歓迎である。アジアでも有数の小国なんですけどね。

そして当時、何故だか知らねど、やたらとブータンをマスコミが持ち上げていた。私は大政翼賛会かと思ったほどに、右から左まで一致して賛美するのである。気持ち悪いったらありゃしない。

行ったこともなく、ブータン人に知人もいない私だが、幸せという概念が多様であり人それぞれ違うのが当然だと考えているので、この「幸せの国ブータン」というフレーズには違和感を感じざるを得なかった。

かつて朝日や岩波が「労働者の天国、北コリア」と賛美したことがあったが、ブータンの時は朝日から読売、産経までもが絶賛しているのである。つまりイデオロギー関連ではない。しかし、なんらかの意図は感じる。

非常に気になって、こつこつと調べている。いったい、誰が主導してのブータン礼賛なのかは、未だに分からずにいる。でも、ある程度裏事情が分かってきた。古代から中世はいざ知らず、近代に入ってからのブータンはイギリスの植民地であった。

第二次大戦後、イギリスが植民地を放り出した時、インドの強い影響下に置かれたのがブータンだ。しかし北には貪欲なシナが待ち構えていた。たいした資源のない国ではあるが、冬虫夏草という珍しい漢方の材料が採れる。またインド洋への野心を持つシナには、インド政府に圧力をかける絶好のポジションにあるのがブータンである。

ブータンは軍隊が世界最小と云われている国なのだが、実際の防衛はインドの軍隊が駐留して代替している。中華思想で凝り固まったシナに唯一対抗できるのが、プライドだけはイギリス以上と云われるインドである。そのインド兵を国内に抱えるブータンが幸せの国だと?

自分の国の防衛を外国の軍隊に任せている場合、その外国の軍人たちは横柄になる。横須賀でも佐世保でも那覇でもその実例はいくらでもあることは、日本のマスコミ様は重々ご存じのはずだ。よくぞまァ「幸せの国」なんてフレーズをつかえたもんだ。

ブータンを旅する外国人には必ずブータン観光局のガイドが付く。まさに北コリア並の情報統制をしているのが幸せの国ブータンである。この手の国は、概して外国人には見せたくない何かがある。

では、そんな怪しい国ブータンを何故に日本政府は歓迎したのか。ここに疑問を感じないジャーナリストがいるとしたら、相当にボンクラだと思う。

もっとも疑問を感じつつ、未だ真相が分からずにいる私もたいがいだと思う。正直、日本政府の外交は対米追随が基本で、後は事なかれ主義が横行している国際的恥辱ものの低レベル外交官ばかりだ。

私は常々日本の外務省を有害省だと唾棄している。しかし、何故だか日本の外交にあまり関わりのない小国相手だと、わりと良心的な外交をしている事実があることも認めている。

実はブータンとは戦前から日本と縁があった。それは細く目立たぬものであったが、小国ブータンにとっては貴重な蜘蛛の糸的なものであったらしい。ブータンの国際連合加盟に際し、日本は提案国として助力している。

ブータンの国王夫妻がわざわざ日本を歴訪の地に選んだのも、その歴史的経緯から理解は出来る。そしてその歓迎ムードを日本のマスコミが一致して支持し、協力していたのが真相かもしれない。もちろん憶測に過ぎないので、他になんらかの理由があるのかもしれない。

そんな訳で私は未だこのインドの北にある小国に関心を持ち続けています。
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台湾侵攻と日本

2023-02-09 15:40:28 | 社会・政治・一般
馬鹿なの?まさか本気で云っているの?

そう吐き捨てたくなるのが、現在一部の政治家、言論人などが口にする共産シナの台湾への軍事侵攻に日本は関与するなとの主張である。

私は平和な日本を愛するナマケグマではあるが、平和を守るためには戦わねばならぬ場合があることぐらいは自覚している。

地図をみれば分かるはずだが、共産シナが台湾だけで満足するはずがない。その東側の与那国島から沖縄列島を経て九州に至る線は、共産シナが切望している防衛線である。

ただし現在はアメリカが、その防衛線を縄張りとしている。アメリカはアラスカから日本列島を経て台湾、ヴィトナムにまで至る海域を自国の防衛圏だと認識している。これは100年以上前から大きく変わっていない。

より正確にいえば、アメリカを中心に大西洋の東端にブリテン島、太平洋の西端に日本列島。これによりアメリカは海上貿易を支配出来る。この防衛ラインに挑戦する輩は、アメリカが全力をもって叩き潰す。それが二つの世界大戦のもう一つの土台である。

はっきり言えば、これは覇権国家アメリカの我儘であり、横暴でもある。しかし、強者のみに許された特権だ。70年前、その特権に牙を剥いたのが、日本帝国であり、無様に叩き潰され、未だ軍事的従属下にある。

一方、世界屈指の人口を誇りながら、貧乏大国であったシナは、西側特にアメリカの支援を受けて経済成長を遂げた。そうなるとムクムクと頭を持ち上げるのが伝統的中華意識、すなわちシナこそが世界の中心であるという宗教的盲信である。

シナの考えに従えば、世界の中心たるシナこそが太平洋を支配する権利がある。だが強国であるアメリカが既に縄張りを主張しているので、西太平洋で我慢してやる。ここまで譲歩してやっているのにアメリカは応じない。

日本列島南部から台湾、南シナ海までは古来よりシナの縄張りである。世界はこの大原則を認めねばならない~

困ったことに、明代の鄭和の大遠征もあり、また沖縄がシナの朝貢国であったのも事実なので、まったくのウソではない。ただし九州がシナの支配下にあったことはない。

客観的にみてシナの誇大妄想を含みつつも、ある程度歴史的事実を含有するから厄介だ。北京の共産シナ政府は国内に多数の問題を抱えている。その国内の不満を逸らす先として、国外への強硬姿勢は欠かせない。

北京政府にとって、太平洋への権利を奪還する名目の戦いの相手先は明白だ。すなわち台湾、アメリカ、そして日本である。どうあがこうと、日本の沖縄列島は軍事目標の枠から外せない。だから絶対にあきらめない。

ただ現在はアメリカの方が強い。負け戦は政権崩壊につながるからやりたくない。では台湾侵攻のタイミングは?

それはアメリカが西太平洋の防衛を諦めた時こそが、絶好のチャンスである。台湾と日本だけなら勝てるはず。そのために少しでも勝つ確率を上げる為、両国に親シナ派の勢力を作っておく必要がある。

台湾では親シナ派の政党まで作れている。問題は日本だが、ここはまずマスコミ(新聞、TV)を親シナ派にさせるところまで成功している。大学教授や政治評論家にも親シナ派を育てている。後は政権に影響力を持つ政党を育てるだけだ。

シナの台湾侵攻の下準備を刻々と進んでいることは、今の日本のマスコミの一部をみれば分かります。これが今の日本の現状なのですよ。

しかしシナ目線を外せば、台湾も日本も西側の民主主義国家です。しかも高い技術力、経済力を持つだけに、ここを独裁国家に渡す訳にはいかないのが、西側先進国の共通意識でしょう。

くれぐれもおバカな一部のマスコミの妄言にたぶらかされないことです
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ハウルの動く城

2023-02-08 10:40:44 | 映画
小さい音を美しく演奏するのは難しい。

私がピアノの演奏を好きになったのは20代も半ばの頃だ。当時、税理士の国家試験を目指して勉強に専念していた。いや、正確に云えば、難病の療養のための安静生活に嫌気がさして、何かするべきことをしたかったが故の勉強であった。

未だ病は癒えず、衰弱著しい身体ではあったが、数時間ならば人並みのことは出来た。ただしデスクワーク限定なので、致し方なく治った後の生活を考えての資格取得に向けての勉強であった。

もともと「ながら族」であり、中学から高校、大学に至るまでラジオやカセットテープで音楽を聴きながら勉強する癖があった。しかし、国家試験を確実に通過するには、少々このやり方では問題があった。

なにせ暗記項目が多い。暗記の最中にラジオやテープから人の声が聴こえてくると、意識がそちらに向かってしまい、暗記に支障が出ることが分かった。さりとて音のない空間で勉強するのも退屈だ。

当初はレイモン・ルフェーブルやポール・モーリアなどのイージーリスニングを聴いていたが、これは映画などを思い出してしまい、やはり勉強の妨げになる。そこで大学時代に良く聴いていたジャズ・ピアノを試してみた。

これはこれで楽しいのだが、気分よくリズムを身体が楽しんでしまい、やっぱり勉強の妨げになりやすい。そこで試したのがクラシックのピアノ・ソロであった。これが勉強にぴったりであった。特にショパンの楽曲がお気に入りとなった。

私はピアノに関しては、ほぼ素人なのだが、この受験期間の6年あまりでかなりの楽曲を聴いてみて分かったことがある。上手い弾き手は、小さな弱い音を綺麗に弾く。たしかピアニシモとか言うらしいが、弱い音を美しく奏でることが出来るピアニストの演奏を好んで聴いていた。

そんな優れたピアニストの一人に、ユーチューバーである角野集斗氏がいる。かてぃん(CATEEN)の名で知られているのだが、ピアノ系ユーチューバーでは際立って巧いと思う。

ちなみに開成高校から東大、同大学院に進みAIの研究をしていた理系エリートでもある。音大出身が上位を占めるピアノ・コンクールでの入賞歴もある本物だ。

そんな彼が演奏したのが「人生はメリーゴーランド」。ジブリ映画の「ハウルの動く城」で使われた曲なのだが、私はこの角野版が一番のお気に入り。オリジナルよりも美しく感じる。機会がありましたら是非ご拝聴下さい。
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屁理屈でしかない

2023-02-07 11:42:16 | 社会・政治・一般
>民主集中制は、あくまでも日本共産党の内部の規律です。一般社会に押しつけるものではなく、党員が、党の一員としての自覚にもとづいて自発的に守るべきものです。

 その基準は党規約(第3条)に明記されています。

 (1) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。

 (2) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。

 (3) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。

 (4) 党内に派閥・分派はつくらない。

 (5) 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 日本共産党は、党の最高機関である党大会を2年または3年の間に1回開きます。党大会の議案は支部総会、地区党会議、県党会議で討議され、その過程で、中央委員会は全国の党員から送られてきた意見を公表し、少数意見の表明の機会を保障しています。党大会から次の党大会までの間は、全党が中央委員会の方針と指導に団結して活動します。

さて、先月のことだが、日本共産党の党員が党首公選制の導入を意見表明した。それに対する日本共産党中央の対応が以下のとおりです。

>共産党は5日、党員の直接投票で党首を選ぶ「党首公選制」導入を求めている現役党員でジャーナリスト・編集者、松竹伸幸氏(68)を党規約上最も重い「除名」処分とする調整に入った。

まだ決定ではないようですが、これって党規約第三条の(5)に違反していませんかねぇ。誰もそのことに気が付かなかったのでしょうか。いや、党中央の決定には逆らえなかったのでしょうか。

はっきり言いますけど、これこそが独裁政党である証拠ですから。

近年、日本共産党こそ唯一のまともな野党だとの意見があるようですが、よほど独裁政治がお好きなんだと思えます。私は十代前半の頃から日本共産党の下部組織である民青の人たちと近い関係にありました。当初は民青に入るつもりでした。

でも途中で気が付いた。この人たち、下からの意見なんざ聴きやしないと。優秀な党中央の支持に従うことだけを求めていて、大衆の味方面しながら、大衆の意見なんざ聴く気がない。

私が一番身近に感じていた政党が日本共産党でした。一番期待していた政党でもありました。それだけに、この独裁体質に気が付いた時の失望は大きく、10代後半には政治に絶望して、自ら遠ざかり、関わることを避けました。

民主党の惨めな失敗以来、共産党に期待している方が少なくないのは承知していますが、どうか今回の事件を虚心に受け止めて欲しいものです。そして目を覚まして欲しい。これが独裁政治を本質とする政党である証拠なのだとね。
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